#2
「アリス。あんたさ“星無し”だったよね」
「はい」
「ミントは?」
「言わなきゃ、ダメですかぁ?」
「……嫌ならいいんだけど。じゃ、隊長は」
「俺は4つだ」
「げっ、マジで?」
「嘘ついてどうすんだよ。見るか、ほら」
「いい! いいっつの。それで、何戦やってきたのさ?」
「さあな。前の戦いは負けてスコア無し。その前は、もう忘れちまった」
「あっそ」
「……こんなモン、見せ合ったところで時間の無駄だ。仲間内の揉め事のタネにしかなりゃしねえんだよ」
「んなこと、知ってる、っつーの」
長く続く戦争。幾度となく発案、実行される作戦。『フォーリン・エンジェル作戦』もまたその一つに過ぎない。前の戦いを生き延び、次なる戦場としてここに駆り出された天使も数多くいる。
投入される天使達には、一つの規約がある。それは「従事した作戦を五回成功に導いた者は兵役を終えることができる」というものだ。首筋の星マークは、その証である。
もちろん、個人の戦績においての明確な基準は判断できない。どんなに奮戦しても作戦が失敗に終われば星は付かないし、逆も然りである。
星マークの数がその天使の経験を現すものではない。とはいえ、ある程度の指標とするには充分なものとなる。
では、兵役を終えた天使はどうなるのか。
―――
「記憶喪失なんて、実のところ、あまり珍しくもない」
22:00。目的地へ向かって歩く分隊がようやく林を抜けた頃、スカーがそんなことを言った。
「あんたみたいに、作戦まで忘れちゃうようなのは初めて見たけどね」
「言うなよ、レイチェル。……そもそも俺達だって、“こうなる前の”記憶に関しては曖昧なんだ」
「こうなる……天使になる、前の?」
「お前は、自分が生まれついての兵士だとでも思ってたのか?」
「わかりません。その前の事がまったく思い出せないので」
(――思い出せない? あの夢の事は?)
「俺は――なんとなく覚えてる」
スカーは少し顔をしかめて、タバコを取り出した。
「お前も吸うか?」
「……いえ」
「タバコ、身体に悪いですよ……」
後ろを警戒するミントがおずおずと口にする。
「この状況で将来の健康を気にすることもねぇだろ。俺は昔から吸ってたんだ。こんな身体になっちまう前に、な」
スカーはタバコに火をつけて、誰に言うでもなく、言う。
「元々、俺は単なる月給取りだった。……みたいだ」
前世の記憶、あるいは生前の記憶。奇妙な響きではあるが、天使の中には少なからずこれを持つ者がいる。天使となって戦場に送り込まれる前、自分が何者であったか。
天使とは生体兵器である。それを動かすには“自我”が要る。そしていかなる理由か、自我の根本には、個々人の“天使ではなかった頃”の記憶が残留していることがある。天使達の口調や振る舞いが皆違うのはそのせいだ。若い女のような見た目の天使であるが、実態は無性の存在である。その自我の中身が男であろうと女であろうと、そこに分別はない。
スカーはその記憶を比較的濃く残していた。
「具体的なことは覚えてねえし、大したことはねえ。自分が何て名前だったのかも忘れちまった。ただ毎日起きて、仕事に行って、帰って寝る。休憩中のタバコと、帰りに飲む酒くらいが楽しみだったかな」
アリスは話に聞き入った。何とも信じがたい話だった。だが降下直後、その死を見届けた“羽付き”の少女のことを、アリスは思い出す。
彼女は死ぬ間際に言った。「帰りを待ってる子がいる」と。それも前世の記憶ということなのだろうか。
「ミントさんはあるんですか」
「えっ、私……は、すいません、覚えてないんです、ほとんど」
「そうですか。それでは、レイチェルさんは……」
「止めとけ、アリス」
スカーが制す。
