XIV
「痛い」
要塞内を歩くアリスは、ぼそりと呟いた。
抉られた頬、殴打された全身。そのどれもがじくじくと痛む。痛みは足枷であり、また自分が自分である証拠にも思えた。何かを思い出しかけたが、それはすぐに霧のように消えた。
ブラックタイガー、そしてペーパーバッグを退けた後、導かれるように、アリスは要塞内の最深部に到着した。途中の接敵はなかった。何故こんなに守りが薄いのか、もはや理由を考えることもなかった。
目の前には“フラッグ”――島を守る磁気フィールドの制御装置があった。それは、古い建物に似つかわしくない機械設備の塊で、周りには白いサークルが引かれていた。
近くに管理コンピュータがあるのが見えた。
慣れた手つきで、アリスはコンソールを叩く。進捗ゲージが表示され、赤いバーが右から左へと減少していく。100……80……60……。その光景を、アリスはじっと見つめていた。赤いバーが左へと到達し、今度は右へ向かって青いバーが伸びはじめた。10……20……。ゆっくりとバーが伸びていく。
アリスはその場に腰を落とし、カリカリと小さく音を立てる設備に背を預けた。
痛い。そして、眠い。
“フラッグ”を制圧しきるまでは、誰かの妨害があるかもしれない。警戒しなければ。そう考えていても、それを上回る眠気がアリスを襲っていた。
かくん、かくんとアリスの首が落ちはじめる。
青いバーはゆっくりと進む。30……40……。
夢とも現実ともつかない、不思議な記憶が脳内を巡りだした。もはやアリスにとって、それは誰のものであるかも理解できずにいた。パパ。ママ。学校の友達。戦友。分隊のみんな。死んでいく仲間。死んでいく自分。これは一体、誰の記憶?
60……70……。
“目的を遂行せよ。邪魔するものは排除せよ”。
目的って、なに?
思い出せない。
みんなは何の為に戦っていたのだろう。自分は何の為に戦っていたのだろう。
生きるため。
生きてどうなるの?
80……90……。
自分は生きているの? それとも、死んでいるの?
100。
ピッ、と小さな音がして“フラッグ”は機能を停止した。
それを聞き、ゆっくりと地に伏せる。全身に感じていた痛みも消えた。やがてアリスは親指をくわえ、すうすうと寝息を立てはじめた。
――もう一度夢を見よう。そうすれば、きっと自分が何者かを思い出せる。
きっと。
アリスはそうして、また夢の世界に入っていった。
―――
マリアが目を覚ましたのは、ATVの後部座席の上だった。
頭痛がひどい。身体が石のように重い。四肢を動かすたびに激痛が走り、まともに動かない。死にかけだというのはわかった。
「生きていたか」
隣にいたアルマが声をかけた。アルマもまた、ぐったりと席に背を預けていた。
「最後の最後で、あっ、あんたなんかに……助けられるなんて、さ」
「すまない、遅くなったな」
「なに……怪我、してんじゃん」
「かすり傷だ」
「治す?」
痛みを堪えながら手を伸ばす。アルマは優しくそれを制した。
「ち……せっかく、ひっ……人が、珍しく提案してやってんのに」
「そう言うな。気持ちだけ受け取っておくさ」
気を失う直前、誰かに身体を引っ張られる感覚があった。それはアルマであり、またATVで駆け付けたもう二人の天使によるものだった。二人の天使はシエラ、そしてロメオと名乗った。二人の首には、妙な形の首輪がついていた。
「あれ」
シエラが義手で遠くを指差し、マリアも首だけを動かしてそちらを見る。島を守る磁気フィールドが薄くなり、そして消えはじめていた。
「やった、って、こと、ですかね」
「たぶん」
「誰が?」
「……わからない」
「うん」
シエラもロメオも、何かを言いかけたが、それを飲みこんだようだった。
「後は制圧も時間の問題だろう」
アルマが言った。
「うまく行くかわかんないけどねえ」
「やってくれるさ」
「ひひ。……っ。どうだか」
マリアは笑う。笑うたびに、激痛が襲う。
「どの道、もう私達は戦えない」
「そう、ですね」
「なあ、シエラ、ロメオ。どうして私達を助けてくれた?」
