78話 亡き母の思い出
突然泊まりに来た紫苑と藍に、親父は嫌な顔一つせずにカレーを振る舞っていた。 紫苑も藍も『美味しい』と目を丸くすると、親父は気分良くビール缶をあおる。
「んで、お前の本命はどの娘だ? 」
洗い物をしていた俺に、親父は済ました笑顔で耳打ちしてきた。
「皆いい奴だ。 誰がいいなんて俺には俺には決められないし、もうアタックしてフラれてる 」
「藍ちゃんか? 藍ちゃんだな? 藍ちゃんはいいぞぉ? 」
「酔っぱらってるんじゃねえよ! 」
親父も菜のはも藍が可愛くて仕方ないらしい。 まぁ…… 藍はフってしまったのだけど。
「パパさん! おかわりもらっていい? 」
藍の分は結構多めに盛ったと思ったんだけどな…… 藍から皿を受け取ってもう一杯盛ってやる。 よく食べるのにスリムなのは、やはりアスリートだからなんだろう。 寸胴で作ったカレーは、二人や三人で消費仕切れないから助かったけど……
「食い過ぎだぞ 」
「だって、横浜海軍カレーなんて滅多に食べれないんだよ? パパさんとだって久々なんだし。 でもちょっとお腹キツイ 」
そりゃそうだろうな、大体三人前を平らげたんだから。
夕食の後は少し雑談タイムで、その後きっちり勉強時間を取る。 週明けからテストが始まるから、突然とはいえ俺には紫苑先生がありがたかった。
「うん、テスト範囲はここまでだから大丈夫じゃないかな 」
俺は紫苑のお墨付きを貰ったけど、藍は歴史の教科書とずっとにらめっこしていた。
「そこは丸暗記しかないわよ、語呂合わせで覚えるより書いて頭に叩き込んだ方が良くない? 」
教科書をずらして楓を覗く藍。
「アンタ、2年近く寝てたのになんでそんなに頭いいのよ? 」
「勉強はしてたわよ。 入学は出来なかったけど、星院東には受かってたし。 幽体の時も授業は受けてたし 」
「え? じゃあ私達と一緒に授業受けてたってこと? 」
紫苑がマグカップを両手で構えたまま冷や汗をかいていた。
「たまに気配を感じると思ったのはアンタだったの!? 」
「藍、声が大きい 」
菜のはは風呂に入ってるから聞こえていないだろうけど、気を付けるに越したことはない。 藍もそれに気付いたようで、すぐに両手で口を塞いでいた。
「橙馬、お母様ってどんな方だったの? 」
何を思ったのか、楓がそんな事を聞いてきた。
「…… 聞いてどうするんだよ? 」
「勘違いしないでよね。 菜のはちゃんと接する時に気を付けるべき事がきっとあるでしょ? 口癖とか、身振りとか…… 思い出させるからじゃなく、大事な思い出に触れたくないのよ 」
ちょっと楓を見直した。 菜のはの事、大事に思ってくれてるんだな……
「私も聞かせて欲しいな。 私も楓の意見と同じだもの 」
紫苑までが俺に真剣な目を向けてくる。 藍もノートにボールペンを走らせながら俺の話を待っているようだった。
「別に、普通に優しい人だったけど…… 」
「八重歯がちょっと大きい寂しがり屋だったよ。 子供の前ではそんな素振りは見せなかったけどな 」
ダイニングテーブルで勉強していた俺達の横で、ソファでテレビを見ていた親父は遠い目をしていた。
「何かと弱気で心配性でね、よく『自信が持てない』と口にしていたよ。 そんな自分には似て欲しくないと、泣いて帰ってきた橙馬には『アホか!』と怒っていたな 」
そう言えばそうだった。 虐められたりして泣いて帰った時は怒られて、力いっぱい抱きしめてくれたっけ。 今考えれば飴と鞭ってやつだ。
「アンタの『アホか』はそこから来てるんだね。 知らなかった 」
「ごめんパパさん、ウチらなんか突っつくような事を聞いてる 」
『構わないよ』と答えた親父は、自分のスマホを俺達に見せてきた。 あ…… この画像、親父の職場に皆で見学に行った時のだ。
「うわぁ…… メッチャ美人 」
食い入るように画像を見る楓を藍が『やめなさい』と叱る。
「菜のはちゃんはおばさま似なんだね。 橙馬君も昔と変わらないなぁ 」
「いや、俺は別にいいから! 親父ももういいだろ? 」
