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あの

 全く多賀の言うとおりである。今までの石井ちゃんのためにやってきたことを、当の石井ちゃんが全てぶっ壊してしまったものだから、脳みそ同様もう先が無い。

 「で、どうするんだ。金も車も返てこないし、俺と今野が立て替えている金を返せるのか?返せるのならどうやっていつまでに返すかを言ってみろ、このバカ!」

 「ええっ、お金返てこないんですか、中山さんは働いて必ず返すって言ってましたけど」

 「じゃあ、毎月いくら返すって言ってたんだ。いつまでに返すって言ってたんだよ、言ってみろ」

 「それは・・金額とか日にちとかは言ってませんでしたけど、必ず返すって言ってました。自分は信じています」

 「バカが勝手に詐欺師を信じるのはいいよ。それじゃあ詐欺師は詐欺師として別にして、石井、お前この700万をどうやって俺たちに返すのかのかを、本気で考えて本気で言ってみろ」

 「・・いまは・・」

 「いまは、何だ。今は持ってませんが、明日払います、ならいいぞ。所詮金は無いんだろう、返せないんだろう。正直に言えこのバカ」

 「・・・ハイ」

 多賀と石井ちゃんの会話は正常な頭が溶けそうな位、くらくらするような内容であった。こんなバカのために営業権利譲渡契約書を作ったのかと思うと、自分でも情けなくなった。

 「じゃあも一度訊くけど、詐欺師はお前に毎月450万円の儲けになる山砂販売の仕事をやっていると言ったんだよな、そうだよな。そのお金の中から手形と車の損金と、慰謝料を払うと言ったんだよなあ。そうだよな。でも詐欺師は『自分はもう年だから石井ちゃんにこの仕事を譲って、その利益を返済金として受け取ってくれ。自分は毎月50万あればいい』と、言ったんだよな。ここまではいいな、分かってるな、間違いないな」

 と多賀が言えば石井ちゃんは、分かりきっていますお代官様というような神妙な顔つきで

 「ハイその通りです、合ってます。間違いありません」

 と言ったので、多賀は作業着の胸ポケットから手帳とボールペンを出すと、お山の絵とダンプ、数字と矢印を書き入れて何やら説を始めた。


 「それではと、山砂が取れるこのお山の地主はキンさんだから、キンさんのもだよなあ。山砂はキンさんの物だから、取れた山砂もキンさんのものだよなあ、分かるかぁ。そして、取った山砂はダンプ業者が港に運び、ゼネコンが買っている、分かるよなあ。じゃあ、このゼネコンは、買った山砂のお金は誰に払うのでしょうか、分かるかなぁ石井君」

 「・・キンさんじゃあないですか、キンさんの物を買ったから」

 「正解、よくできました。そうだよね、そうだよねえ。そこでまた問題です。じゃあ詐欺師は毎月450万円ものお金をどこからもらうのでしょうか?この絵をよーく見て考えてね」

 と、普段とはまるで別人28号の口ぶりで、多賀は優しく絵と矢印を書きながら話しているではないか。コイツにもこんな一面があるのかと思うほど、優しいのである。石井ちゃんを除き、なるほど人は見かけによらないものであると思った。

 「あれ、ちょっと待ってください。この絵の中には中山さんが入っていないですよねえ。どうしてですか、どうして書いてないんですか。多賀さん、これ、おかしくないですかぁ」

 「おかしいよねえ、おかしいよねえ。お前も野菜を売っていたから分かるだろが、お前が野菜をお客さんに売れば、お客さんは、お前にお金を払うよねぇ。キンさんも山砂をゼネコンに売ったのだから、ゼネコンはお客さんだから、キンさんにお金を払うよねぇ。また、山砂を運んだダンプ屋さんにも仕事をしてもらったから、キンさんか、ゼネコンかがお金を払うよねぇ。じゃあいったい誰が詐欺師にお金を払うのでしょうか。分かるかなぁ、難しいかなぁ」

 「おかしい、おかしいです。だって中山さんは契約書を持ってきて、こうだ!と言って見せました、本当です。多賀さんにも見せたでしょう、アレ。ウソじゃぁなかったでしょう」

 「でもなあ、あの契約書は偽物だったんだよ、偽物。真っ黒なニセモノ。腹黒い詐欺師が作った真っ黒なニセモノだよ」

 と多賀が言ったので、私とコンちゃんはやっぱりそうだったかといった顔を見合わせた。が、当の石井ちゃんは鼻の穴と口をガバッと広げては見たものの、いまいち合点がいかない様子だった。


 多賀の話では、石井ちゃんがもらったコピーの契約書にあるゼネコンの住所が黒く塗りつぶしてあるのを不審に思い、知り合いのゼネコン業者を通じて調べてもらっていたというのである。その結果、山砂を買っていたのは別のゼネコン業者で、石井ちゃんがもらった契約書のコピーに記載してあるゼネコン業者とは全くの無関係だということが分かったという。

 その連絡が携帯電話に入ったのは、今日このファミレスに来る途中の車の中だった。

 だがこんなことも有ろうかと、とにかく詐欺師の居所を突き止めて何とか身柄を確保しておけば、次の手が打てると二重の防御策を考えていたのだが、その一方の防御策を、当事者であるバカが木端微塵に粉砕し、かつ、警察には届けませんと言うオマケまでつけていたことが今ここでハッキリした。

 まったくブラックホール級のバカであると多賀がつぶやいた。

 「それじゃあもう一度初めから、弁護士から保護司、保護司から中山爺にとまた連絡をとってもらうしかないね。石井ちゃん大丈夫だよね、できるよね。また弁護士にお願いして連絡を取って下さいね」

 と私が言えば、当の石井ちゃんは下を向いて黙っているではないか。

 「おいこのバカ、有賀の話聞いてんのか、なに黙ってんだよ。おい何とか言えこのバカ」

 「・・弁護士にはもう電話できません・・警察には届けないからもういいですって断りの連絡をしました・・だからできません」

 「このバカ!頭出せこのバカ野郎!ビール瓶でひっぱたいてやる。早く出せコノヤロー、頭出せ!」

 向かい合った席から身を乗り出して石井ちゃんを掴みかかると、先ほどまでのアノ優しい顔つきとは思えない形相で、茨城弁丸出しで多賀が怒った。

 私もコンちゃんも石井ちゃんのこの一言には声を失い脳みそが溶けかけた。どこまで生暖かいバカなんだろうと思った。所詮石井ちゃんが敵う相手ではないのは分かっていたが、何かとカバーすれば何とかなると思っていたところに、このバカ三昧である。

 当の本人は、これからも鼻くそ丸めるて生きていくだろうと思えるくらいな極楽種まきゴリラなのであった。


 この怒鳴り声にざわめいていた店内は静まり返り、暫くの間お通夜の様な沈黙が続いた後、多賀は静かに

 「それじゃあ詐欺師の話が無くなってお金の返済目途が立たなくなったからには、これから先の話は俺と今野とで、バカがやらかした仕事の代金を、どうやって回収しなければならないかと言う話に変わるよなあ。ところで石井、お前があのリフォームの仕事であけた穴を何とかしてくれと今野に頼み込み、今野も一人で背負いきれないから俺も半分持って手伝ったよなあ。その後、材料費と工賃の代金を借用書と言う形で処理をして、実印押して印鑑証明も付け、印紙も貼って俺に出したよなあ。あれ、どうする」

 と、下を向いている石井ちゃんに言った。

 私が何のことかと聞けば、石井ちゃんはリフォームの仕事で穴をあけた金額分を、多賀からお金を借り入れたという形で一応の処理をしていた。多賀は、石井ちゃんからお金を回収するのは徳川埋蔵金を見つけ出すより困難だと思っていたところに、詐欺師から今回の山砂販売権利の話が石井ちゃんのところにきたので、もしかしたらの一途な望みで私に営業権利譲渡契約書の作成協力を要請してきたのだった。

 ところがと言うか、やっぱりと言うか、詐欺師の話はやっぱり詐欺師の作り話で終わってしまい、それでも身柄を押えさえすれば少し位の財産くらいはあるだろうから、その財産を石井ちゃんが弁護士を通して処分させ、自分と今野の穴埋めにしようと考えていたのだったが、当の生暖かい石井ちゃんが木端微塵にしてしまった。

 重要なカギを握る当事者の石井ちゃんは、多賀がつくりかけた返済計画をものの見事に、しかも木端微塵にぶち壊した上、中山爺を詐欺の容疑で警察に届けることはしないと詐欺師に確約して逃がしてしまった。オマケに世界お助け教会から紹介してもらった弁護士までも、クビにした。呆れた弁護士は、もう二度とこの件に対して関わっては来ないだろうと、私以上に多賀は思った。

 生温かい石井ちゃんは多賀から絵を描いてもらって初めて、やっと自分のお金と車の代金が戻ってこないことに気が付いたのである。


 「おいバカ!よーく聞け。いいか、お前はあの借用書の他にもう1枚書いているのを覚えているか。忘れたと言うなら、今ここに持っているから見せてやるぞ」

 「・・はい、覚えています、おぼえています。私は悪者です、多賀さんを騙してお金を取りました、というのを書きました」

 「そうだよなぁ、よく覚えていたな、いい子だ。いいか、あれにはなぁ『私は多賀さんを故意に騙して仕事をさせ、700万円の損害金を与えた悪者です。騙した上に損害金が払えないので、多賀さんがいついかなる時でも警察に被害届を出しても決して意義申し立てなどは致しません』と書いて署名押印して、印鑑証明も付けたよなぁ。覚えているよなぁ」

 「はい、付けました。覚えています」

 「いま詐欺師の仕事が嘘だと分かってお金の返済の目途もたたない。詐欺師の身柄を押えれば何とかなるとと思っていた矢先にお前がぶち壊したから、身柄も取れない。そればかりか詐欺師には、俺と今野を悪者にして有賀を俺たちの手先に仕立てて、自分は正義の味方、いい子いい子になった。オマケにお助け教の弁護士もクビにした。さて、これからどうするかだなぁ・・」

 「・・どうなるんですか、自分?。これからどうなるんですか」

 「こうなったら仕方ない、今野、二人で警察に行って詐欺の被害届を出すか!しょうがない、詐欺の被害届け出をするか」

 「そうですね、それしかありませんね。石井さんにはまた塀の中に入ってもらいますか。仕方ありませんね。自業自得ですから」

 「それは困ります、こまるんです。ツヨシと会えなくなるし、雨が降ったらバイト先に送ってあげられなくなります。それはダメです困ります。やめてください」

 「このバカ!てめえのガキの心配している場合かぁ。このバカ、もう一回塀の中で頭冷やしてこい!前科2犯で箔がつくぞー、ヨッ前科2犯!極悪非道の前科者」

 と多賀がまた大きな声をあげたので、またファミレス内の客は口を開け、動かしていた手を止めると瞬きしながら一斉にこちらを見た。ここにスコップがあったなら、穴を掘ってでも入りたい気分だった。

 「・・・アア、ああ・・」

 「石井ちゃん、やっぱりあなたは塀の中がいいですよ。似合ってます。多賀、もし警察から証人的なことを言われたら俺が行くから、その時は連絡くれ。今回の営業権利譲渡契約書の作成費用も貰えそうもないから、腹いせに少し手伝わせてくれ。頼む」

 「分かった、有賀。その時は是非頼む」

 「そんなこと言わないで下さいよ。多賀さんも今野さんも、有賀さんにも必ず払いますから・・本当に払いますから、頼みます」

 「払う?払うか。そうか、分かった。で、どうやって、いつから払ってくれるんだ。700万を」

 「・・それは ですね、それは、ですねぇ」

 「出来ねえのか、払えねえのか。払えなきゃあしょうがない、あのボロ屋でも売って金にするかぁ、なあ今野」

 「ああ、それは出来ません。差し押さえをくってますから。3番までついてますし」

 とコンちゃんが言うと 

 「そうだったよなぁ、4番じゃあ金廻ってこねえもんなァ」

 と、ため息と共に出た言葉からは、抵当権のことは多賀も納得ずくであることがうかがわれた。


 あのボロ屋が差し押さえをくらっていうという意味が分からない私は、どういう事なのかとコンちゃんに訊いたたところ、石井ちゃんの新たなバカ伝説が発覚したのだった。

 石井ちゃんが今のカアちゃんと一緒になって、少しは真面目に働くようになったのを見ていた親父さんが、バカ息子と孫のためにとコツコツと貯め込んだ預金を頭金に用意して、これまた少しばかりの土地を石井ちゃんに分けて家を建てた。

 もちろん月々の返済は石井ちゃんが払っていたのだが、4年前、例のスナックのお姉ちゃんを好きになり、いつものように強姦して孕ませた。当然、1年後には隠し子が生まれた。その頃から銀行への返済が徐々に滞るようになったという。

 銀行への返済が滞るようになると、当然銀行はどうしたのかな?お金が入金されていませんよ、とマメにハガキを出すから、真面目一本槍の郵便屋さんは職務貫徹で石井家のポストにその督促ハガキを届けた。

