061 診療所での一幕
「へぇ~……これ、レイノルズ現象利用してるんだ」
『レイノルズ現象?』
有里の大型自動二輪について行き、共に彼女の診療所へと到着した睦月達を待ち構えていたのは、地面に座り込んで小型二輪に背中を預けていた弥生だった。診療所内にも人は居るはずだが、どうやら外で待っていたらしい。
荷室に押し込めていた二人の内、アクゼリュスの方は有里が奥へと持って行ってしまった。残された睦月達は同じく『プレデター』の死体を調べようと診察室の一つを借り、中へと運び込んた。
アクゼリュスを引き取るはずの和音はまだ到着しておらず、先に弥生が様子を見に来たらしい。ついでにと頼まれていた手荷物を有里に手渡した後、睦月達に見られつつも、不死身の秘密を調べてみた結果が、冒頭の台詞である。
「なら……せん断増粘性って、呼んだ方が分かりやすい?」
「せん断増粘性……ああ、衝撃で固まるあれか」
その言葉自体は、睦月の頭の中にも入っていた。
詳細は省くが要点としては、粉末状の固体と液体の混合物の中には、ある特殊な現象を起こすことがある。普段は流体だが、衝撃を受けた途端に固体のような硬度を持つ。それがせん断増粘性、別名レイノルズ現象だった。
その現象は、裏社会の住人やアクション映画等のマニアならばよく知っている。
……架空の防弾装備に用いられる、化学現象として。
「あれって……実用化されてたっけ?」
そう、問題はそこだった。
たしかにレイノルズ現象を用いた防弾装備については、様々な場所で研究されている。
しかし……研究は未だに続いていた。
実用性に足る成果が、レイノルズ現象を用いた防弾装備の製品化が成されていないからだ。
「いや……少なくとも、俺は聞いたことがない」
睦月の疑問に、英治も腕を組みながら、難しい顔を浮かべている。
そして視線を、睦月から弥生の方へと移していく。
「理屈自体は、もうすでにできているよ」
この中で一番詳しく知っているからと、弥生は二人に説明し出した。
「ちょっとネットで調べただけでも、その手の動画はいくらでも出てくるよ。作るだけなら簡単だしね。問題は……さっき睦月が言ったみたいに、『実用化されていない』ってことかな?」
死体から剥がしたスーツ型の防弾ベストを(診療所にあった掃除用の)トングで掴みながら、弥生はそう口にした。
進み過ぎた科学は、異能と勘違いされやすい。しかし実現不可能な科学こそが、異能である。
この場合……実用化されていないはずの化学現象を用いた装備は、明らかに異能の領域へと到達していた。
「でも……まだ、完全じゃないみたい」
手首を捻ってトングの向きを変え、スーツのある個所を弥生は指差した。
「銃弾で貫通できている。防弾性能はそこまで高くない、ってところかな?」
「いや……一応その防弾ベスト、.500口径に耐え抜いたんだけど?」
弥生の指摘に、英治は思わず声を漏らしてしまう。しかしその事実に対しても、どこか残念そうな目を向けてから、ある事実が告げられた。
「うん、防げるよ……威力だけなら」
「…………え?」
「あ~、そういうことか」
未だに弥生の言葉を咀嚼しきれていない英治に代わり、先に理解が追いついた睦月が言葉を続けた。
「つまり……威力よりも貫通性の高い銃弾なら撃ち抜ける、ってことだろ?」
「そういうこと」
簡単に言うと、人体打撃力の高い銃弾すら防げても、そこに穴を開けてしまえば問題ない。素材に防弾性の高い金属板や繊維を用いたとしても、レイノルズ現象を起こす混合物そのものが袋から零れるようにして抜け出てしまえば、脅威足りえないのだ。
だから英治が、ただ一点を集中して銃撃した手段自体は間違っていない。
「おい、ちょっと待て。それって、つまり……」
そこでようやく、英治の脳に理解が追いついてきたのだろう。その視線は、弥生がトングで掴んでいる防弾ベストから睦月の、その懐に納まっているはずの自動拳銃に向けられていた。
「……対防弾用の徹甲弾とかなら、簡単に倒せたってことか?」
「だから『犯罪組織』や『銃器職人』に接触してたんじゃないかな?」
それすらも防げるようになれば、リーヌスこと『プレデター』は無敵の装備を手にしたことになる。現状では英治に敗れ、未完の作品として残ってしまったわけだが。
「それにしても……これ、誰が作ったんだろう? この軽さで.500口径の銃弾を防げる程の、耐衝撃性を生み出せるなんて」
「弥生は作れないのか?」
