084 案件No.005_レースドライバー(Versus_Shakah)(その7)
銃弾には、有効射程というものがある。届かせるだけであればそれ以上を望めるが、銃弾の威力そのものは落ちてしまう。その為、最大射程とは別に、狙撃可能な距離として区別されている。
銃弾そのものにもよるが、狙撃手の用いる狙撃銃の弾の最大有効射程距離は大体2km前後。その上、世界には物理法則というものがある。すぐに思い付くだけでも空気抵抗や重力、高所であれば気圧等も、狙撃時に考慮しなければならない。
高度な計算や超人的な感覚のどちらか、もしくは両方を持ち合わせてこそ、長距離狙撃は成り立つ。ある軍の狙撃手は届いて1㎞前後、徹底的に仕込まれた姫香ですら、施設の都合により同程度にしか当てることはできない。その為に訓練では、射程距離よりも速射性に重きを置かれていた。
そもそも、長距離狙撃自体がほぼ完全な虚構だ。必要となる場面が限られる上に、事前に取り組める訓練自体もただ遠くの的に当てるだけ。どんな人間だろうと実戦の中で、しかもどのような環境下でも当てられる者はほんの一握りだ。努力、才能、道具の三つを揃えてもなお、強靭な精神力や環境要因に恵まれなければ、2kmどころか1kmにも満たない距離ですら不可能だろう。
だからこそ、これまで行う機会もなく……誰かに知られることもなかった。
――『傭兵』の最大有効射程距離が、銃弾の限界と同等だということを。
「相変わらず良い腕してるね~……普通あんなの、簡単に当たんないって」
「俺だって、さすがに見えなきゃ当てらんねえよ」
人は狙撃する上で、標的を認識しなければならない。それができなければ、銃口を向けることすら不可能だ。その為に、事前の情報戦や観測手等の観測役を用意している。
殺しでなくとも、狙撃自体に需要があるにも関わらず、英治がその技能を誇示しない理由はそこにあった。
標的そのものが見えなければ、狙撃のしようがないのだから。
「ほんと、技術の進歩ってすげえよな……」
英治の手により片付けられていく狙撃銃の横には、タブレットPCに接続された複数の小型モニターが設置されている。映像の発信元は空撮用の無人航空機や近隣の監視カメラ等、多岐に渡っていた。
姫香が『下平彩未』に依頼し、用意させた狙撃時の手順だ。英治もそれを利用して得た情報を基に、標的を認識して狙撃したのだった。
「高性能のスコープだけじゃきつかったけど……これも合わせてだったから、結構楽できたわ」
「ふ~ん……それは良かったね」
少し離れた場所で見張り兼無人航空機の操作をしていた弥生もまた、撤収準備に入っていた。もっとも、片付けているのは自作した専用の送信機のみで、本体の方は勇太の社員達に回収させていたが。
「……あ、ところで聞きたいんだけどさ」
「ん~?」
片付けに集中している為、若干おざなりな返事を返してしまう英治。しかし弥生は気にせず、最後に片付けようとしていた銃弾を指差して聞いてきた。
「|.338(8.6mm)口径弾ってたしか……有効射程距離、2km行かなかったんじゃなかったっけ?」
「だから装薬の多いやつ、使ったんだよ。やっぱ、勇太は金持ちだわ……」
ただでさえ、拳銃弾よりも高い狙撃銃の弾を、しかも有効射程距離が伸びる分高価な銃弾を湯水の如く使えた。
たとえ、別途経費として請求できたとしても、現時点で支払いをしたのは勇太だ。調整作業用含めて余分に渡され、しかも未使用の銃弾がかなり残っている。下手な会社員の月収以上の金額を溶かしていても、おかしくはなかった。
「後は報酬とは別に、狙撃銃の整備代貰えりゃ万々歳だな」
それもまた、巡り巡って連れの女との生活費に充てられる。あまり金銭面に縁がない英治は、少しでも請求しておきたいので適当な理由を考え込む。
「でも結構細かいよ? 下手したら睦月以上に」
「…………げ」
こだわりが強く、細かいことが気になる発達障害者以上と聞き、英治は改めて悩むのであった。
「おお……走ってる走ってる」
勇太が手話でメッセージを送った後、車に仕込んでいた暗視望遠鏡を取り出した睦月はそのまま天井に座り込み、1km程先で軍事訓練張りに走り込んでいる人物を見ていた。今回囮として雇い入れた、英治との一件で姫香が撃ち抜いた軍人上がりの狙撃手だ。