 いつもだったら石井ちゃんがこのハガキを持って押し入れに隠してきたのだが、この督促ハガキが届いたところに男友達と遊び歩いてスナック泊りを繰り返していたカアちゃんが、これまた偶然に、しかも6か月ぶりに帰ってきた。

 郵便屋さんからこの督促ハガキを直接受け取り、初めて支払いが滞っていることを発見してしまったのだ。

 督促ハガキの文面を読んでみたところ、以前から同様の督促ハガキがきていたことを知ったカアちゃんは、原生林の体を揺らして家中を探したところ、押し入れの段ボールから督促ハガキが束になって輪ゴムでとめられた状態のものを見つけたのだった。

 その夜、当然のことながらアンタこれってどうなってるの!と自分の悪行奇行を棚に上げ、更に奉っている原生林の大木が、赤鬼の形相で問い詰めたという。詰められた石井ちゃんは、外に子供を作ってそっちにお金がかかって払えなかったとも言えず、最近仕事が無くて困っているのだ、と言った。

 何とかその場は誤魔化したものの、やがて子供が1歳になった昨年あたりになると、更に育児費がかるようになったため、今まで滞りながらも渋々と内金として少額を払っていた銀行への支払いが、ついに息絶えてしまった。

 つまりこの約二年間は、渋々の少額内金どころか、1円の金も払っていなかったのだ。その督促状をカアチャンが過去の分を含めて見つけたのだった。

 

 そして、隠し子が満2歳になった今年の1月、ついに担当の銀行員2人が石井ちゃんの家を訪ねて来て、このままではこの家を差し押さえますから必ず払ってください、と厳しい顔つきで最後通告を突きつけてきた。

 家を差し押さえると言われた石井ちゃんは、例のごとく筋肉精子の脳みそでこの「差し押さえ」の言葉を自動変換した。その結果導き出された解釈は、銀行員は自分の家の周りに杭を打ち、ロープを張り、誰にも持っていかれないように銀行員全員で、この家を抑え込む行為のことだという。

 普段から何かとバカ者扱いされている石井ちゃんは、玄関を押えられても裏から出入りすれば何の問題もない。夜になったら杭を抜いてやればいい、と判断し

 「出来るものならやってみろ!お前らに押えられるようなウチじゃあない!面白い、やってみろ馬鹿!力は俺の方が上だァ!お前らなんかにやらせるものか!」

 と、一世一代の啖呵を切ったという。

 確かに腕力だけをみれば石井ちゃんの方がはるかに強いのは分かるが、頭の中身となると銀行員とは天文学的な差と無限大の開きがあった。

 この一世一代の啖呵を聞いた二人の銀行員は、スミマセンと詫びて頭を下げて「少額でも必ず支払っていきますので何とか差し押さえだけはご勘弁願いますお代官様」と言われると思っていたところに、いきなりの馬鹿者呼ばわりである。

 更に悪いことに二人の銀行員は「力は俺の方が上だ」の言葉を、俺のバックにはヤクザ者がいるぞ、ふざけるな!ひねり潰してやる、と解釈したからさあ大変。温厚な銀行員も七三の髪の毛をそば立てて、血圧急上昇顔面真っ赤でブチ切れたという。

 だがしかしである。一呼吸おいて冷静になり、そば立てた髪を元の七三に戻した銀行員は

 「分かりました。石井さんがそこまでおっしゃるのであれば、私たちはこれから銀行に帰って、直ちに、かつ迅速に手続き準備をするだけです。分かりました、帰ります」

 と言葉と態度だけは静かに放って、5分ほどで帰ったという。帰る二人の銀行員の背中を見た石井ちゃんは、得意万遍の態度と顔で見送ったという。

 石井ちゃんの頭の中では、杭が撃ち込まれようがロープが張られようが、夜になったらみんな抜いてやる!どうせ夜になったら銀行員は帰るんだろうから、の意気込みで、頭の筋肉はみなぎっていたという。そして自分は、銀行員から家と家族を守った真の男だ!男の中の男だ、と勝手に思っていた。


 銀行員の一件から1ヶ月を少しを過ぎた頃、再び七三分けの銀行員二人がやって来た。見れば杭もロープも持っていないので、石井ちゃんは意気地のない奴らだと思ったという。そんな生温かい石井ちゃんを前に一方の銀行員が

 「石井さんのご自宅を競売に掛けることになりました。つきましては競売入札決定後、3ヶ月以内にこのご自宅から出て行ってもらいます。宜しいですね、競売です」

 と静かに言うではないか。あっけに取られていた石井ちゃんは

 「競売ってなに?、出ていけって、なに?何で自分が出て行かなくちゃあならないんだ?ここは自分の家だ、アンタらに出て行けと言う資格はない。バカか!」

 と言った。七三分けの銀行員二人は怯む事なく

 「この前お話をした時石井さんは、私どもが言いました差し押さえの件に関し『出来るものならやってみろバカ!力は俺の方が上だ』とおっしゃいました。ですから私どもは石井さんの御意志を十分尊重して、あれから即刻直ちに速やかに、かつスピーディ迅速に競売の手続きをさせてい頂きました。何か御不満な点でもございますでしょうか?むしろ競売手続きは遅かったでしょうか」

 と、あらん限りの嫌味を言った。

 「ええっ、差し押さえっていうのは、みんなでこのウチを押えに来るんじゃないの。杭を打ったりロープを張ったりしてぇ・・押えるんじゃあないの。えっ違う、違うの」

 の言葉に、二人の七三分けの銀行員は、笑っていいものか怒っていいものか、迷いに迷ったが、銀行員としての職務でキッパリと言った。

 「石井さん、もうすでに当行といたしましては競売の手続きに入りましたので、速やかにこの家から出て行っていただきたく為の準備をお願いしたく存じます!いいですね!分かりましたね!この家を売ってお金を返して頂きます。宜しいですね」

 「競売って、そうなの。このウチ売っちゃうの。何でそんなことを言うんだ、そんな勝手な事が出来る訳がないじゃないか、このウチは俺のウチだ。近所の人もみんな知っている。そんな事をしたら警察に言ってやるぞぉ、訴えてやる!裁判だぁー」

 「・・・石井さん、この前ここで、あなたがやってみろと言ったではありませんか。覚えていらしゃいますか、あの時の事を」

 「・・言ったよ覚えてるよ。から何だ!早く杭を打って押えてみろ。ロープを張ってみろ!夜になったら全部抜いてやる!」

 「石井さん、あなた競売という状況を御存知ないのですか?」

 「だから、アンタら銀行員が杭を打ってロープを張って、家を押えに来るんだろ・・。えぇ違う、あっそうか家にもグルグルとロープを巻いて縛るんだ。いいよいいよ、同じ事だ、やってみろ」

 この怒りの言葉に対し七三分けの二人の銀行員は、まだ分からないのか!・・と、口を開けて顔を見合わせたという。


 「で、コンちゃんそれからどうなったの」

 と私が聞けばコンちゃんは

 「親はありがたいですよねえ、親は。そしてお助け教もですが。それにも増して下の子は・・なんですが・・」

 と言いながら、コンちゃんは石井ちゃんの横顔を見た。

  コンちゃんが続けて言うのには、競売にかけられることを知った親父さんは、世界お助け教会の紹介で弁護士を雇い、バカ息子がおこした事の顛末を話して滞っていた金額の半分を銀行に支払い、さらに毎月の支払い金額を安く組み直す代わりに返済期限を長くして、何とか今の家に住んでいられるように段取りを弁護士と共にやったのだという。

 この時の弁護士が、今回中山詐欺師との件で間に入った弁護士だったのだ。その恩ある弁護士の首を石井ちゃんは、生温かい頭で考えて自らの手でスパっと切ってしまった。更に自分の立場をより危うくさせてしまうというオマケまで付けたのだった。

 支払いの組み直しをする際に銀行側は、また今回のように支払いが滞るようになった場合には、今度こそ即競売に掛けます、と当然ながら強く念を押したという。

 「それじゃあ石井ちゃん、毎月大変じゃない。今回の山砂詐欺で石井ちゃんの収入見込みが無くなって、仕事に使う車も無くなって、オマケに中山爺の身柄も捕れなくなって、どうするの。まあ身柄の件は石井ちゃん自身がぶっ壊した事だから仕方ないけど、どうやって銀行の支払いをしているの」

 と訊けば、コンちゃんが代わって

 「それがですねえ、偉いんですよ下の娘さんは。学校から帰ってくるとオープン前のスナックに行って、掃除をしたり片づけをしたりするアルバイトをしているんです。勿論18歳と年を誤魔化してはいますけど。夜もそのままスナックでアルバイトをして、いや、アルバイトと言ってもホステスじゃあなくて、厨房でコップ洗ったりお皿洗ったり氷を出したりしてます。そのお金の一部を銀行の支払いに回したり、授業料に回したりしているんですよ。ホント、偉いですよぉ」

 と、隣の生温かい筋肉精子ゴリラの横顔を見ながら真顔で言った。


 「なにーーぃ!このバカ親父はスナックの姉ちゃんのケツを追いかけまわして強姦して孕ませて、13で親父になって、女子大生先生をヤリまくって人生狂わすは、退職金で開店して間もないスナックを潰してジジババを路頭に迷わすは、善良なヤクザの組事務所も潰して親分を刑務所に送るは、プロレスラーをダンプでひき殺そうとしてテメエはたった8年の刑務所行きで!出所したら少し真面目ななったかと思ったら、野菜を売りながらお客の奥さんをやりまくり、最近じゃあ別のスナックのお姉ちゃんを妾にして子供を産ませる野獣淫乱生殖器で、原生林の大木カアちゃんはやりっぱなし生みっぱなしで子供の面倒なんか見たこと無くて、夜な夜な男友達とスナックで飲み歩いてはブクブク太り、挙句の果てに家にも帰ってこなくて、娘に寝泊りしているスナックに着替えを持ってこさせてたぁだ。バカな親の背中を見て育ったガキは、スナックのお姉ちゃんを親父のお手本通りに強姦してヒモになって、それでも飽き足らずに居酒屋の姉ちゃんにも手を出して夜のヒモの二股生活で!そのコンドーム代も親にせびっているのか。ン、待てよ、じゃあ何か、石井ちゃんは銀行の住宅ローンも払わずに、バカな息子のためにコンドームをグロス単位で買っていたのかぁ。凄いねえ~、実にスゴイ!そんな家族の中にあって一番年下の娘さんがスナックでバイトして、親父が払えない住宅ローンの一部と学費を稼いでいる。偉い!実にエライ!石井ちゃん、アンタ娘の爪の垢でも煎じて飲んだ方がいい、いや、飲むべきだ、飲めコノヤロー!」

 と私は一気に喋り捲った。

 「ハイ・・そうですかぁ」

 「なにぃ、何がハイそうですかだ~。どうせアンタの事だから、塀の中でやることがねえから、歯ブラシの柄でも削って丸めて、腐れチンポ竿にでも入れたんだろうが、エッ違うかぁ!言ってみろ」

 「・・ハイ、そうです、その通りです。やりました。でも有賀さんはよく知ってますねェ。有賀さんも入れてるんですか?歯ブラシの柄を丸めたやつ」

 「バカ!誰が入れるか、そんなもん。バカ野郎!何てぇこと言うんだこの野郎ふざけるなボケ。で、幾つ入れたんだ正直に言ってみろ」

 「・・3つです」

 「じゃあ今も入れてんのか」

 「いいえ、彼女が痛いというんで取りました」

 「彼女って今の妾かぁ。妾が痛いと言って取ったなら、その前の八百屋の時代、お得意先の奥さんとはブツブツのチンポ竿でやったのか。エエ、じゃあ何か、今のカアちゃんとはブツブツ結婚かぁ、ン、ハッキリ言ってみろ」

 「ハイ、そうです。ブツブツで喜んでもらいました」

 「おーーー頭イテエ、オイ多賀、こいつ最低だな最低。あぁ頭が頭痛で激痛が痛えや!ドン底の最低下水道の垂れ流しッ!こんな種から、今聞いたような天使の娘は産まれないよなあ」

 多賀もコンちゃんもシラケ鳥のシカト顔で声も出さないでいたが、腹の中では「ごもっとも、ごもっとも」でいるのがハッキリと分かった。


 店内の客は静かに傍耳を立てているか、顔を寄せて話し込むしかないようであった。店員はもう寄り付こうともしなくなった。そんな中、多賀が冷静に

 「有賀、前にも言ったっぺ、こいつは桁ハズレのバカ腐れ種ゴリラだって。こんなバカ種からあんなまともな娘が産れるわけがないって!だからあの子はこのバカ親父の娘じゃあねえって!100%親父は違うんだって近所でも評判なんだ。でなけりゃあ今頃どこかの男とくっついて、腹ボテになってるよ」

