01
「っと、クソだろ……」
壁に拳を叩きつけながらヨロヨロと立ち上がると、同時に噎せるように咳き込んで、チェルカは真っ黒な何かを吐き出した。盛られた毒による作用である。
いつその毒が盛られていたのかは分からない。気が付けば嘔吐を繰り返し、終いにはこうして真っ黒な血を吐いて死んだ。そして巻き戻って生き返り、また血を吐いて死ぬ。それをどのくらい繰り返しただろうか。
こんなことをしている場合ではないのに、とチェルカは内心で焦っていた。だが身体が思うように動かない。身体の内側が常に激痛を訴え、堪えようのない吐き気を催させる。
チェルカやセレスのような不死者を捕獲しようとする場合、或いは弱らせようとする場合、毒は最も有効な攻撃である。
セレスはセレスが死なない程度のものを盛れば通常の人間と同じように作用が出るし、例え作用が強すぎて死んでしまったとしても生き返る。
一方でチェルカは、毒による作用が出たとしても、身体が巻き戻って作用が出る前の状態になる。そしてまた作用を起こす。毒の効果が続く限りそれを繰り返すため、持続的に弱らせることが可能だ。そう、今のように。
セレスは今、チェルカの近くにはいない。チェルカ同様毒を盛られ、どこかに連れ去られてしまった。毒による作用で何度も死に、意識を失おうと、それだけは確かに知っていた。
だったら、早くセレスを奪還しに行かなければならない。
不死者に毒を対策として使っている時点で、相手はまともなやつではないのだから。
◇
セレスを拉致した不届き者の居場所はすぐに突き止めることができた。否、突き止められるよう、大量のヒントを残されていた。十中八九罠だろう。そう思っていても行かざるを得ないわけだが。
「ああ、思っていたよりも早かったですね」
毒に侵された体を引き摺ってやっと辿り着いた小さな研究所で待ち構えていたのは、男とも女ともとれる中性的な顔立ちの白衣の人物だった。眼鏡をかけていて柔和な笑みを浮かべてチェルカを迎え入れる。
「セレスを、返せ……ッ」
その人物を目力だけで殺さんばかりの形相で睨み付けると、地獄の底から這い出てきそうな声でチェルカは言う。そしてまた激しく噎せて真っ黒な血を吐き出す。
「ああ、よかった。ちゃんと僕の作った毒が効いてるんですね。ふふふ、効かないかと思って心配していましたよ」
眼鏡の白衣はそんなチェルカの様子を見て大変ご満悦のようだ。先程とはまた違った、かなり上機嫌そうな笑みを顔いっぱいに浮かべている。
「チェルカ君。君に与えたのはドクツルタケってキノコの毒を抽出して濃縮したものです。大体ドクツルタケ五本分位の効き目になってるんじゃないですかねぇ……ああ、因みに人を殺すぐらいならドクツルタケ半分で十分事足りるんですよ。どうです? その何倍もの毒に侵される気分は」
「……最ッ悪以外の何物でもないさ」
「素晴らしいってことですね。よかったよかった。
因みにその毒、面白い効果がありまして……内臓、主に肝臓をスポンジみたいになるまで破壊するらしいんですよ。本当にスポンジみたいになるのか見てみたいものですねぇ……ねぇ? 見させてくれませんか?」
立っているのもやっとな様子のチェルカは壁に体重を預けて眼鏡の白衣の話を聞いていたが、到底理解できるようなものではなかった。何を言っているのかさっぱりわからない。否、理解したくない。
そんなことよりも、目の前のふざけた奴のことよりも、自分のことよりも、なによりも優先するべきなのはセレスのことだ。チェルカにとって今、彼女が無事で、そしてチェルカの元に帰ってくるのであれば他はどうだっていい。
だからもう一度、応じなければ暴力的な手段に出ることも厭わないという意思を込めてチェルカは言う。
「セレスを返せ」
その言葉を眼鏡の白衣は鼻で笑い、「僕の話はまだ終わってないんですから」と困ったように肩をすくめた。それからチェルカに近づいてその肩を掴むと、壁から無理矢理引き剥がして雑に投げる。大した力でもないのにチェルカは簡単に動かされ、床に投げ出された。
「威勢がいいのは結構ですが、そんな様では彼女を奪い返すなんて到底無理ですよ。ま、力付くで奪い返されないために毒を仕組んだんですけどね。
さて、君には一つ、言っておきたいことがあるんですよ。まだ気付いていないようですし、効果も出ていないのでピンと来ないでしょうけど……君に盛った毒、ソレだけじゃないって、僕まだ言ってませんよね?」
言っていない。聞いてすらいない。把握もしていなかった。おいおい、飲み合わせってものを考えろよとチェルカは突っ込みたくなる。だがさっきまでは辛うじて出ていた声が途端に出なくなってしまった。
それだけではない。全身の筋肉がいつのまにやら全く動かなくなっている。
手も足も首も顔も動かない。そして、動かない筋肉は内臓にまで至る。
「…………ッ! ────ッ!!」
肺が動かない。空気を取り込む事が出来ない。息が出来ない。気付いたところでどうにかなるわけでもなく、もがくように呼吸を試みたってそれは虚しく失敗に終わり、慌てれば慌てるほど体内の貴重な酸素を失っていく。チェルカは急速に窒息していった。
だが最終的には窒息して死んだわけではない。その前に筋肉の塊である心臓が動かなくなってチェルカはまた死んだ。
そしてその数秒後、チェルカの時間が巻き戻り、死ぬ前、筋肉が動かなくなる前までに遡り、息を吹き返す。
「……ッ、カハァッ!」
過呼吸気味になりながら酸素を体内に取り入れる。いくら死なないとはいえ(死んだが)苦しいものは苦しい。目にはうっすらと涙が滲んでいた。
「グッドタイミングですね。安心してください。そっちはそんなに長く効果が続くような毒ではありませんから……あと二、三回繰り返せば終わりますよ」
さ、頑張ってください。話はそのあとです。そう言って眼鏡の白衣はしゃがんでチェルカの顔に自分の顔を近付けて笑った。
チェルカは目を見開く。それが眼鏡の白衣の言葉に驚いたからなのか、それとも再び筋肉の動きが止まり呼吸が出来なくなったからなのかは分からない。
そして、あまりの出来事に、チェルカは自分が窒息して心臓の動きを停止させられている間に拘束され吊り下げられていることに気付くことができないのだった。