アルマが問う。ロメオはシエラの顔を見た。シエラは、ふ、と小さく息を吐いた。
そしてロメオはこう答えた。
「一緒に帰る人は、多いほうがいいですし、ね」
「?」
「すると、君らもこれで“終わり”なのか」
「はい」
「あーあ。……げほっ……まだ戦えると思ったのに。つまんないの」
「なら、あなただけここで降りてもいい。まだ戦いは続いてる」
「ヤだ。死にたくないし」
シエラの言葉に、マリアは舌を出して返す。そして、再び激しく咳き込んだ。
―――
やがて日没が過ぎ、ATVは近くの森に入り、姿を隠すように停車した。
ロメオとアルマは歩哨に立ち、周囲を警戒するため、ATVから離れた。
水晶を破損させたマリアはATVの後部荷台部分に寝かされていた。動かなければ悪化こそしないが、容体は芳しくない。自身のギリースーツでマリアの身をくるみ、傍らで看病しているのはシエラだ。シエラも同じく義足を破壊されているが、それ以外に別状はない。
「がさがさする。この草」
「黙ってて」
「まったく。“M”が看病されるなんて、ジョーダンでも笑えない」
「そんなこといっても、あなた、ろくに他人を手当てなんてしてなかったじゃない」
「まるで見てたような口叩いちゃってさ」
「見てたわ。あなたのことも、アリスも」
「?」
「……なんでもない」
夜の森は静寂に包まれていた。
「きっ、ひひ……どうして、私のことなんて構うのさ」
「死ねば、ロメオが落ち込む」
「はあ?」
「べつに。それ以外の理由はないわ」
おぼつかない手つきで、シエラは水筒の水をマリアに含ませた。狙撃用に特化した義手は細かい動作がきかず、漏れ出た水が顔にかかる。
「うわっぷ……げほっ、や、やっぱりあんた、殺す気じゃん」
「殺しはしないわ。同じ天使だもの」
「わけわかんないやつ」
シエラは続いて、何かをひとつまみ、マリアの口に近づけた。薬ではない。どぎつい赤色をしたそれは。ゼリービーンズだ。
「なにこれ」
「甘いもの。いらないなら、いいけど」
返事も待たず、マリアはそれを口に含み、咀嚼した。
「久しぶりに食べた気がする、こんなの」
「本当は、ロメオが私にくれたの。……これ以上は駄目。もうあげないわ」
「いらないっつーの……げほっ」
マリアは咳き込む。こんな時、寝てしまえばどんなに楽だろうか。あいにく、天使の身体はそういう風には出来ていない。長い、長い夜だった。
「つーかさ……終わってからのことなんて、何にも考えてないんだよね」
「誰だってそうよ」
シエラも自分の口にゼリービーンズを一粒を放り込み、遠くを見ながらそう答えた。
「でも、いつだって、私は……いえ、私達は、自分の生きる意味、価値を考えて生きていくわ。それは戦場でも、そうじゃなくても同じ。魂がこの胸の中にある限り、同じ。あなたは? 違う?」
「……」
戦うことこそが、生きる意味だと思っていた。それがなければ見失ってしまう、などと弱音を吐くつもりはない。本質は変わらないだろう。ならばせめて“つまらない生き方”をしないようにしなければ。
黙ったままのマリアに、シエラが問う。
「どうしたの?」
「……や、なんか、疲れた。難しい話は私向きじゃない。頭使い過ぎた」
「そう」
「休む」
「死ぬつもり?」
「んなわけないじゃん。次に目ぇ覚ましたら、またいつも通り。ひひっ……どんな奴らでもブッ飛ばしてやるから」
「そう」
「そゆこと。…………んじゃ……あと、よろしく」
それきり、マリアは大人しくなった。
口に残る、ゼリービーンズの甘い感覚が、数日前の記憶を想起させる。あの我が儘でどうしようもない天使のこと。自分勝手で自業自得で……それでも、マリアにとっては自分を拾った天使だった。
爛々と輝いていた瞳の光が次第に消え失せ、後は小さな灯だけが残る。
こうしてマリアは再び、あの臆病な天使に戻った。
「エイミー……」
「……」
シエラはその呟きに返すこともなく、マリアの見上げていた先を一緒に見る。
「…………みんな………どこかに、いっちゃった…………」
木々の合間から星空がのぞいている。
大小無数の名もなき星が、ちかちかと瞬いていた。




