#5
「げぇっほ! げほ! げほ!」
「シアリィ!」
輸送車の中では、血の海に沈んだシアリィを前に、マゴットが服を脱ぎ、胸元の水晶を露出させている。
「え、えっへへ、へへ。シアリィ、ドジっちゃいました」
「いいから!」
シアリィの銃創部に手を触れる。脇腹。弾は抜けているが、内臓をやられたのか出血がひどい。シアリィが荒く呼吸をするたび、血が噴き出る。
「我慢して」
言って、マゴットは傷口を強く押さえる。掌と水晶が淡く発光する。
「――くぅう……ッ!」
シアリィの表情が苦悶に歪む。傷口が泡立ち、血生臭い湯気が立ち上る。
「ぐうぅ……がはっ! ごほっ!」
「気をしっかり持つのよ。あんた、あたしの治療が好きなんでしょ」
「は、はいい……なんだか、とっても……がはっ!」
「これ以上は喋らないで」
マゴットはガーゼを取り出し、シアリィに咥えさせる。シアリィは時折白目を剥きながらも、ガーゼを力強く噛み、気絶だけはしまいと耐える。ここまで酷い銃創の治療であれば、おそらく傷口を掻きまわされるような痛みだけが襲っているだろう。
「おい、おい! シアリィの奴、死にゃしねえよな!」
「うるさいわね! 運転に集中してて!」
運転席から顔を出したオードリーをマゴットは一喝する。
「……悪ィ。頼んだぜ、マゴットさん」
せめて鎮痛剤があれば、と思った。不思議なことに、これまでどんな場所を探しても無かったのだ。まるで意図的に、隠しているかのように。
車外からは新兵達の悲鳴と銃声、そして混乱を収めようとしているスカーやアルマの声が聞こえる。その間にも輸送車の装甲にはいくつもの銃弾が叩きつけられており、今のところ貫通こそしていないが、マゴットはうまく集中することが出来ない。とりあえず出血だけでも止めなければ。
シアリィは脂汗をかき、身体を痙攣しながら治療に耐えている。今の彼女を襲っているのは快楽でなく苦痛だけだ。あまりにガーゼを強く噛み過ぎたのか、唇の端からは血が滲んできている。
「……よし、これで出血は収まったわ。あとは内臓を――」
マゴットが腕で自らの汗をぬぐった瞬間、輸送車の後部ドアが開け放たれる。
「マゴット! すまねえ、もう一人やられた!」
天使の襟首を掴んだスカーが顔を出した。
「痛い、撃たれた……熱いよぉ……」
傍らの天使は泣きじゃくりながら血の滲む脚を手で押さえている。
「ミントは!?」
「あいつも外で別の奴の治療にかかってる。体制を崩された途端、何人かがまとめて撃たれた」
「あのねえ、こっちだって、今は……!」
「ま、マゴットさん……シアリィは大丈夫ですから、そのコを治療してあげて下さい」
ガーゼを口元から落としたシアリィが、荒い呼吸と共に口を開く。
「でも!」
確かに出血は止まった。安静にしていれば少しの間はもつだろう。体力の続く限り、だが。
「頼む。このままじゃこいつが先に死んじまう」
「――わかったわよ。シアリィ、そこから動かないで。じっとしてて」
「は、はぁい……」
………
「どーすんのよ。退却すンの、小隊長サン!?」
輸送車周辺で釘付けにされた状況の中、レイチェルは弾倉を交換しながらアルマに問う。アルマはややあって、首を左右に振った。
「いや、退却はしない。左方は片付けた。残るは正面と右方だけだ。どちらかを潰してしまえば勝機はある」
「根性だけで何とかなると思ってんじゃねぇぞ」
レイチェルがドスの効いた声を出し、奥歯を噛みしめる。
「予想外のことはあった。だがやられたのは数人だけだ。こちらには“M”もいる。復帰の余地はある。そして戦闘能力の高い者達はまだ健在だ。勿論、君もな」
アルマは淡々と答える。
「てめえ」
「もう一歩だ。もう一歩、楔を打ち込めれば、この状況は打破できる」
アルマにとっての最優先課題は、この作戦を成功させ、生き残ること。“自分だけが生き残ればいい”という単純な思考ではない。誰も死なせないように、という思考でもない。被害を“最小限に”留め、成功の為に一手一手の判断を冷静に下すこと。それがアルマの全てだ。
「なら、あたしらに特攻しろってのかよ」
「決断と無謀は違う。状況を見極めろ」
「noob共の尻拭いをしろってのか」
「それも否だ。全体を見ろ。現に――彼女は今、次の一手を下そうとしているぞ」
レイチェルはアルマの視線を負う。視線の先には――左方壁上から飛び降り、戦場を駆け行くアリスの姿があった。
………
必死に治療を行っているミントに向けられた一つの銃口。
混乱の最中“天使達の要は緑色の髪をした天使の魔法にある”と気付いた獣人のものだ。頭か。それともあの発光する胸の水晶か。猪頭の獣人は呼吸を整え、小銃のトリガーに指をかける。
天使が顔を上げた。今だ。トリガーを引こうとしたその瞬間、猪頭は横からの飛び蹴りで勢いよく吹き飛んだ。
「アリス!」
スカーが叫んだのと、アリスが倒れた猪頭を射殺したのはほぼ同時。脅威に晒され、排除されたことにミントが気付いたのは、そのすぐ後。
「あ、アリスさん……!」
二人の呼びかけにアリスは応えず、正面の獣人達に向かって走っていく。スイッチが入っている。一度こうなれば、彼女は状況が落ち着くまでこのままだ。
傍らではロジーナとサーニャもアリスの援護に加わりはじめた。一見統率が取れているように思えるが、その実、彼女らは意識するよりも反射的に動いている。アルマは彼女らの戦闘能力を考慮し、彼女らによって事態が好転することを期待した。この状況においては合理的な判断であるし、アルマはそれを理解していた。だがスカーには目の前で繰り広げられる光景がまだ、どこか非現実的なものに思えて仕方なかった。
――非現実的? 元からこの戦場はそうではないのか?
