逆さ虹の森から消えたイタチの話
クマは崖の下の洞穴に住んでいました。
季節はもう秋、そろそろ冬眠の準備をしなければいけないのですが、クマは朝が苦手なので遅い時間まで寝ていました。
そこにやってきたのはイタチ。寝ているクマをつつきます。
「よう、クマ君! 今日も寝てるのかい?」
「僕は眠いんだよ、放っておいてくれよ……」
クマはそれだけ言って目を閉じます。
しかし、二度寝に入ろうとしたクマの鼻を異臭が襲いました。
「ううん? なんか、臭い……」
クマが目を開けると、目の前で何か焚火のような物が燃えていました。
何を燃やしているのか、生ごみのような酷い匂いが漂ってきます。
「イタチ君、それ何?」
「これかい? これは先祖の霊の救済を嘆願するお香だよ」
「せ、先祖の霊? 救済? 何の事?」
クマが困惑していると、イタチはニヤニヤと変な笑いを浮かべながら説明します。
「君の先祖の魂は、生前犯した悪行が原因で地獄の責め苦を負っているんだ」
「悪行? 僕の先祖は何か悪い事したの? してないと思うけど……」
「してるんだよ! 君が知らないだけさ。あの世ではバレバレなんだよ」
「……そうなの?」
「だからこのお香を焚いて、その罰を軽くしてもらうように頼むんだ。これは君のためでもあるんだよ」
「なんで?」
クマには、イタチが何をどうしたいのかよくわかりません。ただ、迷惑だから他所でやってほしいなぁ、と思っていました。
「あのね、ここは僕が住んでいる穴なんだ。そういうのは、別の場所でやってくれないかな」
「何を言ってるんだい。森はみんなの物だよ。みんなで譲り合って生きていかなければいけないんだ」
「そういうことじゃなくて……ここでその煙を出すのをやめてほしいんだけど」
「でも君だって、誰かに許可を取ってその洞穴に住んでいるわけじゃないだろ?」
「それはそうだけど……」
もしかすると、イタチはクマを追い出すためにこんな事をしているのでしょうか?
今年は、ここで冬眠はできないかもしれないとクマは思いました。
しかし、今から新しい冬眠場所を探すのはちょっと遅すぎるかもしれません。
「どうしよう……」
クマは困り果ててしまいました。
クマは森の中をとぼとぼと歩きます。
するとキツネと出会いました。
「おや、クマ君、こんにちは。元気がないけどどうしたんだい?」
「キツネさん。実は……」
クマは、イタチの事をキツネに話しました。
「それは、ちょっとよくないね。私が話してみよう」
キツネはイタチの所に行きました。
「イタチ君。クマ君から聞いたんだけど……わけのわからない儀式をしてるんだって?」
「何もしてないよ。クマ君は嘘をついているのさ」
「そうかなぁ……。まあ、なんでもいいけど、あんまり変な事をしたらダメだよ」
「わかったわかった。自重するよ」
イタチは意地の悪い笑みを浮かべて、去っていきました。
それから数日後の朝。
クマの巣穴に、またイタチがやって来ました。
今度は、後ろにライオンがいます。
「やあ、クマ君。おはよう」
「い、イタチ君? また来たの? えっと、それは誰? と、友達?」
「ようクマの小僧。ハチミツよこせよ」
ライオンはクマの巣穴にずかずか入ってくるとクマをげしげしと小突きます。
「えっ、ダメだよ。これは冬の蓄えだよ」
「知らねぇよ、俺がよこせって言ってるんだよ」
「そんなぁ……」
そこにキツネが通りかかりました。
「イタチ君、変なことをしたらいけないって……うげっ」
キツネはライオンの姿を見ると露骨におびえだしました。
逆に、ライオンはキツネに舌なめずりしながら近づきます。
「おお、おまえ、キツネじゃないか。最近サバンナで見かけないと思ったら、こんな所に居やがったのか」
「ら、ライオンさん……」
キツネは一歩一歩後ろに下がります。しかしライオンは、その倍の歩幅で近寄っていきます。
「あっ、ダメ。キツネさん、逃げて!」
クマが叫ぶまでもなく、キツネは脱兎のごとく逃げ出しました。
ライオンはしばらく追いかけていきましたが、すぐに戻ってきました。
「森の中ってのは邪魔なものが多くて走りづらいな。まあいいや、ハチミツよこせよ」
「は、ハチミツです……」
クマはライオンにハチミツを差し出すと、その場から逃げ出しました。
クマはトボトボと森の中を歩いて、気が付くとドングリ池のほとりに来ていました。
「ああ、これからどうしよう……」
クマは途中で拾ったドングリを池に投げ込みました。
この池にドングリを投げ込んで願い事をすると、叶うという噂を聞いた事があります。
「なんとかして、イタチ君にあんなことをやめさせてください」
とりあえず、お願いしてみました。
しかし、本当に叶うのでしょうか?
