41話 選挙に備えて
それから数日が過ぎ、生徒会役員選挙を明日の午後に控えた夕方。 俺は生徒会室で演説の原稿を眺めながら、吹石副会長が淹れてくれたコーヒーをすすっていた。 生徒会室には西日が射し込み、窓から見えるグラウンドでは陸上部の後片付けが始まっている。
「会長達は毎日こんな時間まで仕事をしているんですか? 」
授業が終われば用事がない限り直帰していた俺には慣れない雰囲気だ。
「何かイベントがある時だけだよ。 普段は騒動がない限り居残りをすることはないね。 菜のは君の送迎を気にしているのなら心配ないよ 」
パソコンのキーボードを打っていた手を止めて、二ノ宮会長はコーヒーカップに手を伸ばす。
「乗り気じゃないみたいだね? 選挙は明日だっていうのに 」
「ええまぁ。 俺は生徒会長の器じゃないって思ってますから 」
ハハハと笑う二ノ宮会長の声に混じって、吹石副会長の笑い声も聞こえてきた。
「そのくらいがちょうどいいのよ。 『俺は生徒会長だ!』なんて気張っても、この学校では逆に引かれてしまうわ 」
明日の役員選挙には一人の立候補がいた。 隣のクラスの三千院驍樹という男子で、名前をなんと読むのかはどうでもいい。 その三千なにがしというのが『俺について来い』思想らしく、実質会長選しかない役員選挙で俺との一騎打ちに燃えていると言う。 めんどくさいことこの上ない。
「あまり活動の場がない生徒会ではあるが、全校生を代表する立場である事には変わらない。 僕は何気に彼の暴走を抑えていたんだが…… 燈馬、君にそれを託したい 」
え? 三千なにがし君に負ける気満々だったのに、なんか会長は勝負する気だぞ……
「彼が生徒会長になって好き放題されるのは好きじゃないんだ。 わかるね、この意味 」
怖ぇ…… 優しい笑顔だけど、反して会長の背中に見えるオーラが怖ぇよ!
「選挙前にプレッシャー掛けるのは良くないわ蒼仁。 決める時はきっちり決める男性よ? 燈馬君は 」
副会長の方が怖ぇッス! なんでこんな人達と絡むことになったんだか…… 全ての原因はアイツだ!
「そんな顔しなくても心配ないよ。 彼を崇拝している生徒は沢山いるけれど、君が負けるとは僕は微塵も思っていないから 」
崇拝とか、なんだか宗教戦争じみた言い回しになってきた。 どこからそんな自信が来るんだか…… とにかく、今日はもう帰って寝てしまおう!
「そ、それじゃ俺はこの辺で…… 」
鞄に原稿を押し込んでそそくさと生徒会室を後にする。
「そうだ燈馬、楓君が…… 」
「楓はもういいです! 」
二ノ宮会長の言葉を遮って、俺は一礼して生徒会室のドアを閉めた。
― んで、どうしてウチに電話を掛けてくるわけよ? ―
夕飯を済ませて菜のはが風呂に入っている間、俺は脱衣所にある洗濯機を回しながら藍に電話を掛けていた。 特段用事はなかったのだけど、胸のモヤモヤというかなんというか…… 誰かと話をしたい気分だった。
― 紫苑に掛けてみれば良かったじゃない。 あの子ならウンウンって聞いてくれるよ ―
「そう言うなって。 なんとなくお前と話をしたかったんだから 」
― なんとなく、ね。 …… バカ ―
スピーカーの向こうからチャポンと水の音がした。 少し反響する藍の声。 もしかして?
「お前、風呂入りながら電話してるのか? 」
― 音楽聞きながらお風呂入ってたらアンタが電話してきたんでしょーが! ―
「あ…… あぁ、悪い…… 」
ついスパリゾートでの風呂上がりの藍を思い出してしまう。
― ん!? アンタ今ウチの入浴シーン想像したでしょ! 妄想すんな! ―
「し、してねーよ! 」
なんでバレるんだよ! とは言えず。
「うん? お兄ちゃん、藍さんと話してるの? 代わって代わって! 」
洗濯機前で大声を上げたのが悪かった。 中折れの浴室のドアを半開きにして、菜のはが俺のスマホを奪っていく。
「お、おい! 湯船にスマホ落とすなよ! 」
『わかってるー』と浴室から叫ぶ菜のはの声に大きくため息を吐き、すぐに聞こえてきた嬉しそうな声にもう一度軽くため息をつく。 長くなりそうだなと思いながら洗濯機の中で規則的に回るドラムを眺めていると、帰り際に二ノ宮会長が言った一言を思い出した。
そうだ、燈馬。 楓君が……
楓君が…… なんだ? 何かあったのか? リハビリ中に怪我したとか、頑張りすぎてまた幽体になったとか?
「いや、それなら会長や副会長はあんなにのほほんとしてない…… よな? 」
誰に問いかけるわけでもないのに疑問形になってしまった。 あの二人が慌てた所など見たことがない…… 楓なら本当にありそうなことに、なんだか不安になってしまった。
「いやいやいや! もう関係ないだろアイツは! 」
なんでアイツの事を心配してんだよ! 俺に出来ることは全部やっただろ! そう言い聞かせるように頭を振る。
「菜のはー、電話終わったら持って来てくれよー 」
話に夢中になっているのか、曖昧な返事を聞いて俺は自分の部屋で横になることにした。 階段を上がろうとしたその時、視界の端に映った玄関ドアをすり抜けてきた生足。 思わず二度見すると、スッとその主がドアをすり抜けてくる。
「や、やっほ…… ぉ 」
「あ…… は…… はぁ!? 」
そこには手を上げて俺に苦笑いをする私服の楓の姿があった。