#8
「手当の必要な天使は他にいないわよね?」
輸送車から降りたマゴットが周囲を見渡す。目線のあった天使達が数人、ふるふると首を横に振る。彼女の治療に伴う独特の不快感は(約一名を除き)一瞬で小隊内に悪名を轟かせていた。
不幸にも戦死した四人の天使は広場の隅に寝かせられ、布をかけられている。この被害を少ないと取るか多いと取るかは、未だ誰にも判断がつかない。
「まあ、こんなものね」
一人呟くマゴットの傍に、シアリィが駆け寄ってくる。
「身体、もう大丈夫?」
「はい! おかげさまで!」
「ヨダレ垂れてるわよ」
「へふぇ」
ガーゼでシアリィの口元を拭く。
「それにしても、すごいんですね、あの治療。……あ、いえ、マゴットさんのは特別とか……じゃなくて」
シアリィは上気した顔で腹部をぺたぺたと触る。銃弾で掻き回された内臓はすっかり痕もなく治りきっている。
「さすがに疲れたわ」
マゴットだけではなく、今この場にいないミントも、最終的には怪我人の治療に専念していた。この小隊規模となればもう一人二人は“M”が欲しいところだが、贅沢は言えない。
「どういう仕組みなんですかね、これ」
「あたしにも分からないわ」
「そうなんですか?」
おそらくは新陳代謝を活性化させ、自己回復を促すものなのだろうと推測は出来る。だがそれだけ損傷した内臓が元通りになるわけはない。回復魔法とも呼称される“M”の力か、あるいは天使の身体が特殊なのか。
「考えたところで説明がつくわけでもないのよね」
生物学的な知識を有するマゴットにも、否、なまじ生半可な知識があるからこそ、余計に謎が深まる。
「なんでもいいです。シアリィとか他の子達がぴんぴんしてるのは、マゴットさま達のおかげなんですから! 戦場の天使、ってやつですね!」
「天使、ねえ」
シアリィの物言いはあくまで無邪気だ。つい完治させてしまったが、これで良かったのだろうか、とマゴットは思う。戦いが始まれば、シアリィはまた前線で銃を手に取るだろう。治療もそこそこに、輸送車の中で寝かせていれば、少なくとも死の縁にまた立たせることはなかったかもしれない。シアリィに限った話ではない。そのマゴットがこの間、何度も考えてきたことだ。
「シアリィの顔に、何かついてますか?」
無意識にじっと顔を見てしまったらしい。マゴットは無言でシアリィの頬をつねる。
「いひゃい、いひゃいでふ」
「マゴットさん」
思わず振り返る。いつの間にか、傍にサーニャがいた。
「サーニャ」
「はい」
「あのさ、あんたも怪我はない?」
あれだけの大立ち回りで、サーニャは傷一つついていない。見ればわかる。わかってなお、マゴットはそう声をかけた。そう問う他に、かける言葉が見つからなかった。
「大丈夫ですよ。ね、サニー」
「うん」
シアリィがびくっと身体を震わせ、マゴットの影に隠れるように移動する。
「あんたのおかげでさっきの戦いはうまくいった。でも、あんまり無理しないでよね」
「無理?」
サーニャが小首をかしげる。
「私はやるべきことしているだけなんです。それに、あれからどんどん身体も軽くなってる」
サーニャが笑いを浮かべる。それはどこまでも無邪気な笑いだ。
「敵を殺せば殺すほど、どんどん力が湧いてくるんです。これが天使の力なのかなあって」
人間ではなく、戦闘用としての生物兵器。大きな傷も治ってしまう特殊な身体。それが天使だ。その意味では、確かにサーニャの言葉は正しい。だがそれを操るのは、悩み、死に怯え、希望にすがるか弱い意識。――それが欠落したのが、今のサーニャそのものだ。
「あたしはさ、あんたの……あんたらのことを、それなりに長く見てきたつもりよ。だからこそ心配なの。お願いだから、一人で、死に急ぐような真似だけはしないで」
「いえ、死に急いでるつもりなんてありませんよ? 私達にはみんなを守る役目があって、その為に戦っているだけです。それに、一人でもありません」
「そういう事じゃないのよ」
先陣を切って、勇敢に戦う天使。それは正しい。だがマゴットのような天使からすれば、その姿は異様そのものだ。おそらく小隊にいる新兵達も、同じことを思っているだろう。
「守りたい気持ちはわかる。それで戦いはうまくいってる。でも一人で先に行かないで。もっと、頼るの。もっと一緒になって、信頼するの。後ろにいる私達を」
「信頼ですか? でも」
「でも、じゃなくて」
次に紡ぐ言葉が見つからない。
「マゴットさま?」
険しい顔をしていたのを察知されたか、シアリィが心配そうに声をかける。
「行くわよ、シアリィ」
―――
言葉の意味がわからなかった。
戦って、憎い敵を殺す。目的を果たす。それが天使の役目。自分にはみんなを守れる力がある。信頼? 役割を決めて、敵に立ち向かうことではなく?
