2
次にじいちゃんに会いに行ったとき、じいちゃんは杖をついていた。確かに歩く速さは遅くなっている。じいちゃんは本当にカタツムリになろうとしているんだ。
じいちゃんと居間でお菓子を食べながら、テレビを観ているとじいちゃんはお茶のおかわりが欲しかったみたいで、ばあちゃんに空の湯呑みを無言で突き出していた。
はいはい。ばあちゃんはすぐに台所へたった。それを見計らいながらじいちゃんは口を開いた。
「今は、カタツムリの特訓中や。誰かに言うたらあかんぞ」
じいちゃんはイタズラをしているみたいに楽しそうに見えたから。ぼくだって同じ顔で頷いた。そういえば腰も前よりも曲がっていて丸くなったように見える。
少し違和感があって変に思ったことは、じいちゃんがカタツムリになると決意した日から、じいちゃんはよく喋るようになった。じいちゃんが元気に喋っていると、ぼくも楽しいからいいのだけれど。じいちゃんがカタツムリになりたいのであれば、どちらかというと喋らない方がいいのではないかと思う。それでもぼくは、じいちゃんが楽しそうなのは嬉しいから、それは言わないままでいた。
今日もいつものようにじいちゃんの家に遊びに行った。いつものようにばあちゃんが出迎えてくれた。
「リョウタくんか。よう来たよう来た。じいちゃんのとこ行ったってくれ」
そう言われてばあちゃんについて行くと、そこはぼくが一度も入ったことのなかったじいちゃんの寝室だった。
じいちゃんはどうやらもう歩くことも簡単にできなくなってしまったようだ。
それでもぼくが来たことに気づいたようでじいちゃんは上半身を起こして、おう。と元気に右手を上げた。
「リョウタにお菓子出したげてやりや」
そう言ってばあちゃんを部屋から出すと、じいちゃんはやっぱりカタツムリの話を始める。
「じいちゃんな。とうとう歩けんようになってしまったわ。カタツムリになるまでもう少しやな」
じいちゃんは歩けなくなったというのに、なんだかウキウキしているように見えた。じいちゃんと一緒に銭湯に行ったり外に出歩くことができないのは寂しいけど、じいちゃんがカタツムリになろうとしているのを応援しようと思った。
「カタツムリになるのしんどくないん?」
「なんでしんどいんや。わしはこの通りや、げんきげんき」
じいちゃんは右手でガッツポーズした。
どんどん身体が動かなくなっていくのに、じいちゃんはどんどんおしゃべりになっていく。
「じいちゃんはもうちょっとでカタツムリやね。がんばれ」
「そうや。まかしとけ」
ばあちゃんがお茶とお菓子を持って寝室に入ってきたので、カタツムリの話はそこで終わった。
ちょっとした事件が起きた。
じいちゃんは動かない足を引きずりながら手だけを使って近所のコンビニまで買い物にきた。ぼくはじいちゃんの家に行く途中に立ち寄ったそのコンビニで、そこの店員さんや他のお客さんに囲まれているじいちゃんを見つけた。
こんなところにじいちゃんがいるなんて。とてもビックリしたぼくはしばらく声すら出せないでコンビニの入り口で立ち尽くしていた。
店員さんや他のお客さんがしきりに声をかけている。
「どこから来られたんですか? おばあちゃん」
「ご家族は一緒じゃないの? 今、奥さんはどこにいるんですか?」
じいちゃんは何人もの人からの質問に、まるで本物のカタツムリみたいに小さくなっている。
そして他の人から見れば、じいちゃんはもう、男か女かわからなくなってきているみたいだ。
「じいちゃん。どうしたんこんなとこで」
ぼくがそう声をかけたことで、周りの人たちは、じいちゃんが男であることを知ったみたいだ。
「おう、リョウタ。いやあな、タバコが切れてしもうたんや」
店員さんが裏から持ってきたパイプのイスに座らされながらじいちゃんはぼくにそう答えた。
「ばあちゃんに頼めばよかったんに」
「あいつはほれ、タバコはいかんっていうからなあ。それにばあちゃんは、そろそろわしがじいちゃんやってことがわからんくなってきとるみたいやからな」
まさか、ばあちゃんまでじいちゃんが男なのか女なのかわからなくなったというのか、それはあんまり信じたくなかった。
ぼくはじいちゃんをコンビニに一旦残してじいちゃんの家へ行きばあちゃんと一緒に車椅子を持ってきた。
「まあまあ、本当にすみませんご迷惑をかけてしもうて」
ばあちゃんはそこにいた店員さんや他のお客さんにたくさん謝っていた。
「ほんなら帰りましょうか、キョウさん」
ぼくはまた、とても驚いた。ばあちゃんはじいちゃんのことを、もうおじいさんと呼ばなくなっていた。じいちゃんの名前はキョウジ。ばあちゃんがじいちゃんを名前で呼んでいるのを見るのは初めてだった。
みんな泣いていた。
黒い服の人たちとたくさんのお花、お線香の匂い、そして真ん中にじいちゃんの写真。
「どうしたん?」
ぼくが訊くと、ママはぼくの目線に合わせるようにしゃがんで言った。
「天国に行ったんや。もうおらん」
ぼくは、違う。と首を振った。するとママは、違くない。とぼくよりも大きくゆっくりと首を振った。ぼくはもう一度、違う。と返した。
「じいちゃんは死んでないわ。じいちゃんはカタツムリになったんや」
大きな大人の人たちの目線が一気にぼくの方に振り下ろされた。少し怖いと思ったがぼくは勇気を出して続けた。
「だってぼく見とったもん。じいちゃんがいつも練習しとったの。カタツムリになるために練習しとったんや。そんで、じいちゃんはやっとカタツムリになれたんや。せっかくカタツムリになれたんや、だから泣かんといてや!」
ママはぼくを抑えつけて叱った。周りの大人たちに謝っていた。
でもぼくは何も間違ったことなんて言うてない。せっかくじいちゃんがカタツムリになれたんに泣くのなんて、じいちゃんが可哀想や。
じいちゃんはオスのカタツムリになったんや。ぼくが泣いていたのはじいちゃんがいなくなったからじゃない。みんながぼくの言うことを聞いてくれんからや。
ぼくはカタツムリを見つけると、必ず手にとってオスかメスか調べてみる。どんなのがオスなのかはわからないけれど、隅々まで調べる。
ぼくはじいちゃんがオスだと知っていたから、だからカタツムリのオスを見つけることができたとき、それはきっとじいちゃんだ。
お読みいただきありがとうございます。