 「そうだよねえ、そうだよねえ。違う、絶対違う。石井ちゃんの子であるわけがない。違う、間違いない。多賀が正しい、決定!」

 「有賀さん分かってもらえましたか、娘さんは家族の誰とも似ず、スゴく偉いんです。まともなんですよォ凄く」

 とコンちゃんが感心しきりに締めくくった。当の石井ちゃんは我関せずのゴリラ顔でいる。私は心底からウンコと鼻クソを丸めて、この淫乱種付けゴリラの顔に擦り付けたくなった。コノヤロー!である。

 「ところで石井、これから金をどうするんだ。立て替えてある700万をよぉ」

 「・・返します」

 「だから、どうやって、いつ返すんだよ。ハッキリ期日を言ってみろ!」

 多賀が直球ド真ん中のトドメを刺した。石井ちゃんはこの一言で下を向いてしまった。時間はまたもやお昼?に近かった。


 あの石井ちゃんの娘さんが、凄く偉いんだと分かってから三日ほど過ぎた日の朝、多賀から携帯に電話が入った。今からそっちに行くので、時間があったら天気もいいし一緒に松戸にでも行かないか、という。松戸に行く用件はと訊けば、石井ちゃんが逃げたというではないか。それは大変なことになったと言うと、居場所は分かっているから心配はしていないと言う。

 何とも不思議な話なので、どういう意味かと訊けば、最近GPS機能付きの携帯電話を持たせているという答えだった。石井ちゃんの携帯電話は通話料金が払えないから、しょっちゅうしばしば頻繁に止められてしまい何かと不便だから、多賀がGPS機能付きの携帯電話を持たせているというではないか。

 それでは無闇やたらと誰にでも掛けてしまうから、通話料金がいくらかかるか分からなくなるのではないかと心配して訊けば、それはそれで大丈夫だ、という。

 支払い明細書は多賀のところに来るから、基本料金以外の金額が発生した場合は、石井ちゃんが支払う事になっていると言う。支払わない場合は、携帯を盗まれたといって警察に届けることになっていて、石井ちゃんも十分了承しているとの事だった。

また電話をかけたとき料金滞納で通じませんでしたとか、多賀から借りたものなので何処かに置きっぱなしで忘れていました、などという見え透いた下手な言い訳をさせないためにも便利だと言う。GPS付きの携帯はとにかく便利だ、と言った。

これ以外にも石井ちゃんは約束を守っていて、トラブルらしいトラブルは今のところ起きていないというから、首輪兼用の多賀専用受信携帯電話といったところである。

 その受信専用の首輪携帯電話にかけても石井ちゃんが出なくなったので、また逃げやがったと思ってGPS機能で居所を調べたところ、自宅にいる事が分かった。あの石井ちゃんが逃げるのはいつも自分の家の中で、外部との連絡を絶てば自分は絶対見つからないと本気で思っているふしがあるらしい。

 そんなこんなの話を携帯電話で話ているうちに多賀が来たので車に乗り込み、石井ちゃんが逃げ込んだという松戸の自宅へ向かった。

 運転中の携帯電話は違反だぞと私が言えば、ハンズフリーはいいんだと返ってきた。


 「ところでコンちゃんは、何で石井ちゃんのことをあんなによく知ってんだろうね」

 「あの石井のバカは、自分が見たこと聞いたこと思ったことを後先も考えずにみんな今野に話すんだよ。包み隠さずみんな喋るのはいいんだが、その後がどうなるのかがまるで分からないと言うか、あの頭では考えられないんだなぁ。だからバカだって言うんだよ。バカだからみんな話すんだろうなぁ」

 「なるほどね。ところでコンちゃんは何でまだ石井ちゃんと付き合ってんの。あの建設機械の会社を辞めた段階で縁がチョすればよかったのにね」

 「腐れ縁だよ腐れ縁。あれはあれで、またいろいろとあったんだよ、出はいいところの坊ちゃんらしいけどなぁ。あれはあれで中途半端なんだよ」

 多賀の話によればコンちゃんの実家はとても裕福で、特にコンちゃんの爺さんが地元の名士だったらしく、昔は松戸にかなりの土地を持っていて、自分の土地を歩いて行くだけで松戸駅まで行けたというくらいの地主だったらしい。

 そういう人物だから、東京にある芝公園タワーを造る時には発起人に名を連ねたり、松戸にゴルフ場を造る時も自分の土地を提供したらしいというのである。また我孫子にあるOEC電気の工場を誘致するときも自分の土地を提供したらしい。提供と言ってもどちらも売ったということだがと、多賀は付け加えた。

 いま松戸にある大日本躍進タクシーは、コンちゃんの親戚がやっているとのことだった。そんなコンちゃんが何で自分一人で工務店をやるのかと訊けば、爺さんの長男の初孫で、男の子ということから小さい時から何かと爺さんに甘やかされて育ったから、何をやっても中途半端が許されて育ったからではないかと言う。

 暴走族をやれば族の中では一番高いバイクを買ってもらったのはいいのだが、族の一番後ろをパラララ・パラララと金魚の糞みたいにくっついているだけの存在らしかった。だから、警察に捕まる時は一番最初という強運の当選クジで、貰い受けに爺さんが警察に行けば土地の名士という事で署長も警官だって爺さんの名前も顔も知っているから、今野が警察から釈放されるときは普通の部屋ではなく、署長室に行って爺さんが貰い受けていたらしいとも言った。

 

 「すごいねえ、コンちゃんは。でもなんで一人工務店なんだ」

 「だから、要するに飽きっぽいんだよ。高校だって三ヶ月、中退させるわけにはいかないからと言って別の高校に行ったらしいが、そこだって卒業したかどうかは分からない。暴走族だって三ヶ月、爺さんの顔で入ったOEC電気も三ヶ月で辞めているんだ。石井のバカと知り合った建設機械関係のところには、それより少しは長く居たみたいだが、結局石井のバカのお蔭で辞めることになった。辞めるという結果にしてみればみんな同じだがなァ。でも自分一人で何かをやってれば、何だかんだ言う上司もいないし辞めるわけにもいかないし、だよ。それに爺さんの名前を出せば土地と建築関係者には話が通るから、便利なんだよ」

 「そうなんだ」

 「でもよ、爺さんが死んだら落ち目の三太だってよ。爺さんの後光にはあまねく御利益があったが、親父はごく普通のおとなしいサラリーマンだから、親父の後光には何にも無いって言ってたなぁ。そう言えば、爺さんの最後の御利益が今の家だって言ってたなぁ」

 「なんじゃそりゃ」

 多賀の話では、コンちゃんは小学生の時に爺さんから山林ではあるが、かなり広い土地をもらったという。その山林が二十数年後には宅地開発の波にのまれ、コンちゃんは爺さんから貰った土地の1区画を残して開発業者に高く売ったのだった。

 売ったお金で家を建て、今はそこに住んでいるという何ともうらやましい話であったが、残ったお金は全部遊んで使ってしまったという。

 「だがよぅ有賀、悪銭身につかずじゃあねけど、楽して手に入れた物にはありがたみが無いから、今の今野は何かと大変らしいよ。苦労をしたことが無いから」

 「苦労って、何の苦労」

 「つまりだな、土地を高く売れば高い所得税がくるし、自分の家を建てれば固定資産税だってくるっていうことよ。早い話が、何にも考えずにみんな使ってしまえば税金も払えない。滞納すれば延滞金もつく。金額が金額だけにかなりあるみたいだよ。それで自分の土地に現金で建てた家が、今じゃあ抵当に入っているってよ!」

 そう言って多賀はコンちゃんの代わりにとばかりに溜息をついた。

 

 「石井のバカの種まきにも困ったもんだが、今野の種まき知らずは俺にも理解できねえよ」

 と多賀が言ったので、何のことだろうと訊いてみればコンちゃんには子供がいないと言うで

 「まあ結婚しても、子供が出来ない夫婦ならいくらでもいるから別に珍しくはないんじゃないの」

 と言えば

 「そうじゃあねえんだよ、今野はバカ石井の真逆なんだよ、自分の女房にも手を出さねえで、丼飯食った後に自分の部屋に入ってゲームをしているんだってよ。40過ぎた男が一人でゲームだってよ」

 と言うのだ。そりゃあ面白そうな話と思い訊いてみると、コンちゃんには意外な一面があるということが分かった。

 コンちゃんの意外というか面白いところは、人のものには興味があるが自分が手に入れた物には興味が持てなくなってしまうらしい。つまり、他人が持っているゲーム世界のバーチャルな武器を、より多く持っていたいと言う願望がずば抜けているらしく、ゲームの世界から抜けられないというのだ。

 一般の生活においても独身女性ではなく、他人の女房には興味津々なのだが、自分が手にした女房には全く興味が湧かないというのだ。なるほどボンボンのやりそうなことだと思った。

 「それじゃあコンちゃんは外で遊び放題で、奥さんも遊び放題ってことか」

 「今野はバカと違って見ているだけで手は出せね~の。見てるだけ~。で、女房は女房で、近所でも評判のしっかり者で、子供相手にピアノの先生だってよ。だから今野は嫁さんに喰わせてもらっているんだよ。世の中分かんねえよなあ全く」

 「ホントだ!人生わかんねえことばかりだなぁ。まさかの坂っていうところだなぁ。ところで二人で石井ちゃんの家に行くのか?」

 「今野も一緒に行く。今野の家に寄ってからバカ石井の家だ。バカが隠れると誰が行っても出てこないが、今野が声をかければ出てくるんだ」

 「へ~ぇ、信用されてんだなァコンちゃん」

 「そうじゃあないんだ、今野以外誰も相手にしていないからだよ。ああ見えてもバカは意外に寂しがり屋なところがあるんだ。その寂しさを埋めるために、あっちこっちに種を蒔いてるとも言えるがなぁ」

 「そうか、人は寂しくなるとあっちこっちに種を蒔くんだなァ」

 「違う、人ではなく野獣だケダモノだ。だからケモノのオスはハーレムを作り種まきをするんだよ」

 「本当かぁ?」

 「ウソだよ」


松戸市にあるコンちゃんの家までは土浦から2時間ほどかかった。家の前につくと多賀はクラクションを鳴らし、コンちゃんに到着を告げた。コンちゃんはいつも通りの上下薄い水色の作業服姿で玄関を出ると、小柄な嫁さんが庭先で見送った。車の後部座席に乗り込むと

 「お前はヒモみてえな男なんだから、一丁前に見送りなんかさせるなよ。ちゃんと嫁さんを喰わせてから一丁前なことをしろ、生意気に。ところで今野、話があったアノ福島の件、何とか進みそうか?」

 「ハハハ~。ああ、そっちはかなりいい線までいってます。後は何人集められるかが問題ですがね」

 「最初から大人数入れても万が一のことを考えたら心配だから、最初の3カ月位は1チームくらいからだよなァ、それから様子を見て徐々にだなあ」

 「そうですね。布施さんの話では、最初は1チーム5人から始めて、その後その5人が仕事の段取りを覚えたら各自を頭にして、また新たなチームを作った方がいいと言ってましたよね」

 「アアそうだよ、そうだよ。俺もそう思っている。でもその後のことも一応今から考えておかないと、その時になってからでは遅い場合もあるし、まあ準備だけはしておいた方が無難だな」

 「分かってます。その後の段取りと人数のことも考えていますから」

 「そうか、それなら話を進めてみるか」

 「何、なにナニ?何の話。フクシマって。段取り人数って」

 「ああ、有賀にはまだ話していなかったなぁ。じゃあバカのところに行きながら話すよ。じゃあ行くか」


 石井ちゃんの家に向かう道すがら多賀が話すのには、石井ちゃんに700万円もの返済能力は皆無だから、多賀が仕事を見つけてやって働かせ、そこから月々いくらかでも返してもらおうとおう事なのだが、当の石井ちゃんにできる仕事といったら皆無に近いと頭を抱えていたところ、朗報と言うべき電話が入った。

 それは、以前の現場で基礎工事に下請けとして使ったことのある布施という男からだった。話の内容は、いま福島でゼネコンから出た除染の仕事をしているが、人手が足らず困っている。何とか応援を頼めないかというものだった。除染の仕事といっても原子炉建屋などといった本格的なものではなく、一般住人が今現在住んでいる家のお掃除みたいな除染作業だという。

 とにかく人手が足らないから何とかならないか、頼むということであった。給与面や待遇については、世間一般で言われているような過酷なものではなく、自分も働いているが、悪くはないと言ったという。

 布施義雄というこの男は、黒く枯れたカマキリの様な輪郭に魚のアンコウの様な口をつけた顔立ちで、とても仕事ができるキレ者とか言えるような頭の持ち主には見えないらしい。体躯も顔同様に痩せたカマキリにどことなく似ているという。もう60を過ぎているとも言った。

 だが不思議なことに、どうしてか藤田栄一という右腕がいて、布施にはできない筋道を立てた話ができて人の話が理解でき、日程表に沿って進める建築工程が分かるという、ごく一般的な男であるらしい。容貌体躯は、漫談のきみまろにどこか似ているとも付け加えた。多賀も詳しくは知らないが、この男も60台で、何故か布施と共通した暗く寂しい過去があらしいと言った。


