211 正しい教導とは(その4)
夏の時期でも日が傾き始める頃。最後の仕上げとして組手をすることになった。
「互いに素手だけ、だと……地元を出る前が最後だったか?」
睦月の疑問に、向かい合った姫香はそうだとばかりに頷いてくる。どちらか、もしくは両方が得物を持って立ち会うことは多々あるが、実戦では自他共に無手で対応する機会がほぼない為、気が向いた時しか行わないからだ。
「ちなみに……君達の戦績は?」
「俺の勝ちというより、勝っても反則負けなのが一回と……後は全部負け越しですね」
動線から距離を取った上で、姫香との間に立った京子の問い掛けに、睦月は軽く屈伸しながらそう答えた。
「こっちが勝つ為なら、何でもしますけどね……それだと訓練にならないじゃないですか」
結果が求められるのは本番、仕事や実戦だけだ。訓練はその前段階に過ぎない。結果に対して賭け等をしない限り、勝敗に拘る理由はなかった。
それ以前に、その肝心の本番で勝つ為に行うのが訓練だ。自らを鍛えるだけでなく、現在の自分に何ができるかを事前に把握しなければ、使える手の内を残したまま生命を落とす結果にも繋がる。
だからこそ、訓練の一環として組手を行い、自身の実力を理解しなければならなかった。
「純粋な戦闘力だと、やっぱり姫香が上なんですよね。とはいえ……訓練だろうと、最初から負ける気はないですよ。それに、」
たしかに訓練は訓練だが、それでも負け続けていい理由にはならない。
「……今日はちょっと、本気出そうかと思うんで」
普段より少し低い声で、睦月はそう宣言した。
京子の背後に控えた彩未と共に、由希奈は睦月と姫香の組手を見守っていた。
『今日の訓練の締めで、俺と姫香で組手する。ある程度鍛えたら由希奈にもさせるつもりだから、ちゃんと見学しとけよ』
(そういえば、組手に限らず……誰かが喧嘩しているところ、見たことない気がする)
実戦を経験しているとはいえ、目の当たりにしているのは現状、銃撃戦だけだ。武術をはじめとした格闘技、それ以前である喧嘩自体、したこともなければ見たこともない。ある意味では、睦月に対して平手打ちをしたのが由希奈にとって、初めての暴力だろう。
そんなことを考えている内に、睦月と姫香はそれぞれ構え出した。
睦月は左手を下げ、右手を顎の付近に寄せてからトン、トンとステップを踏み出している。
「あれは……ボクシングのデトロイトスタイルだね」
今日は由希奈の訓練がメインだと考えてか、京子が睦月達の組手について解説してくれた。
「下方から上に向けてのフリッカージャブ、つまり腕を鞭のようにしならせて放つ拳撃が主体の、攻撃的な構えだよ。ただ、腕を片方下げる分、顎が無防備になりやすいんだけ、ど……」
「なんか……睦月君の場合、攻撃を誘ってそうだよね?」
彩未の言葉に、由希奈も心の中で思わず頷いてしまう。そもそも、睦月の格闘スタイルが足技中心である以上、拳撃を放つかどうかすらも怪しかった。
「それも含めて、ステップを踏んでるんだろうね」
「……え? 普通は踏まないんですか?」
「戦い方にもよるけど……実戦では、割と少ない方かな?」
由希奈の疑問に、京子は視線を逸らさないまま答えてきた。
「あくまで私の主観だけど……相手との距離を一定に保つ為にステップを踏んで、足のバネだけで細かく動く。端的に言えば、攻守共に都合の良い位置に身体を素早く移しているといったところか」
元来、多くの格闘技でステップを踏むことはほとんどない。現に、空手でその行為が取り込まれだしたのも、競技化して以降の話だった。
「腕力だけで無力化する、相手の攻撃を回避できる距離まで下がる。一定の範囲内を素早く動いて攻撃を避け、速度重視で当てることを前提とした足捌きとして、ステップが組み込まれていったんだ。競技では、相手の身体に当てた分ポイントが貯まる規則ができたからこそ、取り込む格闘技が増えてきたんだよ」
「へ~」
感心する彩未と違い、由希奈はあれ、とばかりに首を傾げた。
「じゃあ……実戦だと弱いんですか?」
「目的が違うだけだよ。競技だと攻撃を当てれば十分だけど、実戦だと速度重視で威力が足りずに、相手を倒せないことの方が多い。それに……」
若干、困惑を混ぜた口振りで、京子は由希奈の疑問に答えてきた。
「前にちょっと聞いたんだが……睦月君、相手が同じようにステップを踏んできたら、『身体が浮いて踏ん張れない瞬間を狙って、思いっきり蹴り飛ばす』とか言ってたんだよね……」
