204 『運び屋』へと至る道(その5)
沙織から連絡が来たのは、車を売却した数日後だった。けれども、その内容は仕事の依頼ではなかった。
「……え? あの車売れたんですか?」
『ええ。まずは|秘匿回線を用いたネット空間への出品から始めたんだけど……半日もしないうちに買い手がついたのよ』
スマホ越しでも分かる、驚愕の色が残る声音を返された睦月だったが、それは売りに出した本人も同様である。
『こちらも結構良い額が貰えたから、次は色付けるわね。ただ……この前も話したけど、先に仕事をお願いしたいの。それは大丈夫かしら?』
「ああ、それは大丈夫です。こちらも用事ができましたので……」
そう言い残し、睦月は簡単な挨拶と共に通話を切った。
未だに猛暑が続く整備工場の屋内。所有する車両の確認を終えた睦月は今日、姫香と共に残りの武器の在庫点検と整備を行うつもりだった。けれども、二人の服装はどこまでもラフ……を通り越して、下着だけというほぼ裸状態になっていたが。
「まさか、こんな暑い日にエアコンが壊れるとはな……あ~クソ」
汗だくで悪態をつきつつも、睦月は用意した踏み台に足を載せると、再びエアコンの分解作業に戻った。いつもであれば『技術屋』を呼び出して修理させるところだが……九州から帰ってきてからこっち、『仕事で忙しい』と(集りに)顔を出すどころか、放浪しだす気配すらない。
珍しいとは思いつつも、保管していた特殊警棒を一本一本手入れしている姫香(不機嫌度MAX)の視線に耐えてまで待つ理由もないからと、睦月自らの手でエアコンを修理せざるを得なかった。
(にしても……まさか、片手間に教わった技術がこんなところで役に立つとは……)
整備士としての修行がてら、働いていた整備工場の一つで偶々エアコンが故障したことがあり、その際に取り付け手順や簡単な修理方法を教わる機会があった。その経験を活かし、現在の睦月は手際良く原因を把握して修理できているのだ。
「あ~……やっぱりガス漏れしてやがる」
吐き出される空気が外気とほぼ同じだったので、エアコンの肝である冷媒ガスが漏れ出ているのだろうと疑ってはいた。そして確信に至った睦月は否応なしに、苦々しい感情を顔に浮かべてしまう。
「これ、修理に時間が掛かるんだよな……」
パンツ一枚の姿と同様に苛立ちも隠すことなく、睦月は踏み台から降り立った。
「……まあ、仕方ないか。このエアコン、整備工場買う前からあったし」
おそらくは経年劣化による破損が原因だろうが、そうぼやいたところでエアコンが直るわけではない。仕方がないと自分を宥めた睦月はタオルで汗を拭きながら、ベッドの上に投げ捨てた服の下へと足を向けた。
そして服を着ながら振り返った睦月に対して、ソファーに腰掛けたまま睨み付けてくる姫香は手を空けると一度エアコンを指差し、次に首を傾げつつ、立てた人差し指同士を互いに突き合わせてからくるりと回してきた。
「【交換】?」
「いや、配管を取り換えればまだ使える。一時凌ぎにはなるが……エアコン自体が安くなる機会まではもつだろ」
場合によっては中古のエアコンで安く片付けられるかもしれないが、後々の手間暇が増えることを考えれば、その時の最新式に買い替えた方が結果的に節約できる。だから今回、睦月は一時凌ぎの修理で済ませることにした。
「弥生に道具借りてくる。もしかしたら、使えそうな部品が転がってるかもしれないしな」
何より、『技術屋』の寝床でもある工房には、本人が各地から持ち帰ってきた再生利用目的の部品……という名のガラクタが所狭しと貯め込まれている。その中にエアコンの部品があれば、実質タダでの修理が可能となるかもしれない。
そう考えながらスマホを取り出した睦月は、すぐさま弥生に電話を掛けた。
『だから弾道ナイフの方が良いって。あれってガスだけ噴出させても、刃が刺さってなかったら効果薄いし……どうかした? 睦月』
「何物騒な会話してんだよ、お前……今、電話して大丈夫か?」
『ごめん、ちょっと待ってて……うん、良いよ』
電話に出たとはいえ、話し中だったのだろう。配管の故障によりエアコン内の冷媒ガスが流れ切った現状で、同じくガスを用いた武器の話が耳に入ったせいでますます不穏な顔付きになる睦月。だが、用件を済ませないまま感情任せに通話を切るわけにはいかないからと、強引に話を進めた。
「さっき連絡したエアコンの件だ。こっちで直すから、道具だけ貸してくれないか? 後、あれば部品もくれ」
『部品、って……どれが要るの?』
「ガス漏れが原因だから、配管周りだけで何とかなるだろ。パテもあれば助かるが……」
配管用パテの代わりとでも言いたいのか、同じ粘土状で自由に成形できる軍用爆薬を取り出して見せてくる姫香に対し、睦月は手を振って拒否の姿勢を見せた。
冗談だろうが本気だろうが構わず、姫香とのやり取りを感じさせない口調で、睦月は弥生との電話を続けた。
「……足りない分はこっちでどうにかする。他は大丈夫そうだし、買い替えるまではそれで誤魔化すわ」
『まあ、まだ暑いからね~……』
夏や冬場でこそエアコンが活躍するので、この時期はその分、価格も負担も桁違いになる。ゆえに、現在の相場を考えれば、すぐに買い替えるのは得策ではない。それに夏ももう終わりかけなので、またしばらく使わなくなってしまう可能性の方が高かった。
そう考えれば、手に十分な技術がある以上、一時凌ぎで誤魔化すのが最善手だろう。
「というわけで、今からそっちに行くけどいいか?」
『レンタル代として食料よろしく~』
何となく予想していた返答に、睦月もはいはい、と返そうとする前だった。
『……後、ボク達これから出掛けるから、合鍵使って勝手に持ってってくれる? 必要な物だけ置いていくから』
思いがけない言葉が、スマホ越しに聞こえてきたのは。
「何かあったのか?」
『ううん、ちょっとしたお使い。この前稼いだばかりだけど、まだまだ予算掛かりそうだから請け……あ、ごめん。もう切るね!』
それだけ言い残し、弥生は通話を切ってきた。そして、スマホを持ったまま顎に当てた睦月は、目を細めながら思い詰めていく。
(…………偶然、だよな?)