「正直、俺も姫香も興味なかったんだけどな……ただの雇われだったみたいだし」
「とか言いつつ、仕返ししてきたら適当に殺し屋送り付けるんだろ?」
「何当たり前のこと言ってんだよ。攻撃して来たら反撃するに決まってんだろうが。おまけに仕返し程度で、無駄な時間使いたくないし……」
睦月がそう返しながら腕を突いて勇太の方を振り向くと、見上げてくる筋肉野郎は『出たよ……』とばかりにやれやれ、と無言で肩を竦めてきた。
「そんなだからお前、あの囮役に『六分の一引き当てちまった!』って陰口叩かれてたんだろうが」
「……六分の一?」
少し聞き捨てならない数字が聞こえてきたので、睦月は反射的に聞き返した。
「十二分の一じゃねえのかよ? どう考えても、やばいのはあのガキ大将だけだろ」
「お前が容赦なさ過ぎるんだよ……」
竦めていた肩を降ろし、腰に片手を当てた勇太は頭上に居る睦月の方を空いた手で指差しながら、こう答えてくる。
「『逆恨みされないように』、とか言っていつも一族郎党皆殺しの勢いで始末しようとするから、裏社会で『一度『運び屋』を敵に回すと、鏖殺するまで止まらない』なんて噂されるんだろうが」
「……そんな噂流れてんの?」
あまりに初耳な噂に、さすがの睦月も望遠鏡片手に顔を歪めた。
「唯一の救いは……お前の精神が大人になった分、皆殺しにする基準、というか怒りの沸点が上がったことだな」
「沸点が上がった、というよりは……リスク回避も兼ねて、無駄な攻撃を避けているだけなんだけどな」
「リスク考えられるのが、『精神的に大人になった』ってことなんだよ」
下手をすれば自分がそうなっていたかもしれない。
とでも考えているのだろうか、勇太は手を降ろすと、睦月を見上げるのを止めて伏せったままのツァーカブ達に視線を向けていた。
「というか、普通信じるかね……」
流した噂の内容を思い出しでもしたのか、勇太は腕を組みながら首を傾げだした。
「……『息子の為に、好きに加速装置が使えるAT車を用意した』、なんて親馬鹿な話を」
『つまり、話を纏めると……』
勇太の説明に対して、睦月は一度脳裏で要点を纏めてから、その内容を口にした。
『……荻野秀吉が『犯罪組織』の『走り屋』と揉めた際に、いつも最後に加速装置使って逃げてるから、向こうも同じ車を用意しようとした。だがその知識や経験がなくて使えずじまい。そんな中、息子の俺の車なら訓練無しで使えるなんて噂をわざと立てて、和音という『昔の伝手』経由で潰させようとした、と言うことか?』
『まあ……ぶっちゃけると、そうなるな』
睦月は思わず、天を仰いでしまった。
要するに……馬鹿親父の尻拭いだった。
いくら加速装置で逃げられると言っても、結局は車を運転することに変わりはない。だから別の対策を立てられる前に、自分の息子で釣って潰させることにしたのだろう。そして仲介役を介したのは、勘当云々で依頼を請けるかについて万が一揉めないように、というただの処世術だった。
『というか……その揉めた件って、例の『銃弾買い占め』のことじゃないか?』
『時期的に考えて、そうだろうな……』
思わず口を挟んでくる英治に、睦月も同意見だと、勇太越しに肯定を返した。
未だに、秀吉の行動理由は謎が多いものの、今回の依頼の目的についてだけは把握できた。
要は秀吉の代わりに、『犯罪組織』の『走り屋』を潰せ、ということだ。その為には、勇太からの依頼通りレースに勝ち、その後の面倒事も片付ける必要がある。
『英治だけじゃ不安だな……もう一枚、保険を用意して貰うぞ』
『そう言うと思って、もう声掛けてある』
右手をゆっくりと持ち上げ、懐を指差す勇太。いまさら武器ではないだろうが、念の為視線を戻して、自動拳銃に手を伸ばしてから、睦月は顎で促した。
勇太が取り出したのは自身のスマホで、画面には一人の男が写っていた。
『……誰、こいつ?』
『お前等の女殺そうとした狙撃手だよ。その『銃弾買い占め』の件で、『クリフォト』に雇われてた』
『ああ、いたな……こんな奴だったのか』
あっさり姫香が返り討ちにした上に、仕返しにすら来なかったので、睦月の頭からはすっかり抜けていた。