 「で、その布施という男の言う除染の仕事を、石井ちゃんにやらせようということか。その仕事から借金の返済をしてもらおうという事か」

 「そうなんだけど、あのバカは一丁前に訳の分かんねえプライドがあって、ストレートにウンとは言わないところがあるんだ」

 「へ~ぇプライドねェ、どんなプライドだぁ」

 「それは、どんな畑にも種を蒔く、その名も種まき名人!」

 後ろでコンちゃんがブッと吹き出した。私は頭がふらつき右手で顔を覆った。多賀はマジ顔だった。 

 「種まき名人は分かってる、知っている。知っているから本当のところはどうなんだ」

 「本当はな、あのバカの親戚に暴走族上がりのアンちゃんがいるんだ。アンちゃんといっても27か8になるが、そのアンちゃんとつるんでいるバカ達も族上がりのプー太郎で、知り合いみんながプーだ、プー。このプー一族をまっとうな仕事に就かせてやれば、世の為人の為になる。そのバカなプー一族のカシラを、あのバカにやらせるんだよ。バカはその道に於いてはそれなりの人望があるからなぁ、何せスジ彫入りの前科者だから」

 「出来るのかぁ石井ちゃんに。あの!石井ちゃんだよ、石井ちゃン」

 「有賀、あれはバカだけど腕力だけはある。その道に於いては人望もある。その特技と人望を生かして、そこにプライドを持たせ、まっとうな生き方に導いてあげるのが人の道というものだろうが。分かるかあ、適材適所だよ適材適所」

 「多賀、お前、いつからお助け教の教祖になったんだぁ」

 後ろでコンちゃんが破顔する顔を必死に両手で抑えているのが分かった。


石井ちゃんの家は住宅街にある小さな平屋建てで、どこか借家風でもあった。多賀は少し離れた道に車を止め、コンちゃん一人が車を降りて質素な玄関に向かった。

何度かチャイムを押していると、息子らしき若者が半分ドアを開け、その隙間越しから顔をのぞかせてコンちゃんと話し始めた。最初若者は、コンちゃんの問いかけにボサボサ頭を横に振っていたのだが、幾度目かの問いかけに目を開き、ウンウンというような雰囲気で頭を下げたかと思ったら、ドアを閉めた。

 車内に戻ってきたコンちゃんに多賀が

 「どうだった、居ただろう」

 「居ました、いました。最初は『いません、いません。連絡もつかないで困っているんです』なんて言ってましたけど、話を少しずらして、今日の夕方雨が降りそうだけど、雨になったらバイト先までお父さんに乗せてってもらうの?って訊いたら、ニッコリしながら『ハイ!』だって」

 「聞いたか有賀、分かりやすいだろう。親が親だから子も子なんだよ、全く見え透いた芝居しやがって、居るのは分かっているのになぁ。バカには近代兵器のGPSというモノが理解できないんだよなぁGPSというモノが。で、どこで待ち合わせにしたんだ」

 「6号に出た所にある、いつものファミレスにいるからって言っておきました」

 「わかった、じゃあ行くか」

 「本当にわかりやすい人だねえ、石井ちゃんは。でもどうして息子がいたんだ?女と同棲しているんじゃなかったのかぁ」

 「あのバカ、誰が来ても出るわけにもいかないから、隠れるときはバカ二世を呼んで対応させてるんだよ。二世がいればバカ親父がいる証拠だよ。まったく頭隠して尻隠さずだから、自分の姿が見えなければ大丈夫だと思っているんだよ。全くヒヨコがね、のアノ歌と同じだよ」

 「ヒヨコねえ。でもメスのヒヨコは大きなって卵を産んで役立つが、石井ちゃんはオスだから何も産まないよなあ」

 「あまいなァ有賀、あのバカはいつも禍を産むんだよ、でっかいワザワイを。よし、6号のファミレスだな、飯の時間になるな、行くか」


 松戸での待ち合わせに使っているらしいファミレスに入ると、待ち合わせの人が来るからと店員に言って入り口近くの席を指定し、三人とも「本日のランチ」を注文した。正午になるにはほんの少しだけ時間があったが、店内は七組ほどのお客が入ってザワついていた。

 「ところで多賀、石井ちゃんは本当に来るのか」

 「来る、来なければ俺が行ってガキの頭ひっぱたいてやる。大丈夫だよ」

 などと話しているそばからランチが運ばれ、石井ちゃんが店のドアを開けた。多賀は、なっ!というような顔をして入り口に向かって手招きをした。三人がいるテーブル席に着いた石井ちゃんは、糖尿の薬を飲んでいるので食事に制限があるといってランチを断った。食べながら多賀が

 「バカ!見え透いた手で居留守なんか使うんじゃあねえよ、このバカが。家にいるのは分かってるんだからな。ところで石井、俺と今野に700万の借金があるのは分かっているよなぁ」

 「・すみません。あっハイ、分かっています」

 「でも、少しも返せない状況であることも分かっているよなぁ」

 「・・ハイ、わかってます、わかってます」

 「俺も今野も返してもらわないと困るんだ。あの、金もう何年になる」

 「・・・」

 「言えねえくらい昔だな。そこでだ、その金を毎月いくらかでも返せるように親切な俺が仕事を見つけてきてやったんだ」

 「えっ、本当ですか、どんな親切な仕事ですか」

 「福島の除染だ」

 「福島ぁですか、除染ですかぁ、自分、放射能はおっかないです、死んじゃいます。こまります」

 「バカ、話は最後まで聞けこのバカ。除染と言っても原子炉建屋じゃなくて、一般の人が住んでいる家の除染だよ。子供も若い姉ちゃんもジジババも住んでいる家のジョセンだよ。除染と言っても家の掃除程度の仕事だから石井にもできる」

 「でも毎日ここから福島までは通えません、絶対に。遠いし」

 「いいから黙って聞け、このバカ。いいかお前のバカな頭で考えるな、いいな、黙って俺が喋るのを最後まで聞け、いいな」

 「ハイ、聞きます。黙ります」


多賀は布施から訊き得た仕事の内容や進め方、工程と一人一人が行う役割分担、日給と仕事の時間、住居の問題と食事の問題などをゆっくりと順を追って話すと、最後に石井ちゃんの今回の役割分担を分かりやすく話したのだった。

 「分かったか、良い条件だろう。仕事に関しては今実際にやっている布施という男が全部教えてくれることになっているから、心配しなくていい。石井は親戚の族上がりに電話をして、親戚とその友達を集める。集めたら俺が再度仕事の内容を詳しく話す、いいな。1チームが出来れば石井がアタマになって、みんなをまとめるカシラになる、親方だ、現場監督だ。これが出来れば毎月少しづつでも俺と今野に返済ができる。家のローンも心配ない。分かったか」

 「・・わかりました電話すればいいんですね、電話」

 「電話だけじゃなくて、集めるの。親戚と族上がりを!分かった」

 「ハイ、でもそんなに日当払わなくてもいいんじゃぁないですか。もっと安くてもやりますよ、きっと。自分言いますから」

 「このバカ!脳みそがねえくせにピンハネするような事考えるんじゃあねぇ。バカなくせにバカなことを考えるんだよなァ、このバカは。だからバカなんだよ」

 「そうですかぁ でも・・」

 「このバカ、デモもストもあるか、このバカ。日当なんてみんなどこも一緒、決まってんだよ。一律に!隠したって後から分かるの。マアお前の頭なら一生わかんねぇだろうがな」

 「・・恐縮です」

 「バ~カ、何が恐縮だ、意味を知ってんのかぁ意味を、このバカが。いいか、バカな頭でピンハネなんか考えるなよ。俺が会って話す時は、金の事も含めて全部話すからな。いいか、下手な小細工はするなよ!いいな」

 と多賀は石井ちゃんの頭に念を押し込んだ。石井ちゃんは分かりました、任せてください、大丈夫ですと言って水を飲むと、店を出た。私はあの「分かりました」という言葉を額面通りには受け取れなかった。石井ちゃんの後姿は、何かやる!という臭いがプンプン漂っていたのだった。


 ランチを終え、再び車に乗ると多賀が帰り道とは逆の方角に向かって走るので

 「帰り道とは方向が違うけど、また何処かにくのか」

 と訊けば、別の建築屋だと言う。話を訊いてみれば、石井ちゃんは所詮石井ちゃんだからあてにはできないと言いだした。仕事のチャンスとしてあのバカにも一応の話はするが、要は本人がやる気が有るのか無いのかで今の状況から出られるのか留まるのかが決まる。うまくまとまれば本人も俺もラッキーだが、あのバカに全ての期待を持つこと自体がリスクだから、ダメ元程度と最初から踏んでいるとごもっともな前置きをすると

 「今から行くところは今野の知り合いの建築屋だ。あの震災の後の仙台で、ゼネコンに頼まれて瓦礫の撤去作業をやったところだよ。自分のところでプレハブの宿舎を持っていて、食堂の建屋も一緒に持って行き、ついでに飯炊き婆さんまで連れてったんだ。全部で100人規模の大所帯を持って行ったんだよなァ、今野」

 「そうです。その社長が今度は除染の仕事を同じゼネコンから頼まれたんですが、多賀さんが布施さんの除染話を持ってきたので、すぐに社長に打診したところ、今までの付き合いがあるからゼネコンより自分の方の話を優先すると言ってくれたんです。それでその話をするために行くんです」

 「凄いねえコンちゃん、立派ですよホントに、偉い」

 「いえいえ」

 「残る心配事があるとすれば、あの布施がチョンボしないかっていうことだけだよなァ」

 「なにっ!布施さんという人も石井ちゃん的な要素があるのかぁ」

 「アレもバカと同じところがあって、自分に都合が悪いことができると連絡がつかなくなるんだ。隠れることまではしないが、連絡が途切れる。まあ石井のバカと五十歩百歩っていうところかな」

 「おいおい大丈夫かぁ、そんな男の話を持って行って」

 「こっちは話をするだけで、最終的に決めるのは相手だからなァ。まあ何でもそうだが、本当のことを包み隠さず話せばいいんだよ。話して決まれば儲けもの。決めるのは俺たちじゃない、あっちだから」

 と、多賀は言った。一応それはそうだと、私も思った。


コンちゃんが知り合いだという建築屋は、松戸市内といっても相当の外れらしく、広い舗装道路から細い舗装に替わり、更に舗装から雑木林の細い砂利道に入った。その細い砂利道をくねくねと曲ったドン詰りの所に目的の会社があった。

 社屋といってもプレハブ小屋に毛が生えた程度で、お世事にも立派とはいえなかった。三人は車を降りて入り口に向かい、コンちゃんは知り合いという会社のドアを開けて声をかけた。

 約束の時間より10分ほど早く着いたためか社長は不在だったが、中から対応に出て来た番頭格らしき山田という60位の部長が、約束の時間通りには戻って来るので待ってて欲しいとコンちゃんに伝えた。親しげな言葉使いから、コンちゃんとはかなり深い面識があるように感じられた。

 屋内に通され、ちょっと疲れた感じがする応接室で出されたお茶を飲んでいると、いがぐり頭で黒く焼けたおむすびの顔の初老親父が入ってきた。黒く焼けたそのおむすび初老は

 「やあ、待たせたね」

 と言ったので、社長と分かった。初対面の多賀と私は早速名刺を取り出し交換すると、そこには会社名と総合建設業、代表取締役・太田秀雄と書いてあった。話の切り口は、コンちゃんから聞いていた仙台の瓦礫の撤去作業のことからだった。

 太田社長の話では、津波で破壊された街は一面海のヘドロで覆われて、壊された家が廃材となって瓦礫の山を作り、流れが淀んだであろう一郭には車もタンスも家具も、冷蔵庫までもが絡み合っていたという。悪臭のヘドロの中から人の手や足が見つかると、瓦礫の撤去は一時中断して、まずは仏さんをみんなで掘り出すのだという。

 ニュースで流れるような場所はまだいい方で、ちょっと裏に入った路地みたいな所には、人が暮らしていくうえで必要なありとあらゆるものがヘドロで固められていたという。ヘドロがある分、戦争で破壊された街よりひどいとも言った。

 

 「ああ、あんまりいい話じゃなかったかもしれんが、でも現実だ。ひどかった。機械が入れないのは分かっていたし、力仕事も分かっていたが、アノ匂いだけには参ったなあ」

 「臭いですか、やっぱテレビで見るのとは大違いですか」

 と多賀が言えば

 「違う違う、あいつらは自分たちが行きやすいところしか行かないから。まして人や物が流されて、ヘドロで固まっているようなところには・・マア、行きたくても行けないかも知れんがな。で、今回は瓦礫じゃあなくて除染だろ、福島の」

 「そうです福島の除染の件で来ました」

 「俺もゼネコンから打診があって。ほれ、今言った仙台の時と同じゼネコンからだ。だから条件や作業内容的なものは全部知っている。知っているけど、そっちの条件も聞かせてくれ。条件がそれほど違わなければ、今までの今野君とのこともあるから、今野君の話をを優先するから」

