21話 トラブル
女子更衣室のロッカーが倒れて何人かの選手が下敷きになったらしい。 それに藍は巻き込まれて、倒れて来たロッカーで脛を切ったという。 事の発端は、選手同士のプレイスタイルの違いから始まったそうだ。 ヒートアップした一人が相手選手を突き飛ばし、それにキレた相手選手が飛びかかって、勢い余ってロッカーを倒したらしい。
「ホントに病院行かなくて大丈夫なのかよ? 」
「審査終わったら行くって。 それまではやらせてよ、お願い 」
「ダメですよ藍さん! 血がいっぱい出てるじゃないですか! 」
幸い藍はロッカーの下敷きにならずに済んだけど、脛の切傷は結構深いらしい。 すぐに近場の病院へ搬送して縫合しなければならないと言われたけど、藍はテーピングで傷口を塞いで包帯をぐるぐる巻きにしていた。 涙を浮かべて心配する菜のはの頭を撫でて、平気平気と笑ってみせる。
「選手同士の揉め事で審査は中止にならないよ、きっと。 今病院に行ったら棄権扱いになっちゃうし 」
ギュッと包帯をきつく巻き付けたはいいが、やはり血は包帯に滲んでくる。 それを袴で隠してスッと立ち上がった。 口にはしなかったけど、藍の大丈夫だと言わんばかりの態度にため息をついてみせる。 どうせ止めたって聞きやしない。
「アンタなら分かってくれると思った。 全日本大会に繋ぐ大事な審査だからどうしてもね。 ありがと 」
「お兄ちゃん! 」
菜のはは藍を止めない俺を睨んだが、言っても聞かないさと笑うと口を尖らせて渋々頷いた。
「大会よりも傷口残ったら嫌だろ? 審査ってのが終わったら病院直行だからな 」
「ウチの体の事心配してくれるんだ 」
「当たり前だ。 ほら、行ってこいよ。 言ったからにはしっかり結果出してこい! 」
「簡単に言うなぁ…… じゃあしっかり応援しててよね 」
藍は深呼吸をして背筋を伸ばし、俺と菜のはに拳を突き出した。 俺がコツンと拳を合わせると、菜のはも真似して拳を合わせる。 ニコッと笑って背を向け、会場に向かう藍の背中を見送って、俺達も観覧席へと急いだ。
怪我をしているにも関わらず、藍は皆中と呼ばれる、一立ちで4本全てを的中させて会場全体から大きな拍手をもらっていた。 周りの観客からも流石だという声が聞こえてくる。
「やはり流石だね、楠木君は 」
聞き覚えのある声に振り向くと、二ノ宮会長がすぐ後ろに立って拍手を送っていた。
「おわっ! 会長、どうしたんですか? 」
「どうしたとは心外だね。 君を追ってここまで来たというのに 」
うぇ…… マジかよ……
「ハハ…… そんな顔しないでくれ。 みどりも弓道を少し嗜んでいてね、その応援だよ 」
へぇ、吹石副会長も弓道をやっていたんだ。 藍を流石と言ったことについて尋ねてみると、何回か応援に来た時に藍の事を知ったという。
「彼女は流れる様な射法八節がとても綺麗なんだ。 それだけでなく、弓力20キロという男性顔負けの弓を使い、凄まじい集中力を持っている。 錬士というのも頷けるね 」
俺にはよく分からないけど、藍が凄い選手だというのはわかった。
「でも彼女にしては今日はキレが悪いような気がする…… 怪我でもしているのかい? 」
会長の方が流石だと思ってしまう。 ちょっとした違いなんだろうけど、藍の動きに違和感を感じたらしい。
「足に怪我をしてます。 それでも審査は受けたいって…… そうだ会長! 今日も車で来ていますか? 」
「ああ、そうだけど 」
「お願いがあります。 実は…… 」
俺は二ノ宮会長に事情を説明して、審査が終わり次第二ノ宮クリニックに藍を搬送してくれるか頼んでみる。
「もちろんだが、自家用車では遅いから救急車を用意させよう。 傷跡など残さないよう処置すると約束しよう 」
歯が浮くような言い方だけど嫌味に聞こえないのは、二ノ宮会長だからなんだろうな。 イケメンは何を言っても似合うからズルいと思う。 二ノ宮会長が観覧席を出て行ったすぐ後に救急車のサイレンが聞こえてきた。 いくら何でも早すぎるだろ…… 専用回線でも持ってるんじゃないか?