「俺達みてえな天使の間には、不文律がある。“自分から記憶を思い出そうとする奴は語らせてやれ。他人の記憶を聞き出すようなことはするな”だ」
「それ、初めて聞いたんだけど」
レイチェルが言葉を挟むと、スカーは振り向いて苦笑する。
「俺が今考えたんだよ、バーカ。……だが、間違っちゃいないと思うぜ?」
各々が持つ記憶のこと。首筋の星のこと。何一つ持っていないアリスには実感がわかない。自分が何者かすらわからないからだ。自分が男だったか、女だったかさえも。
「私、喋ってもいいでしょうか」
「そりゃ構わないが。記憶がないんじゃなかったか?」
「はい。でも、夢を見ました」
そう言って、アリスは語った。降下直後、気を失った時に見たあのおぼろげな夢のこと。今でもそれは頭の片隅に、こびりつくように残っている。
「……まあ、珍しいもんじゃないな。さぞ幸せな家庭だったんだろう」
聞き終えると、スカーは吸い終えたタバコを捨て、そう言った。
「気を失っている間に夢を見る、なんてこともあるんですね。私、今までそういうことなかったから、知らなかったです」
ミントは関心を抱いたようだった。
レイチェルは無言だ。心なしか、冷ややかな目でアリスを見ていた。
「おいおい思い出すこともあるだろうさ。いいもんか悪いもんかは別にしてな。思い出そうとするならそれでいい。思い出したくなきゃそれでもいい」
「はい」
アリスが頷く。
「……そうだ、アリス。お喋りついでに教えておいてやる」
スカーは歩みを止め、アリスの方を振り向いた。
「俺達天使は、この星マークが五つ集まればこの兵役を終えられる。と、言われてる」
自らの首筋についた星マークをアリスに示して、スカーは言う。
「兵役を終えると、どうなるんですか」
「さあな。知らねえ。終えた奴はここにいないからな。何にせよ、俺だけじゃねえ、大体の連中が戦う理由がそうだろう。何があったって、このクソみたいな戦場でくたばるよりはよっぽどマシだろうからな」
「そうですか」
「……さあ、そういうことで、お喋りはここで終わりだ。急ぐぞ」
スカーが再び歩き出す。三人も会話を止め、それに続いていく。
アリスはしかし、心の中で彼女の話を反芻していた。
一連の会話において、スカーが語っていない事がある。
彼女はおそらく、それを意図的に口にしないようにした。
それは「どうして自分が天使となってここにいるのか」を知らないことだ。
事実、天使である者の誰もがそうだった。記憶を残している者。残していない者。その誰もが絶対に思い出せない事由。なぜ、天使になったのか。天使としての役目を終えるとどうなるのか。始めと終わりだけが、黒く塗りつぶされている。
とはいえ、今の天使達にとってそれは重要なことではない。
ただ生き抜くこと。戦いに勝って、生き延びること。それだけが全てだ。
スカーが言うように、どんな未来があろうとも、死ぬよりはマシだからだ。
―――
22:30。
目的地に辿り着いたスカー分隊がロジーナ達のキャンプを見つけるのに、さほど時間はかからなかった。二つのテントが目印となった。
「誰か」
「また誰何かよ。よくよく真面目なもんだ。……5番機降下隊スカーレット混合分隊、隊長スカーレット。以下三名」
はじめにアプローチをかけたのはスカー。アリス達三人はそこから少し離れた場所に待機している。
「12番機降下隊ロジーナ分隊、隊長ロジーナ。以下二名。および12番機降下隊アメリア分隊三名」
二人は所属を確認し、それを終えると互いに拳をぶつけ合う。
「……や、渡りに船、ってやつッスねえ」
ロジーナが安堵したように笑う。
「どういうことだ?」
「ま、それは後ッス。とりあえず皆を呼んでくるッスよ。――よーこそ、B-12通信施設対策キャンプへ」
こうしてキャンプに、三つの分隊、計九人の天使が集まった。