比べる相手が悪過ぎるとは思うが、睦月にとってその狙撃手は、戦う前から弱者の印象を抱いてしまっている。直接相対して自分以上の実力を示してこない限りは、おそらくその評価が覆ることはないだろう。
『何? そいつ『傭兵』と同等の実力だから二面作戦、って話か?』
『いや、全然』
後ろで疑問符を浮かべている英治を背に、勇太は睦月にある提案をしてきた。
「『1km圏内での狙撃。どうせ見つかるからそのまま囮になって、もし生き残れたら『運び屋』に話つけてやる。しかも成功報酬として逃走資金も付ける』なんてふざけた提案……よく呑んだな、そいつも」
「向こうも生き残るのに必死なんだろう。『家族の為に生きて、金を持って帰りたい』ってさ」
実に羨ましい話だと、勇太は思った。
完全に手駒として育てられていた勇太に、家族と呼べる者はほとんどいない。両親は居たが金の力で育てさせていたので、完全に無関心。おまけに兄弟もなく、ただ『掃除屋』としての仕事を覚えればいいという歪んだ環境で生きてきた。
おかげでそれ以外の時間は好きなものを貪り、我儘放題に過ごしてきた。唯一対等だと思えたのは、『最期の世代』だけだろう。それだって、親の金で従えようとしていた気持ちもあった。
最後に義妹に会わせてくれたのは良かったが、それと金を与えてくれた以外の思い出が、一切ない。
……だから、何の躊躇いもなく潰せた。
自分で『掃除屋』の組織を別途立ち上げ、元からあった人脈は全て奪い取り、最後には理沙と共に地元を出た。その後の両親がどうなったかは知らないし、元から付き合いもなかったので、親戚関係は勇太自身存在すら知らない。使用人達に関しては、転職の斡旋をしてから縁を切った。
勇太に仕込みを用意できなかった時点で、向こうの負けだ。それ以上、関わる必要はない。家族が欲しい、とまでは言わないが……どうせなら、命懸けで助け合える相手が欲しかった。
だから勇太もまた、義妹を選んだのだった。
そんなことを考えていると、ふと勇太は車から飛び降り、望遠鏡を片付けていた睦月に話し掛けた。
「そういえば……お前は仕込みとか、平気だったのか?」
「ん~……まあ、元からあるもんだったしな」
閉めたドアにもたれかかりながら、睦月は下らなさそうに答えてきた。
「昔、『発達障害』だって言っただろ? 仕込みの話が出た時にはもう分かってたから、親父はそれで済ませてたよ」
「…………は?」
地元を支配していたのは、ほぼガキ大将の親戚一同だ。それ以外にも口出ししていた者はいたが、あくまで相談役の立ち位置。実権は完全に向こうが握っていた。
それなのに……誰一人として、荻野秀吉の提案を疑わなかったのだろうか。
「地元の連中……サヴァン症候群を知らないなんてこと、ないよな?」
勇太が疑うのも無理はない。
サヴァン症候群とは、精神・知的障害者の中に時折居る、特定の分野に長けた能力を持つ人間のことだ。常人をゲーム等の能力状態でいう『バランス型』だとすれば、使い勝手が悪くなる程の『一点特化型』が、その対象者だった。
状況によっては最弱だが、場合によっては最強の切り札足り得る存在。詳細は未だに研究途上だが……その症例は男性のASD持ちに多く見られる、らしい。
たとえば、勇太の目の前に居る『運び屋』とか。
「さすがに全員、そこまで馬鹿じゃないって……」
手を振って勇太の言を否定しつつ、睦月は事情を説明してきた。
「知ってる人間全員、親父が裏で買収して黙らせてただけだよ」
「……そんなの有りか?」
いくら可能性の話とはいえ、完全に潰しておかなければ、どう成長するかは分からない。まったくの役立たずになることもあれば、ガキ大将以上の化け物になるかもしれなかったのに、平気だったのだろうか。
特に……同じ『運び屋』であるはずの秀吉自身は。
「実際に、有りだったんだろ? まあ、だからこそ……」
押し寄せてくる車両群。全員が勇太の社員達だった。
そのエンジン音が反響して轟く暗夜でも、睦月の声は勇太の耳にも届いてきた。
「……俺と縁切ってでも、邪魔して欲しくなかったんだろうけどな」
――Case No.005 has completed.




