091 案件No.006_旅行バスの運転代行(その5)
(一番楽観的な可能性は、タイヤには偶々当たっただけ……それでも、車に当ててきた時点で最悪ね)
対人用の狙撃銃とは違い、対物狙撃銃の反動は通常の比ではない。人肉よりも強固な装甲を撃ち抜く為の銃弾を用いるのだ。人間がそれを受けてしまえば、僅かに掠るだけでもその身を削られてしまう。
しかし、弱点もある。反動により狙いも安定せず、また銃身の螺旋状の溝も強すぎる威力で削れやすいので、銃の癖を覚える前に変わってしまう。しかも、人が使用することを想定しているので口径が小さく、面制圧には向かない。下手な迫撃砲の方が、戦術的価値が高い場合もあるのだ。
なので、対物狙撃銃の対抗手段として持久戦に持ち込むのは理に適ってはいるが……壁にしているのが車という、危険物を背負った『動く凶器』である以上、ジッとしていては相手の思う壺だ。
それに……問題は姫香達だけではない。
(あまり時間を掛け過ぎると、それだけ睦月が危なくなる……)
残された手段で一番手っ取り早いのは、狙撃手を狙撃して相手を倒すことだが、狙撃時の手順が使えないのであれば、自らの感覚だけで調整作業を済ませる必要があった。
(銃声と着弾の音から逆算した限り、そこまで離れてるとは思えない。初弾から位置を変えてなければ、すぐに見つけられる距離に居るはずだけど……問題は、先に撃たなきゃいけないことよね)
スコープの中には、銃身に取り付けられるマウントレールに差し込めば、すぐに狙撃できるものもある。だが、事前に銃器の癖を把握していても、発射時の環境を考慮しなければ、初弾で当てることは難しい。
(適当に撃って把握して、済んだ後すぐに狙撃手を狙撃すれば倒せるけど……問題はこれ、か)
手の甲で車体を軽く叩いた後、姫香は唇に指を当てて考えた。
目視できるぎりぎりの物体に銃弾を撃ち込んで調整作業を行わなければならず、一発だけで終わらせられる保証はない。下手に身を乗り出せば狙撃され、銃撃を始めてしまえば車ごと撃ち抜かれる。しかも、相手の準備の方が先に終わってしまえば、今この瞬間にも狙撃されるかもしれない。ただでさえ、貫通可能な車に背を預けている時点で、目隠し程度の役割しか果たせていないのだ。
だからこそ、この状況を打開するのに一番手っ取り早いのは……
「……姫香さん」
姫香が振り向くと、声を発した由希奈は何故か、足を伸ばしていた。
「睦月さんの居る場所を、教えて下さい」
その動きはさながら……陸上競技の準備運動だった。
(急いで来たから、スニーカーだったのは逆に良かったかも……)
向こうに狙撃手が居て、身動きが取れないのは素人の由希奈でも分かる。姫香もそれをどう打開しようかと考えているように見えるが、それでも落ち着かず、いつでも動けるように足首を解すことしかできずにいた。
いや……自分にもできることを考えた結果、身体は自然と動いていた。
(できれば立って準備したいけど、車の陰から出ると撃たれそうだし……)
どうしても、すぐに動き出したくて仕方がなかった。
これは現実だと理解しているし、睦月達が撃ち合っていた現場近くに居たこともある。
「……姫香さん」
恐怖の感情は、たしかに芽生えていた。
「睦月さんの居る場所を、教えて下さい」
しかし、由希奈はそれ以上に、今すぐにでも睦月の傍へと駆け出したかった。
「私が睦月さんに…………銃を、届けます」
それが最良だと思い込める程、由希奈の覚悟は固かった。
(本当、厄介なんだから……)
発達障害者の思考は、一つのことに集中しやすくなる分、どうしても視野が狭くなりがちになる。その正誤を断ずることは難しいが、少なくとも、この状況では十分に打開策足り得た。
「一瞬でも立ち止まったら……死ぬわよ。それは分かってる?」
「それは、つまり……立ち止まらなければ大丈夫、なんですよね?」
「……あくまで当たり難い、ってだけよ」
下手にジッとするよりも、動き回っていた方が当たり難いのは狙撃銃の常だ。ましてや、威力が仇となって狙いが定まり難い対物狙撃銃ならばなおさらだ。
