民営化前日
1987年3/31、国鉄最後の日。それは日本における官営鉄道115年の歴史に幕を降ろす日でもあった。今回はそんな民営化を控えたとある青年視点の話...
車掌である青年はいつもと変わらずに一番列車に乗り込む、まだ明けきらない明朝に閑散とした田園風景、エンジン音を響かせながら列車は進んでいき、そこには国鉄解体における世間の騒々しさは感じられずただいつもと変わらないように思えた。平日だが春休みであるのでこのようなローカル線の主たる客である学生の姿は普段ほどは見受けられず、部活に行くのだろうと思わしき5,6人が乗っていた、きっと新しい民営の会社になってもこの風景は変わらないだろう。
しかしそれならば何故「国鉄」という組織を撤廃し、新しく民営にしなければならないのか彼にはわからなかった。政治家に聞けば分かるであろうが、現場で働く彼には同僚たちを切り捨ててまで民営化を推進するマスコミや国鉄、国が不可解でならなかった。そんなことを思っているうちに列車は終着へ着くようで慌ててアナウンスをしたのだった。
終着駅では駅長が待っている。当たり前のことだがすこし前に大規模な合理化という名のリストラが行われたおかげで駅員もずいぶん様変りしてしまった、駅ではそこの駅員と国鉄について語り合う。議題はなんと言っても民営化だ、こんなに大きな出来事が話題に上らない訳がなく、新会社移行への不安や路線の杞憂を語り合う。
そんな他愛もない話をしているうちに折り返しの列車の乗務がやってくる、駅員も改札業務をしなくてはならないらしくお互いに自分達の職場へと足を進める、途中券売窓口で客が少し不満げに乗車券を買うのが分かるが、日常として特に気にすることもなく乗務する列車へと足を進めた。
次の乗務する列車では買い物客の姿をよく見かける、お昼時ということもありごくたまにサラリーマン姿の客がいることもあったが今日は乗っていないようだ。横を見れば少し古くなったアスファルトの道路を車が何台も列車を追い越しながら走っていくのが見える、乗務で車内を見回り切符を短く買っていた客の清算したがその客は顔をしかめ、「運賃が高いねえ、今度から車にしよかな...」とボソッと呟いたのが若干聞こえたが、詳しくは何を言っているかわからず、気に止めることもなかった。
途中駅では急行列車を待避するために少し長い時間の停車時間があったのでちょっとした用事で駅事務所の方へ駆けていると駅員が客と口論しているのがチラリと見え、その内容はおおよそ駅員の態度が悪いというものだったが、仲裁する気にもならず事務所へと急いだ。
終着へ着きしばらくしたら自らにとって国鉄最後の乗務であり、今日の最後の担当列車の発車時刻になる。小ぢんまりとしたサヨナラ国鉄というセレモニーを除けばあたりまえのように過ぎていく時間を少し驚きつつも自らも淡々と業務をこなしていく。
しかし途中駅だろうか、前まで同僚だった早井という男が乗ってきた。都市では混んでいるらしいが、こんな田舎の路線では人は殆ど乗っていなかったので容易に分かった。相手もこちらに気付いたらしく終着駅に着いた後に向こうから話しかけてきて、彼の現況を聞くこととなり、そのなかで彼は不当退職として国鉄を相手取り裁判を起こしているという。
自分と彼との違いはなんだろうか、実際彼と私はそこまで経験や仕事の能力に差があるわけではなかった。しかし片や民営化の後も職員、片や会社を追い出され別の会社へといってしまったこの差はなんだろうか。しかし彼と私の間にあるのは所属している労働組合が違うという点くらいであった。このことを彼に聞いてみると彼は真面目に私にたいして「今回の民営化は我々の労働組合の組員を切るためにやったのさ」と軽くいっていた。やがて時間もたったので彼と別れ、自らの宿舎へ足を進めた。
宿舎に帰って来た後、私は少し考え事をしてみた。彼の発言と国鉄解体にはどのような根拠があるのかを考えていた。なぜ特定の組合だけを切る必要があったのか、その答えは思ったより早く出た。考えてみれば態度について怒られていた駅員も不満げな客の対応をしてした駅員も彼らは切られた組合の人々であった。それだけでなく、過去に素行が悪い人たちはかなりその組合に所属していたのだ。彼は早井の言葉をみずからの疑問への答えとすることに落ち着いたが、そうすると自分が清算した切符を持っていた男の不満はどうか、自分の接客が悪いわけでもなくなにが不満なのかよくわからなかった。
「国鉄解体」、果たして本当に組合だけが国鉄を崩壊へと向かわせた原因だったのだろうか、実は解体しなかった方が良かったのではないだろうか、今となってはそれらはわからないが少なくともこの日常はずっと変化しており、組合だけと考えるのは早計だったのではないかと思う青年であった。