睦月も弥生も、結局は裏社会の住人だ。安穏とした生活をそう易々と享受できないとはいえ、車が売れた件と沙織からの依頼予定と重なった上での、今の会話について考えると……どうしても、偶然で片付ける気にはなれなかった。
(とはいえ、不確かかつ最近揉めたばかりで『情報屋』に聞きに行くのもどうかと思うし……今は様子を見るか)
そう結論付けた睦月は顎に当てていたスマホを着たばかりの服に仕舞うと、姫香に『出掛けてくる』と告げてから車の鍵を手に取った。
「適当に食料買ってから弥生の工房に行くけど、姫香はどうする?」
銃器類はすでに片付き、ナイフや小太刀といった刃物も研ぎ直しの算段はつけてある。残るは九州でも使った手榴弾等の爆発物の保管処理や、今姫香が手入れしていた特殊警棒といった、鈍器や小道具の類だけだった。
だから一度、きりをつけてもいいかと考えて聞いてみたのだが……睦月が質問を言い終える間に、手早くいつものVネックワンピースに袖を通した姫香は、先程まで惜しげもなく晒していた下着姿を覆い隠してしまった。
「……よし、行くか」
先程の軍用爆薬を仕舞わせてから、睦月は姫香を伴って、整備工場内の休憩室兼仮眠室を後にした。
買い出しや道具の運搬もある為、睦月達はマンションの駐車場に停めているワゴン車の方に乗り込むと、すぐに弥生の工房へと向かった。途中、適当なスーパーで食料(大半が保存食や見切り品)を買い付けたこと位しか寄り道はしなかったが、到着した頃にはすでに家主達は出掛けていた。
(自動二輪が残ってる? 九州に行く時に乗ってたとかいう車がないのはともかく……あいつ今、誰と一緒に居るんだ?)
たとえ裏でも、社会で生きていく以上人付き合いは避けられない。弥生の人間関係全てを把握しているわけではないが、それでもあの破綻した性格と付き合える相手は早々居ないので、自ずと限られてくる。
何より……合鍵で開けて入った工房内に残されていた武器の試作品に、睦月の目はどうしても奪われてしまった。
(長い柄の得物……槍の類、ってことは廣田か?)