しかし、だからといって……当たらない保証は、どこにもない。
「あんたにそんな度胸……あるの?」
死ぬかもしれない恐怖。それは誰であろうと、簡単に抗えるものではない。
「ありません、ただ……」
だが逆に、視野の狭さが功を奏しているのか……姫香の眼には、由希奈が走ることしか考えていないように映った。
「……今はただ、駆け出すことしか考えられません」
姫香から見て、由希奈の眼に迷いがあるようには見られなかった。本当に、ただ走ることしか考えていない……その覚悟が窺える。
……だから姫香も、覚悟を決めた。
「最後に、睦月を確認した位置は……この山道を真っ直ぐ進んだ先よ」
構えていた狙撃銃の遊底を引き、薬室に銃弾を押し込んだ姫香は、由希奈の提案に乗ることにした。
「面倒な作戦はなし。あんたはただ走れば良い……露払いはこっちでする」
「ありがとうございます……」
(むしろ、怨み言の方がありがたいわよ……囮にするんだから)
もう集中状態に入りかけている由希奈に、姫香は簡単に流れを説明した。
「私が次に撃った時が、号砲代わりの合図よ。ところで……もう足の方は良いの?」
「はい……」
交通事故の影響は、身体にもう残っていない。後は心の持ち様だと、主治医の先生からも言われている。そして正に今、再び走り出すには絶好の機会とも言えた。
むしろ……今、走り出さなければ、精神的外傷が永遠にこびり付いてしまうかもしれない。
だから、今の由希奈に……迷いは一切なかった。
「……走れます」
「分かった……」
軽く息を吐くと、姫香もまた由希奈と同様に、戦闘体勢へと移った。
「……じゃあ、任せたわよ」
わざと音を立てるようにして、姫香が狙撃銃の遊底を引いてきた。
――ジャガッ!
「分かり、ました……」
軽く息を吐き、由希奈は呼吸を整えていく。
……陸上を始めた理由は、ただ逃げたかったからだ。
会話も、思考も、感情も合わない人達と関わらなくて済む。やるべきことさえやれば誰も文句は言わず、団体競技さえ選ばなければ一人だけの世界に居られる。
別に、個人競技であれば何でも良かった。最初に勧誘を受けた運動部が、偶々陸上部だっただけだ。その中で実績を出し、雑用の当番もしっかりとこなし、ただ練習に打ち込む。
それだけで人は寄ってこない。『その他大勢』に埋もれて、一人になれる……誰とも拗れることなく、生きることができる。
それも結局は……両親と共に、全て台無しになってしまったが。
家族を失い、走れなくなり、自身の障害特性を知ることになり、散々だと思っていた人生の渦中だった。
……彼に、荻野睦月に出会ったのは。
(思い出せ……昔の、陸上をしていた時の感覚を)
第一印象として、人付き合いが苦手そうだと、何となく思っていた。
周囲がどう見るかは分からないが……少なくとも、ただ声を上げるだけよりは、気付かれなくとも行動で示してくれる善意の方が、自分には好感が持てた。
『私にとっての『いい人』の定義は、『どうでもいい人』か、『都合のいい人』なんですよ』
最初は疑問に思い、他の人とは変わっていると感じていた。
『自分がまともだと勘違いしている人間よりは、異常だという自覚がある人達の方が、相手の持つ問題への理解が容易な分、まだ付き合いやすいとね』
その言葉を聞いて、由希奈は睦月の考えが、何となくだが理解できた。
(この人の世界には、『自分』と『他人』しかいないんだ……)
自分以外の別の人間、その全ては他人でしかない。ただ付き合いやすいかそうでないか、かつての青年の言葉を聞き……価値観が近いと思えたのは、それが初めてだった。
それが理由で生まれたにも関わらず、『多様性を受け入れる』なんていまさらな考えをほじくり返すことをさも『新しくできた常識や価値観』のように語る人間よりも、元々『異なる人間同士が共に生きる』為に構築されたのが社会だと、理解できる者は意外と少ない。
己が未熟さで、社会を知らないだけならまだいい。だが、それを知っているはずの人間達が、何故か先頭に立っているのがこの世界だ。
