48話 忘れ物の恩恵
なんとか昼前に帰宅した俺を待っていたのは、外出用の服に着替えを済ませてソファで寝ている菜のはだった。 準備万端だけど待ちきれずに寝てしまった、という格好で、よだれを垂らしてニヤついている。 食い物の夢でも見てんのか?
「プリン…… エクレア…… シュークリーム…… ショートケーキ…… 」
少しイタズラしたくなって耳元で囁くと、『エヘヘ』と肩を揺らして寝ながら笑う。 プククク…… 可愛い奴だ。 ふと菜のはの唇に目がいく。
「…… あり得んだろそれは 」
まだ楓の感触が唇に残ってるような気がした。 『続きはおうちで』なんて柚月先生が言ったのも耳に残ってて、余計意識してしまう。
「ふぇ…… おかえりお兄ちゃん 」
フッと目が開いた菜のはにちょっとドギマギしてしまった。
「い、今着替えてくるからちょっと待ってろ 」
「うん! 10、9、8…… 」
元気よく返事をして、いきなり始めたカウントダウンに俺は階段をかけ上がった。 疲れてるけど、菜のはの為なら問題ない!
昼御飯のファミレスから始まって服や靴のウインドウショッピング、DVDや本に下着売り場まで付き合わされ、帰宅したのは陽が暮れた後だった。 最近はイベント続きで菜のはにあまり構ってやれなかったから、ストレスも溜まっていたんだろうと無理矢理納得する。
「あれぇ? 買ったDVDがない! 」
早速お気に入りのグループ歌手のDVDを見ようとしていた菜のはが、バッグの中身をひっくり返して泣きそうになっていた。 タイミングよく菜のはのスマホに着信があり、相手はどうやら最後に立ち寄った書店かららしい。
「お兄ちゃん…… DVDお店に置いてきちゃった…… 」
「んじゃ取ってきてやるよ。 落としたとかじゃなくて良かったな 」
会員証に登録されていた電話番号と、DVDを買ってとても喜んでいだ菜のはを店員が覚えていたのだとか。 笑顔を取り戻した菜のはに俺が行く旨を書店に伝えさせ、留守番を頼んで俺は玄関を出る。 バスを使うからちょっと遅くなるけど、それは我慢してもらうしかない。 ちょうど来たバスに乗り込み、30分ほどで目的の書店に到着することができた。 妹の代わりに取りに来たとレシートを見せると、店員さんは快く品物を渡してくれる。 後は帰るだけ…… と思っていたが、戻りのバスがついさっき出てしまったばかりで次の到着が一時間後。 歩いて帰るにはちょっと遠く、仕方なく遅くなると菜のはに連絡した。
― ごめんねお兄ちゃん、気を付けて帰ってきてね ―
菜のははそう言ったけど、少し落ち込んだ声を聞くと歩いて帰ることを決めた。 一時間も待つのなら歩いて帰った方がずっと速そうだ。
「あれ? 」
意気込んで家方面に歩いていると、雑貨屋の前で困っている顔をした紫苑を見つけた。 なにやらチャラそうな男が二人向かいに立ち、楽しそう…… ではない様子で話している。
「ナンパ…… か? 」
それにしてはなんだかしつこそうだ。 男達は足早にその場を立ち去って行った紫苑を笑いながら見送っていたのはまだいい。 その行く先にまた一人の体格のいいロン毛の男…… 二人の男達と目線を合わせて頷き合っていた。 見送っていたと思っていた男達も、紫苑の後を追い始める。
「ヤバイだろあれは 」
アイツら絶対グルだ。 人の少ない所なんかに行ったら無理矢理…… なんてこともあるかもしれない。 俺は咄嗟に走り、ロン毛の男が紫苑に声をかけたところで二人の間に割って入った。
「ごめんごめん、待たせちゃったよね! 」
「!? 橙…… 」
慌てて紫苑の口を塞いで男から距離を取る。 こういう時に名前を出すのはNGだ。
「ああ? 誰だお前 」
突然の俺の乱入に、お決まりのセリフで不機嫌な顔をしている。
「悪いね、俺の連れなんだわ 」
紫苑手を引き、そそくさと逃げようとすると、前後を男達に挟まれてしまっていた。
「兄ちゃんの女かい。 まあいいや、兄ちゃんも一緒にちょっとそこ行こうや 」
男が顎で差したのは明かりのない狭い小路。 周りを見ると、それらしい男が他に3人もいた。 ヤバい…… 肩を掴まれた瞬間、俺は大きく息を吸い込んだ。
「たー! すー! けー! てぇー!! 」
大声で叫ぶと、通行人の視線が一気に俺に集まる。 男達が怯んだ隙に、ロン毛の男を押し退けて走る。