イージス艦をバックに撮った写真ではあったけど、ドヤ顔をする子供の頃の俺は恥ずかしい。 それに、母さんの話はあまり菜のはには聞かせたくない。
「あー! それパパの秘蔵の写メ! 」
風呂から戻ってきた菜のはが走り寄って来た。
「やめてよもう! どうして見せちゃうの!? 」
ほら言わんこっちゃない。 菜のはは怒って…… ない? あれ? それどころか恥ずかしがりながらも笑顔で紫苑と楓に母さんの事を話してる。 スッと話の輪から一歩退いた藍が、俺の横に来て呟く。
「菜のはちゃんはそんなに弱くないよ。 アンタが過保護過ぎ 」
出来るだけ母さんの事は触れないようにしてきたけど、菜のはは自分なりに気持ちの整理をしてたんだな。
「ああ…… 少し菜のはとの向き合い方考えてみる 」
二人と話す菜のはに寂しそうな表情はない。 母さんに対する菜のはの気持ちが落ち着いているのなら、もう少しだけ前に進んでみようと思えた。 それはきっと俺一人では気付けなかったことで、藍や紫苑や…… 多分楓が気付かせてくれたものだ。
「どうしたの? お兄ちゃん、ボケっとして 」
「…… いや、なんでもないよ 」
菜のはに笑顔で返してやる。 もしかしたら親父もそれを見越して写メを見せたのかと思うと、酷く自分が空回りしていたんじゃないかと思えてならなかった。
翌日、少し寒くて目が覚めた。 紫苑と藍に自分の部屋を明け渡した俺は、毛布にくるまってソファで寝た。 12月に入り、気温もグッと落ちてきている。 明日からテストが始まるのだから、体調は崩していられない。
「おはよ、日曜日なのに早いのね。 寝れたの? 」
階段を降りてきたのは楓だった。 まだ6時過ぎ…… また菜のはと一緒に寝て、朝方に股間を蹴り上げられたらしい。
「女でも痛いんだな 」
「バカ! 痛いものは痛いのよ 」
少し照れながら話す楓に、淹れたてのコーヒーを注いでやった。
「あ…… これ飲める。 美味しい…… 」
昨日親父が生豆から焙煎したコーヒーだ。 親父が趣味で始めたという自家製のコーヒーで、これにも母さんの思い出があると楓に教えてやる。
「へぇ…… お母様のお気に入りだったんだ。 なんかロマンチックだなぁ…… 」
窓から差し込む光を浴びながらコーヒーカップを見つめる楓は、なんだか寂しそうに見えた。
「アタシにはそんな思い出はないから…… 」
「…… 悪い。 俺だけ浮かれて、お前の気持ちを考えてなかった 」
『ううん』と微笑んで首を振る楓は、用意した砂糖とミルクには手を付けずにブラックで飲んでいた。
「昨日ね、菜のはちゃんもお父様も…… アンタも強いなぁって思ったんだ 」
「うぇ? 何がだよ? 」
「アタシはさ、あの時受け止めきれなくて逃げ出したくて仕方がなかった。 でもアンタは逃げ出さずに受け止めて、ちゃんと菜のはちゃんを守って、お父様の信頼を得て…… アタシは何やってたんだろうって 」
「状況が違うだろ? 」
「ううん…… お父さんに何も言わなかったし、アタシが頑張れば離婚も止められたかもしれない。 そうしたらお母さんにも苦労かけることもなかったのかな 」
すぐには掛けてやる言葉が見つからなかった。 しばらく無言でコーヒーを飲み干し、考え抜いた言葉を口に出す。
「じゃあ、頑張ってますって行動で見せるしかないだろよ。 親が頑張ってるお前を見てどう思うかは知ったこっちゃない。 あわよくば、両親が悔しがるくらい幸せになればいいんじゃねぇか? 」
「…… よくそんな恥ずかしい事スラスラと言えるわね? 」
楓は頬を赤らめて俺を睨む。
「恥ずかしくはねぇだろ。 別にお前と結婚するとかそういうわけじゃ…… 」
頑張るってそういう意味か!? 違うぞ! 深読みしすぎだろ!
「いや、そういう意味じゃ…… 」
「頑張るからねアタシ。 藍にも紫苑にも…… 菜のはちゃんにも負けないから。 多分皆も誰にも負けないって思ってるだろうし 」
朝陽に照らされた楓の笑顔は眩しかった。 が、そういう意味じゃないって! 一生懸命弁解するも、楓はすました顔で聞き耳を持たなかった。




