02
ようやく二つ目の毒の効果がきれるとチェルカは思い出したかのように真っ黒な血を吐き出した。
「心肺停止し続ける気分はどうでした? 苦しい? それとも辛い?」
ゼイゼイと肩で息をするチェルカには質問に答えられるだけの余裕などなかった。何度も何度も呼吸が止まってしまっていたのでうまく呼吸が出来ないでいるのだ。おまけに吐血もあって、体力は削られ息が整うこともない。
「……さて、話を始めましょうか」眼鏡の白衣はそんなチェルカを見てスッと目を細めると答えを待たずに言う。「君はあの子を取り返すために来たんですよね?」
「あた、り、ま……ッ」
言葉を返そうとすると、言い終わる前にボタボタと身体の底から黒い血が這い上がって外に出た。言葉を発することもとうとうままならなくなってしまった。
「ふふふ、あとで解毒剤をあげましょう。話が出来ないのはやや寂しいですからね。
さて、じゃあ彼女のために僕はこれからひとつの提案をします。君はそれを断らずに了承してください。あ、愛しい彼女の姿、見れるようにしてあげますね。そうすればほら、断るなんてことも出来なくなるでしょう?」
眼鏡の白衣はそう言って白衣のポッケから取り出したリモコンを操作した。すると天井から小さなモニターが出てきて、動きを止めるとある部屋の映像を映し出した。
映像の部屋にはベッドしかなくて、そこにはベッドの柵に鎖で繋がれた状態で眠るセレスの姿があった。鎖はそこそこ長く、ベッドから降りようとしなければ動きが制限されることはないだろう。その代わり、両手両足とも繋がれている。動けばジャラジャラと喧しそうだ。
「君とは違う毒を彼女に盛りました。今のところ昏睡状態、ですね。放っておけばあと二日は眠り続けるでしょう。こんな無防備な状態ではなんだって出来そうですねぇ……ねぇ? 彼女、結構可愛いですし、色々とイタズラしてしまうのも悪くは──」
「セレ、ス、に……指、一本で、も、触れて……みろ……。絶対、お前をぶち、殺す……ッ!」
「……ふふふ、それは君の頑張り次第ですよ」
目の色が変わったチェルカに、眼鏡の白衣は柔らかな笑みを浮かべた。概ね想定通りの展開を迎えているようだ。
「さて、君への提案について詳しく話をしましょう。とは言っても簡単でね、君は抵抗せずに耐えてくれればいい。それだけなんです。ただ、君がもし壊れてしまったらその時は彼女に手を出します。彼女が君とは別の意味で壊れてしまうようなことをすると誓いましょう。それはそれで楽しみですけどね」
「……この、クソ変、態野郎」
「そんな呼び方をしないでください。僕の名前は水葵です。水葵と呼んでください」
それじゃあ。と、ついでに自己紹介も終えた水葵は、近くの机の上にあった試験管立てから試験管を一本持つと、それを吊り下げられたチェルカの口に突っ込んで中の液体を無理矢理流し込んだ。
突然流し込まれた液体に驚き噎せてしまうが、それでもチェルカはなんとかそれを飲み込む。すると不思議なことに、永遠に続きそうな程終わりの見えなかったどうしようもないくらい強烈な吐き気が一気におさまった。
「ご褒美です。今飲ませたのは解毒剤ですよ」
キョトンとした顔のチェルカに水葵は笑いかけた。それからいつの間にか用意していたらしい、白いタオルでチェルカの口許を優しく拭い始める。白いタオルはすぐに真っ黒に汚れた。
汚れたタオルを机のとなりにあった空の籠の中に入れると、水葵は再びチェルカの近くへ寄る。そして「そろそろかな」と呟くと、突然チェルカの身体を抱き締めた。
「ッ!? ……なんのつもり? 君にそんなことをされても虫酸が走るんだけど」
「勘違いしないでください。準備が整ったから、次に移っただけですよ。ほぅら」
チェルカの身体から離れると水葵はヒラヒラと手を振った。その手には何もない。だけど、違和感があった。
厳密に言えば、違和感があるのは水葵の手ではない。チェルカの身体だ──なんて思っている間に水葵はチェルカの方へ手を伸ばし、何かを思い切り引き抜いた。
それと同時に赤い血が舞い、チェルカを脳天まで突き抜けるような激痛が襲う。
「──ギ、がッああああああああああああァァァァァァァァァァァァァァァァああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああァァァァァァァァァァァァァァァァッ!?」
ナイフを刺して引き抜いただけ。常人にとっては致命傷でも、不老不死で何百年も生きたチェルカにとってはありふれた行為。比較的慣れた痛み。
だというのに、それは違った。痛い。痛いなんてレベルじゃない。この痛みを味わうぐらいなら、チェーンソーで四肢を切り裂かれた方がマシかもしれない。なんて有り得ないことを考えられてしまうような激痛だった。
「素直に普通の解毒剤をあげるわけがないじゃないですか。毒キノコの毒の濃度を何倍にしたものを平気で与えるような人間ですよ、僕は。──ああ、喋れるような状況じゃないのは分かってます。ですので、刺されながら聞いてくださいね」
「ッぐ!? あ、あガッ……う、あぁッ、あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
何度も何度も何度も、無骨なナイフを刺したり抜いたり刺したり抜いたり刺したり抜いたり刺したり抜いたり刺したり抜いたり刺したり抜いたりして、その度に身体を大きくビクつかせて鎖を引きちぎる勢いで暴れながら絶叫するチェルカを見て楽しみながら水葵は続ける。
「さっき飲ませたのは解毒剤の中に感度を五倍にも十倍にもする薬品を混ぜたものです。感度、といっても痛覚だけなんですけどね。ふふふ、残念でした。性感だったらきっと今頃素敵なことになっていたんでしょうけど……僕は君にそんなことをする趣味はないので、囚われのお姫様にとっておきますね。
この薬の効果は約一日続きます。君はその間、ただ痛みに耐え続けていればいい。僕はね、知りたいんですよ。普通の痛みでも人間は簡単に死んでしまえるのに、それを何倍にもしたらどれだけ耐えれるのだろうって。でもね、これを実験するには、どんな痛みを与えても肉体的に死ぬことはない化け物を探さなくてはならなかったんです。いやぁ、適任がいて大変助かりましたよ」
「こ……の、クソ、マッド……野郎……」
「やーだなぁ、僕のことは水葵と呼んでくださいって言ったじゃないですか」
やがて腹部を貫く力は強くなり、刃は内臓にまで届くようになる。すると、痛みに絶叫をあげる瞬間にチェルカの口から真っ赤な鮮血が零れるようになった。
それでもチェルカが死ぬことはない。どんな傷を負ったって、それはすぐに巻き戻って回復する。そうして気が狂うほどの激痛を何回も何回も味わい続ける。
実験はまだ始まったばかりだ。