18話 お見舞いとお似合い
気が付いたら保健室のベッドの上で寝ていた。 胸元がなんだかスース―するし、柑橘系の爽やかな香水の微かな香りが近くでする。
「って、何やってんすか柚月先生!? 」
保健の柚月先生が俺のワイシャツの第二ボタンまでを開け、もぞもぞと何かをしていたのだ。
「危ないから動かないで 」
俺の額をガっと押さえて人差し指を唇に添え、ウインクをして微笑まれる。 いやいや、めっちゃ美人がこんな間近にいる意味がわかりませんって!
「ボタンが飛びかけてたから縫い付けてたのよ。 もう少しで終わるから大人しくしてて 」
「あの…… ボタンならワイシャツ脱いでからやりませんか? 普通 」
さっき阿笠に激しくユサユサされた時に取れたんだな…… ってそんな問題じゃない。
「脱がせても良かったんだけど、起きた時に上半身裸なのも色々問題があるでしょ? ハイ、終わり 」
まあそうですね。 手際良くボタンを直してくれた柚月先生にお礼を言って、急いでボタンを留める。
「ケンカでもしたの? 委員長の阿笠君が血相を変えてあなたを背負って飛び込んできた時にはびっくりしたわ 」
「いや、実は…… 」
俺は覚えている限りのことを柚月先生に話した。 ケラケラと笑う柚月先生に心配性ねと言われて恥ずかしくなる。
「ウチの生徒に何かあったら学校にも必ず連絡が入るものよ。 佐藤先生がホームルームで何も言わなかったのも悪いけど、今朝の交通事故に関してウチの生徒が怪我したなんて連絡は入っていないわ 」
「ですよね。 本人から風邪ひいたって連絡きました 」
「ウィルス性の風邪が流行っている訳でもないけれど…… 心配ならお見舞いにでも行ってあげたら? 」
「そうします。 ありがとうございました 」
俺はそそくさとベッドから出て保健室を後にする。 いい匂いがしたなぁ…… とは、他の人には言えないな。 柚月先生ファンに憑き殺されてしまいかねない。 二ノ宮ファミリーに関わるのは恐ろしい……
放課後、俺は佐伯と一緒に藍のお見舞いに行くことになった。 藍は心配ないから来るなと言っていたが、クラス総意で様子を見て来いと言われた手前、強引に押しかけることを伝えた。 好きにすればと呆れていた藍だったが、佐伯の顔を見れば元気が出るかもしれないし。 前に藍が好きだと聞いたことがあるクレープ屋に立ち寄り、イチゴがたっぷり入ったクレープを途中で買ってバスに乗る。 片道40分かけて通う藍は、徒歩で30分で通う俺には大変だなと素直に思った。
「ゴメンね、私が教室で大騒ぎしちゃったから…… 」
隣の席で申し訳なさそうに俺を見る佐伯は、俺が保健室から戻ってからずっとこの調子だった。 時折チラッと上目遣いで見てくる仕草がまた堪らなく可愛いんだけど、沈んでいる表情はあまり見たくはないものだ。
「アレは阿笠が悪いんだよ。 藍が好き過ぎてパニクるから 」
阿笠には悪いけど、元気付けようと少し暴露してみる。
「え? 阿笠君って藍が好きなの!? 」
食い付いた! っていうか、ここにも鈍感さんがいましたよ……
「入学当初からだよ? それでさ…… 」
バスに揺られながら他愛もない? 話で盛り上がる。 バスを降りて藍の自宅まで続いたその話題のおかげで、佐伯の表情はいつもの眩しい笑顔に変わっていた。
「いやー、メール見るのもツライ風邪なんて初めて経験したわ 」
ベッドから出て差し入れのクレープを頬張る藍は、玄関ドアを開けた時からもう元気だった。 藍は泣き出しそうな佐伯に叱られるも、軽く笑い飛ばしてクレープの箱に目を輝かせ、わざわざ飲み物まで用意してくれた。
「薬が効いてるからって調子に乗るなよ? 」
「分かってるわよ。 でも二人が来てくれたから元気になった。 ありがとね 」
ニコニコ顔でクレープを頬張る藍は、心なしか顔が赤いように見える。 どうせまだ熱が下がりきってないんだろうと思うと、自然と藍の額に手が伸びていた。
「ん? まだ7度5分くらいはあるけど平気だよ 」
大人しく俺の検温を受けていた藍だったが、ハッと何かに気付いてススっと後退る。
「…… なんだよ? 突然 」
「ううん、なんでもない 」
澄ました顔でクレープを口に運ぶ藍がちょっとよそよそしい。 なんなんだよ急に…… マズいことでもしたか?
