030 案件No.003_長距離高速送迎(その3)
昔、郁哉は何かの漫画で、『思考の差異者』という言葉を見かけたことがあった。実際に幼少の頃、ある少年にその片鱗が見え隠れしていたこともあってか、今でも印象深く記憶に刻まれている。
社会的に見れば元々おかしな地元であっても、外との繋がりは生活をする上では欠かすことができない。ゆえに、犯罪に対する倫理感が緩いところはあっても、わりと常識的に育つことができた。
……それでもなお、その男の考え方がずれていることは、郁哉の幼心からも十分すぎる程に見て取れた。
特に顕著だったのは、昔馴染み達とよく遊んだ缶蹴りだった。
逃げ方や隠れ方、缶の守り方に無自覚の心理戦。ただ遊ぶだけでなく、将来において生き残る可能性を上げる訓練にもなる。それらを伏せたまま、当時通っていた学校の校長から教えられた遊びに、たった十二人しかいない子供達は一時期夢中になっていた。
その際はまだ、普通に遊んでいたと思う。懐かれていた、というより甘えられていた少女と共に逃げ隠れしつつ、鬼をやる時は逆に真っ先に狙ったりと、多少の容赦のなさはあれど、その姿はどこにでもいる普通の少年だった。
その考えが違うとはっきりしたのは缶蹴りに突如、校長が加わった時だった。
『範囲は学校の敷地内で制限時間は一時間、一人でも逃げ切れれば全員にアイスを奢ってやるが、できなければ全員で校庭十周』
人数も少なく、半分身内に近い関係の者しかいない田舎町だからこそ、できた賭けだった。
少しでも勝率を上げる為にと全員、バラバラに逃げることにした。何人かは校舎に駆け込み、また残りは校庭を逃げ隠れしながら缶を蹴り飛ばそうと画策する。中には校長に直接肉弾戦を挑み、あっさりと返り討ちにされていたが……それはいいだろう。
結局、賭けは校長の負けだった。しかし子供相手とはいえ、善戦した方だとは思う。
十二人中、捕まったのは十人。うち一人も、ギリギリまで粘ってはいたものの結局は缶を蹴るまでには至らなかった。それが校長の孫で、子供達の中で一番の実力者だったとしても、それが当時の限界だった。
しかし……もう一人は違った。
『……おう、お疲れさん。アイス持って来たぞ~』
最初から反則負けを選び、それを誰にも伝えないまま、差し入れとしてアイスを運んできてくれた近所のおばちゃん達の荷物運びを手伝っていた少年……荻野睦月に対して、全員がブチ切れた瞬間だった。
校長は説教をかまそうと近付き、昔馴染みは郁哉を含めた武闘派数人が殴りかかろうとする。
しかし、睦月は冷徹にも、こう言い放ってきた。
『いや……俺、『参加する』とは一言も言ってないだろう? でもアイス食いたくて一度帰ろうとしたら、丁度おばちゃん達に出くわしてな。それで手伝う駄賃代わりにアイス貰ったんだよ。悪いか?』
『お前に協調性や仲間意識はないのかっ!?』
そして再びフルボッコしようと襲い掛かる昔馴染み達に対して、睦月はさっさと逃げ出してしまった。
『そもそも『一度』って……うまいこと誤魔化して、余分にアイス食おうとしてたんじゃないのか?』
詐欺師の家系だった月偉が耳聡く気付き、集団暴行にさらなる拍車が掛かる。
けれども、『アイスを食べる』という目的だけで言えば……ある意味、睦月の一人勝ちだった。
上手く誤魔化してアイスだけ貰い、ばれても『最初から参加していない』と言い張って校庭十周から逃れる。
つまりたった一人……睦月という少年だけは、何の苦もなく目的を達成していたのだ。
(だからこそ、戦う価値がある……っ!)
