XI
「一体確認。人型。銀色の髪。早い」
「敵? 味方?」
「不明」
言葉を返さず、シエラは引き金を引いた。乗っていたATVを揺らすほどの衝撃と共に撃ち出された大口径弾は、標的の近くに着弾する。照準が定まらない。
「着弾せず。……あれは……天使に見えました、です」
「でも違う。そうじゃない。天使でも、獣人でもない」
「どうしてわかるですか?」
「目を見たの。スコープごしに。何もかも捨ててる、復讐の目」
レバーを引く。薬莢が転がり、次発を装填する。
「この戦争はクソッタレだって、あの女は言ってた」
“人型”を追うのは無理そうだと判断したシエラは再び軍勢に銃口を向ける。銃を持った獣人から優先的に仕留めていく。もう何発撃っただろうか。肩から背筋のあたりが痺れている。……何体、殺しただろうか。
「わけのわからないものが増えていく。私達もそう」
まともな戦いではない。作為的な“誰か”の手が、ここには介在している。戦場は変化し、その形はますます歪んでいく。
「アリス」
ロメオが、ぼそりとその名を呟く。かつて運命共同体だった天使の名。スコープや双眼鏡ごしに確認しただけに過ぎない。話したこともない。だが彼女が重要な何かであったことは、二人にはわかる。おそらくは、新しい、何か。
「作って、試験して、用が無ければ捨てられて」
「たくさんの命が、この戦場で弄ばれる。身体も、たぶん、心も」
「誰の為の戦争なんでしょうね」
「少なくとも、私達の為じゃない」
シエラが鎮静剤入りの煙草を取り出そうと、ポーチをまさぐる。最後の一本。手元に目線を移し、じっと見つめる。ロメオがライターを取り出そうとした矢先、シエラはその煙草を握り潰し、足元に捨てた。足元にはこれまで吸ってきた何本もの煙草が落ちている。
「シエラ?」
「もう、鎮静剤も効きそうにないわ。それより、甘いもの、ない?」
「――こんなところで死ぬなんて、私達の運命じゃない」
―――
とめどなく流れてくる鼻血を拭い、サーニャはレッドウルフを見定めた。
「……ふぅー……はぁー……」
先ほどまでの興奮はすっかり落ち着き、呼吸も正常になっている。強制賦活剤の効果は続いているが、その強力な効果をサーニャは自らの精神力で抑え込めるまでになっていた。おそらく長くは持つまい。
近くでは、外套を振り乱しながらマリアが獣人を次々と屠っている。狂乱と快楽に満ちた叫び声が、どこか遠くに聞こえる。
余計なことは置き去った。右脚を半歩前に出し、左義手のブレードを胸元に構える。一方、だらりと垂れ下がった右腕の肘から下は無い。
目的はただ一つ。この特異種を殺すこと。
レッドウルフもまた軍刀を納め、独特の構えで向き直る。戦場の真ん中で二人を包む、この決闘じみた気配に同調した。
「ウウ……」
低く唸る。来るなら来い。そう言っているような声。
「うるさい。勝つのは、私なんだ」
幾多もの獣人の血を吸ったブレードが鈍く輝く。――そして、サーニャは駆けた。
身体ごとぶつかるような体勢から、水平にブレードが閃く。レッドウルフは柄でそれを押さえるように防ぎ、右腕で肘打ちを見舞う。サーニャの左こめかみに肘が入る。しかし体勢は崩さない。身体をその場で時計回りに一回転させ、再びブレードを袈裟掛けに振る。ブレードの切っ先がレッドウルフの右腕をかする。体躯を捻られた。浅い。
何度か刃を交えたサーニャは、本能的にレッドウルフの間合いを把握していた。狙うべきはインファイト。軍刀を抜かせず、一方的に勝つ。方法はこれしかない。
レッドウルフの繰り出す格闘に怯むことなく、サーニャは間合いを詰めながらブレードを振るう。殴打された部分は痛むが、少しでも隙を見せればまたアドバンテージをとられることになる。それだけは避けなければいけない。
「ああああああああああ!」
視界が歪む。痛みが身体のあちこちを襲う。それらを切れかかった薬の力と精神力で捻じ伏せ、一心不乱に斬りつける。これで。これに勝つことで、自分は全てを取り戻せる。己へそう言い聞かせる。ぶれる視界。鍔迫り合い、かちあうブレードを通して伝わる鈍い振動。
レッドウルフは咄嗟に軍刀から両手を離し、左義手を捕らえた。捻り上げられ、身体が前方へ一回転する。仰向けに倒れたサーニャに軍刀が襲い掛かる。サーニャは倒れたまま、しかし尋常ならざる反応速度でブレードを構え、軍刀の切っ先を逸らす。
サーニャは横へと転がり、片腕だけで巧みに起き上がる。起き上がり様に右脚を突き出し、追撃を加えようとするレッドウルフを蹴り飛ばす。
一足一刀の間合い。リーチの短いブレードでは不利な状況。バク転で素早く間合いを広く取る。
互いの間に静寂が訪れる。後の先。その先を読む。視線が交錯する。
「……」