「美味しい! これ選んでくれたの紫苑でしょ? 」
「え…… 私はチョコがいいかなって思ったんだけど、貝塚君がイチゴの方がいいんじゃないかって 」
「え…… ああそう…… ハハ…… ち、チョコが良かったかなぁ…… なんて 」
藍は佐伯に苦笑いし、突然俺を睨み付けた。 おいおい! 今まで旨そうに食べてたのは誰だよ!
「へいへい、今度はチョコを買ってきますよ。 っていうか藍、次は自分で買え! 」
えー! と藍が大袈裟に言うと、佐伯が笑い始める。
「それじゃ私達そろそろ帰るね。 あまり長居して風邪こじらしても嫌だし 」
「あ…… うん、ありがとう。 家まで来てくれて嬉しかった 」
玄関の外まで見送りに出ようとする藍に、ここでいいからと玄関の中に残らせる。
「明日も無理そうだったら、ちゃんと佐伯にメールするの忘れるなよ? 」
「今日はメール出来なかっただけよ! アンタもちゃんと紫苑を送っていかないとダメだよ? 」
そんなやり取りをして藍の家を出た。 バス停まで佐伯は無言だったけど、藍の顔を見て安心したのか笑顔になっていた。 すぐに帰りのバスが来て、俺達は唯一空いていた後ろの二人掛けの席に座った。
「思ったより元気そうで安心した。 皆にも大丈夫だったよって報告出来るね 」
俺の隣で佐伯はニコッと笑う。 ああ…… 幸せ! こんな間近で佐伯の笑顔が見れるなんて! 藍グッジョブ! 乗客の皆さんグッジョブ!
「なんか…… スゴいね貝塚君 」
「うぇ? 何が? 」
「私より藍の事を分かってるって感じちゃった 」
は? 何を仰ってるのかよく分かりませんが……
「そ、そんなことはないと思うけど 」
「いつの間にか名前で呼んでるし、藍もまんざらじゃなさそうだし 」
「いや! それはアイツが名前で呼べって言うから! 来るべき時の為の練習というか…… 」
お前を名前で呼ぶ為だよ、とはヘタレな俺には言えず。
「いきなりおでこ触って平然としてるのも仲が良くないと出来ないことだし 」
「ち、ちょっとあの…… 佐伯さん? 」
なんか話の流れがおかしくなってきたぞ。 うん! とひとつ頷いた佐伯は、降車ボタンを押して俺に微笑んだ。
「決めた! 私、貝塚君を応援するね! 」
…… え?
「何を応援する…… の? 」
「だって貝塚君と藍ってすごくお似合いなんだもの。 ずっと前からそう思ってたんだけど、今日で確信したの! 藍を任せられるのは君しかいないよ! 」
いやいや! 藍と仲がいいのは認めるけど、俺は君が好きで、藍もそれを知ってて色々相談にも乗ってくれてたわけで…… あれぇ?
「頑張ろうね貝塚君! 」
佐伯は満面の笑みでスッと席を立ち、『私ここで降りるから』とバスを降りていく。 バスに残った俺を見送って手を振っていた佐伯に無意識に手を上げ、遠ざかっていく佐伯をじっと見つめていた。
なんですと?
思考停止とは正にこの事だ。 俺は佐伯の言葉を飲み込むことができず、終点で運転手さんに声をかけられるまで固まってしまっていたのだった。