戦闘は、静かに始まった。
というよりも、睦月が両手に構えている5.7mm口径自動拳銃――『|FIVE-SEVEN STRIKER』の引き金を引こうとしなかったからだ。
素人の場合、無手の相手に銃器を構えているのであれば引き金を引き、銃弾を吐き出すだけで決着が着くという、乱暴な考えに陥りやすい。むしろ、銃器で格闘戦を行ったり、放たれた銃弾を避けたり弾いたりすること自体、所詮は虚構の産物でしかなかった。
相手の腕前、もしくは銃器そのものに問題がなければ着弾する。それが世間の常識だ。
けれども、向かい合っているのは裏社会の住人であり、かつ異常な環境下での幼少時代を過ごした二人だった。彼らにとって、銃というのは『人を殺せる凶器』ではなく、『便利な道具の一つ』という認識でしかない。
だからこそ、映画とかでしかありえないような、銃器対素手の戦闘が実現してしまっているのだろう。
「らぁっ!」
「ちっ!?」
強化プラスチックとはいえ、本来であれば鉄を用いる為にそれなりの強度を持つ銃身にも関わらず、郁哉は拳を繰り出した。しかし睦月は引き金を引くことなく、自動拳銃を暴発させないようにぶつけて、受け流すだけ。発砲するどころか、銃口を向けることすらしてこない。
いや、向けることができていないと言うべきか。
(本当、俺より弱いはずなんだけど……)
「なっ!」
主に拳を使うのが主流だが、別にそれ以外ができないわけじゃない。だが郁哉が蹴りを飛ばそうとも、睦月は余裕で捌いてくる。
いや、余裕ではなく、日頃の鍛錬の賜物かもしれないが、捌かれてしまえば一緒だ。
――グッ
そして、蹴りを繰り出した郁哉に対して、睦月はただ甘んじて受けるだけに留まらなかった。
焦らず拳のみで攻め立てれば、そのまま追い込むこともできただろう。ただし威力がある分、大振りになりやすい蹴りを選択してしまえば、相手に僅かとはいえ隙を与えかねない。
その隙を、睦月が見逃すはずはなかった。
――ダダダダ……ッ!
「ちっ……!?」
銃口は少しずれていたものの、至近距離での発砲に、郁哉は反射的に後方へと飛び退っていく。その瞬間を逃がすことなく、
「あ、こらっ!?」
睦月は背を向けて走り去ってしまった。
――ダダダダ……ッ!
郁哉の足元に、もう片方の自動拳銃を斉射して牽制することを忘れずに。
しかし、睦月が視界から消えたのを認めた後の郁哉は……軽く呼吸を整えるだけで、すぐに追い掛けようとはしなかった。
「…………ま、こんなもんか」
睦月がこの状況で逃げ出すような人間じゃないことは、狙っている郁哉自身が一番理解していた。本来ならば、こんな隙を見せてしまえば逃げられるか、周到な手段をもって反撃されるのが実戦である。
(さて……今回はどうくる?)
けれども……郁哉が求めていたのは正に、反撃へと転じた睦月だった。
「ったく、面倒臭ぇ……」
わざと用意された隙を利用し、適当なコンテナの影に隠れた睦月は、両手に構えた自動拳銃の弾倉を順に外しながら頭上を見上げた。
天はすでに陽が落ち、夜の帳が降りていた。今は雲一つなく、星明かりが空を彩っている。
「ふぅ…………」
新しい弾倉を取り出す前に、軽く息を吐き捨てながら顔を降ろす睦月。そうすることでようやく気持ちが落ち着き、思考から『興奮』の要素を排除することができた。
(…………状況を整理しよう)
元々、睦月は突発的な状況が苦手だった。
入念な用意と周到な計画、そして『ルール』に該当する全てを考慮して仕事に臨む。それが睦月のスタイルだった。
事前に準備ができていたり、相手が格下であれば問題ないのだが……相手は格上、しかも戦闘面に至っては確実に負けている。
だからこそ、睦月が反撃に転じるには一度思考を巡らせ、状況を理解し直す必要があった。
(前提条件――馬込さんの生存及び、その仇を警察が来るまで引き留めておくこと。二人以外の生死は問わず、最悪の場合はどちらも警察に引き渡すだけでいい)
依頼から逆算した結果、この場で生存して残っていなければならないのはたった二人。たとえ自身が含まれていたとしても、睦月は該当しない者達の生死を考慮から外した。
(制限時間――警察や暁連邦共和国の工作員、もしくは無関係な第三者がこの場に現れるまで)
これから行うのは犯罪行為だ。たとえ仕事だとしても、それを関係のない人間に見られるのはまずい。それに、まだ亡命していないということは、工作員がこの港湾に到着していないということだ。