(あ~……)
「うわ、えっぐ……」
彩未から漏れ出てくる感想に、内心納得していた由希奈は考え方の違いに、また首を傾げてしまう。
(弱点を狙うのは、普通だと思うけどな……)
微妙に毒されている由希奈だったが、その考えが口から出てこなかった為に構う者は誰もおらず、次の姫香の方へと全員が注目を移していく。
「一方で……姫香君は、割と正統派な方だね」
由希奈は初めて見るが、姫香の場合は肘を曲げた腕を前面に押し出す、空手や琉球拳法における前羽の構えに近かった。
「相手の攻撃を捌きやすい、前羽の構えか。古流空手における、防御を優先した構えだね」
性格的に、攻撃を優先した構えを選びそうだと考えていた由希奈は意外だと思いながら、姫香の方を見る。体格的に力負けしそうだと思うが、身に付けた技術だけで捌き切れる自信があるのか、回避する様子を見せずにしっかりと地に足を着け、睦月からの攻撃に備えているようだった。
「構え、って……色々あるんですね」
「目的に応じて、やり方を変えるのと同じだよ。流派に限らず、何を優先するかで構え方は極端に変わってくる。睦月君が速度重視のデトロイトスタイルを使い、姫香君が防御寄りの前羽の構えを選ぶようにね」
ただ……と京子は、顎に手を当てながら首を捻り出している。
「偽装とはいえ、腕を使わないのに拳闘のデトロイトスタイルを選んだり、本人の性格的に使わなさそうな防御の構えを取ったりと……どうも、二人に似合わない気がするんだよね……」
京子から見ると、睦月達が使う構えは事情や性格的に『合わない』と考えているようだ。それには由希奈も思わず同意し、無意識に首を縦に振っていた。
(たしかに……腕を使わないのに、何でわざわざボクシングの構えを選んだんだろう)
先程まで警棒術を身に付けさせられていた由希奈はふと、そんな疑問を浮かべた。
あえて隙を狙わせて反撃する構えであるデトロイトスタイル。そして拳撃だと思わせつつ、本命が足技となれば相手は確実に油断するだろう。だが……それにしては、あまりにも様になり過ぎていた。
(腕を守る為に、武器や身体の後ろに隠したり畳んだりするのは分かる。だからこそ……拳撃を出すこと前提の構えで睦月さん、打ちたくならないのかな?)
そういう意味では京子の言う通り、姫香の構えにも疑問が残る。
草野球の時の話にはなるが、姫香と理沙がいがみ合っている時は大抵、二人の喧嘩はプロレス技から始まっていた。相手や状況はともかく、姫香は攻撃に対して一切の躊躇を見せてこない。
それは裏を返せば、姫香の嗜虐的な性格が滲み出ている結果とも取れる。
(むしろ構えるなんて面倒なことをする前に、睦月さんの真似をして、すぐに沈めそうなんだけどな……)
少なくとも、わざわざ相手を迎え撃とうと構えているのは、あまりにもらしくなかった。
「始まるな……」
実戦では必ずしも、誰かが合図を出すわけではない。だから雰囲気だけで戦闘は始まるし……あの二人はそれすら読まずに、間髪入れずに相手を黙らせてくる。
今の二人も、それぞれ準備を整えて行動に移したが、偶々タイミングが重なってしまった。ただ、それだけだろう。
「……『全部振り切ってやる』っ!」
特に睦月は、あえて声を張り上げながら一息に距離を詰め、姫香に対して振り上げた左足を落としに掛かっている。
「っ……」
しかし姫香は慌てず、前方に構えた右手を睦月の踵落としに添わせただけで、あっさりと捌いてしまった。
「ふっ!」
「っ、」
けれども、睦月の攻撃はまだ続いていた。振り下ろした左足を軸に右足を持ち上げ、曲げて突き出させた膝を腹部へ叩き込もうとしている。その追撃に対し、姫香は空いた左手を降ろそうとしてきたが……何を思ったのか、突如後ろへと跳び退いてしまう。
「……さすがに無理か」
睦月の呟きが、由希奈の耳に届いてきた。
広げた右足を降ろして再びステップを踏み出す睦月を眺めている由希奈達に、京子が先程の攻防について解説してくれた。
「左の踵落としは躱されると考えて、追撃の右足で決める……と見せかけて、本命はその足を広げての踏み付けか」
「え、あ、あれ……どういうこと?」
普段から格闘術を嗜んでいるわけではない彩未が、京子の話についてこれなくなっている。そう踏まえた上で、改めて説明が繰り返された。
「要するに、囮にした左足を軸にして右の膝蹴りを打ち出したんだが……実際は軸足の捻りと脚力だけで、強引に足を戻して踏み付けるような蹴りを横に放って決めるつもりだったんだよ」
