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フォーリン・エンジェル  作者: 黒周 ダイスケ
ALICE THE COLDBLOOD
89/91

XIII

「っっっひゃあああああっ!」


 渾身の力で、マリアは消火斧をフルスイングする。


 いかなバケモノであろうとも、脳天をカチ割れば死ぬ。それは自然の理だ。決して筋肉質とはいえないマリアの腕が、斧を振るうたびに軋みを立てている。垂直に振るった斧が地面に突き刺さる。柄を蹴り上げ、引き抜こうとした刃を、ペーパーバッグは思い切り踏みつけて阻止する。

「バカにょ一つ覚えミたイに、ぶんぶンと。耳障りニゃ」

 ペーパーバッグは飛び上がり、身体を捻ってソバットを繰り出す。防御が遅れ、蹴撃を受けたマリアが地面に転がる。突き刺さったままの斧をペーパーバッグが片手で引き抜き、柄の部分を両手で掴む。

「血ヲ吸った、臭イ武器にゃ」

 めきめきと音を立てながら、ペーパーバッグは消火斧の柄が真っ二つに折り、刃の付いた部分を手投げ斧のように投擲する。マリアは跳ね起きざまに飛んできた斧を回避し、そして笑う。

「きひひ。あーあ、“お気に”の武器だったのに」

「オ前も、コにょオにょみタいに、へし折ッてやルにゃ」

 特徴的なペーパーバッグの瞳孔が小さくなる。獲物を捉えた獣の目。武器を失ったマリアだが、内なる戦意は失うどころかさらに昂りはじめていた。


 ――ただの獣人にも飽きたところだ。たまには、バケモノ退治も面白い。


 マリアは右腕をぐるぐると回す。


「ひひ、ひひひひ。んじゃ、私は……その敏感な鼻が利かなくなるまで……――あんたを! ボッコボコにしてやるッ!」


―――


 マリアが跳んだ。ペーパーバッグに勝るとも劣らぬ身体能力で宙返りし、飛び蹴りを見舞う。ペーパーバッグは両腕を交差させて防ぐ。着地際、マリアは続けざまに身体をその場で一回転させる。遠心力のついた右ハイキックがペーパーバッグのこめかみ目掛けて繰り出された。

 だが。

「軽イ! にゃ!」

 驚異的な反応速度で、ペーパーバッグはマリアの脚を両腕で捕らえていた。

 そのままマリアを引きずり倒し、放り投げる。地面に叩きつけられた小柄な天使の身体が、玩具のようにバウンドする。しかしマリアはすぐに立ち上がり、土にまみれた顔で再び不敵に笑った。ペーパーバッグの眉が、不快さにひそむ。

「そウやって、何度ニゃんども立ち上ガればいイにゃ。また痛イ目に合ウだけニゃ」

 聞いているのかいないのか、にたりにたりと笑いながら、マリアはまたしても近寄ってくる。


 そして二人は互いに肩を掴み、組み合った。

 ペーパーバッグは右指先から爪を尖らせ、白い肌に食い込ませていく。マリアの右肩から小さく血飛沫があがる。同じくペーパーバッグの肩を掴むマリアの力は、しかしそれでも緩むことはない。続けてペーパーバッグは身体を密着させ、腹部に膝を叩き込む。一発、二発。

 仕返しとばかりに、マリアが左片腕でフックを見舞う。一発、二発、三発。一撃が重い。だが、耐えられないほどではない。次なる反撃の機会を窺い、ペーパーバッグが顔を上げた瞬間――目の前にマリアの頭部があった。

「!」

 すぐさま、額に衝撃が走った。

 ペーパーバッグはマリアの肩から手を離し、たたらを踏む。その隙を見逃すことなく、マリアは腰を低く落とし、勢いをつけた水平タックルを敢行する。

「コにょ……ッ!」

 地面に倒され、後頭部を打ち付ける。一瞬視界がブラックアウトする。

 再び視界を取り戻すと、マウントを取ったマリアがペーパーバッグを睨んでいた。

 空を背にしたマリアの顔は陰っている。それでも、その狂気に満ちた表情だけは窺えた。

「ひぃっひひひひひ……きひひひひ!」

 頭突きの衝撃で切れたのだろう、額から血を流したままマリアは笑う。ぼんやりと光っていた胸元の水晶が、次第に輝きを増していく。同時に、マリアの右肩と額から流れていた血が凝固し、傷口が閉じていく。