 というとコンちゃんはペコリと頭を下げた。多賀は布施から訊き出した仕事の内容を、A4の紙にまとめ上げたものを作業着のポケットから取り出すとテーブルに置き、説明を始めた。

 ひと通りの説明を多賀から聞いた太田社長は

 「条件的なものは大して変わらないが、日当に関してはゼネコンから来ている方がいいなぁ。まあ仙台の件もあったから、ゼネコンも少しは良くしてくれたのかもな」

 「そうでしょうね、仙台での実績もあるでしょうからゼネコンも考慮したと思います」

 と多賀が少し落胆気味に言うと

 「でも今野君の事もあるから、こっちの話を優先はするよ。だが、こっちも商売だ。仕事だから、そこで、この話は日にちを切って進めようと思っているが、どうだろうか。つまり、今日から1ヶ月以内に、どこの現場をいつから実際に始めるかを知らせてほしい。ゼネコンへの返事は1ヶ月は延ばす。もし1ヶ月以内に今野君から、作業開始の具体的な内容が無かった場合はゼネコンの仕事をする、いいだろうか。お互い商売だし、ウチだって人を遊ばせるわけにはいかんから、この条件でいいなら優先する。どうだ」

 という事なので、双方が納得という事でまとまった。


 コンちゃんを自宅前の道路で降ろし、土浦へ向かう車中で私は多賀の「布施がチョンボしないか・・」の言葉に一抹の不安を覚えながらも

 「まあ石井ちゃんはコケるだろうが、布施さんの方がチョンボしなくてまとまれば、まずはOKだな」

 「アアそうなんだが、布施だってどこでコケるか分かったもんじゃねえからなぁ」

 「コケるって、前に何かあったのか」

 「アア、あったよ。1年位前かなあ、ものの見事にコケてくれたよ」

 と言って、そのものの見事さについて話してくれた。

 それは同じ建築関係の仲間から、布施という基礎工事屋が仕事が無いかと探しているんだが、多賀の所で何とかならないか?という連絡が来た。ちょうど簡単な基礎工事の仕事があったので、その知り合いを通して布施に回したところ、これがなんとタコもコケるポカ工事をやらかした。

 簡単な図面の右と左を取り違え、東の玄関を西に作ってしまった。左右逆に作ってしまったのだ。このポカには流石の多賀も顔面蒼白、開いた口が開きっぱなしになったという。念のために図面を見ると案の定、南北の記号を間違えていた。

 バカ野郎この野郎、ハツリをかけろ!早く1から作り直せのスッタモンダをした翌日、肝心なそのハツリをかける日の朝になって連絡が途切れてしまった。

 仕方なく布施を紹介した仕事仲間に電話をして、事の顛末と現場に来ないばかりか音信不通の現状を話すと「やっぱなぁ」と言ったという。何だその「やっぱなぁとは」と訊きかえせば「腕はいいんだが図面がなあ、確認がなあ」と返ってきたという。

 仕方が無いのでいつも頼んでいる基礎屋に急遽来てもらい、何とか仕事は無事終えた。そのトンズラ事件があって以降、あえて多賀から布施に連絡はしなかった。本来、布施からお詫びの電話一本くらいあってもよさそうなものだったが、何の音沙汰も無かったから、それ以来縁がチョ状態が続いていたという。

 ところが最近、その縁がチョ状態の布施から「あの時はすみませんでしたと」連絡が入り、今はゼネコンの下で福島の除染をやっていますと言った。そして、福島の除染は人手が足らないのでやりませんか、やって儲けてください。多賀さんには迷惑をかけた分、仕事を回しますからあの時の損金分を儲けてくださいという。

 多賀はふざけた内容だと思ったが、連絡をくれた分まともになったかと思い「分かった話してみろ」ということで、今回の除染仕事になったという。


 「へ~ぇ、自分のバカさ加減でトンズラ決め込んだ男が、仕事紹介するからそれで儲けてチャラにしてくれというのか。普通は自分が儲けて、その金でスミマセンでしたと持ってくるのがスジだよねぇ。仕事を回すからそれで儲けてチャラにしてくれと言うのは、アノ中山詐欺師と同じ発想だよね。大丈夫かそんな男の話、多賀、お前石井2号になるかもな」

 「バカたれが。でもまあそんなところが詐欺師とは似ているが、あれはあれで詐欺師より一歩前に出て、実際に汗水垂らして除染の仕事をやっているから今の所は詐欺話ではないだろう。ただなぁ・・」

 「何だよ、ただなあぁとは」

 「図面も分からねえような男だからなあ、ゼネコンの下と言うが、ゼネコンの二次、三次下じゃあねえかと思ってよ、実際」

 「それは言えるな。図面も読めない男をゼネコンが直で相手にするかが疑問だよな」

 「有賀もそう思うか、やっぱりなあ」

 「石井ちゃんの件といい、布施の件といい、多賀も大変だよなあ」

 「人間辛抱だよ、辛抱!」

 「おまえ、やっぱ教祖になれ!俺がお布施の管理してやるから安心しろ」

 「バカたれが」


 車中のバカたれ話があってから2日後の朝8時過ぎ、柔らかい眠気を誘う春の陽ざしと優しいそよ風に逆らうかのように、多賀から携帯電話に連絡が入った。朝一の連絡で幸せな気分になった試しがないというのが私の予感で、その予感は当然の如くに当ってしまった。

 多賀が開口一番に言ったのは、またあのバカが!であった。話の内容は、昨日の深夜近くに携帯が鳴ったので出てみると、石井ちゃんの親戚の何とかという意気がるアンちゃんからで「石井さんから日当5万以上の除染の仕事があると聞きました」という内容だったという。

 除染の仕事はあるけれど、どこから日当5万以上も払うという話が来たんだというと、親戚の石井さんだという。そこでどんな話を聞いたんだと訊いたら、福島の除染の仕事があって、いい金になるからやらないか、と言ったという。

 住むところと朝と夕方の1日2食付きで、昼は自分持ち。朝8時から夕方5時までの仕事で、昼休みと10時と3時の休み時間があって、日曜日が休みと言ったという。

 そこまでは合っているので、日当5万というのはどこから出たんだとまた訊いたら、そのアンちゃんがどこからか聞きカジッタ情報を基に「日当5万は貰えるよね」と石井のバカに訊いたら、ウチはそれ以上出すから来いとあのバカが調子に乗って上乗せして言ったみたいなんだ、と言う。

 その上、ご丁寧にも本当の話だから詳しい話は多賀さんから聞いてくれ、多賀さんの電話番号を教えるから直接聞いてみろと言ったので、電話をかけてきたということだった。

 あのバカ野郎!と思いながらも、その日当5万という仕事は原子炉建屋などの危険な除染作業のことで、俺のところの除染作業は一般住人が今現在住んでいる家の除染作業だから安全で、その分そんなに高い金額は出せないよ、と言ったという。

 テレビのニュースなどで見たことはないかと訊いたら、あります、あれですかぁと返ってきたという。そして、あの仕事はあんまりいい金になりそうにもないので考えておきます、と言うので、じゃあどんな仕事で、いくら位の金になったらいいのかと訊いたら、日当5万で月100万になればいいです、と言いやがった。言い終えた多賀の顔は本当に苦々しく思ったようで、顔が歪んでいた。


 多賀は頭にくるはあきれるはで「そんな仕事はねぇ!」と言って電話を切ったという。あのバカは、バカのくせにいつもイイ恰好つけて適当な話をするから、本当にバカなんだ。有賀の所にもバカな親戚から電話がいったかと思ってかけたんだ。

 「あのバカはいつも、信用できなければ誰々さんと誰々さんにも聞いてみろ、電話番号を教えてやる、と言って人を巻き込むのがいつものパターンだからなあ」

 と、私の身を案じて電話をかけてくれたのだった。

 「あのバカのことだから、今野の電話番号も教えたんじゃあないかと思ってる」

 「じゃあ、心配ならかけてみれば」

 「まあ、いい。あいつならバカとの付き合いが長い分、またかと思うから大丈夫だっぺぇ」

 やっぱり朝一の電話にロクなのはなかったのである。結局、石井ちゃんルートはアノ生温かい頭で考えたため、湿った不発弾で終わってしまった。当の本人はこのことを自覚したのか、再び連絡つかずの家籠りとなった。


 その日の昼になってまた多賀から電話があったので、あぁ!いやな予感と思いつつも出てみると、やっぱりなぁのドンピシャだった。多賀は多賀で、朝の一件があったので、いやな予感を払拭すべく直ぐに布施の携帯に電話を入れたのだが、留守電になって繋がらない。1時間おきにかけるのだがまだ繋がらない。そこで、昼近くになって右腕の藤田に電話を入れてみた。

 布施が電話に出ないがどういうことだと藤田に伝えると、藤田は「布施さんがいなくなった」と話すではないか。どういう意味だ詳しく話せということで訊いてみると、何でもゼネコンからの作業指示書をよく見ないでいつもの通り作業を行ったところ、最後の段階でやることになっている庭木の剪定をしたという。

 ところがその剪定した木々の中に、剪定をしてはいけない松の木があったというのだ。その松は、この家自慢のたいそう立派な五葉松で、剪定は絶対やらないでほしいという家人からの申し出が市役所を通して作業指示書の注意欄にキチンと明記してあったのにも関わらず、布施は自慢の松葉をバッサバッサとものの見事に切ってしまったという。

 この剪定作業が終わりになった頃、確認にきた家人が五葉松の剪定をしている布施を見て烈火の如く怒りだした。当然の話である。

 この烈火の苦情は家人から市役所にいき、市役所は元受けのゼネコンに大烈火の如き苦情を言い、ゼネコンは1次下請けに大烈火の如き苦情をコンコンと言った。当然、1次下請けから大烈火の如きコンコンガンガンの苦情が布施のところにきた。

 1の苦情が市役所からゼネコンにいく間に5となって、5の苦情がゼネコンから1次下請けへといけば20となり、20の苦情が布施のところにきたときには立派な五葉松は根こそぎユンボで掘り返されて、爆弾が落ちたような大きな穴が開いているといった具合に、立派な尾ひれ胸びれが付いていた。まさに大烈火のコンコンガンガン大苦情になっていたという。

 気の弱いカマキリ顔の布施は、細い体を更に細くして1次下請け、ゼネコン、市役所へとお詫び行脚に回ったのだが、家人だけは納得しなかったという。金銭的にも弁償が出来ない状態だった。


 「で、布施が逃げたのか」

 「ええ、まあ逃げたというよりも、何処に行ったか居場所が分からなくなったというところですか」

 「バカかお前も。どっちも同じだろうが。それで連絡だけはつくのか、つかないのか、どっちなんだ。そっちからは連絡は取れるのか」

 「いいえ、それが俺も携帯に連絡入れているんですが、留守電になっててダメなんです。返事も来ないんです」

 「じゃあ完璧に逃げたんだろうが、早く言えこのバカ。そう言うのを日本語でニゲタ、トンズラを決め込んだ、と言うんだよ」

 「すんません」

 「まあ藤田さんが謝ってもしょうがねえけどなあ。じゃあ訊くけど、ゼネコンで除染の作業員が足らないから集めてくれと言う話が布施から来ているんだけど、もっと詳しい話の内容とか、ゼネコンの担当者の名前と連絡先とかを知ってるかぁ」

 「いやぁ俺は現場だけなんで、そういった事はすべて布施さんがやっていたんでサッパリわからないなですよ。ホントに」

 「役に立たねえなぁ全く。じゃあこれからどうするんだよ、仕事は」

 「仕事は貰った日程表に従って進めていくので、あと1年先までは大丈夫です。仕事はちゃんと出来ますから」

 「オオ頭いてぇ。じゃあ布施と連絡がとれたら俺に連絡くれと必ず伝えてくれ、頼むからな」

といった具合の話だっだよ、と言った。一度ある事は二度あるの例えが、ものの見事に嵌った感じだった。

 「そうか、もし1週間たっても布施さんと連絡が取れなければ、松戸の太田社長への対策を考えないとなァ」

 「そうなんだが、布施は1週間程度では出てこないよ。聞くところによるとアイツのトンズラ評判はもっと長い、2ヶ月は出てこない」

 「2か月ゥ・・」

 朝から昼にかけ、頭が頭痛で激痛が痛い話ばかりであった。全くの全然ダメダメ電話であった。


 布施のトンズラ行動がある程度読める多賀は、それでも一応一週間ほど我慢待ちをしたのだったが、布施からも藤田からも何の連絡も来ないことに見切りをつけると、コンちゃんに経過連絡を入れた。

 「あのバカの件は前にも話した通りの不良品の不発弾だったが、布施のアホウも自分のミスで地雷を踏んでトンズラ決め込んだらしいんだ」

 「ええっ地雷って何ですか、トンズラって除染現場からですか」

 「そう、地雷って言うのは作業指示書もロクに読まないで、自分勝手の思い込みでやらなくてもいい五葉松の剪定を勝手にやった結果、クレームの嵐に耐えきれずにトンズラしたっていうことだよ。だからトンズラと言うのは現場からも逃げて、藤田からの電話にも出ないということなんだよ」