「え……?」
降ろした足を軸に、独楽回しの要領で膝蹴りを放つのは理解できても、そこから逆方向に力を入れて、相手に攻撃を加えようとするのは難しいはずだ。
いくら足を伸ばそうとも、結局は足の筋力だけで、元から加えられている回転力に逆らった上で踏み付けを敢行しなければならない。本来であれば威力が落ちる以上、むしろあえて一回転した方が威力を嵩増しできそうなものだが……それでも睦月は、強引に繰り出していたらしい。
だが結果として、素人相手なら通用しそうな技も、力負けすると判断した姫香が取り合わずに距離を置くことで、睦月の攻撃を無力化してのけた。
相手が素人、もしくは自信家であれば今の連撃で沈んでいただろう。だが、睦月の性格や戦闘手段を熟知している姫香には通じなかった。ただ、それだけの話である。
「……そんなこと、できるんですか?」
だからこそ、ようやく理解の追い付いた彩未には、睦月の一連の攻撃が『人間離れした技』に見えていたようだった。
「脚力と体幹だけで、強引に打ったんだろうね……その証拠に、」
京子が言う通り、睦月もステップを踏みながら、姫香から視線を切らすことなく距離を取っている。捌き切られた、というよりも途中で見破られてしまったというのに、特に気にすることなく仕切り直しているようだった。
一定の距離を空けた睦月はステップを踏みつつ、両手を再びデトロイトスタイルに戻していく。それに合わせて、姫香もまた前羽の構えに入っていた。
「誰かに教わったのか、自分で思い付いたのかまでは分からない。だが、睦月君の攻撃は姫香君にとっては初見の技だった。だから左手で捌こうとする前に、自分から距離を取って躱すしかなかったんだよ」
人間の脚力は、腕力の三倍だとよく言われている。
より厳密に言えば、人間の性別や個体差、用途によって二倍から四倍に振れ幅が生じるが、少なくとも二足歩行の時点で、腕力よりも脚力が自然と鍛えられるのは自明の理だ。
初手の踵落としに対しては攻撃を逸らすだけで捌けたとしても、次の膝蹴りに関しては距離が詰められていたので、直接防ぐか自分から退いて躱すしかない。
そして力負けすると即座に判断した姫香は、途中で防御する選択肢を放棄し、睦月から距離を空けたのが先程の一連の流れだった。
「何か、言葉が思いつかないけどすごいね。二人共……」
彩未の独白に、由希奈も無言で首肯した。
(明らかに、レベルが違う……)
ただの格闘技の試合でも、いや、単なる武術の組手では現実的に行われるかも怪しい。そんな二人の攻防に、由希奈は自分も追い付かなくてはならないと考えると、思わず唾を飲み込むしかなかった。
(やっぱり躱すか……あの技、見せたことなかったんだけどな)
今の『運び屋』伝承の古武術の技、というより『どんな状況だろうと、脚力だけで強引に踏み付ける』術は睦月自身、あまり使わないものだった。そもそもの話、大抵の相手は蹴撃一発で伸せる上に、格上相手では防がれるか今の姫香みたいに、簡単に躱されてしまう。
威力が高い分、連撃が難しいのが蹴撃の弱点である。それを克服する手段の一つとして、強引に踏み付ける考えが生まれたのだ。
そして、先程放ったのは強引に踏み付ける思想を土台にして生み出した、睦月の独自の技である。
(まあ、半分即席みたいなもんだし……さっきの技は『要改善』ってことで)
技を見破られたのは大方、追撃を考慮した為に放った膝蹴りを見て、わずかでも違和感を覚えたからだろう。並の格闘家相手なら通用しただろうが、『喧嘩屋』や姫香のような実力者には攻撃の不自然さに気付かれて、すぐに対処されてしまう。
それが分かっただけでも、今日の組手に関しては『収穫有』ともう断じてもいい。
だが……このまま終わるのは、あまりにももったいなかった。
(せっかく過集中状態まで使ってるんだ。今日はとことんやらせて貰うぞ……姫香)
普段はベッドの上でしか勝ち星を上げれていないのだ。偶にはそれ以外でも優位性を保たなければ、その内愛想を尽かされかねない。それ以前に、訓練の時点で『勝たなくてもいい』と考えている内は、本番でも同じように思ってしまい、結果殺されてしまう。
訓練では本番と、本番では訓練と同様に。
そう考えるのであれば、常に勝つ気でいなければ意味がなかった。
(そんじゃ、使いますか…………『二速』)
……その判断と共に、睦月は両足でのステップを止めた。
「『動力伝達』、『変速操作』……――『二速』っ!」




