60話 一宿一飯
12時ちょうどに菜のはと楓を起こし、迎えに来てくれた蒼仁先輩の車で鳥栖家に向かう。 あらかじめ警察には連絡しておいてくれたようで、玄関前に張られた規制線の前に立っていた警察官に声を掛けるとすんなり中に通してくれた。
「うわぁ…… なんだこりゃ…… 」
部屋に上がる時に、靴のままでいいと言われた意味がようやく分かった。 ガラスが割れて散乱し、壁の一部は亀裂が入り、転がっていた鉄鍋が壁を貫通して転がっていた。
「よくこれで怪我をしなかったものだな 」
楓の部屋はアパートとは90度横を向いていたが、天井は落ちてベッドを潰し、窓は粉々になっていて爆発の凄まじさを物語っていた。
「ほら橙馬、悪いんだけど教材一式お願いしていい? 」
楓はボストンバッグを片手に服を片っ端から詰め込んでいく。
「代わりにお母さんが怪我しちゃったけどね…… ちょっとあっち向いてて。 下着入れるから 」
「楓さん! これ可愛い! 」
一緒に服を詰め込んでいた菜のはの声に思わず振り向くと、フリルの付いたピンクのブラが目に入った。
「あっち向いててって言ったでしょ! 」
真っ赤になった楓は落ちていた本を投げ付けてくる。 それを上手くキャッチしてバッグにしまう事数回、とりあえず持っていく物は準備出来た。
「菜のはちゃんには、これお願いしようかな 」
菜のははハンガーに掛けられた制服を受け取る。 そのまま自分の体にあてがい、へぇーとニヤついていた。 サイズもピッタリなんじゃないだろうか? 悪くないな……
「準備はいいかい? 」
玄関で警察官と話をしていた蒼仁先輩が部屋に上がってきた。 俺はボストンバッグを楓から引っ手繰り、段ボールを抱えて階段を降りる。
「そのくらいなら持って降りれるのに 」
「今度は階段から落ちて幽体になるつもりか? 人手がある時は遠慮なく使え 」
菜のはには聞こえないようボソッと言うと、『バカ』と柔らかい文句が飛んできた。
「ありがとうございました 」
真っ直ぐに俺の家に送ってもらった俺達は、車の後部席から微笑む蒼仁先輩に揃って頭を下げて見送る。
「そういやお前、スマホ持ってないんだってな。 お父さんからの連絡ってどうするんだよ 」
「お母さんからの連絡を待つしかないのよ。 アンタの番号に掛けてもらうようにしてもいい? 」
まぁ普通にそうなるよな。 メモ帳に俺の電話番号を書き留めていく楓は、何故か嬉しそうだった。
「なにニヤついてるんだよ? 」
「いいじゃない。 電話番号教えてもらったのアンタで二人目なんだから 」
一人目は? と聞くのは野暮だよな。
「んじゃ、俺の部屋貸してやるから荷物整理してこいよ 」
「え? じゃあアンタは? 」
「男なんてどこでもいいんだよ。 親父のベッドもあるし 」
「…… うん、ありがと…… 」
朝のような疲れきった笑顔ではなく、普段見ない優しい笑顔にドキッとしてしまう。
「なに鳩が豆鉄砲を食ったような顔してるのよ? アタシの顔に何か付いてる? 」
「いや…… あ…… ほ、ほら! どうせなら今お母さんに連絡取っちゃえよ 」
照れ隠しにスマホを楓に押し付けて家に戻る。 段ボールとボストンバッグを部屋に運び、階段を上がってくる楓を待つ。 あれ? なんだか視線が冷たいぞ…… ポンと俺にスマホを手渡してきた楓は、少し呆れた感じだった。
「スマホありがと。 でも人に貸す時は気を付けた方がいいわよ 」
「うぇ? なんだよそれ 」
「佐伯さん、可愛いよね。 …… エッチ 」
ほああぁ!? 紫苑の水着姿の写メを表示したままだったか!
