XII
多くの天使がそうであるように、アルマもまた、前世の記憶を原動力として動いている。楽しかったあの記憶。二人と一匹で過ごした日常。そこに帰る為に、彼女は戦場で抗い続けた。一日たりとて、それを忘れたことはない。
「チェエエエエエイイッ!」
独特の気合が戦場に轟く。鬼神の如き形相で、アルマは獣人へ銃剣を突き立てる。背後から捨て身で襲ってきた獣人をバックキックで弾き飛ばし、続けて小銃による射撃を叩き込む。強制賦活剤で強化された肉体が、精神力にも拍車を掛けていく。次々と襲い掛かる獣人を打ち倒し、終わらぬ戦いの先を見据える。小隊長という肩書を捨て、アルマは一人の戦士となった。
上空へと飛び上がり、次なる目標に狙いを定めようとしたその時、アルマはふと視線の片隅にそれを見つけた。
先ほど、要塞から突然現れた影。天使のような少女の人型でありながら、どのタイプとも違う“何か”。いつの間にかここまで接近していたか。視線を移したその瞬間。
「!」
眩暈に襲われた。力強く身体を持ち上げていた背中の羽に力が入らなくなり、アルマの身体は急降下して地に落ちる。
――あれは。
地に落ちたアルマに、獣人が群がる。
――誰だ?
敵か味方か。それ以前の、強烈な違和感。あれは誰だ。あれは……何だ?
混乱しつつも、アルマは襲い掛かる獣人に応戦する。
「……違う。違うな。私には……余所見などをしている暇はない」
独り言ち、全身の筋肉を再び奮い立たせる。幸いにして、身体中を巡る薬物の力はその切り替えを容易にさせた。
少なくとも味方ではない。ならば、軍勢の中を一直線に突き進んでいた“あれ”は、危険分子であると、アルマは判断する。その先にいるのは、サーニャかマリアか。
「急がなくては」
おそらく、この力もそれほど長くは続かないだろう。余計な気を取られている暇はない。アルマは背中の羽をぶわりと展開させ、戦場の中心へと視線を定める。
血の臭いの漂う戦場に、白い羽根が舞った。
―――
一方、レッドウルフという指揮官を失った事実は、周囲の獣人達の群れにも伝わりはじめていた。広がる混乱。台風の目にいるのは、外套を纏った狂戦士。
「なぁああああにを勝手に逃げてんのさあああああッ!」
マリアは、自分に怒りという感情がないということを自覚していた。殺して殺されて当たり前。いちいち周りの死を気にしていたら、次にくたばるのは自分だからだ。
だが今のマリアの中には、ひとつの奇妙な感情が芽生えていた。はじめての? 否、それはあの時……エイミーという天使を失った時によく似た感情。これを何と定義すればいいのか、マリアは整理ができずにいる。それでも構わない。この感情が全身に及ぼす力はまさに“戦いにうってつけ”の力。それなら、ただ湧き上がる力に身を任せればいい。
左右を囲んでいた獣人が、まとめて一斉にマリアへと飛び掛かる。だが獣人達が捕らえたのはマリア自身でなく、血まみれの外套だけだ。
「――ぁぁぁああ甘っちょろいってええええのよお!」
真上へと飛んでいたマリアが、勢いをつけて一体の獣人の頭部を蹴り、踏み砕く。続いて手近な獣人を消火斧の柄で殴打し、すかさず全身の力を乗せた刃を頭部に振り下ろす。もう何体殺したか。外套の下、薄着にハーネスを纏ったマリアの身体が露わになり、そこからは湯気が立ち上っていた。
狂った鬼神の凶行を目の当たりにした獣人達が散り散りに逃げていく。
やがて、その波を掻き分けるように、一つの影が姿を現した。
「お?」
ジャージ姿の、天使。天使?
「……血と、獣にょ臭い、にゃ」
「お。お? ねこみみ??」
「臭いにゃ。臭くて、鼻が曲がりそうにゃ」
小さなハンマーを手にした“天使のようなもの”……ペーパーバッグは、首をがりがりと掻きながら悠然とマリアの前に立つ。
「きひひ。ひひ。奇遇だねえ。私も、ここは臭くてたまらないと思ってたのよ」
味方ではないと一瞬でわかった。マリアは、その姿に見覚えがあった。
「こんにゃひどい臭いにょ中じゃ、あいつを見つけるにょも一苦労にゃ」
唸るペーパーバッグの左から、一体の獣人が飛び出してきた。おそらく彼女の姿を見て、天使だと思ったのだろう。ペーパーバッグは目線を向けることもなく、左手を伸ばし、獣人の頭部を鷲掴みにして食い止めた。
「こんにゃひどい臭いにょ中じゃ――」
手足をばたつかせて暴れる獣人の頭部を、ペーパーバッグの指先が捕らえる。続いてその腕がざわざわと蠢きはじめ、ジャージの袖を突き破るように白い毛が生えていった。
腕は見る間に毛深くなっていく。
「――こにょ薄汚れた血にょざわつきを抑えるにょも、一苦労にゃ」
ペーパーバッグの左手が、獣の腕になった。
「ガ、ググググ……」
掌には立派な肉球。そこから生えた指が、めりめりと獣人の頭部に食い込んでいく。
「邪魔にゃ」
五本の指先から鋭い爪が飛び出し、獣人の頭部を貫く。そのままペーパーバッグは頭部を握り潰す。頭部を失った獣人はその場に倒れ込み、二、三度痙攣した後、動かなくなった。
「何かと思えば、紙袋の下はカワイコちゃんじゃない。それに、とんだバケモンだ」
「そう。見てにょ通り、私はバケモンにゃ。天使でも獣人でもにゃい。ケモニャーにゃ」