もっと沢山ドングリを投げ込んでみようかな、とクマが思っていると、上の方から歌うような声が聞こえました。
「ドングリ、ドングリ……投げるなら私にちょーだい」
「あ、ごめんよ。ドングリはさっきの一個しか持ってないんだ」
「……ガッカリ」
コマドリは肩を落として、名残惜しそうに池の中を覗き込みます
クマはコマドリを慰めます。
「ドングリだったら西の森にいっぱいあると思うよ。取りに行こうか」
クマとコマドリは西の森にやって来ました。
カシの木が立ち並ぶ薄暗い森です。
お化けが出そうなので、本当はクマはここに来たくありませんでした。
「ドングリ、ドングリ、いっぱい、いっぱい」
コマドリは楽しそうに歌いながら、ドングリをついばんでいます。
まあ、よかったのかな、とクマが思っていると、その頭めがけて、木の上から何かが落ちてきました。
「それぇ!」
「うわぁっ!」
クマは驚いて飛び上がります。
落ちてきたのはリスでした。
「り、リス君? 何するんだよ……」
「おいおい、ここは俺っちの縄張りだぜ。つまりここのドングリ、ぜーんぶ俺っちの物。クマ君もそれは知ってるよな?」
「知ってるけど、少しぐらいいいだろ? 拾いきれないぐらいあるんだし。それに君は埋めたドングリの事なんか、すぐ忘れちゃうんだから……」
「まあそうかも知れんが……」
リスは納得がいかないように小石を蹴っ飛ばすと、ドングリを拾い始めました。
クマも、いくつかドングリを拾います。
コマドリは、ドングリを飲み込むと、クマの方をじっと見つめます。
「それで? イタチのことを、お願いするの?」
「う、うん……」
そのつもりでここまでドングリを拾いに来たのですが、よく考えてみると無意味のような気もします。
「イタチがどうかしたのかい?」
リスが首を突っ込んできたので、クマは何があったかを話しました。
話を聞き終えたリスは、首をかしげます。
「へぇ、それは穏やかじゃないなぁ。俺っちがちょっと脅かして、森から追い出してやろうか」
「だ、大丈夫かなぁ……イタチ君は、今ライオンといっしょだよ? キツネさんも追い払われちゃったんだ。危なくない?」
「うーん? ライオンってのは森じゃ見た事がない生き物だな。そいつは木に登れるのか?」
「わからないけど、たぶん登れると思う」
「そっか……木登りが苦手なやつなら、俺っちの敵じゃなかったんだけどなぁ……」
ふと、リスはコマドリの方を見ます。
「いや、待てよ? いくらライオンでも空は飛べないよな?」
クマから奪った巣穴でイタチとライオンがハチミツをなめていると、木々の間からコマドリの声が聞こえてきました。
「イタチ、イタチ、イタチは弱虫。ライオンがいないと何もできない」
それを聞いたライオンはイタチを笑います。
「ははは、全くその通りだな。おまえは俺がいないとなにもできないもんな」
イタチはムッとしたけれど、黙っていました。
コマドリはまた歌います。
「ライオン、ライオン、ライオンはアホ面、弱虫イタチの言いなり、言いなり」
「なんだと?」
ライオンは跳ね起きて、コマドリの方をにらみつけます。
「弱虫のイタチの言いなり、弱虫のライオン、弱虫、弱虫」
コマドリは歌いながら森の中を飛んでいきます。
「取り消せよ!」
ライオンはコマドリを追いかけて森の中を走っていきます。
しかし、おんぼろ橋の近くで見失ってしまいました。
「あの鳥、この川の向こうに行ったのか?」
ライオンが辺りを見回すと、川の向こうでリスが飛び跳ねながら手を振っていました。
「よう、弱虫のイタチと仲がいい弱虫のライオン君じゃないか」
ライオンはリスを睨みつけます。
「あの鳥はおまえの差し金か!」
「なんのことなんか知らないけど、こっちにおいで、君が弱虫じゃないって言うならね」
「なんだと? すぐに行って頭から食い殺してやる!」
ライオンはつり橋に乗り出しました。
しかし、それがリスの仕掛けた罠でした。
ライオンがつり橋のちょうど真ん中まで渡った時、ブチッ、という音と共に、つり橋を支えていた縄が切れてしまいました。
あらかじめ、リスが縄をかじって弱くしておいたのです。
「あっ! うわっ? うわあっ!」
ライオンは必死に縄をよじ登ろうとしたけれど、それも切れて、とうとう川に落ちてしまいました。
「くそぅっ、こうなるとわかっていたら……、サバンナから出るんじゃなかった……」
ライオンは川に流されて、溺れて死んでしまいました。
「ライオンは死んだ、ライオンは死んだ」
コマドリは歌いながらイタチの頭の上を飛び回ります。
「ま、まずい、この後どうしよう……とりあえずクマ君が戻ってくる前に逃げないと……」
イタチは慌てて逃げ出します。
しかし、根っこ広場まで来た時、キツネと鉢合わせしてしまいました。
「イタチ君……」
「き、キツネさん」
「あなた、クマ君に謝った方が良いんじゃないかしら?」
「違う、違うんだよ」
「違うって?」
「だから、その……このお香をたく必要があったんだ。クマ君の先祖の霊を救済するっていう目的で……」
キツネは、わけのわからないことを言い始めるイタチに呆れて、ため息をつきました。
「その嘘はもうやめた方がいいわ」
「嘘じゃないって、本当だよ! このお香は!」
ずぼっ
イタチの足元で変な音がしました。
見ると、イタチの後ろ足は地面に張った根っこと根っこの間に絡めとられていました。
「えっ、何これ? えっ、嘘でしょ? えっ?」
イタチは慌てて逃げ出そうとしますが、足はどうやっても抜けません。それどころか、どんどん地面に引っ張り込まれていきます。
後ろ足だけではなく、胴体も、前足も、顔も……
「わああっ、助けてぇっ」
イタチは慌てて叫ぶけれど、誰もイタチを助けることはできませんでした。
イタチは地面の中に消えてしまいました。
それから、秋が終わり、冬が過ぎて、春になっても、イタチが土の中から出てくることはありませんでした。
クマは、根っこ広場で、イタチが使っていた生ごみみたいな匂いが出るお香をたいてみました。
それを見たキツネが顔をしかめます。
「酷い匂い……何か意味があるの?」
「うん、よくわからない。でも、もしかしたらイタチ君はこの匂いが好きなのかもしれないし……」
「たぶん、そんなことはないと思うけど」
「それもそうか」