080 案件No.005_レースドライバー(Versus_Shakah)(その3)
「いまさらだけどさ……車なのに革製のショートジャケットってどうよ?」
「いや、どうでも良くね? 実際、運転しやすいだろ?」
仕事用の車を近くに停めてきた睦月は、トラックの運転席から降りてきた創にそう話し掛ける。そのまま二人並んで裏手に回り、荷台の鍵に手を掛けた。
「というかお前、似たようなのよく着てたじゃん。『走り屋』やる前位の頃に」
「あの時は、普段乗りが自動二輪だったんだよ……そういえば、最近乗ってないな」
その自動二輪も今、側車付二輪車を取り付けた状態で、外すことなく放置していた。しかも今、姫香が(ほぼ勝手に)私物化して乗り回している。あれもその内、分解整備しないと危ないかもしれないなと、ふと睦月は思った。
「余裕があれば、新調したいとこだけど……今は無理かな」
「また変な愛着か?」
「いや……今回は金銭的に、だ」
ギィィ……、と重い扉が軋む音を立て、中の荷物を群衆へと晒していく。
「だから依頼を請けたんだよ……割がいいからな」
睦月が『走り屋』時代に乗り回していたのと同じ……エンジン二基搭載の改造車が、姿を現した。
『結局、廃車か。はぁ……』
『……もう諦めたら?』
最後のレースは台無しになり、緊急案件で睦月が無茶をした結果、『走り屋』の象徴たる車は廃棄することとなった。
その愛車を前にして落ち込む睦月に、絵美は肩を叩いて慰めてくる。
『随分、無茶をしたんだな……』
『うわ~……、ボロボロじゃねえか』
そんな二人の横を勇太と創が通り過ぎ、銃痕だらけになった車体にそれぞれ手を伸ばしていた。
『睦月……お前、これからどうするんだ? 『運び屋』』
『さすがに目立つから、仕事用の車はとっくに用意してるよ。でもな~……』
『……ならいいじゃねえか、別に』
睦月とて、理性では理解している。
目の前に鎮座している車は、『走り屋』としては最高の性能を持っているが……『運び屋』の仕事をする上では、この上なく目立つ。だからどちらにせよ、売却するか倉庫の肥やしになる定めだったのだ。
ならばいっそのこと、廃車になるまで乗り回した方が(勝手な解釈だが)、車も本懐を遂げたと言えるだろう。
『……良くねえよ』
だが、感情では理解しきれていなかった。
銃弾の雨を掻い潜りつつも、護衛対象を守り抜くという目的を果たす為には致し方なかったというのは、結局のところ結果論だ。これまで大事にしていた車よりも、依頼の達成を優先させたのは良いが……その原因は、睦月が弱かったからに他ならない。
『たとえ、そのうち落ち着く感情だとしてもな……愛着のあるものを無くすのは、慣れそうにない。というか……』
そこで睦月も一歩前へ出て、自らの愛車に手を伸ばした。
『そもそもの話、俺が妥協しなきゃならない義務も道理もないんだ…………欠点を無くす。これ以上、余計なもの抱え込んで堪るか』
横にいた二人が静かに笑い掛けているのには気付かず、自身の決意を吐露した睦月。
『……私は?』
しかし、後ろから茶々を入れてくる女は居た。
『お前、な……』
男の決意に水を差す絵美に向かって振り返り、睦月は呆れたように問い返す。
『普段、二言目になんて言ってるか……もう一回ここで言ってみろ』
『ん? ん~……『同じこと何度も聞くな』?』
『……それは三言目、本気ですみませんでした』
勇太や創から(精神的に)心配されていることにも気付かないまま、心配症は一度頭を下げた。そして持ち上げた首を鳴らしながら、絵美に二言目を言った。
『『絶対に別れてやる』って、普段から散々言ってただろうが……まあ、出会いからして最悪だったし、仕方な、』
『……ちょっと違うわね』
絵美は眼前で軽く手を振って睦月の言葉を遮り、告げた理由を訂正してくる。
『睦月が居ると……人生最悪の時を思い出すから、別れるのよ』
少なくとも、睦月のせいではないと、絵美は腰に手を当てつつ、首を横に振った。
『次に会う時があったら……その自己肯定感の低さ、少しは直しておかないと無視するわよ』
そう言い残して、絵美は睦月達の前から姿を消した。
……以来、睦月は絵美と顔を合わせていない。
「あいつが来ない理由……本当は、俺が居るからじゃないか?」
「あいつ、って元カノのことか?」
「ああ。創の話を聞いて、ふと昔のことを思い出してな……」
荷台に乗り込んで車の留め具を外していた睦月は、外で操作盤を弄っている創にそう言い捨てた。
徐々に剥き出しになる降車用のレーンを確認し、拘束を解かれた車に乗り込む睦月。後は創が用意した道に沿って、発進するだけでいい。
「スタート地点まで、誘導頼む」
「分かってるよ……勇太!」
創が勇太へと叫び呼ぶ中、睦月は車のエンジンを掛けた。
――ゴォン!