サーニャは一人、広場を歩きながら考えていた。
「やらないと、みんなやられちゃうのに」
「怯える必要なんてないのにね。そう思わない? サーリャ」
「だからこそ、私達は戦っているのに」
「みんなを守らなくちゃって」
周りを見渡す。天使達は皆、誰かと共におり、心配そうに、あるいは支え励まし合っている。その中心で一人、サーニャだけが幽鬼のようにふらふらと歩いている。
「次の作戦、聞かないと」
サーニャはそう呟き、アルマではなくロジーナの元に向かった。彼女の中の認識では、未だにロジーナが隊長としてある。
「ロジーナさん」
ロジーナは弾倉に弾を詰めながら、輸送車の運転席の傍にいた。
「あ、サーニャ……」
楽しそうに天使と談笑していたその表情が変わる。
「次は、あの要塞を攻めるんですよね?」
「う、うん。でも、今はアルマの判断待ちッスから。スカー達が先発隊として中に入って」
「ロジーナさん? どうかしたのかよ?」
「あ」
運転席の天使が声をかけ、ロジーナは言葉に詰まっている。
「それで、私はどうすればいいのかなって」
「後ろから敵が来るかもしれないって、アルマが言ってたッス。今といえば、それに備えるくらい、かな……」
「警戒ですか?」
ロジーナの言葉はぎこちない。
「じゃあ、私、門の外まで行ってきますね」
「あ、ちょっと!」
踵を返し、そこを去ろうとするサーニャに、ロジーナが声をかけた。
「はい?」
「ああ、その、うん。サーニャ、ボクが言えることなんてあまり無いのかもしれないけど。……できれば、あまり無理はしないほうがいいと思う、ッス」
「無理?」
またその言葉か、とサーニャは思った。
「無理はしていませんよ? 私は、みんなを守るために戦ってるんです。それが私の役目なんですから」
「そりゃあ、役目って。それはわかるんスけど。もっとこう、援護とか、背中を任せるとか。ボクも前はそうだったし、でも今は、みんなと力を合わせて戦うことが大事かもって」
「そうだぜ。サーリャさんめちゃくちゃ強いけど、俺も何だかちょっと心配になる。俺も含めて新兵だらけで役に立たないと思うかもしれねえ。でも、せっかくだから一緒に戦おうぜ」
「援護?」
ロジーナの方を向いて、サーニャは問う。
「私が出れば、敵は私のほうに向くんです。ロジーナさんはそこを撃つ。それで今のところは上手くいっていると思うんですけれど」
「や、その、そういうことじゃなくてッスね。自分が引きつけて、とか……確かにみんなのためにはなってるのかもしれないッス。でも」
歯切れが悪い。
「私は、これが自分の役目だと思っているんです」
「うん。……でも」
「“信頼”?」
「そう。もっと、信頼してくれていいんスよ」
ロジーナは言葉を反芻する。信頼。それに従って行動することが、本当に最善の手なのだろうか。
「でも、それじゃ他の天使が危ないかもしれないじゃないですか」
「……」
ロジーナが視線を彷徨わせる。
「……?」
「……あのさ、ロジーナさん。悪いんだけど、ちょっとこっち来て手伝ってくれねえか。今のうちに車の調子を確かめておきたくてよ」
「あ、うん。今行くッス。……あの、じゃあ、サーニャ。また、あとで」
「はい」
再び一人になったサーニャの脳内に、マゴットとロジーナの言葉が渦巻く。信頼。力を合わせて一緒に戦う事。仲間。仲間とは。
「ねえ、アメリア。……どうしてあの時、私を追ってきてくれたの?」
「……」
「アメリア?」
返答はない。自分の中にいるはずのアメリアは、何故か答えてくれない。
「おかしいなあ」
―――
今回の作戦から加わった新兵達の中に、一人の“R”がいる。銃など撃ったこともなく、戦闘能力は皆無。キャンプ中に行われたロジーナとの教練では、至近距離のターゲットでさえ外したほどだ。だが彼女には、それを補って余りある才能があった。遥か遠くまで獣人の気配を察知することのできる、超広範囲の感応性である。
そして彼女は今、輸送車の車内で凄まじい吐き気に見舞われていた。
「頼む。辛いのはわかっている。だがもう一度教えてくれ。“何体いる”?」
「あ、あ……うう……た、多分、数十体だと思います。でも、でもその、一つ一つの“気”が……あまりにも強くて……」
「どういうことだ」
「たくさん……とにかく、たくさん……その中でも、一番強いのが……一つ……ぐ……」
どういうことだ、とアルマが次の句を告げようとした瞬間、“R”は白目を剥いて気絶した。強烈な殺気にあてられたのだろう。
――追手が来ている。それも手強いものが。
「総員、よく聞け。追手がくる。まもなくこの場所は前後に獣人を配されての総力戦になるだろう。気を引き締めろ!」
小隊の天使達に伝え、アルマは唇を噛む。“一番強い”のはおそらく特異種だろう。
特異種。
――アルマは違和感を覚える。
この戦場は何かがおかしい。もっと具体的に言うならば、これまでとは比べ物にならないほど特異種が多い。どこにこれほどの戦力があるというのか。何故ここに来て、大量に投入され始めたのか。
それでも、今それを考えている暇はない。
「……激戦になるな」
アルマは独り言ち、ポーチの中のインジェクタを確かめる。
「?」
一本足りない。インジェクタが。