「お兄ちゃん、藍さんおわったみたいだよ。 迎えに行こう! 」
藍の審査をずっと見ていた菜のはが袖を引っ張って知らせてくれる。 俺達は観客の間を縫って観覧席を後にし、すぐさま選手控室の前で藍を迎えた。
「藍さん! カッコ良かったです! 凄かったです! 」
感動を伝える菜のはに、藍は少し戸惑いながらもありがとうと答える。 少し額に汗が滲んでいたのは、脛の傷が痛むのかもしれない。
「お疲れ。 さあお嬢様、病院までの車を準備しておきましたよ 」
「なにそれ、気持ち悪いんだけど。 その前に着替えくらいさせてよ 」
二ノ宮会長が言えば目を輝かせたんだろうに…… やっぱり世の中は不公平だと思う。
「楠木さんの荷物は私が引き受けるわ。 大会の結果を聞いたらクリニックに向かうから、後で合流しましょう 」
そう言って控室から出てきたのは道着姿の吹石副会長だった。 何を着ても似合う人だな…… 思わず藍と見比べてしまった。
「吹石先輩に見惚れる気持ちは分かるけど、ウチと比べるな! 」
みぞおちに肘打ちをもらう。 吹石副会長のお言葉に甘えて荷物を託し、道着姿のまま藍を連れて救急車に同乗する。 何かあればと二ノ宮会長が連絡役を引き受けてくれて、俺達は救急車で二ノ宮クリニックへと向かった。
二ノ宮クリニックに搬送された藍はすぐに処置室に運ばれ、何十分もしないうちに戻ってきた。 傷口をすぐにテーピングで塞いだのが良かったらしく、出血ももうしていないと処置をしてくれた黒田医師から説明を受けた。
「あまり無理をしなければ傷跡もほとんど目立ちはしないでしょう。 2ヶ月ほどは、くれぐれも傷跡を引っ張らないようにして下さいね 」
「ありがとうございました。 何針か縫うのかと思ってましたから 」
「ハハハ、蒼仁君からできるだけ傷跡を目立たないようにと連絡を受けてましたからね。 少し治りは遅めですが縫合は止めておきました 」
イケメンは根回しがぬかりない…… と。
「もう帰っても大丈夫なんですか? 」
「はい、よろしいですよ 」
黒田医師の言葉に、俺達は揃って頭を下げて背を向けた。
「ああ、燈馬君には蒼仁君から伝言を預かっている運だけど 」
「は…… 会長から? 」
なんだか嫌な予感がする…… 顔が引きつっていたのか、黒田医師に警戒しないでくれと笑われてしまった。
「ちょっと付き合ってくれるかい? お二人にはロビーでちょっと待っててもらおうかな 」
黒田医師は俺の返事を待たずに廊下を奥へと歩き出した。 あまり気は進まないけど、二人に断って黒田医師の後に付いていく。 黒田医師が待っていたのはリハビリ室の前だった。 そっと中を覗くと、広々とした室内で楓が顔を歪めながら歩行訓練を行っている。
「あ! 」
バランスを失って膝から崩れた楓に思わず声を上げてしまった。 防音がしっかりしているのか楓は俺の声には気付かず、再び立ち上がって真っ直ぐ前を見て歩き始める。
「頑張っていますよ、彼女。 来月には星院東高校へ編入試験を受けに行くそうです 」
「編入…… ですか 」
ええ、と黒田医師は楓を見たまま微笑んでいた。
「蒼仁君を追いかけたいそうです。 中学校卒業までの在歴しかないので、一年生への編入になるかもしれませんが、それでもと言っていました 」
「それって、二ノ宮会長が焚きつけてません? 」
そうですねと黒田医師は苦笑いになる。
「蒼仁君の事だから色々な思惑で編入を勧めたんだとは思いますが、少なくても今の彼女の頑張る一番の原動力になっているのは確かです。 リハビリを始めてまだ一週間なのに凄い回復力ですよ、二年間寝たきりだったとは思えません 」
あれだけ二ノ宮会長に憧れてたんだ、頑張って二年分を取り戻してほしいと素直に思う。
「会っていきませんか? 彼女の口からも君の名前は聞いていますよ 」
「…… いや、止めておきます。 会うのなら、星院高校で会えばいい 」
俺は黒田医師に頭を下げて、来た廊下を引き返した。 俺が声を掛けなくたって、アイツはきっと頑張れると思う。 それだけアイツは根性あるし、俺はあくまで二ノ宮会長のおまけでしかないんだから。




