#2
朝を過ぎ。対空砲の轟音は、誰の耳にもはっきりとわかるほどに減少している。
スカーとロジーナの持っていた無線受信機からは、天使達の声がいくつも飛び交うようになった。中には相互連絡が取れているであろうやり取りもある。アルマ達が撃破した対空砲が引き金となったか、一日で状況が大きく動き始めたらしい。
アルマ達にとって、風向きを変える物事がもう一つある。今朝、戦場へ降りたばかりの天使達も数人、キャンプ地を見つけて合流したのだ。いずれも星の数か0から1。たまたまか、それとも投入される天使のレベルに偏りが出始めたか――いずれにせよ、キャンプ地に集まった天使達の数はこれで二十人を超えた。
「このタイミングで“フラッグ”を、か」
「皆も実感していると思うが、昨日一日で、この戦場のパワーバランスは変わりはじめた。無論、もう少し戦力を集めてから、という意見もあるが、各地で戦闘が行われている今がチャンスだと私は考える。加えて、こちらには一気に肉薄できる輸送車両とATVもある。もしこの機を逃し、戦況が変わりきって、島の獣人達が“フラッグ”を有するあの要塞付近に籠ってしまえば、泥沼の攻城戦と化すかもしれない」
「つまり、少数による奇襲と」
「電撃戦と、言いかえてもいい」
「あのさ、ンなこと言ったって、こっちの半分は星無しか一つだけの新兵じゃない。そんなnoobばっかの小隊で何とかなるって考えてるワケ?」
口を挟むレイチェルに、周りの天使達の視線が集中する。スカーが諌めようとすると、それを制するようにアルマが笑った。
「レイチェル、と言ったか。甘く見るなよ。何せ彼女達の半分は昨日、既に基地への奇襲作戦を成功させている。気勢は充分だ」
「あたし達だって、やればできるんだから!」
「そうよ。いつまでもこんな島になんて居たくないし」
「俺達のことを過小評価しすぎだっつーんだよ」
アルマと共にいた新兵達からわいわいと反論が飛ぶ。今朝降りたばかりの天使達もまた、その場の威勢だけは伝わったのか、泣き言を吐く者はいない。
スカーがレイチェルの肩を叩く。
「お前の負けだぜ」
「あたし、どーなったって知らないからね」
万全の体勢でないことは確かだ。だがスカーには、アルマの案を受け入れた。少数精鋭、とまでは言い難いが、あるいはやれるかもしれない。スカーはそう考えた。
“フラッグ”の奪取が成功すれば、島を覆うフィールドは消え去り、洋上に待機した砲艦と強襲揚陸艦が行動を開始できる。バランスはまた大きく傾くだろう。この奇襲は作戦の大きな要だ。
こうして、天使達による“フラッグ”の奪取と、目標がある“要塞”への奇襲作戦が決行された。
―――
作戦はこうだ。車両による肉薄、そして正面突破。以上。
敵の戦力は未知数。当然、戦力は集中し、相応の激戦になることが予想される。こちらに利があるとすれば、要塞の獣人達はまだ気づいていないこと、そして輸送車両が一台あることだ。
「……繰り返すが、この作戦は無謀な特攻などではない。状況が悪いと判断すれば、即時撤退命令を下す。こんなつまらないところで死ぬことは許されない。皆、生きて帰ろう。生きていればこそだ」
「「「はい!」」」
「……」
新兵達に作戦内容やフォーメーションを伝えるアルマを遠くで見ながら、スカーは腕を組み、無言で立っている。
「お熱いこって」
レイチェルがチョコレートを食べながら、その隣で呟く。
今朝方の降下の際、キャンプ地周辺に投下された補給物資の中身の一つだ。前回と違い大所帯になった分、割り当てはシビアになったが、丸ごと輸送車に詰め込めたのは大きい。弾薬や手榴弾なども一定まで確保できた。
通信施設の時もそうだ。あまりにも“うってつけ”のタイミングすぎる、とスカーは思った。しかし今はそれを疑念に思っている暇はない。
「こっちの隊長も星4つなのに、思いっきり立場奪われてるじゃん」
「別に人気を集めれば強くなるってわけでもねえ。俺達は俺達なりに、やれることをやるだけだよ。気になるなら、お前も後進の指導に当たってきたらどうだ」
「ヤだよ。面倒臭い。勝手に突っ込んで、勝手に死ねばいい」
