V
静けさを取り戻した要塞内で、気配を捉えたアリスが小銃を構える。
誰何の必要もない。何者かは、すでに分かっている。
先ほどと同じように現れたのは、旧式のレバーアクションライフルを手にした特異種、ブラックタイガーだ。その後ろから、五体の獣人。直属の親衛隊員か。いずれも2m近い、巨体の獣人。“小さなタンク”とも形容できる。オリジナルと違うのは、それぞれが違う頭部を有すること。右から、山羊、鹿、牛、豚、駱駝。既存の獣人と特異種の間に位置する種といったところか。
―――
ブラックタイガーは品定めをするようにアリスを見、グググ、と笑うようなそぶりをみせた。この天使の目は、他と違う。まるで周囲の空間だけが切り取られたがごとく、一切の油断も隙もない。先ほどまでと同じように……いや、より鋭さが増している。
ブラックタイガーは手を真横に広げ、五体の獣人にサインを出す。
「……」
待て。
待て。
行け。
「アアアアアアアッ!」
ブラックタイガーが腕を下ろすと同時に、三体の獣人、豚頭、山羊頭、牛頭が飛び掛かった。
「排除します」
雄叫びに竦むこともなく、アリスは反射的に小銃を構え直し、まず豚頭の獣人に銃弾を叩き込む。まともに浴びてなお、豚頭の勢いは止まらない。その隙に左右から迫ったもう二体の獣人、山羊頭と鹿頭が、ハンマーのような巨腕を同時に振り下ろす。
――やったか。
たたん、たたん、と地面近くで小銃がリズミカルな音を立てる。放たれた銃弾のうち何発かが山羊頭の背中を貫通し、血飛沫を上げる。崩れ落ちた山羊頭の足元には、羽を折りたたんで姿勢を屈めたアリスが小銃を真上に向けていた。一体目。
続いてアリスは小銃を肩にかけ、鹿頭の腕を駆け上り、首に乗る。乗ったまま、傍の豚頭の眉間に向けて、ホルスターから拳銃を抜き一発。貫通力の高いAP弾は豚頭の頭蓋を砕き、脳漿を撒き散らせる。二体目。
頭部に取り付かれた鹿頭が、アリスを引き剥がそうともがく。その指の一本を、アリスはおもむろに口にくわえて噛み千切った。切断された指先から血が噴き出る。アリスは指を吐き捨て、片手で拳銃を抜き替える。ホローポイント弾の装填された拳銃を鹿頭の口に押し込む。発砲。二発。鹿頭は吐血し、膝から落ちる。三体目。
「ゲエエエエッ!」
残り二体。アリスは崩れ落ちる鹿頭の肩を蹴って跳躍し、羽を用いて飛ぶ。空中で小銃を構え、続けて駱駝頭の背中へと撃つ。駱駝頭は倒れず、叩き落そうと振り向きざまに腕を振るう。アリスはその腕を避けることなく、蹴りを放って反動で再び逆側へ跳躍する。姿勢を変え、今度は足元に向けて撃つ。バランスを崩した駱駝頭が転倒する。
うつ伏せに倒れた駱駝頭に留めを刺そうと銃口を突きつけるアリスに、残る一体の獣人、牛頭が横薙ぎの右フックで妨害に入る。咄嗟にアリスはその脇下に潜り込み、肩に向けて小銃を連射する。右の巨腕が引きちぎられ、宙を舞った。
それでも牛頭は怯まず、もう一方の左腕で応戦する。アリスはその腕をしがみつくように捕らえ、全身の力を使って関節を逆方向に折る。そのまま着地し、痛みに悶絶する牛頭の首に銃口を合わせてトリガーを引く。右腕に続き、頭部が宙を舞う。首を失った牛頭は残った左腕を壊れた人形のように振り回し、すぐに動かなくなった。四体目。
最後に、背中と脚を撃たれ起き上がれなくなった駱駝頭の頭部を、アリスは右脚で粉砕する。五体目。
―――
なるほど、とブラックタイガーは唸った。
護衛につけていた五体の獣人は、いずれも高い耐久力と腕力で多くの天使を屠ってきた猛者だ。それを、この天使はいとも簡単に仕留めてみせた。するりするりと合間を抜けながら、どう避ければいいか、どこを撃てば死ぬか、すべて分かった上で動いている。一片の無駄もない。
奥でライフルを構えていたブラックタイガーは、こちらに向き直ろうとするアリスの手元を撃ち抜く。甲高く弾ける音と共に小銃が飛ぶ。だが右掌を撃ち抜かれてなお、アリスは痛みを気にすることもなく、二挺の拳銃を同時に構えて走り出した。
