5話 まだ死んでないもん!
「…… おい 」
翌朝。 俺のベッドの横には正座して苦笑いしている楓の姿があった。
「お兄ちゃん、起きてるー? 」
ドアの向こうからは菜のはのモーニングコールが聞こえる。
「あー、今行くー 」
とは答えたものの、ドアは開いて菜のはが顔を覗かせた。
「なんだぁ、起きてなかったらチューして起こしてあげようと思ったのに。 残念 」
「なん…… だと!? 」
楓の蔑む目に構わず俺は掛布団を被り直す。 『ざんねーん!』と菜のはは笑いながら階段を下りて行った。
「妹のチューを期待するなんて気持ち悪いわ、オニーチャン 」
冷ややかな目で見る楓に、布団をゆっくりとずらして冷ややかな目線のカウンターを当ててやった。
「なんで成仏してねーんだよ。 もう目的は果たしただろーが 」
楓は再び苦笑いに戻り、ブツブツと言い訳を言い出した。
「いや、あのね…… 想定外だけど二ノ宮先輩とうまくいっちゃったし、その…… もう少し一緒にいたいなぁ…… なんて 」
照れながら俯いて呟く楓がちょっと可愛い。 じゃなくて迷惑だ。 とっても迷惑で、迷惑以外のなにものでもない!
「冗談じゃねぇぞ。 朝一で生徒会長に土下座して謝って、全てを話して許してもらおうかと思ってたのに 」
「…… みっともないわね、それでもあなた男の子なの? 」
ブチっと俺の中で何かが切れる。
「誰のせいだと思ってるんだ! もしかしたら生徒会長の前に辿り着く前に女子に殺されるかもしれないんだぞ! 」
「…… でも、燈馬クンも過ぎたことは仕方ないって許してくれたし 」
「いい終わり方だったじゃねぇか! お前だってありがとうって消えていったじゃねぇか! 」
「ひどいわ! わたしまだ死んでないもん! 」
…… は? 思わず楓をガン見してしまった。 楓もハッとして両手で口を押える。
「お兄ちゃん? 着替え終わった? ごはん出来たよー 」
菜のはの声に時計を見ると既に7時を過ぎていた。 やばっ! ベッドから飛び起きてパジャマ代わりのTシャツを脱ぎ捨てる。
「キャー! バ、バカ! なんでいきなり脱ぎ出すのよ! 」
楓は顔を赤くして両手で顔を覆った。 が、両目とも指の隙間から丸見えで、見る気満々じゃねぇか!
「いいから出てけよ! 」
楓は慌ててドアをすり抜けていった。 すぐにキャー、と楓の悲鳴が聞こえたのは、もしかして階段を踏み外して落ちたのか? 幽霊ならこの場で消えるか、窓から出て行けばいいものなのに。
「お兄ちゃん、まだ? 」
不意にドアが開いて菜のはが顔を覗かせた。 着替え途中の俺はパンツ一枚の状態だ。
「…… きゃー…… 」
と、ゆっくりと胸と股間を押さえて菜のはに恥じらいでみせた。
「何がきゃーなの? 朝は忙しいんだから早くしてよね 」
菜のはは笑顔でパタパタと階段を下りていった。 あら、菜のはさんちょっと怒ってらっしゃる? 急いで制服に着替えてリュックを背負い階段を駆け下りた。
菜のはを送って高校への通学路を一人歩く。 昨日に引き続き、俺の後ろを楓はつかず離れずの距離で宙を漂っていた。 人の目があるから、振り向いたり会話したりはしないで黙々と前を見て歩く。 昨日の事が気不味いのか、朝の一件があったせいなのか、楓も俺に話しかけてくることはなくただ後をついてくるだけだった。
ひどいわ! わたしまだ死んでないもん!
楓の朝の一言が頭から離れない。 どういうことだ? 幽霊なんだから死んでるだろうに。 楓自身は死んだ事を自覚してないのか? いや、二年前に事故に遇って死んだと楓本人から聞いた話だ。 あれ? こいつその時に死んだと一言か言ったっけ? チラッと後ろを振り返ると、ビクッと体を強張らせる楓の後ろから突き刺さるような視線を投げてくる女子の集団がいた。
「うげっ! 」
あまりの殺気に瞬時に前を向く。
「どうしたの? 」
背筋に悪寒が走って身震いしていると、楓の呑気な疑問が背中から掛かる。 誰のせいでこうなったと思ってるんだよ! と心の中で叫んだ時、トン、と強めに肩を叩かれた。
「おほおぇあ!? 」
殺られる! 奇声を上げ、その場から飛び退いてしまった。
「お、おはよう…… 燈馬 」
目を丸くして呆気に取られている楠木と、言葉を失って唖然としている佐伯がそこにいた。
「お…… おふぁよ…… 」
びっくりした…… 震えた声で挨拶すると、楠木にゲラゲラ笑われた。
「大丈夫だよ、他の子は分からないけどウチらはアンタを殺さないから 」
腹を抱えて笑う楠木は、俺の怯える顔がツボに入ったらしい。 佐伯にいたっては失礼だよとフォローしてくれるも、苦笑いしながら後ろを向いてプクク…… と肩を震わせていた。 いや、それも失礼だよ? でも生徒会長に壁ドンして告ったのを間近で見て、嫌われずに話しかけてくれたのは救いだ。
「いやゴメンゴメン。 今日はウチらがボディガードしてあげるからさ、一緒に行こうよ 」
「お、おぅ! 助かるわ 」
ありがたい! 通学路は俺と違うのに、わざわざこっちを回って様子を見に来てくれたのは素直に感動した。 遅れて追いついてきた青葉も交えて、俺を囲むように歩いてくれる。
「良かったわね 」
背後からから楓の声が聞こえたが、佐伯と一緒に登校できる幸せを噛みしめる俺はそんなことは気にしない。
「え? 」
楠木が不意に振り返った。 つられて振り返ると、楓が肩にかかる髪を指でクルクルといじりながら俯いていた。
「…… どうした? 」
「…… うん? なんでもないよ 」
楠木は何事もなかったように前を見て歩く。 なんだ? さっきより楠木が俺に寄ってきたような…… もう一度振り返ろうとすると、楠木に腕をグイっと引っ張られた。
「どうしたんだよ? 」
「燈馬、あとでちょっと話ある 」
いつになく低い聞き取るのがやっとの声。 まさか、楠木には楓が見えてるのか?
「後ろのヤツのことか? 」
楠木は真面目な顔で小さく頷いた。 やっぱり見えてるのか! なんだか仲間が出来たようでちょっと嬉しい。 俺だけにボソッと言ったのは、多分佐伯や青葉には話さない方がいいということだ。 わかった、と小さく答えて、俺は皆に何気ない話題を振りながら学校を目指した。