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フォーリン・エンジェル  作者: 黒周 ダイスケ
ALICE THE COLDBLOOD
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IV

「あ、うあ……?」

 朦朧とした意識のまま、ミントは起き上がる。

 何をされた? わかっている。脳が、その事実を拒否する。

 目の前にはスレッジハンマーを手にしたペーパーバッグの姿。

 一歩、足を踏み出す。ぱり、と何かを踏み砕く音。足元を見る。砕けた水晶の欠片。


 最初に感じたのは寒気だ。もう一歩を踏み出そうとしたが、膝がかくかくと震えて動かない。そのうちに腰が抜け、ミントはその場にへたりこむ。

 ――信じたくない。かつて自分は見たことがある。水晶を砕かれた“M”の末路を。


 身体中を寒気が襲う。寒い。寒い。手足が痺れてくる。ペーパーバッグはぴくりとも動かず、紙袋に穿たれた穴を通してミントをじっと見続けている。

 自分の胸元がどうなっているのか。見たくない。そう思いつつも、視界の端で確認してしまう。粉々に砕けた自身の水晶が、そこにあった。

「あ、ああ……ああああ……」

 寒気はやがて猛烈な吐き気に変わり、ミントはその場に嘔吐した。天使は食事を必要としない。吐き出されたのは己の胃液だけ。

 次に寒気が逆転し、全身が熱くなった。熱さと、痒みだ。痺れの残る手を闇雲に動かしながら、ミントは腕や太腿を掻きはじめる。熱い。痒い。熱い。寒い。熱い。血液が沸騰する感覚。水晶という制御装置を失った生命エネルギーが暴走し、身体中を巡っていく。

「嫌。いやだ。助けて。助けて」

 右手を伸ばし、宙を掴みながらミントは懇願する。隊長? アリス? あるいは目の前にいるこの……誰に? 脳がスパークする。際限なく生み出されるのは、死への恐怖。

 つつ、と、鼻の下から熱いものが流れ出た。左手で触ってみる。

「?」

 血だ。いやにどす黒い、自分の血。一瞬、熱さも寒さも感じなくなった。全てが無感覚になった後――。


 ――痛みが来た。


「うぎゃあああああああああああああああああああああああッッ!」

 ミントはあらん限りの声を上げ、背中を大きく仰け反らせた。沸騰した血液が、全身という全身に痛みと熱さを容赦なく叩き込む。焼けた釘を深々と急所に刺しこまれるような痛み。熱。そして痛み!


 ……“M”の水晶は、外部から取り込まれる生命エネルギーを司るフィルター、もしくは制御装置であるという。詳細は不明ながら、天使の間で語られてきた一説だ。

 術を施す際、術者は水晶を露出させてエネルギーを取り込み、体内を巡らせ、掌を通して対象へと流し込む。これが“回復魔法”の仕組みだと言われる。術を施さない場合は、水晶は不活性状態となり、エネルギーを遮断する。

 その機能が故に、水晶は“M”にとって明確な弱点ともなる。少しでも破損した場合、水晶は制御を失い、フィルターを通さない余分なエネルギーを宿主へと送り込む。無論、制御されていないエネルギーは術者にとって有害だ。少々の破損であれば、せいぜい気分を悪くする程度で済む。戦闘には参加できなくなるが、傷を負って生き延びた例も多い。だが、粉々に粉砕された場合はどうなるか。制御を失い、暴走したエネルギーが身体中を無遠慮に駆け巡った場合――。


「ああああ熱い熱い熱いああ熱いぃいいいいいいッ!」

 全身を痙攣させ、ミントは激痛に身悶えていた。壊れた人形のようにじたばたと手足を動かし、失禁し、首元を掻きむしる。頭部の傷や、撃ち抜かれた脚、引っ掻かれた痕からも血が溢れ出す。戦闘服に覆われていたあちこちからも、鼻や目からも、絶えず血が。血が。血が。噴き出していく。

 絶叫は言葉にすらならなくなった。砕かれた水晶からは白い蒸気のようなものが立ち上りだしている。熱だ。間もなく、廊下中を饐えた臭いが覆いだした。

「ごぼっ、がはっ……あ……ああ、ごあッ!」

 目、鼻、そして口からも吐き出され、身体からも流れ出た血が床を染め上げていく。血の海にもがく。永遠とも思える苦痛。髪の毛が抜けはじめ、血液を失った肌がかさかさに乾いていく。肉付きの良い肢体が、見る間に縮んでいく。


 嫌だ。死にたくない。誰か助けて。痛いのは嫌だ。誰か殺して。嫌だ。痛い。痛い。


 “M”としていくつかの戦場を経験したミントは、多くの死者の中で、水晶を破損させて死んだ天使を見たこともあった。彼女らの死に様はあまりに痛々しく、無惨だった。それを見ながら、ミントの心の中に、ある一つの感情が芽生えることがあった。

 ――自分でなくてよかった。

 思えば、天使となる前にもこう考えたことがあったかもしれない。理不尽な暴力を振るわれる人間を前にして、怯えながらも、ああ、自分がその立場にならなくてよかった、と思っていた。自分は、きっとああはならないだろう。恐怖は全て他人のもの。そんな自意識があった。けれど。

「あ……たすけて……だれか……たすけ――」

 理不尽。こんな理不尽、二度と味わうことなどないと思っていた。あの時、あの絶望の淵に立たされた時も、最後の最後まで、ミントは誰かを求めていた。

 トラブルになんか巻き込まれたくなかった。誰かの傍にいて、誰かのせいにして、それで生きていきたかった。それでも、理不尽は襲い掛かってきた。裏切り。罰。誰のせい?


