理想
「それでさ、あっさり帰っちゃうんだよ。どう思う涼?」
「う~ん、葵のことだから普通に遠慮したんじゃない。言われたら従うようなとこあるし、」
「それでもさ、待ってようかって一言あってもいいじゃん?」
駅近のカフェ、今日も私は涼に話をきいてもらっていた。
七瀬君はクラス委員の集まりがあると言うと、あっさり帰ってしまったから、今日は一緒に帰ることはできない。
「それより汀。葵が今日はちょっと変だったけど、何かあった?」
そう聞いてきた涼はいつも通りなのに、どこか視線が鋭く感じた。
「別に何もなかったけど、今日は確かにいつもより頑張ってたよね。張り切ってたんじゃないかな。」
「…ふ~ん、そっか。」
「涼?」
「いや、まぁせっかくできた彼氏でしょ。大切にしなよ。」
「はは、わかってるって!」
まぁそれも七瀬君の態度しだいだけどね。
涼と別れて家に帰り、しばらく時間が立ってから減点のメッセージを七瀬君に送る。七瀬君は今日は先に帰っている。きっと今まで私からのメッセージがいつ来るのかをずっと気にしていたはずだ。他の何も手につかず、私のことだけを考えていたはずだ。
減点のメッセージを送って少しすると、彼からメッセージが帰ってきた。
「本当に申し訳ないです。満足なんてせずに頑張ります。なので、今日ダメだったところを教えてください。よろしくお願いします。」
ゾクゾクっと身体がむずがゆい感覚に包まれる。
きっと七瀬君は今、家で落ち込んでいるだろう。今日はあんなに頑張ったのに、それでも今日も減点されるのかと。かわいそうにね。
それでも、私にこうしてお願いしてくる。私に縋りついてくる。
彼は必死なのだ。私なしではいられないのだ。私という存在から離れたくないから、だったら、もっと必死になりなさい。
私はすぐに減点箇所を送ってあげた。これで七瀬君は明日も頑張れるだろう。
次の日、目覚めはいつもよりよかった。
学校に行くのが楽しみだ。別に付き合い始めたからではない、七瀬君がどう変わっていくのか、それをみるのが楽しみなのだ。私はいつものように学校に向かう。
電車に乗っているとスマホが振動する。確認すると画面には「七瀬葵」の表示。
すぐに確認すると「おはよう!もしできたら一緒に登校したいなって思いました。大丈夫なら駅まで迎えに行きます!連絡待ってます。」とメッセージが入っていた。昨日の減点を受けてしっかりと行動してきている。やっぱり私の影響力は絶大だ。私は満足して返信を返す。これなら一緒に登校してあげてもいいと思った。
学校の最寄り駅につくと、連絡通りに七瀬君が改札前で私を待っていた。私を見つけると笑顔で手を振って来る七瀬君。まるで本当に犬みたいだ。
「おはよう織江さん!」
「おはよう、七瀬君。朝から気合入ってるね。」
「もちろん、織江さんに早く会いたかったから!」
「ふふ、ありがと。 じゃ行こっか。」
私は思わず、笑ってしまう。これなら今日こそは私を満足させてくれるだろう。
そう思って七瀬君をみると、何か考え込んでいるようだった。
「? どうかした?」
「なんでもないよ、大丈夫。」
そう言ってすぐに笑顔に戻る七瀬くん。きっと今日のこの後のことでも考えていたのだろう。私を失望させないように頑張ってほしいものだ。
そう考えていた私を裏切ることなく、七瀬君は学校でもしっかりと行動していた。
授業では昨日よりも積極的に全ての質問に挙手をしていたし、休み時間になればいち早く私のもとにやってきた。私に用事があればしっかり勉強して待っているようだし、他の女に話しかけられても、頷くくらいですぐに離れていく。私に減点されたところは徹底して気をつけているようだ。常に私を意識して、もう私から減点されないように。
午前の授業を終えて昼休みになると昨日よりも早く教室を出ていく、席を確保したというメッセージもすぐに届き私が後からゆっくりと向かうと学食の中でも人気の窓際の眺めがいい席に七瀬君はポツンと座っていた。周りではいつもこの辺りを占領している上級生たちが彼をじろじろと不躾に見えている。
少し気に入らなかった。私は周りの上級生たちを見る。私が見ていることに気が付くと上級生たちは散り散りに他の席に座りにいった。
