II
要塞内で、ミントは気絶から目を覚ました。
腹部がずきずきと痛む。まだ少し嘔吐感が残っている。ミントはそれに構わず、壁に手をつきながら歩き出す。
スカーに見捨てられたことがショックだった。あの獣人は何なのだろう。そして、アリスはどこへ行ってしまったのだろう。
いつしか、ミントはスカーではなく、アリスの名前を呼びながら要塞内を歩いていた。
曲がり角を行った先に、ミントは廊下にいくつかの弾痕を見つけた。吸い寄せられるようにミントは歩き出し、周囲を探し出す。
廊下に靴跡。それも、何人かの。ミントはそれを辿りながら、もう一つの角を曲がる。
曲がった先に、倒れたアリスの姿があった。
その傍らには、あの獣人と……そしてスカーもいた。
―――
アリスは寝息を立てていた。獣人とスカーは、既に息絶えていた。
周囲には二人の血と思しき血痕が飛び散っている。
「……!」
言葉を失った。その凄惨な光景を理解しようとする。脳が混乱する。
「や、嫌だ。うそ」
ミントは膝をつき、へたりこむ。
「どうして……どうしてえええ??」
しばらく呆然とした後、ミントはようやく現状の理解をしはじめた。
地面にはリボルバーが一丁落ちている。スカーのものではない。スカーのホルスターベルトは、何故かアリスが身に着けている。
リボルバーは獣人のものだろうか。獣人がスカーを殺し、そしてアリスが獣人を撃った?
「あ、あ、アリスさん……アリスさんッ!」
やがてミントは跳ねるように立ち上がり、アリスの元に駆け寄った。
「起きて下さい! 起きて下さいアリスさん! ねえ! 何があったんですかッ! 一体、ここで……ッ!」
アリスの身体を起こし、肩をがくがくと乱暴に揺さぶる。ミントは息を荒げ、眠ったままのアリスに詰め寄る。
ぱちり、とアリスが目を覚ました。
「目を覚ました!」
ミントとアリスの視線が合う。良かった。無事だ。これなら。
ほっと安堵し、ミントは手を差し伸べる。だがアリスはその手を掴まず、一人で立ち上がった。
「アリスさん?」
アリスは何も言わず、ミントを一瞥し……そして、踵を返して歩き出した。
「あ? え? あ、アリスさん……ねえ、アリスさん!」
何が起きたのか、理解が出来なかった。廊下をすたすたと歩くアリスに駆け寄り、ミントは声をかけ続ける。
「どうしたんですか、アリスさん! 答えて下さいッ!」
返事はない。ミントはアリスの行く手に立ちふさがり、さらに言葉を続ける。
「何があったんですか! どうして隊長は死んじゃったんですか! ねえ! ねえ!」
わけもわからぬまま、ミントの瞳からは涙が零れ出していた。せっかく見つけた拠り所なのに。せっかく、傍にいれると思ったのに。
アリスはぴたりと足を止める。
「!」
反応があった。ミントの表情に希望が宿る。しかし。
「……じょ……」
「え?」
「排除します」
アリスはホルスターから拳銃を抜き、AP弾で容赦なくミントの右足を撃ち抜いた。
「っ!」
ミントがバランスを崩し、その場に転がる。
「があッ!」
痛みにもんどりうつミントを退け、アリスは再びゆらゆらと歩き出す。
「いっ、痛い……痛……ま、待って、アリス……さ……!」
すがろうとする。うまく立ち上がれない。アリスの背中が、暗闇に消えていく。
どうして。どうして。一体どうして。
蹲るミントを振り向きもせず、やがてアリスの姿は闇に消えた。
―――
「何で……何でアリスさんが……私を……」
再び廊下に取り残されたミントは呻く。わけがわからない。
がらん。がらんがらん。
何故、隊長は死んでしまったのか。アリスはどうしてしまったのか。いつもの目じゃない。あのアリスじゃない。あの目は……まるで、機械のように冷徹な。
がらがらがらん。がらがらん。ががががが。
「うう……ひっく、っく……なんで……なんで皆、私の傍から……」
廊下に、ミントの嗚咽が響き渡る。
がががががががが。
それに混じって、背後から“何かを引きずる音”。何か、重いものを引きずる音。
「私……悪いことなんてしてないのに……どうして」
がががががが。がん。
ひゅ。
ごん。
―――
