VII
フォーリン・エンジェル作戦。
それは、敵対する獣人に占拠された、要塞島『ラオ島』を奪還するため、解放軍が決行した作戦である。
作戦は三段階。
一つ目は、島の各地にある対空砲を無力化し、後続の降下を支援すること。
二つ目は、中心部にあるとされる管制装置、通称“フラッグ”を奪取し、島を守る磁場システムを切ること。
三つ目は、海上に待機した強襲揚陸艦による殲滅を行うこと。
―――
何かに導かれるように、アリスはひたひたと要塞内を進む。
地図があるわけでも、誰かに教えられたわけでもない。ただ超人的な勘と判断力だけで、アリスは要塞を奥へ奥へと進んでいく。
作戦目標はフラッグ。それを見つけ、奪取すること。
階段を上がる。廊下を行く。獣人がいれば排除する。再び階段を上がる。そしてまた廊下を行く。目標は近い。そう感じた。疑念や決心といったものはアリスにはない。
ただ進み、制圧するのみだ。
がらららん。がららん。
やがていくつかの部屋を過ぎた頃、背後から音がした。何か重いものを引く金音。
がらららん。がん。がん。
アリスは歩みを止め、小銃を構える。
「……」
やがて二者は相対した。アリスと……そして、ペーパーバッグ。
―――
「……」
「……」
両者の間に沈黙が流れる。緊張感というよりは“ただそこにいた者を見つけただけ”という目。アリスもペーパーバッグも、同じように互いを見た。
「敵対象」
小銃の安全装置を解除し、アリスが口を開いた。
「排除します」
アリスがトリガーを引く。たたん、たたたん、と、指先に応じて弾が放たれる。
ペーパーバッグは飛んでくる銃弾に怯まず、ロングハンマーを振りかぶりながら接近を試みる。アリスは羽を使って後退しつつ、間合いを詰めさせまいと引きながら撃つ。ペーパーバッグは身体を捻り、流れるような動作でスイングする。コンマ数秒前までアリスがいた場所へ、冷たい鉄塊が空を切って薙ぎ払われる。アリスはすぐに照星から目を離し、腰だめで地面へと小銃を斉射。対するペーパーバッグは銃口の先を読み、軽やかなステップで銃弾をかわしていく。
引く。撃つ。避ける。接近。引く。撃つ。少しでも動きを誤れば、戦況はどちらかに傾く。正確な動きの、裏の裏をかく。両者は一歩たりとも譲らない。
だが、やがてアリスの背に行き止まりが迫ろうとしていた。
引く。撃つ。引く……――最後のステップ、その一瞬に、アリスは壁の手前で大きく跳躍し、後ろを蹴るように反転して飛んだ。頭上を追い越すように宙を舞うアリスに、ペーパーバッグは咄嗟にロングハンマーを振り上げ、叩き落さんとこれを迎える。
ハンマーの先がアリスの羽をとらえ、殴打と共に白い羽根が舞った。
アリスはバランスを崩して落下するも、受け身を取って素早くペーパーバッグに照準を合わせて小銃を撃つ。たたん。たん。かち。トリガーを引く指が止まる。
残弾数ゼロ。アリスは小銃を放り捨て、手元の拳銃を引き抜く。
「……」
「……!」
――その一瞬の隙をついて、ペーパーバッグがアリスの頭部にハンマーを振り下ろした。
―――
記憶が舞い戻る。奥底に眠っていた記憶と感情が、眩暈と共に引き戻される。
痛い。辛い。寂しい。帰りたい。自分はどうしてここにいるのだろう。
戦っても戦っても、終わりは来ないように思えた。
何のために戦う? 自分のため? 違う。いくら戦っても、永遠に終わらない。
籠の中の鳥。あるいはモルモット。解放されない魂。逃れ得ぬ牢獄。叫ぶことも許されない牢獄。自分に出来るのは、もがき続けることだけ。
楽になれるのなら、いっそ死んでしまおうか。
そう思った瞬間、記憶のさらに奥底から低い声が聞こえた。
――生きろ。
声は冷たく言い放った。生きてどうなる。
――生きて戦え。戦って、戦って、戦い続けろ。
どろりと流れが遅くなった血を押し流すように、奥底から冷たい血が逆流してきた。
身体中を、再び勢いよく血が流れ始める。引き戻された一切の感情も想いも、全てが流されていく。
ああ。
戦わないと。
戦わないと、生きられない。
戦わないと、ここに居られない。
なぜなら、自分はそういう存在だから。
視界に瞬く眩暈の光が収まっていく。
そして全ては流れ去った。――ただひとつだけ残ったのは、痛みという名の感覚。
―――
頭部への一撃によりうつ伏せに倒れたアリス。そこにとどめを刺さんと振り下ろされたハンマーを、素早く横に転がって避ける。
そのまま両脚をペーパーバッグの脚に絡ませ、カニ挟みの要領で身体ごと捻る。ペーパーバッグが転倒した。
続いてアリスは身体を起こし、腰に差したナイフを引き抜いた。ブラックタイガーから奪ったものだ。背中に向け、片手でナイフを突き立てんと振る。だがペーパーバッグもまた仰向けに転がり、アリスの手首を掴みこれを妨害する。
上になったアリスと、倒れた姿勢のペーパーバッグ、生気のない二人の視線が交錯する。
ペーパーバッグが右膝を跳ね上げ、アリスの脇腹を突いた。
「が……がはっ、ごほっ……」
アリスは“痛み”に苦しむ。その隙にペーパーバッグはナイフを振り払い、アリスの襟元を両手で掴む。アリスもまたペーパーバッグの頭を掴み、両者はごろごろと地面を転がる。
ちりん、と何かが落ちる音がした。
……金属音?
視線を外したのはペーパーバッグだ。
何を見たのか、ペーパーバッグはその金属音の先……アリスのポーチから落ちたドッグタグに目を奪われた。
「あ」
――その時、ペーパーバッグは初めて声を発した。幼く、か細い声だ。
アリスの手に力が入る。くしゃり、と紙袋が音を立てて歪む。指先から、ペーパーバッグの紙袋に穴が開く。
勢いに任せ、アリスはペーパーバッグの被っていた紙袋を引き裂く。
「……!」
ペーパーバッグの紙袋が取り去られる。
紙袋の下から顔を現したのは――少女の顔だ。
ペーパーバッグは……いや、“彼女”は天使だった。ただ一つ違うところがあるとすれば、髪の色がどの天使とも違う、銀色に近い白髪であること。
そして、頭部に“猫の耳のようなもの”が生えていること。
憎悪のこもった目で“彼女”はアリスを睨む。
「……見たにゃ」
奇妙な語尾を付け“彼女”は呻く。アリスは驚く素振りも見せず、続けて拳を振るおうとする。だが“彼女”は凄まじい力で身体ごとアリスを押し倒し、立ち上がる。
先ほどまでの冷徹ぶりから一転して、“彼女”は怒りに震えていた。
感情のトリガーとなったのは、アリスの落としたドッグタグだった。アリスが降下後に初めて出会った一人の天使。その天使が身に着けていた個人識別票。
裏返ったタグには、どこの言語とも知れぬ文字がペンで記されていた。今の“彼女”にはもはや読めない文字であったが、その筆跡には見覚えがあった。
『ねこちゃん だいすき』
タグの裏には、そう書かれていた




