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フォーリン・エンジェル  作者: 黒周 ダイスケ
Chapter 5 _ フォーリン・エンジェル
70/91

#■■■

「その傷はどうした」

 立っていたアリスの太腿には布きれが巻かれ、背中の羽はいくらか傷つけられている。

「要塞内で交戦しました。特異種と思われる獣人を逃がしました。後ほど追撃します」

「銃を下げろ。何故いきなり撃った」

「その獣人がミントさんを殴打したところを見ていました。隊長。そこを退いて下さい」

 庇うように前に立ったスカーを見つめ、アリスは小銃の銃口をクレイジーボアへ合わせ続けている。

「その天使は」

 肩の傷を手で押さえながら、クレイジーボアは呟く。

「……いや、お前なら話が早いか。アリス、俺を追って来たことについてどうこう言うつもりはない。だが今は早く銃を下ろせ。――これは“命令”だ」

 スカーはきっぱりと言い放つ。ミントとは違う、言い表せない気迫。だがアリスの行動原理をスカーは把握している。アリスは……“隊長の命令に従う”のだ。だが。

「できません」

「何故だ」

「“天使を守れ。邪魔をする獣人は排除しろ”。それが命令だと聞きました。その為に隊長を追い、そしてミントさんに危害を加える獣人を発見しました。排除します。そこを退いて下さい」

「てめえまで人の話を聞かない奴だとは思わなかったぜ。命令は上書きだ。その銃を下ろし、俺の言う通りにしろ」

「スカー。その天使は……」

 その時、クレイジーボアがアリスを一睨みし、低く呻いた。

「大丈夫だ。俺に任せろ」

「いや違う。その天使は……何かが違う」

「何かって」

「その命令は――矛盾します」

 アリスは小銃を下げない。クレイジーボアはミントを廊下の隅に横たわらせ、じりじりと後退していく。それに沿うように、スカーもまた立ち位置を変えていく。アリスとクレイジーボアをつなぐ危険な射線を遮るように、常に。

「ここにいる獣人は普通の獣人じゃない。この際、細かいことは省く。“俺達を護衛し、要塞内から一緒に脱出しろ”。これが新しい命令だ」

「できません。その命令は矛盾しています」

 両者の間に沈黙が流れる。

「……銃は抜くなよクレイジーボア。面倒な事にしたくねえ」


―――


 スカーの後ろ姿ごしに一目見た瞬間から、怖気を感じた。それがクレイジーボアの、アリスを見た感覚だ。


 これまでに多くの獣人や特異種(と天使が呼称するもの)を見た。

 残忍で冷徹な者は多くいた。例えばナイトアイズ。ただ戦うことで何とか自我を保とうとする者もいた。例えばフライトリザード。思考を捨て、他者からの命令に愚直に従う者もいた。例えばバニシングタン。

 ……アリスはそのどれでもない。

 クレイジーボアはその行動上、見ただけでその個体の中身を察する能力に長けていた。特異種が有する特殊能力ではなく、経験で身に付けた、ある意味で言えば戦場においてはもっとも無益な能力。言動、挙動、行動パターンだけではない。そのものの色、あるい気配、そして瞳の奥にあるもの。どんな人物であろうと、クレイジーボアは“それ”を的確に見抜く。

 ……アリスにはそれが見つからない。


 一言でいえば“深淵”だ。


「スカー。そこから離れろ」

 押した声でクレイジーボアは言い放つ。肩口の傷が痛む。体術は無理だろうが、拳銃ならば抜ける。静止したまま、銃を抜いてアリスに構える動きを何度かイメージする。最速のイメージを作り出し、頭の隅に置いておく。

「ここは俺に任せてくれ。伊達にこいつの面倒を見てきたわけじゃねえ。こいつに必要なのは“命令”だ」

 背中越しに、スカーが小さく呟く。クレイジーボアは黙る。感じた怖気が何かの気の迷いであったなら……あるいは。

「命令」

「そう。アリスは俺がこれまで見た中でもとびきり変わった天使だ。まるで戦闘経験がないのにやたら強え。そのくせ基本的なことを知らねえ。掴みどころのない奴だが、最近ようやく分かった。命令だ。……だから俺はこいつを“利用”することにした。今回も、それでうまくいく」