普段乗る仕事用の車とは違う、さらに重厚な始動音と共に、睦月は徐行運転で目的のスタート地点に向けて、軽くアクセルを踏み込む。
(まあ、近いし……二速に入れるまでもないか)
元々、勇太の傍にトラックを停めたので、レースの相手はすぐ近くにいた。
つまり……そこがスタート地点だった。
創から勇太へと引き継がれた誘導に従い、睦月は対戦相手……ツァーカブの駆る車の隣に停車した。
「……お前か。こいつ等の代表は?」
まだ乗り込んでいなかったらしく、短髪高長身の女が車外から、運転席にいる睦月に声を掛けてくる。
パワーウィンドウを一度下げてから、睦月は顔を出して返事をした。
「ああ、よろしく」
「今日は楽しませてもらうぞ……失望させてくれるなよ」
言うだけ言った後、ツァーカブはさっさと愛車に乗り込んでいった。
そこへ入れ替わりに、グリッドガールを呼びに行った勇太に代わって、創がドア越しに話し掛けてくる。
「……で、準備はできたが?」
「とっくに…………もう小細工は済んだ」
しかし、睦月の意識はもう……目的地へと向けられている。
「後は、悪辣さをもって…………仕事を片付けるだけだ」
これは仕事だと、睦月は『運び屋』として、『レースの勝利』を依頼人に運ぶ為に……今一度『走り屋』になる。少なくとも、気持ちだけは昔のものへと切り替えていく。
「にしても……毎回それ言ってるけど、決め台詞か何かか?」
「いいや……ただの口癖だ」
話している内に、グリッドガールが睦月達の前へと出てきた。
「事を始める前に言わないと、どうにも落ち着かないんだよ……」
すでに背を向けて車から離れていく創が聞いているかは、正直関係ない。ただ依頼されたから、求められている仕事を片付ける。
それが……現在の睦月だった。
『両者、スタートラインに並んだぁ!』
「そろそろか……」
誰ともなく呟かれた声に、店内にいる者全員がテレビの画面を注視した。
テレビの向こうでは、睦月が乗る車の傍から離れた金髪に特攻服の男、『偽造屋』が勇太と共に、声援を送っているキャバ嬢軍団に合流している。同時に、グリッドガールが腕を上げた。
『さあ……レースの時間よぉ!』
『ぃえあああ……!』
「凄い声援だな……」
画面越しに現地の熱気を眺める中、天高く挙げられる彼女の腕。その手に握られていたフラッグは風に当てられ、靡かれながら大きく広がっていく。もう片方の手は前方に伸ばしており、指で合図をしながら、両者の車をスタートラインに揃え出した。
車が並び、指を伸ばしていた手が降りた途端……画面越しでも分かるエンジン音が、山間部にこだまする。
『…………レディ、』
「……で、どうなんだよ?」
グリッドガールにより配置調整が行われている中、創が勇太に話し掛けてきた。
「このまま、上手くいくと思うか?」
「……今のところは、な」
レースの勝敗は、ある意味ではもう決まっている。
せっかく集まってくれた夏鈴達には多少の申し訳なさはあるものの、所詮は箔を付ける為だと納得してもらうしかない。
そもそも、箔を含めての料金だ。もしかしたら、夏鈴はとっくに察しているのかもしれないが……今は詳しい事情を知らない、他のキャバ嬢達と共に精一杯応援してくれている。これ程ありがたいことはなかった。
「お前の方こそ……しくじってないだろうな?」
主語のない会話。しかし創は、勇太が何を言いたいのかを理解し、
「…………誰にもの言ってんだよ」
そう返事をした。
「…………レディ、」
しかし、創の声はグリッドガールの合図と観衆の歓声に掻き消されてしまい……他の誰にも、続く詳細を聞かれることはなかった。
「……セット、」
――ガォン……!