にゅるり、と爪が引っ込む。
「あんたとは、もう一度戦いたいと思ってたのよねええ」
マリアが唇を舌で舐め、恍惚とした笑みを浮かべた。
「……私は会いたくにゃかった。お前は、特に血にょ臭いが濃い、にゃ。天使と、獣にょ血と、小便と、硝煙にょ入り混じった臭いにゃ。これまで見た誰よりも臭うにゃ」
ペーパーバッグは苛立ちを隠さずに眉をひそめる。
「そういう、あからさまな殺意をむけられると」
再び全身がざわめきだす。持っていたハンマーがするりと手から落ちる。
「私にょ、汚い血が……」
頭部から生えた耳がぴくりと揺れ、両腕、そして背中から胸元にまわるように白い毛がぞわぞわと生えてくる。
「に″ゃ」
下半身はそのままに、上半身だけが、しなやかな獣人じみた風貌に変わっていく。
「に″ゃあ″あ″あ″あ″あ″あ″あ″あ″」
――姿を現したのは、天使と獣人の悲しいキメラ。
「コにょ汚イ血が――私にョ中で、暴レ始める。……にゃ」
―――
ごうん、と音が響き、大口径弾が獣人の頭部を貫く。
「また来た!」
シエラが叫ぶ。ロメオは双眼鏡を放り捨て、ATVの車内にあった散弾銃で応戦していた。
「ワタシは大丈夫です……大丈夫!」
二人の乗るATVを、目を血走らせた獣人が取り囲んでいる。
指揮系統を失い、混乱状態に陥った多くの獣人がATVに目をつけ、襲い掛かってきていた。大口径狙撃銃の恐るべき轟音も混乱した獣人の耳には届かず、かえって騒ぎを煽る結果となっている。ロメオが慌てて発進させ、数体の獣人を轢いたものの、その内の一体が底部に引っ掛かり、ATVはスタックしてしまっていた。
ロメオは散弾銃を手元に置き、アクセルをふかす。がががががが、と耳障りな音が底部から響く。ATVは動かない。
「逃げて。ロメオだけでも!」
「死ぬ時は一緒だって、言ったですよ!」
「ばか! こんなところで――」
繋ぎかけたシエラの言葉を、散弾銃の発射音が遮る。
「シエラ、後ろです!」
「え」
いつの間にか急接近していた山羊頭の獣人が、シエラを襲う。シエラは体勢を崩し、ATVの後部座席で山羊頭に圧し掛かられる。
「このっ!」
ロメオが素早く散弾銃の銃口を獣人に向ける。トリガーを引く。弾が出ない。排出口に赤い空薬莢が引っ掛かっている。排莢不良だ。ここにきて。
「ゲエエエエエ」
山羊頭の手がシエラの肩を掴む。シエラは咄嗟に狙撃銃の銃床で山羊頭の脇腹を殴打するが、うまく力が入らない。狙撃に特化した義手はあくまで非力だ。ざらつく長い舌がべろりとシエラの頬を撫でる。ひどい悪臭に、シエラの顔が悪寒に歪む。
「あ……ぐ……!」
「この、この……こんのおおお!」
詰まった薬莢を取り出すことを諦めたロメオが、散弾銃を持ち替え、銃身を掴む。射撃で熱せられた銃身が掌を焦がす。だがロメオは構わずにそのまま散弾銃を振りかぶり、山羊頭の頭部を打ち付ける。
「ワタシの恋人に……何をしてくれてやがりますか!」
打ち付ける。打ち付ける。打ち付ける。やがて、鈍い音と共に山羊頭は血を吐き、シエラにぐったりとうなだれかかってきた。
「脚……が……!」
はずみで、右義足が壊れる音がした。シエラは何とかそこから抜け出そうとするが、山羊頭の身体は重く、動かない。踏ん張ることさえままならない。
「ロメオ。……ロメオ!」
シエラは恋人の名を叫ぶ。
「やっぱり、私のことはいい。脚が壊れた。ここから降りても、この身体じゃ足手まといになる。だから私が奴らを引きつける。その間に」
「できない、って、言ってるじゃないですか!」
「……でも」
言葉を失い、シエラは小さく呟く。
「まだワタシは、希望を捨ててなんていないです。自分が足手まといなんて、そんなこと、もう一度言ったら許さないですよ」
「あ……」
シエラは何かを言い返そうとした。だが、続く言葉が出なかった。目に飛び込んできたのは、懸命に自分を守ろうとする恋人の横顔。
「だから――」
突如ATVが横に大きく揺れ、ロメオは体勢を崩す。
「わっ!」
見れば、獣人の数体がATVに体当たりしていた。
「!」
ふと我に返り、シエラが叫ぶ。
「ロメオ! 今ならいける! アクセルを!」
「あ……っ、はい!」
弾かれたようにロメオが運転席に腰かけ、アクセルをふかす。動かない。続けてバックギアに入れる。ふかす。
激しい振動の後、タイヤが地面を噛み、ATVは勢いよく後進をはじめた。
「よし! やった、やりましたよ、シエラ!」
ロメオは歓喜の声をあげ、ギアをドライブに入れ直す。砂埃をあげ、ATVが再び走り出す。
「……」
「シエラ?」
後部席へ振り向き、ロメオが声をかける。
「ロメオ」
「はい?」
――いつの間に、こんな精悍な顔になったのだろう。いつの間に……いや、きっと最初からだ。ずっと、自分は助けられてきた。ずっと、傍にいてくれていたから、気が付かなかったのだ。だから、いつまでも一緒にいよう。守られた分は守りかえせばいい。ATVに揺られながら、シエラはそう誓った。
シエラは恋人の顔をしばらく無言で見つめ、それからこう言った。
「……早く、この死体をどけてくれないかな?」
それは、精一杯の強がりだった。