突然、レッドウルフは軍刀の柄から手を離し、ゆっくりと近寄ってきた。サーニャをじっと見たまま、一歩、また一歩と前へ。ゆらりゆらりと呼吸を整えながら。
サーニャはしかし衝動に身を任せることなく、全身のバネを余さず押さえるように構える。撃鉄を起こす感覚。自分を一発の銃弾と定める。こちらも深呼吸し、焦る心を落ち着かせる。
おそらく相手はこちらの動きを読み、一閃を叩き込むつもりだろう。
ならばその速さの上を行く。負けるものか。
一歩。
一歩。
一歩。
サーニャが飛んだ。全身のバネが解放される。下半身のバネは懐に飛び込む為の推進力に。上半身のバネはブレードを振るうためだけに利用される。
レッドウルフが目を見開き、逆手で軍刀の柄を掴んだ。
サーニャはブレードに全神経を集中させる。
レッドウルフは腰を引き、鞘から軍刀を走らせる。
薄く鋭いブレードが水平に振るわれ、空気を裂く。
軍刀が加速する。
ブレードが加速する。
軍刀が鞘から放たれ、逆袈裟に閃く。
ブレードはレッドウルフの首めがけ、速度を増す。
そして――。
放物線を描き、サーニャのブレードが地面に突き刺さった。
―――
「お前は」
薬が切れ、視線が定まらなくなってなお、サーニャはレッドウルフを睨み続けた。
両腕を失い、それでもレッドウルフの前に立ち塞がる。戦意は失っていない。
「お前たちさえいなければ、私は」
レッドウルフは逆手に持った軍刀をすべらかに納刀する。
サーニャの目の前に、いくつかの影が浮かんできた。
サニー。サーリャ。そしてアメリア。皆、まだ自分の中にいる。そう思えて安堵しかけた直後、影はやがて透明になり、消えていった。それは幻覚だった。
自分は何の為に戦ってきたのだろう。私が私である為に。戦えば認められるから。また一人にならなくて済むから。今の自分は戦場で一人ぼっちだ。だけれど、この敵を倒せば、また皆が迎えてくれる。よくやったね、と迎えてくれる。サーニャ。その名前で呼んでくれる。
「お前さえ倒せば、私は」
血混じりの涎が口から垂れる。同時に、涙が頬を伝い始めた。それを拭う手は、今のサーニャにはない。
レッドウルフはサーニャを見返した。その目は嘲りも失望もなく、ただ一人の戦士を見る目だった。
「……」
「……」
「……私は」
「……」
顎の先から涙が一滴、地面へと零れ落ちる。
その刹那、サーニャが駆けた。口を開き、レッドウルフの首をめがけて走った。
レッドウルフは静かに柄先を下げ、半分ほど鞘走らせてサーニャの鳩尾を柄で突いた。
怯んだサーニャに、レッドウルフは軍刀を水平に一閃させ、そのまま背中を向けた。
そして静かに軍刀を鞘に納めたと同時に、サーニャの胴体から血が迸った。
「……あ……」
サーニャは膝をつく。口から血を噴き、天を仰ぐ。
「……みんな」
霞む視界の中、再びいくつかの影が浮かんできた。ロジーナ。マゴット。それは、サーニャが自分の名を呼んでもらいたいと思っていた者の影だった。
けれど影の横には、見知らぬ天使の姿があった。ロジーナもマゴットも、そちらの方を見た。自分ではなく、この戦場で心を通わせた者の姿を見ていた。
ようやくサーニャは気付いた。
「そっか」
力なくうなだれたサーニャに、レッドウルフは向き直った。
「……もう、私は、誰でもなかったんだ」
サーニャはそう呟いた。
「あの時から。もう。一人ぼっち……だったんだ」
とめどなく、目から涙が溢れ始めた。
レッドウルフはサーニャの首筋を見据え、ゆっくりと軍刀を振り上げる。
「――」
サニー。あるいはサーリャ。うなだれ、泣きはらし、涙で顔をくしゃくしゃにさせながら、最後に“彼女”はその名を呼んだ。
どちらの名を呼んだのか。それは、誰にも聞き取ることは出来なかった。
―――
介錯を終え、レッドウルフは刃についた血を振り払い、鞘に軍刀を納める。
「ウウ……」
低く唸り、足元に目を移す。首のない天使の死体がうずくまるように転がっている。レッドウルフの双眸に宿っていたのは、憎き敵を見る目ではなく、共に刃を交えた勇敢な戦士を見る目だった。
「……」
両手を合わせ、目を閉じる。
その直後、脳天に消火斧が深々とめり込み、レッドウルフは絶命した。
―――
「これで三度目。……まあ、間に合わなかったけどね」
足を使って強引に斧の刃先を引き抜き、マリアは唾を吐いた。
「……ブシドーだかキシドーだか知らないけど、私にゃ、そんなもんはねーっての」
サーニャの死体。その傍に、脳漿を飛び散らせて死んだ迂闊な獣人の死体が追加される。
「満足したのか、そーじゃないのか。わかんないけどさ」
両手を切り飛ばされ、首をなくした天使。戦い続け、そして壮絶に死んだ一人の天使。
「あんたも、つくづく、最期までつまんない意地張って、つまんない死に方しちゃってさ」
「――ばかみたい」
物言わぬ亡骸を見つめ、マリアはそう呟いた。