 「それじゃあ当然宿舎にもいないでしょうから、ゼネコンとのパイプは切れたということで良いでしょうかね」

 「そう思ってもらった方が、正解だ」

 「太田さんの所、どうします」

 「それなんだが、社長には包み隠さず言った方がいいな。変に隠し立てすると後が面倒だからなぁ」

 「何て言えばいいんですか」

 「社長には、ゼネコンとの間に入って除染の仕事をしていた布野が、作業指示書をロクに読まないまま作業をして、そのクレームに耐えきれず宿舎から逃げてしまったと言うしか無いだろう。作業は別の人間が指示して日程通りにやっているが、ゼネコンとのパイプは布野一人だから、今回の話は無かったということで、社長の知っているゼネコンさんでやってください、すみませんでした。それしかないだろう」

 「そうですね」

 「こっちもまるまる1ヶ月引張った訳じゃあないし、少しでも早めに伝えるのが礼儀というものだから、社長も分かってはくれるだろうよ。今野、悪いが頼む」

 「分かりました」

 という事で、石井ちゃん絡みの700万円回収のメドが、春の雪、潮の泡と消えてしまったのである。


 この件があっても多賀は、工場関係の仕事で自分なりのお得意様をしっかりと持っていたので、普段の仕事や生活には何ら支障が出なかった。コンちゃんはコンちゃんで嫁さんのヒモ状態で、こちらもこちらで普段と変わらぬ生活が続いていた。

 この半月間というものは私にとっても多賀にとっても、ゲーム好きなコンちゃんにとっても、何の実利もない空虚な時間と空間を、ただ共有したというだけのものになってしまった。春という四季の一番良い季節を、種まき淫乱ゴリラにただ掻き回されたようなものだった。

 それ以上に多賀と今野は、布施のトンズラ事件で太田社長に迷惑をかけたことを重く思い、今野からの電話だけによるによるお詫びでは申し訳ないと、今野の時間が空いている時を見計らい、かつ、太田社長の都合の良い日の午前10時に松戸の会社を訪ねた。

 出迎えた太田社長は、この業界ではたまにはこんなこともあるのだから、気にしなくてもいい、と言って二人の心労をねぎらい、かつ、早めに知らせてくれたことでこちらも無駄な時間を潰さなくてよかった、とも言ってくれたので、二人は恐縮して幾度も頭を下げた。

 これからも宜しくお願いします、と言って社長と別れた帰りの車中で多賀が 

 「なあ今野、お前も大変だろうがここは乗り切らないとバカ種蒔きに潰されるから、意地を噛みしめて乗り切るしかねえなぁ」

 「そうですね、ここで潰れるわけにもいきませんからねえ」

 「お互い頑張ろうや、そのうちいい事もあるかも知れんからなぁ・・社長もアアだコウだとイチャモン付けたわけじゃないし、快く許してくれたし、まあこれからも頑張っぺ」

 「そうですね、社長、恨んでいなかったし、良かったです」

 「そうだよ、人生誤魔化さずに何でも前向きに考えた方がいい。ところでこっちに来たからちょっと寄って行きたいところがあるけど、いいか。松戸の先になるけれど、いいか」

 「どこですか」

 「手賀沼の所にある道の駅。何かいいものがあったら買っていくから」

 「道の駅、あそこなら良いですよ。いきましょう」

 多賀はコンちゃんの家がある6号国道より一本外れた県道を、我孫子方面に向けて車を走らせた。時間は昼に近かった。道の駅に隣接する県道を左折すると建屋前に広がる駐車場を少し走り、トイレ前の空いたスペースを見つけるとクルマのフロントを建物に向けて停めた。


 「先にトイレに行ってくるか」

 と多賀が車から降りようとしたとき、助手席のコンちゃんがトイレの入り口方向に向かって

 「多賀さん!石井さんだ石井さん!あそこ、ホラホラあそこのトイレの入り口」

 と、すっとんきょな声を出しながら指を差した。見るとあの音信不通のバカ石井ちゃんが鼻をほじりながら、トイレから出て来たところだった。

 「アノヤロウ、鼻くそなんか丸めやがって!ふざけてんじゃあねぇ!ナメやがって!」

 と言うが早いか多賀は車から飛び出して、小走りで石井ちゃんが出てきたトイレ方面に走った。続いてコンちゃんも飛び出した。何も知らない石井ちゃんは、鼻歌交じりの極楽トンボよろしく階段を下りて駐車場方面に向かった。

 「イシイー、コノヤロー!待ってろ、そここら逃げるなァ!このヤロー!」

 と言う多賀の声に石井ちゃんの鼻歌交じりの鼻くそほじりは途切れ、駐車場にいた一般の買い物客たちも足を止め声のする方を見た。

 何処か聞き覚えのある声に顔を向けた石井ちゃんは、一瞬にして凍り付いてしまった。小走りで駆け寄った多賀は、石井ちゃんの胸ぐらをつかみ、腹の底から唸るような渾身の声に力を込めて

 「イシイ、コノヤロオ!テメエ、ふざけやがって。舐めてんのカア、このバカ野郎。石井!」

 と畳み掛け、この怒鳴り声に駐車場にいたすべての大人も子供もジジババも、対峙している多賀と石井ちゃんを見た。道の駅の建物内にいた買い物客までもが何事が起こったのかと、持っていた商品を握りしめ、レジも通らず表に出てきた。コンちゃんは遅れて多賀の左に来た。

 我に返った石井ちゃんは、いつもとは違う頭の緊急回路を使って反応し、素早い動作でクツを脱いだかと思うと多賀の手を振り払い、電光石火の早業で土下座をして額を駐車場のアスファルトに擦り付けた。


 「すみませーん、ごめんなさい。すみませーん」

 アスファルトから籠った声がした。

 「イシイ、てめえコノヤロウ、舐めてんのか、アア!何が日当5万以上だす除染だあ。どっからそんな金が出るんだよお。言ってみろコノヤロオ。またテメエがいい加減なことを言ってブチ壊しやがって、分かってんのかァコノヤロー」

 「ああ、すみませんすみません。ごめんなさい、悪かったです。すみません」

 額をアスファルトに擦り付け、土下座で詫びている作業服の石井ちゃんを見た一般買い物客は、アレは多賀とコンちゃんがヤクザの手配師で、土下座をしている石井ちゃんが現場から逃げ出した作業員と決めつけた。

 構図的にそう見られてもおかしくない、対照的な三人の作業着姿と態度だった。そんな周囲の怪訝なとも異様なともいえる視線を感じた多賀は

 「おい石井、顔をあげろ」

 と言ったが、石井ちゃんは固まったように額をアスファルトに擦り、相変わらずの土下座状態だった。多賀の幾度目かの呼びかけでやっと顔をあげた石井ちゃんの額には、小さな黒い砂が無数に付いていた。

 「何だか俺たちが悪者のように見られているじゃあねえか!このバカ野郎!いいか石井、今から言うことをそっくりそのまま繰り返せ、いいな」

 顔をあげて正座姿になった石井ちゃんは、何のことを言われているのかサッパリわからなかったが、ここで逆らうことも訊きかえすこともできないので、見上げるようにして

 「ハイ」

 とだけ答えた。


 腕組みしながらこの返事を聞いた多賀は、石井ちゃんを見下ろして

 「いいか『私は悪人です。ここにいる多賀さんと今野さんを騙しました』ヨシ、でかい声で言ってみろ、でかい声でなぁ。いいな!」

 「ええ~言うんですかあ、ここでぇ」

 「なにぃ、言えねえのか、ああそうか」

 「ああ~、言います言いますョ。アア~、わたしは あくにんです ここにいるたがさんと こんのさんを だましましたァ」

 「声が小さい、もう一度」

 「ええ~大きい声ですかぁ。わたしは あくにんです ここにいるたがさんと こんのさんをだましましたアー」

 「ヨシ、次『騙して700万円の損害を与えました』言ってみろ」

 「アぁ~、だまして ななひゃくまんえんのそんがいを あたえましたァ」

 「いちいちアア~なんて言うなバカ。次『損害を与えた上、逃げてしまいましたが、今日ここで見つかりました。すみませんでした』だ、もっと大きい声で言え」

 「ア、ハァ~ そんがいをーあたえたうえー にげてしまいましたがァー きょうここでみつかりましたァー すみませんでしたァー」

 「このバカ、いちいちアア~だのハァ~だのうるせえなあ。次『私は背中に刺青を入れている殺人未遂の前科者です。悪いのはすべて私です』だ、言ってみろ」

 「アア~、アア~、それだけは勘弁してください、お願いします。すみませんでしたぁ、この通りお願いします~ゥ・・・それだけはそれだけはア~」

 と言うなり、石井ちゃんは再び額を駐車場のアスファルトに擦り付けて土下座人形となった。

 「それじゃあ『私は刑務所に8年もいた悪党です。悪いのは私です』だ。言ってみろ」

 「アわわっ、それも勘弁してください、勘弁してください」

 「泣くんじゃあねえ。バカなくせにバカな頭で逃げやがって、木刀でひっぱたいてやるか。テメエが作った借金を肩代わりしてやって、可哀そうだから仕事をさせればスッポかす。次は詐欺師のサギから何とかしてやろうと算段すれば、身元も分からず仕舞いにしてとっとと逃がして!頼りの弁護士はクビにして、挙句の果てに俺と今野を悪人にしやがった。それでも何とか金が返せるようにと仕事を見つけてやれば、またテメエがブチ壊しやがって。ブチ壊しておきながら今度も逃げるとは一体どういう了見だよ!アア、言ってみろこのバカ!いいか、これで何回目だ。何回ブチ壊したんだよ。言ってみろこのバカ!」

 「スミマセンすみません。ホントです、スミマセンすみません」

 「スミマセンじゃねえ、このバカ!。何回ぶち壊したんだよ。言ってみろ」

 「アア~、3回目です3回目。すみませ~ん・・・」

この時すでに石井ちゃんの目は涙の中を泳ぎ、両手はお願いネコちゃん状態になっていた。多賀は

 「ヨ~シわかった、分かったから立て。いいから立て、立てよ。立たねえのかこのバカ!」

 と言って、黒い小さな砂を額に付けた石井ちゃんを立たせ、靴を履かせたのだった。

 駐車場にいた一般客の買い物客は、石井ちゃんの泣き叫ぶようなお詫びの言葉に大体の経緯を感じ取り、各自の車へと足早に去っていった。道の駅の建物から出てきた買い物客は、手にした商品を抱きかかえるようにしてレジへと向かったのだった。


 「ところで石井、ここで何やってたんだよ。万引きか、引ったくりか、強姦の下見か」

 「違いますよ、仕事の帰りですよ、変なこと言わないでください」

 「仕事?何の仕事だぁ、強姦した娘を高く売り飛ばす仕事か。それともいかがわしい店のポン引きかぁ」

 「辞めてくださいよ、ホントに仕事なんですよ」

 「だから、何の仕事だって訊いてんだろが。言えねえのかぁ」

 「言えます言います。知合いの土建屋の手伝いです。それでこっちに来たんです」

 「ほ~、知り合いの、土建屋の、手伝いってかぁ。昼までには終わる土建の仕事か。で、その知り合いの土建屋はどこにいるんだぁ、言ってみろ」

 「その人ならホラ、あそ・・あれっ。あそこにクルマが・・あれェダンプが・・2tのダン・・プが」

 「クルマだぁ、ダンプだぁ。どこにダンプがあるんだよ。何がホラだ、テメエまたホラ吹いたな」

 「いいえ、本当にダンプに乗って仕事して、で、帰りにションベンで・・」

 「ションベンで、どうした。いねえじゃねえか」

 「あれぇ、いない。もしかしたら自分置いて帰ったのかなあ、あれ~っ困ったなあ」

 「テメエみてえなバカとは一緒にいたくねえって、サッサと帰ったんじゃねえのかぁ、バ~カ。ああ、俺もションベンしよう。バカのお蔭であやうくションベン漏らすとこだった。今野、行くか」

 「ええ、行きましょう」

 と歩き出すコンちゃんの傍から多賀が

 「ああ、そうだ。石井、携帯に電話したら絶対出ろよなァ、いいな、分かったな。逃げるなよ!出なかったり今度逃げたら、バカ息子の頭木刀でひっぱたくからな、いいな。分かったな」

 と言い残して多賀とコンちゃんはトイレに向かった。トイレに向かう多賀の背中に向かって石井ちゃんが

 「ああハイわかりました。アア~で、自分はどうやって帰ったらいいんでしょうかぁ?」

 と言った。多賀は振り向きもせず、そのまま歩きながら

 「バ~カ。自分で考えろ、このバカ!何のために足があるんだよ!足が。このバカが、考えもしないで訊くなよ」

 「アア~、はい。で、アレぇタケちゃんどこに行ったんだぁ~」

 何とも力のない、悲しげな声だった。


 日々のドロドロとした身の回りの環境とはほど遠い、爽やかな春の風と柔らかな日差しが少し湿気を含んだ初夏の風と、白い肌を少し刺し始めた陽ざしに移りかけた日の昼過ぎに、千葉という馴染みの一級建築士から多賀に電話がかかってきた。