戦況が転じるのは、いつも特異種、あるいは戦闘能力の高い天使によってだ。そういう状況をスカーはこれまで何度も見てきた。何度も見てきてなお、スカーにはそれが信じきれなかった。
「くそ。俺達も行くぞ、レイチェル!」
「あっちもこっちも敵だらけ。確かに、キル数稼ぐにゃ持ってこいだけどさ!」
レイチェルが頭を掻きむしる。頭から生えた角は多数の獣人達の存在をキャッチしており、それはもはや彼女に頭痛を引き起こすほどのプレッシャーであった。
………
アリスと同じく、突出した天使がいる。サーニャだ。正面から次々と出てくる獣人達に囲まれ、否、わざと囲まれるように引きつけてから、サーニャは獣人達の合間を縫いながら仕留めていく。
「いくよ、サニー」
サーニャは身を屈め、低い態勢で走り抜けていく。両腕に持ったPDWを大きく左右に広げたその姿は“羽付き”の羽のシルエットにも似ていた。
「うん、サーリャ」
足元や背中に銃弾が飛び交うが、サーニャには一発も当たっていない。接近すればするほど獣人達は誤射をおそれ照準をつけることができない。それが彼女の狙いだ。地を蹴り、スピンターンの要領で身を翻す。と同時に両手のPDWを掃射する。横一文字に切り裂かれた二体の獣人がほぼ同時に倒れる。その光景を目にし、一瞬怯んだ獣人の頭部に穴が開く。中距離から狙うロジーナの銃弾だ。
「正面はボク達が抑えるッス! 輸送車付近の天使は右方を集中! 頭を出すんじゃないッスよ!」
叫んだ瞬間、ロジーナは一直線に向かってきたサーニャに突然身体を押し倒される。同時に右方壁上からあの“乾いた音”が響き、今までロジーナの立っていた地面に銃弾が突き刺さった。
「ッ……や、助かったッスよ、サーニャ」
「大丈夫です。気を付けてくださいね」
覆いかぶさったサーニャは屈託なく、にこりと笑う。息一つ切れていてない。
その背後ではアリスが例の黒い虎頭……特異種“ブラックタイガー”の姿を捉え、小銃を右方壁上に向けて撃つ。他の誰よりも早い反応。だが銃弾は空しく壁上の手摺を砕くに留まる。しばらくアリスはブラックタイガーの隠れた先に注視していたが、やがて一瞥し、他の獣人へと目標を変えた。
「アリス! 虎頭はやれそうか?」
「いえ。スカー隊長。あの特異種は姿を消しました。隠れたまま、撤退したのでしょう」
「そいつは……」
スカーが回りを見渡す。気付けば、正面側の銃撃が明らかに弱まっている。天使達の反撃に次ぐ反撃で、ようやく正面からの抵抗が少なくなってきたのだ。
撤退したということは、つまり。
「……よし! 動ける奴は反撃を開始しろ! あの虎頭が撤退した!」
「えっ!」
「ほ、本当に……?」
「どうしてそんなことわかるんですか」
「また戻ってくるかも……」
すっかり怯え、腰が引けている新兵達に、スカーは応える。
「そいつは――」
数人の天使達によって状況が変わる。普通の戦場ではありえないことが、この戦場では起こる。それは認めなければならない。信じなければならない。
傍らのレイチェルが渋々頷いた。彼女のレーダーも、ブラックタイガーの気配を見失ったらしい。戻ってくるか。いや、戻ってはこないだろう。奴は後方に引っ込んだ。
「……状況判断だ」