盾に刃物を取り付けたかのような、おそらくは籠手らしき武器だか防具だか分からない代物の横に、無造作に置かれていたのは中折れになっている棍棒だった。
ただ曲がっているだけであれば、睦月も気にならなかったのだが……その関節部分は機械仕掛けの部品により、折り畳めるようにも見えた。
(斧槍を携帯しやすくしてるとかか? なら、こっちのごちゃついた盾は……)
弥生と仲が良いのは別に構わないのだが、それでも敵対する可能性がある以上、相手の得物について事前に調べておくことは間違いではない。けれども、睦月の判断は一瞥をくれただけの姫香によって中断させられてしまう。
「分かった。分かったから……」
袖を引っ張る位ならまだ可愛げがあったのだが……付き合いの長さというものは残酷で、容赦なく足を蹴られた睦月は、放置されていた試作品から意識を逸らした。
「そうだな……さっさと帰るか」
事前に用意されていた道具や部品を回収し、代わりに購入してきた食料を置いた睦月は、(ほぼ飲み物と保存の利く物で埋め尽くされている)冷蔵庫に見切り品を片付けてきた姫香と共に、工房を後にした。
弥生から借りた道具類をワゴン車に載せ終えてから合鍵で施錠し、運転席に腰掛けた睦月はスマホで家主にメッセージを送った。
「……よし、帰るか」
助手席に姫香が乗り込み、シートベルトを締めたことを確認した睦月はスマホを仕舞うとエンジンを掛け、ワゴン車をゆっくりと発進させた。
(やっぱり人間、成長ありきだよな……)
アクセルを踏み、ハンドルを握ってワゴン車を公道に載せながら、弥生の工房内で見た代物について、睦月はそんな感想を抱いていた。
所有する車両を整理し、保管した武器類の総点検を行う。一応は現状維持、停滞に位置するものだろうが……怠慢による衰退よりははるかにマシだった。とはいえ、前進無くしては周囲に取り残される可能性もある以上、睦月にも成長が必要となる。
(得物はともかくとして……もしかしたら、本当に必要となってきたのかもな)
運転中にそう考えた睦月は、助手席でスマホを弄っていた姫香に声を掛けた。
「……姫香、ちょっと良いか?」
話し掛けた途端、姫香はスマホから顔を上げて視線を向けてくる。もはや、隠す気もないのかと内心呆れつつも、睦月は横目で窺ってから前を向き、運転に集中しつつ話を続けた。
「車を売った整備工場から近々、仕事の依頼が来ることはもう話したよな?」
事前に報告していた上に、弥生の工房に来る前に交わしていた電話にも聞き耳を立てていただろう姫香に対してそう言うと、睦月は用件を伝えた。
「その前に用事を片付けたいから、近い内に遠出する。ついて来る気なら準備しといてくれ」
とはいえ、出掛けるのは数日後になるだろうが、できれば夏季休暇が終わるまでに片付けておきたい。そう考えての睦月の提案に、姫香は指を全て折り曲げた右手を下に向けて軽く下ろしてから、左右に揺らしてきた。
「【どこ】?」
「ちょっと、確認したいことがあってな……」
信号が青になったタイミングで再度ワゴン車を動かしながら、睦月は目的地を告げた。
「…………日本海だ」
そして、睦月達が日本海の方へと向かう前夜、高速道路上には一台の車が爆走していた。
「あー! スッキリするっ!」
東名広告の取締役との商談が醜聞一つで潰れてしまった苛立ちを、自動車販売員の高尾は勤務先から(勝手に)持ち出した車の運転にぶつけていた。しかも、今走らせているのは別の社員が成約させ、翌日には納車する予定の高級車である。
なのに、高尾はその事実を一切気にすることなく、さらにアクセルを踏み込んでいった。
(たく、どいつもこいつも……)
ここ最近、高尾は散々な日々を送っていた。
同僚の斎藤は今高尾が運転している高級車をはじめ、多くの大口顧客との取引を成功させている。けれども、自分の方はある女性客から立場でも知識量でもマウントを取られて以降、低単価な車すら成約に繋げられていない。むしろ、成果ゼロだった。
(どいつもこいつも、この俺を僻みやがって…………)
あくまで、自分が一番の有望株だと思い込んでいる高尾は、せめてものストレス発散とばかりに高速道路へと乗り込み、高級車を爆走させているのが現状である。
すでに、時速100km越えの世界に入り込んでいる彼以外の車は道を開け、いやぶつけられないように避けている中で、高尾の暴挙を止めてくる者は誰も居ない。
設置されている自動取締装置に記録されている上に、すでに誰かしらが通報している頃合いだろう。そう判断した高尾は口元を覆っているスカーフをより深く被せながら標識を確認し、高速道路の降り口を吟味していく。
(これで気付くだろう…………誰が有能かってなぁ!」
漏れ出る心の声の内容が常識的に外れていたとしても、高尾は気にすることなくさらに前へ、前へと身を乗り出していく。後は自分が運転していた痕跡を消し去った上で車を放置すれば、斎藤やその上司である店長は管理能力を疑われ、やがで厳罰が下ることになる。そして自分は同じ職場の人間達と無駄な小競り合いに勤しむこともなくなり、ストレスフリーで商談に臨めることになるだろう。
そう、後は高速道路から降りるだけで良かった……はずだった。
(…………ん?)
視界の端に移っただけでも、雑な塗装だと分かる青い車が、高尾の高級車に並走してくる。自分と同じ速度で運転してきていることにも驚きだが、それよりも車間距離を詰めてくる方に怒りと恐怖が込み上げてきた。
「なっ、何だよ……何だよぉ!?」
最初は怒りが、最後に恐怖が勝った高尾の高級車に、その車はとうとう車体をぶつけてきて、そのまま反対側の遮音壁へと押し付けてくる。
「こっ!? この……っ!?」
どうにか抵抗しようとするものの、高級車よりも高性能な相手の車に押され、やがて非常駐車帯にて強引に停車させられた。
「なっ、なん……、」
疑問に思う間もなく、その車から工具を片手に降りてきた全身黒尽くめのライダースーツでフルフェイスのヘルメットを被った女は、ドアが潰れたせいで高尾が降りられないのを良いことに、その高級車からナンバープレートを取り外してから、再び青い車に乗って走り去ってしまった。
「何だったんだよ、一体……」
腰を抜かしたまま、そうぼやく高尾だったが……やがて駆け付けてきた交通警察隊により逮捕されるまで、その場から動くことは叶わなかった。