 千葉の下の名前は靖男と言って、これまた何の因果か松戸市に住んでいる。この男も会社をつくり建築事務所を松戸市に構えて人を雇って事業をしていたのだが、バブルの時期に調子に乗って不動産に手を出し、瀕死の大火傷を負ってしまったのだ。当然女房は縁がチョで子供を連れて、実家に帰った。 

 住んでいた土地と建物は当然没収され、それでも多額の残債は残り、今は安アパートに建築事務所の看板を掲げて生きている。事務所と言っても、室内は生活感いっぱいの住居100%である。だからアパートの住人すべてが普段の千葉の身なりを見て、いかにもいかがわしい男だ!と思っていた。容貌と服装とからくる印象は、見方によっては屈折した光不足のモヤシのようでもあり、見方によっては栄養失調の身欠きニシンのようでもあった。多賀と同じ57歳だった。

 その千葉が多賀に電話を入れ、気候が良くなったね、体の調子はどうだとか、仕事の方は順調で儲かっているか、という世間一般の通り挨拶が済むとやっと本題に入った。

 「実は多賀さん、今オレ「ドラッグ凄井」の仕事をやっているんだ。知っているだろう、松戸に本社があるドラッグ凄井。今本社は東京に移ったけど」

 「ああ、ドラスゴなら知っているよ。社長一代であそこまでデカくしたんだから」

 「そうそうソレソレ、そのドラスゴの社長が今度引退して、代わって息子の専務が社長になる事になったんだ。そこで先日の取締役会で、今まで出店していた際に使っていた建築業者を見直して、新たに店を出す時は広く相見つを取るようにしようということになったそうなんだ。なったんだけれどコレはタテマエで、要は今度の社長が親父の関係を断ち切って、すべて自分流にやりたいみたいなんだ」

 「へーぇ、それで」

 「それでな、あそこの元社長も今度の社長も、親族一同もだが、みんなお助け教の熱心な信者なんだよ。だからお助け教の同じ松戸支部で、誰か熱心な信者を知らないかと思ってそれで電話したんだ」

 「・ん~ン、知ってるか知らないかって言えば、知ってるよ・」

 「いいな、いいなそれ。で、その人は男か女か。幾つ位の人かなあ」

 「男で俺より1つ下だから、56だけど」

 「いいないいなあ、それ。と言うのは、今度の社長も56なんだ。もしそうなら、熱心な信者だから子供のころから毎週教会に行っていて、もしその人が社長と幼馴染だっりしたら、これはもしかしたらもしかしてで、仕事が取れるようになるかも、だなぁアハハハハ~」

 「・・・」


 電話を切ってから多賀は、確かに淫乱ゴリラのバカ生殖器はお助け教で、松戸支部だ。だが果たして同じ年といってもアノ淫乱ゴリラのバカ生殖器のことをドラッグ凄井の息子が・・。顔は知っていたとしても・・中学時代のあのバカが仕出かして淫行を知っていたらなァ。あのバカの本性を知っている常識人なら、知っていても知らないと言うだろうし、白い物も黒と言うだろうなあ。関わりたくないもんなぁ、などと思案した。

 だが一人悩んでいても仕方がないので、千葉から聞いた話の内容を一応コンちゃんに伝えてみた。以前コンちゃんは多賀の現場で千葉と会っていたので

 「ええ覚えていますよ千葉さん。エッはい、ドラッグ凄井。知ってますよドラスゴは、松戸では有名ですから。でも、知ってますが社長も息子も面識はありません。爺さんが生きていたら何とかなったカモですが・・アッそうだ、石井さんなら息子を良く知っていると思います。子供の頃よく遊んでいたと、前に聞いたことがあります。ハイ」

 「ああ、イシイなぁ~、アノ石井なぁ」

 落胆の溜息だった。

 「でも瓢箪から駒という例えもありますから、ここはダメ元で石井さんに話してみますか・・」

 「瓢箪から駒ねぇ。分かった、じゃあ今野がバカに連絡してくれるかぁ。一応。出来るか」

 「分かりました、いいですよ。連絡ついたら石井さんの都合のいい日程とか時間とかを幾つか訊いて、また多賀さんに連絡します。直接会って、どのくらい親しいのかを訊いてみてはどうですか」

 「分かった。じゃあそうしよう、宜しく頼む」

 と電話を切ってはみたものの「あの!石井」というところが、どうしても多賀には引っかるものがあった。


 その日の夜8時を過ぎた頃、コンちゃんから多賀に電話が入った。話の内容は勿論知っていましたということだったが、その鼻息の荒い声からするとかなり親しい間柄のように感じた。

 「石井さんが言うのには、小学校は勿論、中学校まで一緒によく遊んだ間柄だそうですよ」

 「ホントかよ。まあ遊んだのはいいが、あのバカと一緒だとドラスゴの息子も淫乱生殖器と以下同文という事になるぞ。ホントかよ」

 「何だか半分そうみたいですよ。子供の頃は」

 「ホントかよ。あの石井なんかを相手にしていたとは思えねえがなあ」

 「それが意外とですねえ、かなりヤンチャなことをしたことがあるみたいですよ。若い頃」

 「それが本当だとすれば、何とか繋げるか・・だなぁ」

 「最近は勿論会ってはいませんが、お助け教の名簿をたどって知り合いに訊けば繋げることはできると石井さんは言ってます」

 「そうか、じゃあ、あのバカとまた会って直接訊いてみるか。まあとりあえず訊くだけは訊いてみるか」

 「そうしましょう」

 「じゃあまた悪いけど、日程つけておいてくれ」

 「分かりました」

 という短い会話だった。ここに来ても多賀は釈然としなかった。何となく蒸し暑さを感じる夜だった。


 その週の土曜日の朝、多賀はコンちゃんの家に向かってクルマを走らせた。コンちゃんを乗せると詐欺師に車を取られて足が無くなった石井ちゃんのために、松戸でいつも待ち合わせに使っているファミレスに向かった。

 ファミレスに着いたのは前回同様、お昼の少し前であった。ドアを開けて店員に待ち合わせをしていることを伝えると、入り口に近い席を指定し「本日のランチ」を注文して席についた。

 「いつもここは混んでるな。昼前なのに半分以上は埋まっているよ」

 と多賀が言った。

 「ここはいつもオバちゃんたちの溜り場みたいになっていますから、込んでいるんですよ」

 「溜り場ねえ。親父はワンコインで昼飯くって働いてんのに、オッカア連中はいい気なもんだよなあ」

 「そうですね。それはそうと、ドラスゴの社長、若い時はかなり遊んでいたそうですよ。親父に訊いたんですけど、何でも店の品は持ちだすは売上金はチョロまかすはで、それで近所の子供を集めてお山の大将をやってたみたいです。夜の街でも評判になったみたいですよ」

 「そんな事ぐらいは、どこの店のガキもやってるよ。当たり前のことで、別に驚く事じゃない。俺が心配しているのは、あの石井のバカと一緒になって女をヤリまくっていたかどうかを心配してんだよ」

 「どうしてですか」

 「どうしてですか?お前も鈍いなあ。いいか、いくら昔の子供の頃とはいえ石井と同じことをしていて、方や一部上場の社長だよ、方や石井のバカは背中にモンモを入れた殺人未遂の前科者だよ。たとえ石井の事を覚えていたとしてもだよ、知らぬ存ぜぬ!とシラを切りまくるのが正しい大人の対応だよ。ましてや今や一部上場の社長だよ社長。自分の身が可愛いに決まってるよ。今となったら金使ってでもそんな過去は消してえよ」

 「ですねぇ・・」

 本日のランチが運ばれてきた。


 ランチを食べ終える頃になって石井ちゃんがドアをあけた。多賀はいつものように手をあげて合図を送ると、石井ちゃんは近づく店員を会釈で制するようにして多賀とコンちゃんがいる席に着いた。

 「石井、昼飯はどうするんだ」

 「ああ、自分はいつも食べないんで、いいんです」

 「バカ、いつもここにきて喰わねえんじゃあ、営業妨害だから何か注文しろ」

 「え、あ、いや、その、自分は」

 「金は俺が払ってやる」

 「そうですかぁ、じゃあ」

 といってメニューを広げると迷うことなく特選赤身マグロ丼を指差した。

 「コノヤロー俺たちが安いフライのランチ喰ってんのにテメエは人の金で特選赤身マグロ丼だぁ、ふざけんな」

 「ああ、でも自分は糖尿ですから、油ものは制限で、カロリーが・・でぇ」

 「ヨーシそこまで言うんだったら、分かった、食わしてやる。今日の話の内容は今野から聞いて知っているよなぁ。だから正直にウソ偽りなく、話を曲げずに誇張せず、ありのままにキチンと話すことができるのなら金出してやる。出来るか、誓うか」

 「出来ますできます、誓います。自分はいつも正直にウソを言わずにしゃべっていますから、大丈夫です」

 「てめえ、もうウソつきやがったな!コノヤロゥ」

 「あ・あっ~」

 しおれて悲しげな石井ちゃんの顔をよそ目に、多賀はウエイトレスを呼ぶと特選赤身マグロ丼を追加注文した。石井ちゃんの顔に喜びの笑顔がヒマワリのように咲いたのだった。

 「お前は分かりやすいよなあ」

 

 石井ちゃんが食べ終えるのを待って多賀が

 「石井はドラスゴの社長を本当に知ってんのか。お前、知っているのと面識があるのとでは違うからなあ。俺だってアメリカの大統領のオバマぐらいは知っているからな。意味分かっているよなあ」

 「だいじょうぶ知ってます。高志でしょう、タカシ。知ってますよ。よく遊んでましたから」

 「幾つの頃まで遊んでたんだ」

 「中学卒業するまでです。それから高志は東京の学校に行ったから、合うことは無かったですけど」

 「卒業?お前がぁ、中学校卒業できたのかぁ」

 「出来ましたよ、ちゃんと。ウソだと思うなら卒業証書見せますから」

 「いいよそんなの、バカが。俺が訊きたいのは、どんなことをして遊んでいたのかをまず聞きたいんだよ」

 「高志には、オマエの店はみんなタカシ!とか言ってからかったり、よく店のモノを持ってこさせたり、金を持ってこさせたり、女の子をからかって連れてこさせたり・・ぐらいですが」

 「オイそれって、万引きカツアゲ婦女暴行じゃあねえか。」

 「ええっそうなんですか。だって高志が自分の家のモノをもってきたんだし、お金だって高志が自分の家からもってきたし、女の子なんか、みんな高志にくっついてくるんですよ。高志はゴム持ってるし。なにも悪い事はしていません、ホントです。みんなでよく遊びました。仲間です」

 「バ~カ、世間じゃあそういうことを悪い事と言うんだよ。そういう仲間を悪ガキ仲間、悪党連中って言うんだよ。ほんとバカと話していると頭がクラクラする」

 多賀がそう言った後からでも、石井ちゃんは悪ガキ仲間の悪行三昧の日々を悪びれることもなく、それどころかむしろ自慢げに話し続けるのであった。

 このバカさ加減にコンちゃんも頭を抱えたが、話が一区切りつきそうになった時

 「で、石井さん、今はどうなんですか、今は。今回話を繋げて会うことはできるのですか。社長さんに」

 と、コンちゃんが話を本筋に入れてた。

 「そうだよ、相手はお前みたいな前科者とは関わりたくないから、知ってても知らないってシラを切るに決まってる。そこが心配なんだよ。連絡はつくのか、どうなんだ」

 「大丈夫です。まかせてください。世界お助け教会の人に話したら、連絡はつけられるそうです。懲役は大人になってからですから、高志は知りません。大丈夫です、ホントです」

 「お前の任せてはくださいは、最悪の泥船つくりを任せるようなもんだからなあ。乗りたくはないけど、なぁ。でもお助け教が中継するなら、いいかぁ」

 「世界お助け教会デス!」

 「分かった。わかったから今度は俺たちを助けろよ。いいか、お前は俺に700万の借りがあるんだよ、700万の。そのお前が俺の金で、しかも俺たちより高いマグロ丼を喰っている。普通じゃねえよなァ。そんなお前が700万の借金を返すには、今回の件で社長に合わせることができたら返済が可能になる。分かるよなぁ」

 「ええっ、分かりません。そうなんですか、返せるんですか」

 「バカかお前は!いいか、社長と会って話がまとまれば、仕事になる。分かるよなァ。仕事になれば石井にも仕事をさせるから、お金が入る。お金が入れば借金が返せる。分かるかぁ、ちょっと難しかったかなぁ石井君には」

 多賀はそう言ってソファに背を沈め、天井を見た。コンちゃんは笑いをこらえて無理に口を尖らせるた。石井ちゃんだけが何の根拠もないのに、不思議と自信満々の得意顔であった。


