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37話 最初の一歩

 バイキング形式で提供された夕飯を楽しく済ませ、時間帯指定で温泉に浸かり、一息ついた俺は先に部屋に戻ってきていた。 菜のはは藍達に任せて温泉に連れて行ってもらい、そのままアイツらの部屋に行ったのかまだ戻ってこない。 菜のはのスマホはここにあるし、藍や紫苑にメールしても返信はない。


 「仕方ない、探してくるか 」


 日中プールで騒ぎすぎ、美味い食事と気持ちいい温泉で満たされて眠気もあったけど、せっかく来たリゾートホテルの中を散歩することにした。


 「おや、燈馬じゃないか 」


 お土産屋を覗いていると、並びにあったカフェでお茶をしていた二ノ宮会長に呼ばれた。


 「こんばんわ燈馬君、昼間はお邪魔してごめんなさいね 」


 「いえ、菜のはもとても楽しんでいましたし 」


 二ノ宮会長は自分の隣の椅子を引いて、『一緒にどうだい?』と俺を誘ってきた。 ここに来れたのも恐らく会長達のおかげで、無下にも出来なかったので少しだけお邪魔することにする。


 「菜のは君も連れてくるとは予想していなかったよ。 流石僕の燈馬だね 」


 「流石と僕のはどうかと思いますけど、妹だけを家に残してくることは出来ませんから 」


 「部屋は空いていたけど、受付が加護君じゃなかったら予約は無理だったかもね。 運がいいわ君は 」


 そっか、会員制なのに予約が取れたのは吹石副会長が根回ししてくれたからなのか。 すいませんと頭を下げると『きにしないで』と笑われた。


 「そういえば、昼間リハビリって言ってましたね…… 」


 「気になるかい? 」


 いや別に、と答えたけど、会長達を目の前にするとどうしても楓の顔が頭をよぎる。


 「水中歩行訓練をしたらどうかしら? って黒田先生に提案してみたのよ。 陸上より負担が減るし、適度な負荷が全身にかかるからと黒田先生は喜んだんだけどね 」


 「残念ながらクリニックには水中訓練の為の設備がなくてね、みどりのお父さんに掛け合ってみたんだ 」


 なるほど、二人の伝があったからここでリハビリってことになったのか。 でも俺達が来るこのタイミングに合わせたのはワザとだよな、きっと。


 「そうね…… 予約をとりつけたお返しにちょっと手伝ってもらおうかしら。 いいでしょ? 蒼仁 」


 「まさか、楓のリハビリの相手をしろ、って言うんですか? 」


 二人が同時に笑顔になった。 どうしてこの二人は俺を巻き込もうとするのか…… さっぱり分かんねぇよ!




 案内されてきたのは露天のプライベートプールだった。 元々は吹石家が家族で使うプールだったけど、最近はあまり使われていないと言う。 とはいえ、ナイトプール程のムードはないものの、照明や設備は綺麗なものだった。 そのプールの端に、介添人に支えられながら水の中に立つ楓の姿を見つけた。