 ――この状況で、マリアは自分自身に対し回復魔法を施しはじめたのだ。

「甘いぃいい。甘いあまぁあいい。こんななまっちょろい“キャットファイト”じゃ、イくものもイけないっつーーのよぉ」

 マリアは片手でペーパーバッグの顔を掴む。その瞬間、ペーパーバッグが感じたのは……強烈な“熱”だった。

「に″ッ」

 まもなく、その熱はマリアの指先を通して全身を駆け巡る。力が抜けていく。例えようのない感覚に襲われながら、ペーパーバッグはそれでもマリアの指を引き剥がそうとする。

「にぎぎぎぎぎぎぎぎぎ」

 腕に生えた体毛が総毛立つ。呼吸が苦しくなる。かつて自分も“M”と呼ばれた身。水晶は摘出され、今では力も使えないが、この正体が何であるかはわかる。

 マリアが施そうとしているのは癒しの力ではない。過剰活性させた生命エネルギーを無理やりに流し込む――暴力だ。

 自由の利く右腕を動かし、爪を展開させる。水晶は力の源でもあり、また弱点でもある。ならば。

「に″ゃアあああ!」

 身体を捻り、右腕の爪で水晶を切り裂く。

 固いものが擦れ合う不快な音と共に、水晶に傷がつく。

「ッ!」

 マリアは咄嗟に手を離し、飛び退く。ペーパーバッグは素早く立ち上がり、くらむ視界のままマリアのハーネスを掴み、投げ飛ばす。

「がっ、ぐ……」

 傷つけられた水晶を手で押さえ、マリアは地面に転がったまま悶絶する。

「私がバケモンにゃラ、お前モ同じにゃ。それでモ、勝ツにょハ私にゃ」

 鼻と目元から流れ出した血を拭い、ペーパーバッグはとどめを刺さんと接近する。


 ――だが、マリアは、またしてもゆっくりと立ち上がった。


「マだ、立つカ、にゃ」

「……ひひ……きひひひ……」


―――


「見えた」

 完全に砕かれるまでには至らなかったが、水晶からは白い蒸気のようなものが立ち上っていた。生命エネルギーが身体中を逆流しているのがわかる。思うように立てない。それでもマリアは戦うことを諦めない。

「ひひっ、ひっ……見えた、見えた。あっ……あんたに力をぶつけてる時にさ……頭の中で、考えてることが……っ!」

 ペーパーバッグはぴたりと足を止める。

「わかるんだよねえ。わかっちゃったんだよねええ。……いっ、今のあんた、サイコーにつまんないやつだ」

「戯言、ニゃ」

「サーニャはさ、自分が何者であるかわからなくて、それを確かめようと、確信を掴もうと戦ってた。大概つまんない理由だけど、あんたより何倍もマシだって、今はわかるよ。……ぐふっ。げほごほ……」

 激しい倦怠感に包まれ、思わず咳き込む。

「ひひひ。あんたは空っぽだ。最初から最後まで、なーんもかも。自分で自分をどうにかしようなんて考えてない。行動を起こす気力も勇気もなくて、ぜえ……ぜっ、ぜんぶ他人任せ。それで一人になって、自棄を起こしてる」

 脳が煮えていく感覚。

「黙レ」

「復讐? そんなんじゃない。何もかも終わっちゃったあとに、気が済むように暴れてるだけ。飼い猫。ひひ……わがままで、自分勝手で、むっ、無力な……飼い猫ちゃん」

「ソにょ口を、閉ジる、にゃ」


「どうせ抗うなら、はじめっから、テッテー的にやんなきゃ、遅いっつーの」


「黙レぇええエええッ!」

 ペーパーバッグが駆けた。反応して避けようとしたが、身体が動かなかった。振り下ろされた鋭い爪が、再び水晶に傷をつける。さっきよりも深い。そのまま猛烈な体当たりをくらい、マリアは地面に倒される。

「げっ……うぐぇ……」

 マリアは激しく嘔吐する。並外れた体力をもってしても、もはや限界だった。一方、激昂したペーパーバッグは全身をざわつかせ、ますます獣じみた風貌へと変化を遂げていく。ここまでか。まあ、それでもいいか。


「お前ニにゃにがわカル……お前ニ……おおおおまああああええええにいいいいいいいい!」


 その瞬間、ペーパーバッグの身体を、刃が貫いた。


―――


「……にゃ?」

 ペーパーバッグは腹部から伸びた血塗れの刃を、肉球でぺたぺたと触る。


 赤い。血だ。誰の? 自分の。


「この、バケモノめ」

 背後から声がした。何故か、どこかで聞いたような声だった。“銃剣”が勢いよく引き抜かれ、腹部から大量の血が溢れた。

 ペーパーバッグは振り向き、声の主を見た。全身傷だらけの、しかし毅然とした表情を崩さぬ天使が、地を踏み、しっかりと小銃を構えていた。

「にゃ」

 ペーパーバッグはよろよろと天使に近寄っていく。何故か天使は発砲しなかった。

 白い体毛の生えた両腕を、天使の首へと伸ばす。

「……」

 ペーパーバッグは全てを理解した。この天使が何者であるかも、ほんの一瞬で。

 体毛がはらはらと抜け落ち、ペーパーバッグの身体が獣化から解けていく。細い腕で天使の首を掴む。絞め殺してやろうとしたが、力が入らなかった。


 息も絶え絶えのまま、口を開く。


「そっか。お前か」


 声は小さく、天使の耳には入らない。それでもよかった。


「――……いつか、私の手で殺してやりたいと思ってた。思ってた……のに、な」


 小銃が火を噴き、ペーパーバッグはその場に崩れ落ちた。

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