#13
「ちくしょ……」
要塞内のエントランスから階段を見つけたレイチェルは、よたよたと歩きながらそこを登ろうとしていた。
毒づいた相手は、他の天使に向けてか、あるいはこんなバカなことをしている自分か。
どうして隊を離れたかは分からない。ただ少なくとも、あの場所には居たくなかった。何もかもが上手くいかない。思う通りに事が進まない。とにかく逃げ出したかった。
逃げる先はここしかなかった。実際のところ逃げられてなどいない。ここは敵陣地の真ん中だ。それでもあそこにいるよりマシだと思った。
「隊長も、アリスも、ミントも、どいつも、こいつも」
周りに構わずに、敵を殺し、快楽を得る。それだけ出来れば満足だった。いつだってそう思ってきた。それが今回に限って、心を乱されることが多すぎる。
「どいつもこいつも、絆だの何だの、余計なことばかり考えやがって」
獣人達よりも、身内に向けての怨嗟だった。いつの間にかレイチェルは天使達を一番のストレッサーに感じていた。間もなくそれは衝動に変わった。
レイチェルは欲望に忠実だった。故に、上手くいかない時のフラストレーションもまた並外れて巨大に膨らんだ。
やたらに喉が渇く。腰に下げた水筒からわずかに残った水を飲み干し、放り捨てる。
まだだ。まだ渇く。
天使達がどうなろうと知ったことではない。この戦場の勝敗がどちらについても、自分さえ生き残っていればそれでいい。今出来るのは、このフラストレーションを解消すること。乾きを満たすことだけ。
こうなったのは何が原因だ。誰が原因だ。
ミント。そうだ。あいつだ。
―――
「やった! やりました! 右壁、もう登って来ませんよ! ざまーみやがれってんです!」
銃身の焼け付く機関銃から手を離し、シアリィはガッツポーズをする。何とか再び囲まれるような事態は避けられたようだ、とアルマは安堵する。
安堵しても、なお不安の種はいつまでも残っている。天使側の戦死者も増えてきた。加えて、マリアは単身で獣人の群れへと突撃し、サーニャとレイチェルは忽然と姿を消した。
残ったメンバーを集中させ、アルマ達は体勢を立て直す。
「アルマ、あと残ってるのは前方だけッス。でも、これじゃ持ちこたえられるかどうか」
「あのう。シアリィも、その、いっぱい撃ちすぎちゃって。あんまり弾も残ってないんですけど……」
「撃ちすぎだ、バカ」
「バカとか言わないで下さいよ、オードリーだってノリノリだったくせに。うう……」
「どーするよ。退くか? 実際、俺ァここまで来ただけでも充分だと思ってる。でも、やる気だってんならとことんやるぜ。色々吹っ切れたしな」
運転席から顔を出したオードリーが汗をぬぐい、白い歯を剥く。
「あたし、もう正直へとへと。みんなよくやってると思うけどね」
「はい、はいはい! マゴットさま! シアリィ、頑張りましたよ!」
「わかってるわよ。あんだけぎゃーぎゃー騒ぎながら撃ちまくってたじゃない」
輸送車内で続けざまに負傷者の手当てをしていたマゴットも、気力は衰えていないようだ。
「皆、すまない。正直、私も迷っている。あえて撤退するか、しかしそれでも、少なからず被害は出るだろう」
アルマは神妙な面持ちで答える。後続の部隊があれほど大勢だったのは予想外だった。要塞攻略どころか、追手の対応だけで精一杯だ。さらにスカー分隊も要塞内に行ったまま帰ってこない。
残ったメンバーが気力を削がれていないのは唯一の希望だ。マリアが敵を引きつけている間に撤退できるか。囮に使うのは気が引ける。それでも、そうした判断すらも候補に挙がるほど、追い詰められている。
「私はイヤだな。せっかく攻めたのに、何も出来ずに撤退なんて意味ないし」
「そりゃそうだけど、このままだと皆死んじゃうよ」
「……何の為にシルヴィアが死んだのかわかんない。でも、このまま全滅も嫌。私、もうどうにかなりそう」
動揺が広がる。周りの天使からも口々に意見が漏れる。
「私は」
アルマは目を伏せ、迫られる決断を前に、祈るように呟く。
「――あーっ! あれ、あれ見て下さい!」
突然、シアリィが大声を上げ、地平線へと指を差した。天使達の視線がそちらへ一気に注がれる。獣人の群れ、そのさらに後方、猛スピードで駆けてきたのは、一対の影。
「うっそでしょ」
「さすがに、まずいッスよ。あれは」
「――ツインチャージャー!」
数人の天使達の顔が一斉に青ざめた。残りの天使達は、現れた異形に目を丸くしている。
「なんですか、あれ」
「馬?」
肥大化した左腕、あるいは右腕をもつ馬面の獣人。鏡写しのように左右一定の距離を保ち、暴走車のように土埃を上げながら走ってくる。
「シアリィ、弾は」
「……あんまり。動きも早そうだし、倒せるかどうか微妙です……」
「くそ、どうなってる――この戦場は!」
珍しく、アルマも声を荒げる。ツインチャージャーは弾薬庫奪還作戦で姿を見せた特異種だ。一度の戦場で同体の特異種が現れるのは、どう考えても異常事態である。
「ATVをブッ倒したやつか。あのタックル、輸送車なら耐えられるかね」
オードリーも軽口を叩くが、顔は引きつっている。こちら側がそうであったように、獣人側もまたツインチャージャーを突撃させ、戦況を覆す心積りだろう。
いよいよ窮地に追い込まれたか。アルマの思考が回転する。
どうすればこれを切り抜けられる。考える。考えろ。
答えが出ない。ざわめく天使達の声に囲まれながら、アルマは背中に冷たい汗をかく。
進退、極まったか。
その瞬間、要塞の右壁から、一発の銃声が轟いた。
向かって右側“ファイア”と呼称される特異種の脳天が弾け、勢いのまま躓き、地面を転がっていく。
「なっ!」
「なに、なに今の。何が起こったの!?」
もう片方の特異種“プロペラ”が急ターンし、頭部を吹き飛ばされた“ファイア”に駆け寄る。続けざまにもう一発、今度は“プロペラ”の頭部も吹き飛ぶ。
天使達は二発の轟音が放たれた先へと一斉に振り向く。
壁の上から、一人の天使が、ひらひらと手を振っていた。
続けて横から、身の丈ほどもある大口径の狙撃銃と共に、もう一体の天使が顔を出す
「……誰、あれ」
天使の一人がぼそりと呟く。
戦力を失った天使達を殲滅すべく出現した特異種を狙撃せしめたのは、同じくどこかから出現した一組の天使。
その名は