 誰も救ってくれない。誰も助けてくれない。


 誰でもいい。誰か。助けて。


 誰か、私を楽にして。


―――


 絶望の表情をはりつかせ、激痛にのたうちまわる天使を、ペーパーバッグはじっと見下ろし続けていた。とどめを刺すこともなく、ただ、じっと。

 その身体が痙攣するたび、皮膚の傷から血が噴き出る。やがて二度、三度と身体を跳ねさせた後、天使は自らの血の海に沈み、動かなくなった。


 ペーパーバッグはそれを一瞥すると、興味を失ったように踵を返し、闇へ消えていった。


―――


「……?」

「どうしたんですか、マゴットさま?」

「ううん。別に。ただ、嫌な感じがしただけ。それよりもう怪我人はいない? こうなりゃかすり傷だろうがハラワタが出てようが、まとめて治療してあげるわ」

 輸送車内、肩で息をしながら、マゴットが呟く。上半身は裸で、上にジャケットが掛けられている。度重なる治療により、水晶は熱を持ち始めていた。ミントが抜けた分、二人分の役目をしなければならなくなった為だ。

「シアリィ、あんた、機関銃はもういいの」

「はい。弾がなくなっちゃって……」

「もう、ただの走る棺桶だぜ、こいつぁ」

 運転席にいたオードリーがこぼす。

「不吉なこと言わないでちょうだい」

 閉じられた輸送車の車内からは、外の様子は窺えない。

「マゴットさま。シアリィも行ってきます。みんなの分、頑張らなくちゃ」

 短機関銃を手に、シアリィが決意を固める。

「よし。こんなところでくたばるんじゃねえぞ、シアリィ」

「わかってますって」

「ちょっと」

 不安げに声をかけるマゴットに、オードリーは諭すように返す。

「止めるなよマゴットさん。俺達だって、何かしてなくちゃいられねえんだ」

「そうです。シアリィだって、やってやるんです」

「……わかったわ。怪我したら、すぐ戻ってくるのよ。これ以上誰かが死ぬのなんて、見たくないんだから」

 マゴットは状況を嘆くこともない。細かいことはどうでもよくなった。今は自分の出来ることをやるだけ。一人でも多く助けるだけ。自身がそうなのだから、シアリィやオードリーも同じなのだろう。マゴットは頷き、シアリィの背中を叩く。

「そりゃもう」

 シアリィは笑い、後部扉を開け、外へ出る。

 目の前に、息を荒げたロジーナがいた。

「ロジーナさん?」

「あんた、前にいたはずじゃ」

 嫌な予感がマゴットの脳裏に浮かぶ。

「アルマが……前に出て……っ、サーニャと、あの……マリアとかいう天使も、二人とも助けるって」

「小隊長サン自ら突撃かよ」

「ヤケになったわけじゃないでしょうね」

「それで、今はボクが……小隊長、ッス」

 呼吸を整え、ロジーナが三人をきっと見つめる。

「アルマは絶対帰ってくるって言ってたッスよ。だから……ボクは何としてでもここを守らなくちゃ」

 その目には、決意が現れていた。

「やれるの?」

 マゴットは聞き返す。

「やるッス」

「無理ね」

「……でもっ!」

「ボク、じゃなくて、ボク達、でしょう?」

 マゴットが笑う。オードリーとシアリィも笑う。

 ロジーナは言葉に詰まる。やがて何かを思い出したように走り、運転席まで回り込む。

「ロジーナ?」

「オードリー! 顔出して!」

「え、あ、おい!」

 オードリーの襟元を掴み、ロジーナは顔へ引き寄せ、そのまま強引にキスをした。

「んんーっ! ぐーっ!」


「「わお」」


「んぐぐぐ……ぶはっ! な、いきなり何をしてんだよ、ロジーナさんよ!」

 ロジーナとオードリーの視線が合う。

「……集中力を高めるおまじない、みたいなもの」

「なんだそりゃ!」

「ふふふふふふふ。なるほどねえ。こんな状況じゃ、こういうのこそが重要かもね」

 マゴットは口元を歪めて笑う。

「マゴットさま。あの、し、シアリィにも、ぜひ」

「嫌」

「そんなぁ……」


「――小隊全ての天使に連絡ッ! アルマに代わり、小隊長代理はロジーナが行う! 輸送車は要塞内へ進軍、他の天使は分隊を再編成し、適宜体勢を立て直せ! ……こんな所で、これ以上、死ぬんじゃないッスよ……ッ!」

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