「くそ。くそったれ。畜生」
誰にともなく罵倒の台詞を吐き続けながら、レイチェルは要塞内を行く。
いつもこうだ。外れクジばかり引く。『グローイング・シー作戦』のことを思い出す。勝てそうな戦いだったのに、よりにもよって天使内でつまらない内乱が起きて、戦線が崩れてしまった。
「撃って当てて、殺せばいい。シンプルなこと。なのに、揃いも揃って……」
欲求。レイチェルの中には、ただそれだけがある。キル数を稼ぐ。自分が気持ちいいと思ったことだけをやる。歪んだ欲求。
レイチェルにとって、自分の“記憶”はハッキリとしている。こんな身体になる前も、撃って当てて、殺す遊びばかりしていた。ただし画面の中でだけだ。ネットの向こうにいる連中は友人などではなかった。意思を持ち、動く的。それを殺すのが楽しかった。
リアルの人生がどうなろうと、知ったことではなかった。暗い部屋が世界の全てだった。やがて親も死に、家族からは見放され、家畜以下の生活に堕ちた。
何もかもがどうでもよくなった。やがて“彼”は自ら死を選んだ。飽きたから。理由はそれくらいだ。リセットボタンなどないことはわかっている。わかっていて選んだ。
彼は溜め込んだ致死量の睡眠薬を流し込み、その場に倒れた。
目を覚ましたのは揚陸艇の中だった。忘れもしない、初めての戦場。自分が自分でなくなっている。“彼”は“彼女”になっていた。
夢か現実かどうかすら分からない状況、それでもやることは変わらない。撃って当てて殺す。快感を享受すること。行動原理はただ一つ。
最初の頃は楽しかった。だがやがてストレッサ―が現れた。敵でもこの状況でもなく、それは味方そのものだ。どこでも同じような奴がいるものだ。ろくな腕もないくせして、指示ばかり飛ばす連中。使い物にならないnoob。混乱して予定を乱す、頭の悪い奴ら。
感情。激情。嫉妬。恐怖。救いようのないクソったれども。
キル数に飽き足らず、レイチェルはさらなる欲求を求めた。ここは戦場。何をやっても構わない。だから、やりたいようにやる。
ここにきて、再びその欲求は限界に達した。
「ミントぉー。どこにいるってのよ」
にたり、と笑いながら、レイチェルは名を呼んだ。抵抗されるだろう。構うものか。レイチェルは口元を歪め、歩みを早める。
たん。と、銃声。
レイチェルは肩に下げていた狙撃銃を構え、銃声がした方へと向かっていった。
―――
痛い。痛い痛い。
ミントは震える手で後頭部を触る。ぬめりのある、嫌な感触。
「うぐ……あ……」
殴られた? 何に? 揺さぶられた脳を働かせ、状況を把握する。
考えがまとまる暇もなく、続いて腹部に蹴りが放たれた。
「ぎゃあっ!」
ごろりと転がされ、仰向けにさせられる。視界が裏返る。そこには、自分を見下ろす一つの影。アリスではない。隊長でもない。……レイチェルでもない。
紙袋を被った……何者か。
影はおもむろにミントの服に手をかけ、乱暴に引き裂く。白い肌と大きな胸が露わになった。その双房の中心には“M”特有の水晶が光っている。
身体が動かない。ミントは恐怖と羞恥に悲鳴を上げる。紙袋を被った影――“ペーパーバッグ”はその場にしゃがみこみ、空いた二つの穴からこちらを覗いている。
怒りでも嘲笑でもない、感情のない瞳。アリスのそれに、とてもよく似ていた。
ミントの胸を……水晶を見つめ、ペーパーバッグはやがて立ち上がる。壁に向かう。
がががん。がらがらがらがががん。
重いものが床にぶつかる、無慈悲な音。視界の隅でミントはそれを見る。
長い柄を備えた、スレッジハンマーだ。
何をされるか、ミントは理解した。
理解してしまった。
「嫌」
ミントは懸命に首を振る。
「いや、嫌、やめて。やめて下さい。お願いです」
懇願の声にも、ペーパーバッグは耳を貸さない。
「何でもします。何でもしますから。お願いですから。ねえ。やめて」
ペーパーバッグはスレッジハンマーを振り上げる。
「やだやだやだやだやだやだやだ嫌だやめてやめてやめて」
――私だけが、どうしてこんな目に。
「嫌ぁああああーーーッ!」
鉄槌が振り下ろされた。