「凄い!ここの席眺めが良くて、すぐに埋まっちゃうから滅多に座れないんだよ。よく取れたね。」
「えへへ、さ、注文しに行こう!」
私に褒められて笑顔になる七瀬君。私も彼の行動に満足していた。
午後一番の授業は体育で、男女ともにマラソンだった。マラソンと言ってもトラックの周回だ。ただの体育の授業、それも疲れるマラソンに真面目に取り組む生徒は少ない。大抵はダルくて流しながら走る生徒がほとんどだ。そんな中でも必死に走り続ける七瀬君の姿が見えた。周りとは明らかに違い必死に汗を流して走っている。それでも特に早くはないが真剣に取り組む姿勢は伝わってきた。
よほど疲れたのだろう。走り終わった後はしばらく座り込んで動けないようだった。しょうがなく声をかけに行こうとすると、近くで話をしている男子の声が聞こえた。
「七瀬の奴、必死すぎて笑えるな。」
「あぁ、委員長にいいところ見せたいのがまるわかりだ。」
「でもあれじゃ、ダサいだろ。汗だくでへたり込んでよ。」
「まぁどうせ委員長も本気じゃないだろ。七瀬もわかってて捨てられないように必死なんだろうよ。」
「けど、無駄だろうな。」
そう言って笑っている二人の男子を見る。
私の視線に気付いた二人は、何でか知らないが、急に青ざめた表情になり、慌てふためいてその場から逃げて行った。
どうしたのだろうか、私はただ見ただけなのに?
まぁ多少視線はきつかったかもしれない。自分たちも何の価値もない存在なのに人を馬鹿にする権利はないと思ったから。
とりあえず七瀬君のもとに行こうとすると、彼はもう回復したようで急いで着替えに戻って行った。きっと身だしなみを整えて私のところにくるのだろう。いい心がけだ。
今日の七瀬君は常に私を意識して、完璧に減点箇所を気をつけながら生活できていた。それに私も満足して、ついついいつもよりはテンションが高めになってしまう。最後の授業では少し前に行った小テストの返却があった。七瀬君はどうだったのだろうか、特に何も意図はなく単に気になった私は授業が終わるとすぐに聞きにいってみた。
「七瀬君はどうだった?」
「恥ずかしいことだけど、60点しか取れなかったよ。」
そう言って答案用紙を見せる七瀬君は震えていた。
あぁ、その表情がいい。きっと減点されると思い、親に怒られる子供のように震えているのだろう。それを考えると、私も何故か身体が震えてむずがゆい感覚に包まれた。
「平均って感じだね。次頑張ろうよ。」
「うん、ありがとう。」
優しい言葉をかけても七瀬君は安心した様子はなく、気を引き締めているようで、しっかりと立場を自覚できていた。あとは帰りだけど、
「そうだ七瀬君。私、今日もクラス委員の集まりがあってね。今日のはかなり時間がかかりそうなんだ。だから帰ってていいよ。」
私は昨日のように先に帰っているように切り出した。
「そうなんだね。やっぱり大変だね。でも僕も今日は残って勉強するから終わるまで待ってるよ。」
「え、いいの?けっこう遅くなるよ?」
「うん、それでも織江さんと一緒に帰りたいから!」
「そっか、無理はしないでね。」
七瀬君の返答を聞き、満足して教室を出る。昨日とは違い今日は本当にクラス委員の集まりがある。終わるのはかなり時間がかかるだろう。それまでしっかりと彼が待っていられるかどうか、そこが今日最後の評価のポイントだ。
クラス委員の集まりが終わった頃には、下校時間ギリギリになっていた。流石にこんな時間まで残っている生徒は熱心に部活動に取り組んでいる人たちだけだ。予想より会議が長引きなかなか終わらないことに、少しイライラしてきた頃にようやく会議は終了した。私はすぐにスマホを開くが七瀬君からはメッセージは入っていない。
流石に帰っているだろうと思ったけど、まさか…
帰る前に一度教室による。教室には自分の席に座り勉強を続ける七瀬君がいた。
こんな時間まで律儀に私を待っていたようだ。
それでいい。
「お待たせ七瀬君。こんな時間までよく待ってたね。」
「織江さん!お疲れさま!」
そう言って笑う七瀬君を見ていると、何故か先ほどまでのイライラがなくなっていくような気がした。