ブラックタイガーもまた距離を離すように走り、続けざまにライフルを連射した。かきん、かきん、と一発ごとにレバーを引く音が廊下に響き渡る。走る先を見据えての、機械のように正確な偏差射撃。この正確さこそがブラックタイガーの強さだ。
しかしその計算を上回るように、アリスもまた機敏に回避する。ブラックタイガーは拳銃の有効射程に入らぬよう、一定の距離を保っていく。手元を見ることもなく、懐から銃弾を取り出し、ライフルのポートに滑り込ませていく。三発ほど装填し、レバーを引いて撃つ。
ぐん、とアリスが姿勢を屈め、一直線に急接近した。一瞬の挙動に対応して放ったライフル弾はアリスの頬をかすめ抜いて飛んでいく。
接近を許したか。だが、まだだ。
ライフルを片手で持ち替え、右手でナイフを振るう。アリスはそれを左手の拳銃で受け止め、下手から右手の拳銃を突き出す。ブラックタイガーはライフルを下に振るって銃身で弾く。右手の拳銃から撃たれた銃弾は壁に着弾。
ブラックタイガーはナイフを手近な壁に突き刺し、ライフルのレバーを引く。ロジーナがそうであったように、ブラックタイガーもまた至近距離でのライフルの扱いに長けていた。銃身を振り回しながら、二挺の銃口が向かぬよう応戦していく。二人の動きはさながら中国武術のような光景であった。
二人の間でぐるぐると回転するライフルは、一瞬の隙をついてリロードされ、そして射撃される。弾はアリスに着弾することなく、壁や天井へと飛び、次々とあたりへ跳弾していく。
やがてアリスは右手の拳銃を勢いよく払い、ライフルでの防御を崩した。ブラックタイガーは素早くライフルから片手を離し、壁に刺さったナイフを抜いてアリスの顔面に突き立てようとする。切っ先が鼻先に留まる。その下では、それでも銃口を向けようとするアリスの拳銃を、ライフルの銃身がなんとか抑えている。
アリスの右脚が振り上げられた。ライフルの銃身が跳ねあげられ、拳銃の銃口がブラックタイガーの腹部へ向く。発砲。ブラックタイガーは被弾の痛みに耐えながらも、崩れた体勢のままアリスの鼻先にあったナイフを押し込もうとする。ナイフが滑り、左頬を深々と抉った。
咄嗟にアリスは両手の拳銃を地面に落とし、ナイフを持つブラックタイガーの手を掴んだ。ブラックタイガーは片手でライフルを振り、銃床をアリスの脇腹へ叩きつける。アリスは怯まない。
首筋近くで光るナイフの刃が、二人の力比べで左右に動く。もう一度、とブラックタイガーがライフルを横薙ぎに振ろうとしたタイミングで、アリスは素早く身を落とし、重心の移動を利用して姿勢を崩した。アリスはそのまま手を捻りあげ、ブラックタイガーの顎下に向けてナイフの切っ先を返す。
ずぶ、と、ブラックタイガーの顎下にナイフが数センチほどめり込んだ。
「ガ、アガ……グググググ……」
まだだ。まだ致命傷ではない。ブラックタイガーはアリスへと目線を移す。
掌を撃たれ、左頬を切り裂かれ、脇腹を殴打されてなお、アリスはまったく表情を崩していなかった。手にしたライフルは装填されている。おそらく、あと一発。ならば、と、ブラックタイガーは渾身の力で銃口を向けようとする。
おもむろにナイフが引き抜かれ、二度、三度とブラックタイガーの腹部が刺突される。まだ致命傷ではない。まだだ。じりじりと、ライフルの銃口をアリスの胴体へ向ける。
一発でも。一発でもこの天使を撃ち抜けたなら、勝機は――。
アリスの左膝が、ライフルの銃身を無慈悲に蹴りあげた。
勢いのまま、がら空きになったブラックタイガーの心臓に、ナイフが突き立てられる。
「……グ……」
力を失ったブラックタイガーはライフルを地面へ落とし、よろよろと後退する。心臓部に突き刺さったナイフ、その下の腹部からは、内臓がこぼれ落ちていく。
アリスは拳銃を拾い上げ、ブラックタイガーの眉間へと銃口を向ける。
銃声が響いた。