 「まだ、一歩が踏み出せないでいるんだ。 君ならどうする? 」


 プールに入って一時間。 今日だけでもう4度目の訓練で、まだ続けたいと頑張っているらしい。 仕方ない…… ちゃっちゃと終わらせて退散することにした。


 借りた水着に着替えてドブンと頭から飛び込み、泳いで楓の前の水面に顔を出す。


 「!? なななな!? 」


 突然の俺の登場に、何を思ったのか楓は胸を押さえてプールの縁に逃げていく。


 「なんで逃げんだよ。 カッコいい競泳水着なんだから恥ずかしがるな 」


 「ばっ! なんでアンタがここにいるのよ!? まさか! 」


 「僕が呼んだんだよ。 迷惑だったかい? 」


 プールサイドを歩いてきた二ノ宮会長が柔らかい笑顔を楓に向けると、楓は真っ赤になって何度も首を振る。


 「ほら、あれから一か月経ったんだ。 成果を見せてみろよ 」


 「…… 簡単に言ってくれるじゃない。 いいわよ! 見せてあげる! 」


 楓の顔から恥ずかしさが消え、真剣に俺に向き合って水面を見つめた。 それを合図に介添人が楓から遠く離れていく。 全て俺に任せた…… そんな感じだ。


 「……… 」


 プールの水なのか汗なのか、楓の頬を水滴が伝う。 俺と楓の間には、水面に映る月が波紋で揺れていた。


 「どうした? 来いよ 」


 俺と楓の間にはたかだか1メートルの距離しかない。 とりあえず浮力のおかげで支えがなくても立てているけど、二ノ宮会長の言ったように前に踏み出せずにいた。


 「お前の気合はそんなもんだったのかよ? 」


 「え? 」


 楓の眉間にシワが寄って、俺をキツく睨んでくる。


 「初めて化けて出てきたあの時の必死なお前はどこ行ったんだって聞いてんだよ 」


 忘れもしない…… なりふり構わず、涙を溜めて訴えていたあの叫びは鮮明に覚えている。


 「…… 幽体の時の話はしないで 」


 水面が小刻みに揺れていた。 怖くて震えているのか、怒りで震えているのかは俺には分からない。


 「嫌だね。 なんならお前のパンツの色とか暴露してやろうか? ステッチとかデザインとか 」


 「な!? 蒼仁先輩の前で何言い出すのよ! 」


 今度は真っ赤な顔をして怒りに震えているのがすぐにわかった。 悪いな、俺にはこんなやり方しか思いつかないんだ。


 「よぉく覚えてるぞ? お前も俺がパンツガン見してたの知ってるもんな? やっぱ清純派は…… 」


 「アンタねぇ! いい加減にしなさいよ変態! 」


 「変態で結構、シスコンの俺はパンツなんて見慣れてるんでね。 ヘタレなお前はまだイチゴパンツだったか? 伸びきったクマさんパンツだったっけか? 」


 無理矢理ゲス顔を作ってみせる。 さあ来い! 一歩でいい!


 「こんのぉ! アタシは無地の白だバカぁ! 」


  ばちぃーん


 ぶえぇ…… フルスイングの楓の平手が俺を水の中に沈める。 水中を見ると、楓の足は間違いなく前に踏み出していた。 そのまま膝から崩れ落ちるように沈んでくる楓の体を抱えて、俺は水面へと顔を出す。


 「ぷはっ! 楓! 」


 喜ぼうとしたところを、もう一発平手が襲ってきた。


 「抱き付くな変態! アタシはクマさんなんか履いたことないしそんなにお尻大きくない! 」


 ボコボコに頭を叩かれるけど、まだ筋力が戻っていないから大して痛くはない。 スッと楓から離れてもう一度煽ってみる。 今度は2メートルくらい…… 頑張れ!


 「んじゃアレは猫だったか? それともシ…… 」


 「まだ言うかぁ! 」


 楓は涙を浮かべて俺を追いかけてくる。 やはり膝から崩れて顔まで水に浸かってしまうが、腕を使って懸命に水中を漕いでいた。 その動きに合わせて俺も後退する。


 「逃げるな変態! あ!? 」


 プールの半分を歩いたところで楓が急に水中に消えた。 ここから底が少し深くなっていて、足が届かなくなったのだ。 すかさず水中に潜って楓を引き上げる。


 「げほっ! けほっ! うぅ…… 」


 俺の首にしがみつく楓の腕が震えていた。 少し水を飲んだのか、マジで溺れそうになったらしい。


 「大丈夫か? 悪い…… 少しやりすぎた 」

 

 「そんなにアタシを虐めて楽しい!? そんなにアタシが嫌い!? 」


 涙ながらに訴える楓に、見てみろよと二ノ宮会長を指差す。 二ノ宮会長は介添人と並んで俺達に拍手を送っていた。


 「…… え? 」


 「10メートルか。 まぁまぁだったんじゃね? 」


 「歩いた…… の? アタシ 」


 「そうみたいだな。 まあ足だけの力じゃないと思うけど、一歩も進めなかったんだから上出来じゃん 」


 「アンタ、ワザとアタシを釣って…… 」


 「知らね。 お前、幽体なのに下着毎回替えるとかどうなんだ…… ぐえぇ!! 」


 ち、窒息する! あんまり首絞めんなってぇ……

 

 

 


 

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