12話 突入
なにやら頭が重いような気がする。 風邪でも引いたのだろうか…… いや違う、空気がどんよりと重たいのだ。 ふと目を開けるとまだ夜明け前。 暗がりの中、俺の部屋の白い天井が目に入った。 おもむろに勉強机の方に目を向ける。
「はう!! 」
椅子の上に体育座りをし、膝を深く抱えて暗闇の中に楓が佇んでいた。 顔には影が落ち、精気のない目で俺を見据えている。 大声で叫べば隣の部屋で寝ているさくらを起こしてしまう…… 口から漏れ出る恐怖を手で抑え込み、落ち着いて楓に話しかけた。
「何やってんだよお前は 」
「…… 許せないって言われちゃった…… アンタは悪いようにはしないって言ったのに…… 」
いや、そんなことを言われても。 あの、楓さん…… パンツ見えてますよ。
「フラれるのが目的だったんじゃないのかよ? 肝心な所で逃げたらどうしようもないじゃねーか 」
「分かってるわよ…… なんかもうどうでも良くなって来ちゃった…… 」
楓は力なくコテッと横に倒れ、そのまま宙をフヨフヨと漂い始める。 だから足を抱えてたらパンツ見えるって!
「どうでもよくねーよ。 俺は早くお前から解放されたいんだよ。 もういい加減体に戻れ、鳥栖楓さん 」
「…… やめてよ、鳥栖って呼ぶの 」
なんだ? 鳥栖家って何か問題あるのか? 聞いてみたいけど、なんだか聞いちゃいけないような気がする。
「…… どうでもいいけどよ、お前…… もう少し気を遣った方がいいぞ 」
そう言って俺は布団を被り直して楓に背を向ける。
「へ? 何? 」
全然分かってない…… 仕方ない。
「今日も白なんだな 」
「…… ぬぉわー! 早く言いなさいよバカー! 」
夜明け前から起こされて余計な一言を言った俺は、パンツがどうのこうの着替えがどうのこうのと楓に散々罵倒され続け、二度寝も出来ず結局寝不足のまま家を出ることになった。
「なんでついてくるんだよ 」
「別にいいじゃない。 アンタしか見えてないんだし、あたしがどこに行こうか勝手でしょ? 」
へーへ―そーですね。 相変わらずつかず離れずの距離をフヨフヨとついて来る楓。
「ところでこんな朝早くからどこに向かってるのよ? 」
「どこでもいいだろ? 俺がどこに行こうと勝手だろ 」
楓は俺の目の前に回り込んできてフグのように頬を膨らませた。 まぁこれはこれで可愛いんだけど…… ちょっと意地悪だったか。
「二ノ宮会長と待ち合わせしてるんだよ 」
「え!? 」
楓の表情がぱあっと明るくなる。
「お前の本体がどこにいるのか分かったって 」
「え!? 」
途端に青い顔になって楓は固まってしまった。
「なんだよ? 帰る場所が分からなくて体に戻れないんじゃなかったのかよ? 」
「そんなこと一言も言ってないわ! やめて! それだけはダメ!! 」
楓は俺の目の前に立って両手を広げ進路を妨害する。 なんだ? いつもの焦り方と様子が違うぞ?
「なんでダメなんだよ? 体に戻れれば一件落着じゃないか 」
「とにかくダメ! 絶対ダメ! 蒼仁先輩にも行かないでって言って!! 」
ダメだ、と俺は楓の体をすり抜けて進む。 どんな理由があるにしても生きているんなら幽体のままいるべきじゃない。
「ダメ―! 」
楓は無視して歩き続ける俺の周りを飛び回り、ついには俺の体を乗っ取って逆方向に走り出した。 なにしてくれんだよ!
「きゃあ! 」
ふん! と気合いを入れて楓を体から追い出す。 なんだ、案外簡単に追い出せるんじゃねーか。
「いきなり突き飛ばすなんてひどいじゃない! 」
「お前が勝手に入ってくるからじゃねーか! 」
公衆の面前だというのを忘れて怒鳴ってしまった。 通行人の視線を一斉に浴び、すいませんと一言謝って足早にその場を立ち去る。 チラッと後ろを見ると、楓も律儀に謝っている。 すれ違う通行人にぶつかりそうになっては慌てて避け、わざわざ縫うように俺の後を追いかけてきていた。 すり抜ければいいだろうに…… やっぱり人間臭さが抜けないんだろうな。
駅前に到着した時には、既に二ノ宮会長は入口横の柱にもたれ掛かってスマホを構えていた。 俺が軽く会釈をすると、軽く手を上げて早々に通話を終わらせてくれる。
「おはよう燈馬。 そこに車を待たせてあるんだ、早速行こうか 」
爽やかな笑顔を残して二ノ宮会長は駅前のロータリーに歩いていく。
「は、はい! 」
イケメンは朝からなんかカッコいいな。 真っ赤な顔で見とれている楓には構わず、二ノ宮会長の後を追いかけた。 運転手付きの黒塗りの高級車に乗り込み、シートベルトをと促される。
「楓君は? 」
「真っ赤な顔で会長の隣に座ってますけど 」
後部座席の真ん中で俺と会長に挟まれて座った楓は、カチコチに固まって会長の顔さえ見れずにいるらしい。 っていうか、車にはフツーに乗れるんだな。
「ちょうど良かった。 楓君、もう逃げないでほしい 」
走り出した車の中で、楓はビクッと体を震わせていた。
「燈馬から聞いているかもしれないけど、僕はこれから君の体に会いに行こうと思っている。 それに対して異議は許さないし、君が泣こうが喚こうが僕はやめない 」
初めて楓が会長の顔を見た。 後ろ姿しか見えないが、きっと悲痛な顔で会長を見てるんだろう。 無言のままじっと動かない楓から、サヨナラを告げられる彼女みたいなドン底の重たい雰囲気が漂っている。
「僕はね、本当の君に告白されたいんだ。 だけどその気持ちには応えられない…… 僕には心に決めた女性がいるからね 」
「うぇ!? そうなんですか会長! 」
「おや、燈馬は嫉妬してくれるのかい? 」
嫉妬も何もないでしょ……
「燈馬を通さず君の声で、君の本来の顔で、君の気持ちを聞かせて欲しい。 僕は誠心誠意その気持ちに答えよう 」
「…… はい…… 」
楓はそれっきり俯いたままになってしまった。 どうしてそんなに自分の体に戻りたくないのか、俺にはさっぱり分からない。 幽体離脱するきっかけになったのは恐らく二年前の事故だろう。 まさかずっと集中治療室から出られないほど肉体の損傷が酷いとか、脳死状態で寝たきりとか。 あるいは肉体はもう……
「着いたよ 」
会長はシートベルトを外してドアを開ける。 車を降りた先は普通の一軒家だった。
「あれ…… フェニックス製薬の経営者の分家だって言うから豪邸だと思ってたけど 」
「先入観で物事を見てはいけないよ? 大企業の社長のお宅でも借家アパートの方だっているんだから 」
会長に優しく怒られてしまった。
「さあ、行こうか 」
会長はインターホンを押して名前を告げる。 ややしばらくして玄関を開けたのは、楓にそっくりなお姉さんだった。