「ボクは爆破専門だから、防弾方面にはあまり興味が湧かないかな? 一応分析すれば、似たようなのは作れるかもだけど……今のままじゃ、同じ欠点を抱え込む結果になるだけだと思うよ?」
「……いや、そこじゃない」
二人の会話に英治は身体ごと割り込み、睦月の懐から抜いた自動拳銃の銃身を引き、弥生の目の前に弾き出した5.7mm小口径高速弾を摘まんで掲げた。
「要するに……|5.7mm小口径高速弾使ってれば最初から貫通できてた、ってことか!?」
「う~ん……」
唇に指を当て、脳裏で模擬実験を行う弥生。やがて結果が出たのか、英治に対して軽く、頭を縦に振った。
「もう少し威力のある狙撃銃の弾か、さらに貫通性を高めた弾頭や炸薬に変えたものなら…………多分できるんじゃない?」
弥生の正直な回答に、英治は膝から崩れ落ちていく。
「どうしたの?」
「大方、予算の問題だろうな……」
英治に取られた自動拳銃を奪い返し、懐に戻した睦月は弥生に告げた。
事前に用意していたので知っていた……現時点での、.500口径弾の相場について。
「英治がバカスカ撃った銃弾な。こいつの狙撃銃用のやつと、似たような値段なんだよ。ちなみに貫通性は、狙撃銃の弾の方が上」
「それって……最初から狙撃していた方が、無駄弾撃たなくて済んだ、ってこと?」
「そういうこと」
チーン、という音が鳴った気がする。漫画とかでよくある、落ち込む時になる効果音が。
「そういえばお前、何で最初から狙撃しなかったんだ?」
「途中で逃げられないように……確実に決着を着けようと思って」
「相変わらず、変なところ抜けてるよね……」
トングごと防弾ベストを手放すと、弥生は手近な椅子を引き寄せて、そのまま腰掛けた。
「……で、英治はこれからどうするの?」
「しばらく日本で大人しくしてる……また『クリフォト』みたいなのが田舎に来ても迷惑だから、一旦様子見で」
「少しはこっちの迷惑も考えろよな……」
だが残念なことに、睦月も弥生も関係者である。
『プレデター』みたいにフリーだったならまだしも……またいずれ、『犯罪組織』が睦月達、『最期の世代』の眼前に現れるのは必然だ。
『成人どころか中学すら卒業していない子供の時分に、我らが『セフィロト』は壊滅させられたのだから』
未だに、恨みは根強く残っていた。むしろ日本に残っていた方が、他の者達と協力できるかもしれない。おまけに反銃社会である以上、下手な行動は目立つので、不意討ちされる可能性がかなり下がってくる。
英治の判断自体、間違いはないだろう。
「なあ、英治……ところでお前、一つ忘れてないか?」
問題があるとすれば、ただ一つ。
「俺達はとっくに別れを済ませたんだぞ……全員が味方になるとは限らないだろうが」
睦月の言葉通り、当時は地元が同じな昔馴染みかつ、ガキ大将の少女が取り纏めていた為に、どうにか形になっていたのだ。数人程度が偶に組む位ならまだしも、個性が強すぎる面々を強引に集めても、『協調性』という言葉が塵芥になるのがオチだろう。
「そもそもガキ大将、今は日本にいないはずだし」
「だよな~……」
ようやく身体を起こした英治は、そのまま床に腰を降ろして、胡坐を掻きながら睦月の方を見上げてきた。
「睦月、有里、弥生はいいとして……他の連中は?」
「ボク達みたいに今でも商売してたり、表社会に紛れてたり、だよね?」
調べようと思えば、居場所を探ることは可能だろう。
しかし味方になる保証がない以上、居場所を探ること自体に意味があるのかは、誰にも分からない。
「『詐欺師』だけだよな、へまして刑務所にいるのって」
逆依頼を理由に昔馴染みを助けなかったことを棚に上げて、睦月はしれっとそう言った。
「そもそもここにいる三人だって、必ず味方になるとは限らないからな?」
「分かっちゃいるけどさ~……日本だと他に当てがないんだよ」
人望のなさ、ここに極まれりである。
しかし、睦月達が日本で真面目(?)に仕事をしている間、ドイツの田舎町で本業そっちのけで、パン屋のバイトに精を出していたのが英治だった。その事実が、いまさら覆ることはなかった。
「地道に勧誘するしかないかな……」
「まあ……利害が一致する分には手を貸すから、頑張ってみろよ」
座り込んだままの英治の横に立った睦月はその肩に手を載せ、静かに励ました。
「睦月……やっぱりお前は親友だ、」
「無論金は取るし、『運び屋』の範疇でしか仕事しないけどな」
「……その上げて落とす癖、何とかならねぇ?」
睦月は無言で、肩を竦めるだけだった。