総点検で三日、残りの四日はテストコースでの試運転に費やした。
AT車であればアクセルを踏み、サイドを含めたブレーキをタイミング良く放せばいい。だが、MT車は違う。アクセルとブレーキは同じだが、半クラッチの状態でエンジンの回転数を調整しなければならない。しかも、車両ごとに癖が違う為、事前に身体に馴染ませる必要があった。
だからテスト走行も込みで練習し、その都度消耗した部品も取り換え、各種油の補充も忘れていない。
「ふぅ……」
そして、睦月はグリッドガールの声に合わせて、気持ちを落ち着かせていき……
「――――ゴー!」
……タイミング良く、スタートを切った。
レースは、ほんの数分で決まる。
最初の連続カーブを突き抜け、直進道路に入っていく。その後も、睦月の操る改造車はツァーカブの車から離れず、並走していた。
(|アクセルペダルを踏み込んだ状態《べた踏み》で、ギアチェンジの必要がないとはいえ……やっぱりいい腕してるな)
ほんの少しでも、シフトレバーの操作を誤れば、もしかしたら振り切られるかもしれない。今のところ、睦月に運転ミスはないものの……それはツァーカブも一緒だ。
たとえ、AT車とMT車の違いはあれど、レースの大半を左右するのは機体性能と運転手の運転技術だ。現状では拮抗しているものの、僅かなミスは即敗北に繋がってしまう。
だが……睦月にはない有利な点が一つ、ツァーカブにはあった。
「なっ!?」
思わず声を上げた睦月はハンドルを少し切り、僅かに崩れた岩場を躱した。
(手の内を晒したくはないからって、勇太に来るのは止められてたけど……せめて車載カメラの映像だけでも持って来いっての!)
崩れ方が半端だったので、おそらくは自然崩落だろう。ツァーカブやその仲間が細工した可能性もあるが……少なくとも、すでに練習で来ていただろう彼女が、この情報を知っていたのは間違いない。
咄嗟に動いたはずの睦月の車に触れさせることなく躱し切り、前へと出て来ていたからだ。
(ゴールは…………あと少し、か)
高性能の車で短距離のストリートレース。カーブが多いとはいえ、山間部を一周するだけなのだ。
僅かな差でも、決着は決着。
(…………)
最後の直進道路、視線の先には勇太達が控えているゴール。
それら全てを確認し、シフトレバーを握った睦月は……ギアをニュートラルに入れた。
「……決まったな」
予定調和、すでに見えていた結果。
ツァーカブに続いて睦月が、最後のカーブを抜けて直進道路に出て来た。その僅かな差は覆されないまま、二台の車は最後の加速へと入っていく。
「な~んか、さ……あっさりし過ぎじゃない?」
「まあ……聞いていた通り、だからね」
グラスを傾けながら呟く夏堀に、抽冬が返す声が耳に入ってくるものの……理沙の意識は、別に向けられている。
「……止めろ貴様騒ぐなっ!」
応援団扇を両手に持ち、理沙の視界を遮る程に騒ぐ姫香にとうとう我慢ならず、ついには立ち上がって肩を押さえ込もうとした。
けれども、その手はあっさりと躱されてしまい、逆に姫香から足払いを受けた理沙はそのまま、床の上にべたりと倒れ込んでしまった。
「くそっ!?」
たとえ結果が分かっていたとしても、話を聞くのと実際に見るのとでは天と地程違う。
姫香は理沙を拘束することなく、(無言で激しく)応援団扇を振り回しているが……そうでなくても、今日この店は満員御礼で、人口密度が高くなっている。人混みが邪魔な上、すぐさま立ち上がる余裕はない。
どうにか首だけを動かし、店内にいる人間の隙間を縫うようにして視線を確保した理沙はレースの結果を……
「そうか…………ああいう感じなのか」
……『運び屋』が、かつての依頼で行っていたことを、今度は車外から目の当たりにした。