 店内のざわめきの中にありながら、多賀たちのテーブルだけは静かな時間が過ぎていった。12時を20分も過ぎると、昼食を求める幾人かのお客さんが順番待ちの紙に名前を書き、椅子に腰を下ろして呼び出す店員を待っている。

 多賀もコンちゃんも石井ちゃんも、相変わらずの無言だったが

 「ヨシ、じゃあ石井、本当に連絡つけられるようなら、つけてくれ。話の内容は新たな店を出店する際の工事に関してだ。1つは、相見積もりに入れさせて欲しいこと。2つ目は、その前に一度名刺交換をしたいので、お時間を頂きたいこと。3つ目は、日にち、時間、場所は社長さんの都合に全て合わせます、だ。4つ目は、行くのは俺と今野と、建築士の千葉という男の3人だ。いいか、この4つを話して、結果を俺か今野に伝えてくれ。余計なことは一切喋るな、いいな分かったな。お前は繋ぎを取るだけ、訊くだけだ。会えることになっても同席はしなくていいからな、分かったな。・・アア、でもお前が行かないと待ち合わせは分かっても、社長の顔も分からない・・ということではなァ・・やっぱなぁ」

 と多賀が切り出し、言葉を濁した。

 「多賀さん、ここはやっぱ行くときは・・石井さんも行かないと相手の社長さんに対しても・・ですよねぇ」

 「そうだよな、このバカの口利きだからなあ。一緒に行くしかねえよなあ。このバカと。オイ石井、もし会えて同席することになっても絶対に黙ってろ、いいな。このバカは得意になって昔の淫乱強姦を自慢するからなあ。相手はお前とは違って、社長になったんだからな、分かったな」

 「自分、一緒に行っても絶対黙ってます」

 「それが分かればいい。バカと話す時はホント疲れるなぁ」

 「・・そうですね」

 尖っていたコンちゃんの口から静かな言葉が漏れた。

 「700万を返そうと思ったら、黙ってろ。いいな」

 多賀は強く釘を刺した。


 ファミレスを出て石井と別れ、コンちゃんを家に送ってから多賀は携帯のハンズフリーで千葉に連絡を入れた。石井というバカがいる。その親父は熱心なお助け教の信者で松戸支部の役員もやったのだが、そのバカ息子が今言った石井であること。このバカが筆舌に尽くしがたい桁違いの淫乱強姦種まき殺人未遂の前科者であること。

 だが、どうしようもないバカにも子供の頃遊んだお助け教の仲間がそれなりにいて、中には偉くなって今ではイッパシの顔になっている者もいること。頭をコズイてパシリをさせていた少年が、今ではバッチを付けた県議になっていること。昔の石井をよく知っている誰もが深く関わりたくないので、何か頼まれれば即座に動いてバカのご機嫌を損なわないようにしていること。

 自分は今回、お助け教の誰かが間に入ればまとまるかも知れないと思っていたところ、昔バカがイジメた可哀そうな男が石井の申し出をどうしても断りきれずに「はい、わかりました」と頼りなく言ったということ。そんなコンナの経緯であるから100%の期待は無理にしても、それなりの確率で社長に会えるのではないかと言った。

 この話を聞いた千葉は千葉で、ドラッグ凄井の仕事をやってはいるというものの詰まる所は孫請け的な存在で、今の自身の生活ではピリピリカツカツの極貧だから、バブルの時の負の遺産を処理しようにも何ともならないでいることを身をもって知っている。

 そんな時の社長交代話である。ここで何とか踏ん張って、今の孫請け指定席から脱却できると淡い夢を多賀に託して、連絡をしたのだった。

 ドラスゴの社長に繋がる男なら、例え桁違いの淫乱強姦種まき前科者だろうと魑魅魍魎だろうと、何だって構わない。初めから自分にはそのような魑魅魍魎のツテすら無かったのだから。千葉はこの話にダボハゼの如く、見事に喰らいついた。

 「分かった、いいよ。それで行こう!最高!お助け教がワンクッション入っているんだったら大丈夫だろう。決まったな」

 「千葉、勘違いすんなよ。お助け教が中に入っているといったて、所詮あのバカの手下みたいな男なんだから、過度の期待はするなよな。覚えとけよ。ダメになった時のショックが大きいから」

 「分かったわかった。了解りょうかい、大丈夫」

 千葉の声が何故か弾んでいた分、多賀の心は萎えていた。だから俺にツメがアマイって言われるんだよ、このボケが!と思った。


 ドラッグ凄井の件で今野から多賀に連絡が入ったのは、アノ石井ちゃんと松戸のファミレスで会ってから8日目の、朝から日差しが眩しい午後だった。この日、土浦にある工場で現場仕事をしていた多賀は、携帯電話の着信音で手を休めると、額の汗をぬぐって上着から電話を取り出した。

 「今野かぁ、どうなった。ドラスゴの件、少し時間がかかったみたいだけど」

 「そうなんですよ。でも何とか石井さんから、知っているお助け教の人に繋げて、そこから連絡をとってもらったようです。時間がかかったのはそのためです」

 「分かった、で、会えるのかどうなんだ」

 「会えますあえます、大丈夫です。チョット先ですが、今月末の週の月曜日、30日になります。30日は大丈夫ですよね。時間は午後1時から2時までの1時間だけです。場所とかの詳しい事は夜までにメールで送っておきますので、見てください。分からないことがあったら返信メールでおねがいします。自分は今現場に入っていますので、長くは喋れませんが良いですか。とにかく一報をと思って」

 「いいよ、分かった。会えることが分かっただけでもOKだ。俺も今現場だから、夜メール見て返事する。ありがとう」

 「分かりました。じゃあこれで」

 弾んでいる今野の声で、多賀の疲れは和らいだ。今度こそあのバカが役に立ち、700万の金が少しでも返ってくるという見込みがゼロから0.1%でも上がったことがせめてもの希望の便りだった。


 夜の7時過ぎに家に帰ると、多賀は食事も摂らずに自室に入ってパソコンを立ち上げた。幾つかの仕事のメールが来ていたが、コンちゃんからのメールを見つけてクリックした。

 「ドラッグ凄井の件」

 今月、6月30日、午後1時~2時までの1時間。場所は、東京都港区お台場・・・と事務的に続いていた。このメールを呼んだ多賀はすぐに千葉に転送し、更に電話を入れた。

 「今何やってる?今メールを送ったんだが、見れるか」

 「今、いまは図面引きしてる。メールか、見れるけど、何だ」

 多賀はチッと舌打ちしてから

 「だから千葉はダブルだって言うんだよ!ダブル」

 「何だそのダブルって」

 「Vが二つでダブル。つまりVが二つで、ニブイだよ、ボケ」

 「分かったわかった・・・でとぉぉ。おおおーーー、会えるのかあ、ドラスゴの社長と。スゲエなあ多賀。やったなぁ!サイコーーだよ」 

 「あのなあ、喜ぶのは金を手にしてからだよ。自分の手に乗っけて、誰にも取られないように握りしめてから、初めて喜べ!この取らタヌが。今はただ、会える日の時間と場所とを送っただけだよ、それだけだ。30日は1日空けとけよ、いいな」

 「空けとく空けとく、何があっても空けとくよ。当たり前だ」

 「それならいい。で、当日は俺がクルマで今野のところに行って、それから石井のバカも乗せて、千葉のところに行くから。時間の余裕を見て、千葉のところには10時前に行く。いいか、着いたらすぐに出られるように準備しておけよ。10秒でボロアパートから出て来なかったら置いて行く。いいな」

 「おおー10秒だぁ、それならドアの前で待っている。そっちこそ遅れるなぁ」

 「ボケ言うな、人の事より自分の事!覚えとけ」


 6月30日月曜日。石井ちゃんがガキの頃の威光を発揮してドラッグ凄井の社長とアポを取リ付けた当日の朝、多賀はいつもと違った顔で名刺を確認すると、スーツに袖を通した。玄関の鏡に向かってネクタイを直し、午前8時の少し前に車に乗り込んだ。

 約2時間をかけてコンちゃんの家に行き、助手席に座らせた。続いて石井ちゃんをコンちゃんの後ろの座席に乗せ、最後に千葉を運転席の後部座席に乗せた時には、10時半を回っていた。4人とも背広姿がぎこちない新入中年の様だった。

 コンちゃんと千葉は以前多賀の現場で会っていたが、石井ちゃんと千葉は初対面だったためお互い自己紹介をすると、話は自然と仕事の話になっていった。

 「千葉さんは設計の仕事ですか、スゴイですね」

 「いやあ凄いといってもやることは皆さんとさほど変わらないんですよ」

 「変わらないというと、鉄筋とかも担ぐんですか、あれ長いから大変ですよね。重いし」

 「このバカ、変わらないと言ったってお前の頭とは中身が違うんだよ、中身が。誰が鉄筋担ぐって言ってるんだ、このバカ」

 「ああ、すみません」

 「いいえ。変わらないと言うのは例えば図面を持って現場に行って、責任者と一緒にまわって配管などの作業が図面通りに行われているかとか、工事の進み具合が適切に作業が行われているかなどを見回る事もある、ということです」

 「分かったか石井。お前の頭の配管もみてもらえ!バ~カ」

 「ええっ頭も見るんですか、お医者さんもやるんですか」

 「・・・いいえ。建築だけです」


 車中では、石井ちゃんが多賀の制止をもろともせずに千葉にアレヤコレヤと子供のように訊くのだった。千葉もいつしか石井ちゃんの頭の程度に合わせた会話をするようになったので、多賀は呆れてしまい、コンちゃんは黙って後ろの会話を聞いていた。

 「へえ、そうなんですか。大変ですね設計の仕事って」

 「そうなんですよ、大きなマンションなんかは日照権とか騒音と振動の問題と対策の説明を、地元住民にしなければならないし。今は無くなりましたが、昔はよく地元のヤクザが住民に交じってアアだコウだと難くせつけて金をせびりに来りで、もう大変でした」

 「それはどこの組ですか、教えてください。自分知っているかもしれません」

 「アレはたしかぁ松戸の、角丸だったかなぁ・・」

 「角丸ですかぁ知ってますしってます、自分知ってます角丸。親分の名前が角田丸雄だから、角丸組なんですよ。自分助けたことがあるんです、親分を。助けたことがあるのを思い出しました」

 と石井ちゃんが一気に話すと、これまで黙っていた多賀が

 「石井!このバカが、いい加減にしろ!何が助けただァ、ふざけたこと言ってんじゃあねえ。千葉も千葉だ。こんなバカといつまでも付き合って話してんじゃあねえ」

 「多賀さん本当です、ほんとうです。助けたんです、自分。思い出しました」

 「助けたぁ、じゃあ何を助けたかを言ってみろ、このバカ。言ってみろ」

 「以前自分と親分と若い衆さんとスナックで飲んでいた時、自分はまた記憶が無くなるとダメだと思って、飲まなかったんです。ビール2本ぐらいしか。で、親分さんや若い衆さんに焼酎つくってやってたら、親分さんも若い衆さんも酔っぱらって『あの時はたいそうな組を潰してくれてありがとうよ。お蔭でこっちのシマが広がった。恩に着る』って言ってました。そしてもっと酔って立てなくなったんです、帰る頃。だから自分、親分さんをおんぶして事務所まで送って助けたんです。ホントウです」

 と、石井ちゃんが自慢げに言い終えると、多賀はクルマを路肩に止めて斜め後ろを振り返り

 「バカヤロウ石井!てめえ、助けた助けたと言うから黙って最後まで聞いてやりゃあ、なにィ、テメエがたまたま潰したヤクザの縄張りを、濡れ手で拾った親分が酔っ払ったからおんぶして送っただと。ふざけるなア、頭出せアタマ。ひっぱたいてやる!」

 「ああ~多賀さんタガサン、ほんとうにたすけたんですって。あのままじゃあ帰れなかったんですよ、親分はぁ」

 「うるせえ!頭出せ」

 この会話の後、石井ちゃんは青菜の塩状態になり、車内は三人だけの至って普通の大人の会話がかわされた。


 やがて車が築地の場外市場近くにさしかかった時

 「この晴海通りを行けばお台場はすぐ近くだし、先方との約束は1時からだから少し早いがどこかで先に飯でも喰っておくか。でもこのお台場は何区になるんだあ、何だかややこしいよなあ」

 と多賀が言った。コンちゃんも千葉もソウだそうだの掛け声だったが、石井ちゃんは相変わらず黙って下を向いていたので、また多賀が

 「どうしたバカ、そんなにしょんぼりして。そんなに悲しかったか」

 「いいえ、あのぅ、違うんです。自分、ションベンがしたいです」

 「なにションベン。そういえば俺もだなあ、千葉と今野はどうだ、行くか」

 「そうですね。食事のついでに行きたいですね」

 と千葉が言えばコンちゃんも

 「トイレにいきます、行きたいですねぇ」

 ということでまとまり、トイレを兼ねた早めの食事となった。

 


 

 

 

 


 


 


 

 


 


 

 



 

 

 


 

 


 


 

 

 

 

 



 


 

  


 

 


 


 


 

 


  

 

 



 

 


  








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