 アリスは動かず、時折クレイジーボアの小さな動きに合わせ、くくく、と銃口をズラしている。

 気化燃料でも撒かれたかのように、三者の間には計り知れない緊張感が漂っている。

「もう一度だ。そのまま聞いてろ。命令の意図が理解出来ねえというなら、説明してやる」

「……」

「なあ、俺達は……天使だけじゃねえ、獣人も含めて……何故俺達は戦う必要があるのか。そう思ったことはないか? こいつから聞いて確信した。俺達だけじゃなく、獣人も同じことを言われて戦っていたんだとよ。それがオチだと」

「何故戦う必要があるのか」

 アリスの口から一言漏れた。手応えを感じたのか、スカーは笑って次の句を告げる。

「わかるか? 結局のところ、この戦いの意味を知る奴なんていないのさ。本当は天使も獣人も同じで、ここからは推測も入るかもしれねえが――もしかしたら、全ては誰かの都合の為に戦わされてるだけなんじゃないか、ってな」

「戦う、必要」

「泥まみれの戦場に飲まれ、多くの奴はそれを疑問に思おうとしない。ただこの役目が早く終わることだけを望んで、怯えながらも勝つことだけを考えてる。ここにいるミントもそうだ」

「“天使を守れ”」

「だが、それじゃますます戦闘の連鎖という泥沼に嵌まるだけだ。本当にこのイカれた戦争を終わらせる方法、それに、俺はようやく気付いた。……そもそも、五回戦闘に勝ったら戦場から離れられるなんて誰が公言した?」

「“邪魔する獣人は排除しろ”」

「それが真実であるという証拠は? 元の世界とは何だ? 俺やミント達だけじゃねえ、俺達はもっと考えるべきだったんだ」

「“天使を守れ。邪魔する獣人は排除しろ”。……矛盾」

「お前にだってあるだろう。自分のアタマってやつが。たまには、使ってみせろ」


 自分のアタマ。

 スカーは言っていた。星無しの、戦闘経験もなく、それでいて高い戦闘能力を有し、冷徹さも愚直さもなく、命令に従うだけの天使。そしてクレイジーボアが見た瞳の奥の深淵。

「矛盾。命令に、矛盾。矛盾。矛盾」

 誰しもが持っているはずの“それ”が見えない天使。


 クレイジーボアの背中に冷や汗が流れる。スカーはじっとアリスを見る。

「頼む。命令じゃねえ。お前の言葉を聞かせてくれ」

 敵意なく、アリスの言葉を聞くために、じっと見る。


「……な」


 やがてアリスが口を開いた。


「?」

「……私…………るな」

 銃口を突きつけたまま、アリスが繰り返し何かを呟く。

「……私を……見……な」


 ――どうしてスカーは見抜けなかったのか。

 アリスという名の天使を“説得”する。それはきっと、他の誰よりも難しい。

 何故なら。


「私、を、見、る、な」


 瞬間、ボアは跳んだ。スカーの身体を後ろから抱きかかえ、斜め前に飛ぶ。それまでスカーがいた空間に、ためらいなく撃ち出された5.56mm弾が冷たい軌跡を描いて飛んでいく。


「――見るな。そんな目で私を見るな。私を見るな。見るな。見るな見るな――」


「アリス!」

「駄目だ、引くぞスカー!」

「てめえ、何で……ッ!」


「見ィーーーーるーーーーなァーーーー」


―――


 スカーにとって、それはまったくの予想外だった。


 しゃがれた声でアリスは同じ文言を連呼し続け、二人へと銃を向ける。

「撃てとは言ってねえ! 今なら暴発で勘弁してやる! ――アリス!」

 クレイジーボアに抱えられ、強引に曲がり角へ追いやられる。

「聞け、スカー! あの天使は……アリスは“駄目”だ!」

 スカーの肩を掴み、揺さぶるクレイジーボア。動いたせいか、肩口からの出血がひどい。

「何が言いてぇ! 俺の部下に!」

「違う、そうじゃない! あの天使に説得は不可能だ! 私の考えが正しければ、奴は……いや、“あれ”は――」


 曲がり角から高速でアリスが飛び出てきた。

 スカーと目があう。その視線のやや下。不気味に光る小銃の銃口。

 反射的に、あるいは本能的にスカーの右義手が伸び、ホルスターへと向かう。拳銃のグリップを握る。義手を戻す。片手で構える。


 指先にかかる力に、一瞬の迷いが生じる。


「撃てるかよ、バカ」


 小銃の引き金が引かれる。


たたたたたたたたたたたん。

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