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ぼくはじいちゃんが大好きだ。
じいちゃんとは、一緒に住んでいるわけではないけれどすごく近いところにじいちゃんの家があるから、ぼくもよく遊びに行ったりする。
ぼくはばあちゃんも大好きだ。
今日もじいちゃんの家に遊びに行くとまずお昼はばあちゃんと遊ぶ。ばあちゃんが作ってくれるおにぎりは、柔らかくて本当にうまいし、昔っぽい駄菓子だけどお菓子もたくさん棚に入っている。
大きな畳の部屋でボール遊びをする。真ん中の襖を全部閉じて、上の何も貼っていないランマを通してキャッチボールをする。
どこからボールがやってくるのかわからないので、スリル満点ですごく楽しい。
夕方になってじいちゃんが仕事から帰ってくるとぼくは、おかえりー。と玄関へ走っていく。
「おお、来とったんか。ほんならいくか」
じいちゃんはばあちゃんと違ってあんまりたくさん笑わないけど、いつもこの時はじいちゃんは笑っている気がする。
「うん! 行く」
だからぼくもじいちゃんに負けない笑顔でそう返す。
じいちゃんは帰ってきたばっかりなのに、家にも上がらずに、ぼくにズックを履かせてくれる。
ばあちゃんはじいちゃんのことを何でもわかっていて、着替えやタオルの入ったカバンをもう用意していて、それをじいちゃんに渡した。
「いってらっしゃいな」
そう言ってばあちゃんが出してきた手のひらにぼくはハイタッチする。
ここの番台のおばちゃんとはもう顔見知りだ。
「いらっしゃい。あれま、また大きくなったんじゃないけ」
ぼくを見る番台のおばちゃんにぼくはピースサインをした。
大きなお風呂の中でぼくはじいちゃんとたくさん話をする。と言ってもじいちゃんはそんなに喋る人じゃないから、ぼくの話をたくさんする。
描いた絵が先生に褒められたこととか、自分の名前を漢字だけで書くことができるようになったこととか、友だちとのかくれんぼで一回も見つからなかったこととか。
じいちゃんは無表情でウンウンとうなずくけど、ぼくはじいちゃんは心の中で笑っていることを知っているから、ぼくも楽しくなった。
ずっと話しながら大浴場に入っていると、我慢ができない、まだまだ子どもなぼくは熱くなって湯船から上がってしまう。ずっと肩まで浸かって動かないじいちゃんに、水風呂行ってきていい? と断りを入れる。
スッキリして帰ってきたぼくは、またじいちゃんの横に座る。お尻を付けると溺れてしまうので正座で座る。
今度は何の話を聞いてもらおうかなと考えていたら、じいちゃんが先に口を開いた。
「おまえー。あれ知っとるやろ。ほれ、カタツムリ」
「うん、知っとるよ。カタツムリ」
「あいつらはな、オスもメスもない生き物なんやぞ」
「どういうことや?」
「わしとおまえは男やろ。そんでお母さんとばあちゃんは女や。わしらとばあちゃんらは性別が違う」
何でそんな当たり前のことを言うのだろうと不思議に思いながらも、ぼくは頷いた。
「そやけどな、カタツムリにはその違いがないんや」
「カタツムリはみんな男ってこと? それとも女?」
「どっちも違う。男でも女でもないんや」
ぼくにとってそれは信じられないことだった。そんなことが本当にありえるのだろうかと疑った。
「でもそうしたら、カタツムリの子どものお父さんとお母さんはどうなるん?」
「リョウタ。おまえ賢い質問するやんけ」
ぼくはわからなかったのに、じいちゃんはぼくの名前を呼んで頭をガシガシと撫でて褒めた。賢い質問ということはぼくは賢いのだろう。ちょっとだけ照れて、へへっ、と歯を見せて笑った。
「カタツムリのお父さんとお母さんはな。その子供が生まれる前に決まるんや」
「何やそれ、わからん。どういうことや」
「そうやな。まず、カタツムリはどんな生き物や?」
さっきまで賢いってぼくのことを褒めていたのに、じいちゃんは子どもにするみたいな質問をしてきた。
「背中に硬い渦巻きの家持ってて、目が飛び出てて、動くのがすごく遅いやつ」
「そうや、動くのが遅いんや。そやからな、一匹のカタツムリが自分以外のもう一匹のカタツムリと出会うのにはものすごく時間がいるんや」
確かに、あんなに小さくてノロマだから、たくさん動くことはできないだろう。
「例えばな、そのカタツムリがオスやったとして、一生かけて一度だけ出会えた自分以外のカタツムリもオスやったら、二匹ともお父さんになってしまうから、それやと子どもできんやろ?」
子どもはどこからやってくるのか、僕はそういったことはまだわからないけれど、子どもに対してお父さんとお母さんがいることはちゃんと理解していた。
じいちゃんは続ける。
「そやからカタツムリにはそもそもオスもメスもないんや。そして二匹が出会ったとき、初めて片方がオスに、もう片方がメスになるんや。そこで子どもが生まれる」
「すげえ。カタツムリは自分を男にも女にもできるやんか」
「そういうことや。やからカタツムリはな、わしら人間よりもすごいんや」
「え、そうなん? カタツムリ弱いけど」
「力は弱い。けどカタツムリの方がすごいんや」
ぼくはじいちゃんの言ったことがどうも納得できなかった。だってカタツムリは人間よりも小さいし、遅いし、すぐに殺せそうだ。
それでもじいちゃんはカタツムリはすごいという。そこまで言われると、じいちゃんがそう言うなら本当にそうなのかもしれないと思えてきた。
「ほんでな。じいちゃんはそろそろ人間をやめよう思っとるんや」
「なんやそれ?」
じいちゃんは滅多に冗談を言う人じゃないし、ちゃんと真剣な顔をしていたから本当にそうするつもりなのだろう。
「じいちゃんな、カタツムリになるわ」
ビックリした。じいちゃんはカタツムリになりたかったんだ。
「ほんとに?」
「ほんとや。じいちゃんはカタツムリになるんや」
「すごいやん。カタツムリって人間よりすごいんやったら。じいちゃんのそれって、進化やん」
「そうやな。じいちゃんカタツムリに進化するってことやな。お前は本当に賢いのお」
じいちゃんはガシガシと僕の頭を搔き撫でた。
「やからなリョウタ。もうお前とは銭湯には来れんのや」
「え。なんでなん」
「当たり前や。じいちゃんはこれからゆっくりカタツムリになっていくんやもんな。男湯にも女湯にも入れん」
それは納得できるようでできなかった。じいちゃんがカタツムリになってしまえば、もう一緒に銭湯に来れんくなってしまう。
「いやや。そんなんいやや」
「あんなあ。じいちゃんはお前がもう子どもやないと思ったから言うたんやぞ。もう立派な男やお前は」
そんなふうに言われてしまうとぼくはじいちゃんの期待を裏切ることはできない。ぼくは黙って頷いた。