工作員の来る来ないは関係ない、来た場合に対処するには不確定要素が多すぎる。だからこそ、それまでに距離を取らなければならなかった。でなければ最低限の装備だけで、ここまで急いで来た意味がなくなってしまう。
(敵対勢力――依頼人の仇以外に確認できたのは郁哉だけ。見た限り武装はないが、近接戦闘は圧倒的に不利。他に増援を含めた敵影はなし。もしくは居たとしても、確認できる範囲にはいない)
それに今回は彩未もいる。『ブギーマン』の目を盗んで情報戦を行うことは、まず不可能と言っていいだろう。物理的な伝達手段ならば姫香が気付かないはずもなく、各自の判断で動ける程有能な人間を雇うのは、予想の範囲とはいえ相手側の活動資金を考えれば、現状考慮する必要はない。
(所持戦力――今回は俺だけだな。姫香は護衛に専念させた方がいい)
直近の戦闘力を比較した場合、まともに戦うのであれば、二人掛かりでも『数の暴力』に訴えることはできない。由希奈は当然として、情報戦特化の彩未は論外。
また、自分より強い姫香に交代するという手段も使えない。暴徒鎮圧用の装備しかしていない彼女が郁哉と戦った場合、贔屓目に見ても勝率は九割を切る。確実性という点では、やはり睦月が相手をした方がいい。
(戦場状況――コンテナ群は下手をすれば迷路になる。互いの位置情報を正確に把握する為には最悪、視界を確保できる港の端にまで足を伸ばす必要がある)
とはいえ、姫香達の居る方へは向かえない。ちょっとした事故でも、人は簡単に死ぬのだ。前提条件を確実に守る為には、むしろ反対側に行く必要がある。何より、下手な行動をすれば郁哉が、睦月をおびき寄せる手段として彼女達を攻撃する可能性が高かった。
(戦闘手段――鞄にある予備弾倉を含めたいつもの装備に、護身用にと差しっ放しにしていた懐のタクティカルペン……と?)
考えながら鞄を漁っていると、通常の弾倉とは見かけが同じだが、まったくの別物が含まれていた。
以前弥生が作成し、実戦ではまだ使用していない道具で……郁哉には明らかに初見の代物だった。
(こいつは使える……後でお仕置きとは別に、姫香を褒めてやらないとな)
それを鞄から取り出し、続いて六十発入りの円盤型弾倉を二つ取り出した。
自動拳銃の弾倉をそれぞれ交換していき、弾倉型の道具を差し込んだ一丁を肩掛けのホルスターに仕舞い、残りの二丁共に円盤型弾倉を装填して両手に構えた。
(以上を踏まえて、依頼を達成させる為の絶対条件――迅速かつ確実、生死を問わずに……郁哉を戦闘不能に追い込む)
…………思考は纏まった。
両手の自動拳銃、それぞれの銃身を引き、薬室に銃弾を装填した。他の攻撃手段も使えるようにしてある上に、肩掛けのホルスターに仕舞った分も即座に使用可能。
(さて……まずは小細工を始めるか)
そして睦月は……『|何ものにも縛られない蝙蝠』は行動を開始した。
(まず、真正面からは来ないだろうな……)
その程度の相手ならば、最初から睦月を狙う為に、わざわざ彼の周囲に情報網を張ったりはしない。
今回もまた、馬込由希奈という少女が睦月と同じ通信制高校に通い、かつ関係した者が依頼を出していたことを知って、依頼料を踏み倒されることもあえて容認した上で引き受けたのだ。
睦月の情報を買うだけでも金銭は発生している上に、郁哉は今回、仕事で来ているわけではない。相手と違って、すでに財布の中身は削れているのだ。ならばこそ、目的を果たさなければ、ここまで手間暇を掛けた意味がなかった。
相手を確実に葬り去ろうと知恵と力を駆使し、状況の外から襲い掛かる卑怯者を討ち落とす。その為に今夜、郁哉はここまで来たのだ。
それに……
(もしくは……罠を用意した上で真正面から来るか、だな)
……ここで、睦月一人が逃げ出す選択肢はまずない。そうなるように、ここまでお膳立てしたのだ。
後は待ってさえいれば、向こうから来る。
――ダァン……!
「っと!?」
銃声に合わせて身体を捻り、襲い来る5.7mmの小口径高速弾を回避した。
郁哉が銃声のした方、少し離れた場所にあるコンテナの上の方を見ると、そこには待ち望んだ人物が両手に自動拳銃を携えて、静かに見下ろしていた。
「準備はできたかよ……睦月ぃっ!?」
「ああ……小細工は済んだ」
叫び、急接近する郁哉を見つめながら、最狂の運び屋は言葉を発した。
「後は悪辣さをもって…………仕事を片付けるだけだ」
睦月は両手の銃口を向け、その引き金を引いた。
――社会の枠組みから自身の領域への、最後の一線を越えた。