いくら『発達障害は個性』だと言おうとも、受け入れられる者は同類でも珍しい。結局は排他されて終わるのが、自らの待つ結末だろう。
けれども、たとえ受け入れられなくとも……由希奈はただ、睦月の下へと駆け付けたかった。
(睦月さんが居た方が、都合がいいから? 私自身、生きることがどうでもいいと思えるから? きっと、どっちも違う……)
睦月の、あの『運び屋』の青年の言葉を借りるのであれば……おそらくは、憧れたのだろう。
同じ発達障害を持ちながらも、たとえ裏社会の住人だとしても……自らで道を切り開き、進めるだけの意思と力を持つ、あの生き様に。
(だから、私はきっと…………知りたいんだ)
その生き様を知ることができれば、きっと……自分の足で歩けるから。
睦月の鞄は普段、邪魔にならないように収納式のベルトがいくつも仕込まれていた。肩掛けから腰巻。それこそ、たすき掛けにもできる程の長さを出すこともできる。
由希奈は睦月の鞄をたすき掛けにし、絶対に落とさないようにしてから地面と水平に、ゆっくりと全身を倒していく。
(|位置について《On your marks》…………)
これは競技ではないので、合図はない。姫香の発砲を待ちながらも、由希奈はただ、いつも通りに地面へと、自らの両の手を突いた。
(大丈夫……いつも通り、ただまっすぐ走ればいい)
脳裏に思い描くのは、陸上での短距離走。
(用意……)
ゆっくりと、腰が上がる。後は号令と同時に蹴り出し、全力で走り出せばいい。
ただ、走ることに集中して駆けるだけならば……迷いはない。単純な分、他に何かを考える必要はなかった。
後は、頭が余計な思考を生み出す前に号令が出れば……問題なく、集中して駆け出せる。
――ダァン!
そして、余計な思考が脳裏を走るその直前で……号令が鳴り響いた。
(よし……しびれを切らしたなっ!)
覚えたての狙撃で身体が震え、次弾の装填すらままならない対物狙撃銃を構え直せるようになった時、標的がようやく動きを見せてきた。
ようやく準備ができたのだろう。一発の当てずっぽうな銃声を合図に、車の陰から一人、体格からして少女らしき人物が飛び出してきた。他にも一人、さっきの銃声の主が居るはずだが、今は動く気配がない。それなら先に、出て来た方から撃てばいいだけの話だ。
犯罪に手を染めようと決意した時、偶々出会った『立案者』に利用されているのは理解していたが、それでも|対物狙撃銃《普通に出回っていない物》を、その使い方ごと与えられたのは大きい。それに、どうせ『依頼の後は好きにしてもいい』と言われているのだ。
(……なら、とことんやってやる)
口径は迫撃砲に劣ろうとも、その威力は本物だ。当たりさえすれば、たとえ急所でなくとも致命傷足り得る。だからとにかく、標的の中心を狙えばいい。先程の車も、中心を狙ったからこそ多少は逸れても、タイヤに当てることができたのだ。
(また、狙えばいい。動きが愚直で単純な分……射線とタイミングだけで、簡単に当てられる)
そう考えて遊底を引き、12.7mm口径の対物狙撃弾を薬室へと送り込む。後は構えて引き金を引き、撃ち抜けばいい。
(タイミングを合わせて……車と同じように…………)
対物狙撃銃の銃身ごと、そこに取り付けたスコープの十字線を合わせて射線を作り、標的の動きに合わせて調整し、飛び込んできたところに……
「見た感じ良い女なのに、もったいねぇな……っと!」
……撃ち込む!
――ドガァ、ン!
先程の狙撃銃とは、比較にならない銃声。
――ダァン!
そこから放たれた対物狙撃弾が、離れた山道を駆け抜ける少女を襲うはずだった。
しかし、その銃弾は当たることなく……彼女の横へと逸れていく。
「チッ! 外し、」
――ダァン!
「た、か……」
まだ、他にも敵がいる。たとえ熱くなろうとも、その意識だけは欠かしていない。
だから、遮蔽物から身を乗り出したのは、ほんのわずかな部分、だけのはずだった。
けれども、そのわずかな隙は……姫香にとっては十分すぎる程、大きな的だった。