「そこの角を曲がったら先に走れ! 」
赤信号の交差点を曲がって紫苑だけを先に行かせ、先行して追い付いてきた丸坊主の男に建物の影から足払いをお見舞いしてやる。
「ぐぉあ! 」
顔から派手にアスファルトに転んだ男を横目に、すぐさま紫苑を追いかけた。
「交番、交番! 」
紫苑の後ろを走りながら交番を探すが、こういう時に限って交番が見当たらない。 おまけに商店街から離れてしまって人通りも少なくなり、こっちに逃げてきたことを後悔する。
「いたぞ! 」
背中から聞こえた男の怒声に振り向くと、仲間をやられて怒り狂った男達がすぐそこまで来ていた。
「橙馬君こっち! 」
紫苑の誘導で、片側二車線の道路を車が来てるにも関わらず横切る。 盛大にクラクションを鳴らされたけど、その甲斐があって男達を引き離すことが出来た。 後ろを確認することもなく走り続け、目についた小さな公園のトイレに投げ込む。
「こっちだ紫苑! 」
女子トイレに逃げ込み、幸い鍵が開いていた掃除用具入れの中に無理矢理身を隠した。 狭っ! まだ湿っているモップが顔にくっついたが、臭かろうが汚なかろうが紫苑を守る為なら構わない。
「橙馬君…… 」
「大丈夫、必ず守るから 」
すし詰め状態の掃除用具入れで、息を荒くして震える紫苑の肩を引き寄せる。 今まで名前すら呼べなかった彼女の肩を抱き寄せる事に、不思議とためらいはなかった。
「ゴメンね、危険な事に巻き込んじゃって 」
「紫苑のせいじゃないだろ。 俺が勝手に首を突っ込んだんだから。 とりあえず少し落ち着こう、そう簡単には見つからないだろ 」
不安な顔で俺を見上げる紫苑に、深呼吸をして手本を見せる。 俺自身が落ち着いてくると、紫苑の心臓の音が微かに聞こえた。 その音にドキドキするけど、やがて紫苑が落ち着いてくるとその音も聞こえなくなる。
「強いね、橙馬君は。 私1人じゃ何も出来なかった 」
「強くはないさ。 アイツらを殴り飛ばせばカッコ良かったんだろうけど、俺ケンカしたことないしさ 」
「ううん、私を助けてくれたんだもん。 凄くカッコいいよ 」
やべぇ…… これは落ち着こうとする方が無理かも。
「アイツらの事知ってるのか? 」
紫苑は眉をひそめて首を横に振る。
「知らない。 ただのナンパだった思ってたんだけど、凄くしつこくて…… 怖くなって逃げようと思ったの 」
「そしたら囲まれてたってわけだ。 とんでもねぇ奴等だな 」
守るからといっても、こうやって逃げて隠れる事しか出来ない自分が情けなくなる。
「そしたら橙馬君がサッと現れて、こうやって守ってくれて…… あっ!? 」
咄嗟に紫苑の頭を引き寄せて胸に埋める。 ジャリっと砂を踏みしめる音が聞こえたのだ。
「あの野郎、どこ行きやがった! 」
バンと隣の個室の扉を蹴破る音と振動に、紫苑の体が縮こまる。 大丈夫という思いを込めて、俺は紫苑の肩を強く抱きしめた。
「そっちいたかよ? 」
「いねぇよ! こっちじゃねぇんじゃねえのか? 」
そう言うと男達の足音はトイレを出て行った。 胸の中でモゾモゾと動く紫苑に、俺はまだだと首を振る。 パッタリと足音が止まるのはおかしい…… 多分トイレの中から音がしないか聞き耳を立ててるんだろう。
ブーッ ブーッ ブーッ
突然ポケットの中のスマホが着信した。 マズイ! 頼む…… 気付かないでどっか行ってくれ!
スマホのバイブが切れると同時に、足音が遠ざかっていった。 バスに乗った時にマナーモードにしておいて助かった…… 大きくため息を吐き、ポケットからスマホを取り出すと菜のはからの着信だった。 家を出て1時間半、きっと心配してるのだろう。 端的に状況をメール書いて送信しておく。 すぐに返ってきたメールには、『頑張れお兄ちゃん!』とスタンプが添付されていた。
「…… 妹さん?」
「うん、しっかり守れってさ 」
守れとは書いていなかったけど、多分そういうことだ。 『そっか』と微笑んだ紫苑は再び俺の胸に顔を埋めた。 お…… おお……
「もうちょっとだけこうしてていい? 」
「ん…… あぁ、まだ奴らも外を彷徨いてるかもしれないし、少し様子を見た方がいいかも 」
「うん…… 」
シーンと静まり返った掃除用具入れの中には、俺と紫苑の心臓の音だけが静かに響いていた。