その代わりとばかりに、弥生が話の続きを促してくる。
「それで、色々とどうするの? 死体とか仕事とかは」
考えるべきことは多い。けれども、やるべきことは決まっているようだった。
「久々にアレ……やろうかと思ってる。金も稼げるし、俺が日本にいることも知らせられるしな」
どちらにせよ、英治は連れに対して『仕事をする』と誤魔化して、今回の件を引き起こしていた。おまけに、勝手に行ったことなので誰からも報酬は支払われず、経費だけが嵩み過ぎている。どこかで資金調達しなければならないのは、自明の理だった。
「というわけで……ちょっと、手を貸してくれないか?」
『…………』
睦月と弥生の視線が絡まり……やがて二人して、英治の方を向いた。
「……手頃なのがあればな」
「ついでに言うと、近場でね」
「後、私への報酬も稼いできてよね」
いつの間にそこにいたのか、有里もまた話に加わってきていた。
「婆さんからの支払いじゃねえの?」
「残念ながら違うわ。英治君に請求するよう、言われているのよ」
「また、金、か……」
とことん、資金面に恵まれない男である。
「というわけで……はい、これ」
また落ち込んで項垂れる英治に、有里は一通の封筒を差し出してきた。
「あれ? それって婆ちゃんに渡すよう頼まれてたやつじゃん」
「実際は英治君宛だったわよ。その『手頃な相手の資料』、だって」
「本当あの婆さん、何手先まで読んでるんだよ……」
腕を組み、呆れる睦月の足元で、英治は封筒の中にある資料を流し読みして、中身を脳内に叩き込んでいるようだった。ある程度読み終えた段階で、結論だけを言葉にして出してくる。
「結構稼げそうだ。おまけに……カリーナを迎えに行くのに、大した寄り道にはならなそうだな」
「迎えに行くって、車の運転するのは俺だろうが……まあ、これだけ稼げるならいいけど」
英治が見ている資料を覗き見て、概算の予想利益に睦月も納得し、話に乗ることにした。
「……で、お前等はどうする?」
睦月が問い掛けたのは残りの二人、弥生と有里だった。
「ボクも乗る~……最近お金、結構使ってるしね」
文字通り、爆薬に変えて塵と化したのだろう。だが睦月達には関係がなかった。
「これで三人、有里は?」
読み終えた資料ごと床に手を突き、英治は有里の方を向いた。
「私はパス、これでも仕事の最中なのよ。その代わり……」
有里がそう言ったのを合図にして、一人の少女が睦月達の前に出て来た。
ロングヘアで、|レンズの下部だけがフレームに覆われた《アンダーリムの》眼鏡を掛けた少女だ。だが物騒にも、手に握られた鎖鎌がその肩にデン、と載せられている。
「美里さんも連れてってくれる? 丁度バイトしたいんだって」
「いや、バイトって言えるのかよ……」
もはや呆れ通しで、何を言ったものかと悩む睦月に、英治は首を逸らして見上げてきた。
「……で、この娘誰?」
「この前、有里がどっかから拾ってきたフリーの殺し屋。今は当人の用心棒やってんだよ」
初対面の英治に簡潔に説明してから、睦月は美里と呼ばれた少女に声を掛ける。
「英治がいいなら俺は構わないけど……有里のところって、大して稼げないのか?」
「ううん。診療所に居るだけで、普通にお金貰えるわよ」
姫香の通院もあってか、すっかり顔馴染みになっている少女、雨谷美里は頭を抱えながらも、睦月に事情を説明した。
「ただ……『待機手当』しか貰えない上に、ここ最近は『戦闘報酬』が発生していないから、結構カツカツなのよ」
「……少しは助けてやれよ、雇い主」
有里はそっと、視線を外してきた。
「だから紹介したのよ……」
「お前な……」
睦月がそう呟く中、英治はようやく立ち上がって、美里の前に立った。
「水無瀬英治、一応『傭兵』だ。信用していいんだよな?」
それは腕前なのか、それとも人としてなのか。
両方にも取れる問い掛けに対して、美里は差し出された手を空いている方で握り、しっかりと頷いた。
「雨谷美里、診療所の護衛を任される程度には、腕に自信があるわよ。それでも信用できないなら……『ペスト』と組ませてくれる? 彼女とは何度か組んだこともあるし、囮は多い方がいいでしょう?」
どうせ『爆弾魔』の役割は陽動だ。睦月と英治の二人一組を本命にすれば分かりやすいしやりやすい。
「それなら上等だ」
睦月が内心で考えていることは、英治もまた気付いていた。だから話は簡単に纏まり、この四人で挑むことになった。
――久し振りの、マガリに