それからはどこにも出掛けることなく、夕飯は楓リクエストのカルボナーラにしてやった。 満足そうに完食した楓は、リハビリも兼ねてと言い張って後片付けを名乗り出る。 こんなに笑う奴だったっけ? 菜のはをサポートに皿洗いをする楓は楽しそうだ。 人見知りする菜のはが初対面でここまで慣れるのも珍しい事だけど、俺は楓という人を勘違いしていたのかもしれない。
「…… なに? やっぱりアタシの顔に何か付いてるの? それともアタシがキッチンに立つのは変? 」
じっと見ているのがバレました。 口調はキツいけど頬を赤くしているせいか、迫力もなければ怒っている様子にも見えない。
「お前の楽しそうな顔、初めて見たなと思ってさ 」
「え…… っと、そうかも。 ねぇ橙馬、アタシ…… ちゃんと笑えてる? 」
フワッと微笑む楓は別人のように可愛い。 あの話を聞いた後では笑えない質問で、恥ずかしくて目を背けることも許されない気がした。
「ああ。 今メッチャ楽しいだろ? すぐ分かる 」
「うん…… メッチャ楽しい 」
ニコッと笑った楓に、この瞬間だけは心を奪われていたかもしれない。
楓に部屋を貸した俺は、結局リビングのソファで寝ることにした。 親父は自衛官であり、身の回りの整頓にはうるさく後々面倒だったからだ。
「まだ起きてたの? 」
「んあ? ああまぁ…… 」
膝上まである大きなトレーナー姿の楓は、菜のはとはまた違った雰囲気でなんだか気恥ずかしくなる。
「菜のはは? 」
「気持ち良さそうに寝てる。 ホント、アンタ達を見てると羨ましくなっちゃう 」
「皆にも言ってるけど、菜のははやらないぞ 」
フフっと笑った楓は、ゆっくりとした動作で俺の隣に座った。
「さっきはゴメン。 『笑えてる?』なんて変だったよね 」
「ワザワザそれを言いに来たのか? お前の変はいつもの事なんだから気にすんなよ 」
「そうかも。 言われてみれば気にすることなかった 」
しおらしい…… なんか調子狂う。
「…… 蒼仁先輩から中学校時代のお前の事を聞いた。 黙ってるのもなんだからな、とりあえず報告 」
「そっか…… んで、アンタはどう思ったの? ボッチとか噂とか、色々聞いたんでしょ? 」
「万引きとか売春とか、お前がそんなこと出来るような奴じゃないのは俺がよく知ってる。 どう思うも何もないだろ 」
じっと俺を見つめていた楓は、フゥと軽くため息をついた。
「菜のはちゃんが自慢するわけだ。 ホント、お人好しなんだから 」
楓はソファで体育座りをするように足を抱えて俯く。
「万引きは本当の話。 盗ったのは100円のチョコを数枚…… 買うお金はあったし、別に欲しかったワケでもなかったんだけどね 」
俺は返事も相づちも打たないで楓の話に耳を傾けた。 自分じゃどうにもならない怒りを万引きにぶつけた…… よくある話かもしれないが、コイツの場合は傷が深い。
「家に帰らなかった事もしょっちゅうだったし、街の不良グループと一緒にいたこともあった。 そんな時、蒼仁先輩が声を掛けてくれたんだ 」
「あの人はなんでもお見通しだからな 」
「うん、怖いくらい 」
「なんだ、お前もそう思ってたのかよ 」
俺達は顔を見合わせて苦笑いする。 楓はそれから蒼仁先輩の凄い所やカッコいい所を、顔を綻ばせて語り始めた。 楓の昔話から蒼仁先輩の自慢話になってしまったけど、いつもの調子に戻ってきたんだからアリだと納得する。
「あ…… もうこんな時間なんだ。 ゴメン、遅くまで 」
時計を見ると既に深夜1時を過ぎていた。
「ホントにソファで大丈夫? 」
「気にするなって言っただろ? 明日は学校行くんだろ? 早く寝れよ 」
「せっかく心配してあげてるのに! なんなら…… 一緒に…… 」
楓はゴニョゴニョと何か呟いていたけど、正直俺も眠気が限界だった。
「あ? なんだって? 」
「何でもない! おやすみ! 」
ツンと背中を向けた楓に電気を消してくれと頼んで、ソファからはみ出る足を丸めて眠りについた。