「さっき言われたこと、根に持ってんのか」
スカーは鼻を鳴らして笑う。
「違う。嫌いなのよ、ああいうノリ。あたしはただ、バカなことに付き合いたくないだけ」
「俺だって、無為無策に乗るほど能天気でもねえ。だが、アルマはたぶん俺なんかよりよっぽど判断能力に長けている。そう思ったんだ」
「随分と自己評価がお低いことで」
「……なんだかな。ここに来てから、悩むことばっかだ」
「冗談じゃない。弱音なんか吐かないでよ。隊長がしっかりしないと、分隊のメンバーまで死ぬ」
「はっ。励ましてんのか」
「ンなわけないでしょ。ヤバいと思ったらあたしだけでも逃げるからね」
そう吐き捨てて、レイチェルはその場を離れていった。言葉に嘘偽りはない。レイチェルなら確実にそうするだろう。とはいえ今の時点でここにいるのは、現状では愚策とも考えていないからか。真意は計りかねる。
自分は一体どうだというのだろう。状況判断に失敗するということは、隊を率いる者として致命的なミスだ。故に迷いは許されない。それでも自分の中には迷いがある。
「ザマあねえな、俺も」
自嘲しながら、スカーは悪態をついた。
―――
輸送車のドライバー席で装備を確認していたオードリーの元に、ロジーナが寄ってくる。
「はい」
水筒を渡されたオードリーは汗をぬぐい、一気に水を飲んだ。水分不足でどうにかなるわけではないが、飲めば身体は多少軽くなる。
「結局、俺がドライバーとはなぁ」
「大抜擢じゃないッスか。……それとも、不安?」
「そりゃあそうだ。真っ先に狙われるのは俺だし、ヘマしちまったら後ろに乗った奴らまでフッ飛んじまう」
自身も水筒を一口飲み、ロジーナは輸送車のタイヤに背を預ける。
「大丈夫ッスよ。ボクが守るッスから」
「――あのさ、前から一度聞きたかったんだけど。ロジーナさん、俺より全然強えーし、もっと仲間もいるのに、何で俺んとこに来るの?」
オードリーにとっては素朴な疑問に過ぎない一言に、ロジーナの手がぴたりと止まる。
「……」
「ロジーナさん?」
「もしかして、オードリー、ボクのこと嫌いッスか」
「え、あ、ちょ!」
オードリーは手を滑らせ、マガジンに詰めようとしていた弾丸を落とす。ころんころんと、ライフル弾がロジーナの横に落下する。
「そ、そういうことじゃないっつーんだよ! 同じ天使だけど、俺とロジーナさんとじゃ、役割も何も全然違うっつーか!」
動転して、ライフル弾を拾いに身を屈めるオードリーと、ロジーナの目が合う。
「……」
「……」
「……いや、そりゃあさ、昨日は俺も負担するとか協力するとか言っちまったけど。でもそういうことじゃなくてよ」
「だって……オードリー、ボクのこと励ましてくれたじゃないスか」
「まあ、へこんでたからな」
ずる、とオードリーの姿勢が徐々に落ちていく。
「あの場所で怒鳴ってくれなかったら、ボクはあそこで死んでたかもしれない。――倉庫に取り残されたとき、君が帰ってくるのをずっと待ってた。帰ってこないんじゃないかって不安になって、動けなくなったり」
「戻ってくるって言ったじゃんかよ」
「次も?」
「……」
「やっぱり、ボクみたいなのじゃダメ、なのかな」
二人の視線が交錯する。ロジーナはオードリーの顔をじっと見たまま、逸らそうとしない。
「勇敢だとかリーダーっぽいとかじゃない。ただボクはもっと――……らしくありたいって……こんな身体になる前も、そんな事ばっかり考えてた気がする」
「……」
「星がいくつあったって、何も関係ないの。ボクが君のことを好きだって、それだけのことなんだから」
返事を待たずに、ロジーナはオードリーと唇を重ね合わせる。5秒、10秒、15秒、とあってから、唇はゆっくりと離れる。
「返事は?」
「昨日言ったばかりじゃねえか」
「昨日、何言ったかなんて、覚えてない」
「…………わーったよ。俺も、ロジーナさんのこと、好きだから。守るからさ。また不安になるようなら、一発カマしに戻ってやるからさ。わかるか? 天使に二言はねえ、だ」
「――ロマンもへったくれもない奴ッスね」
そうして、二人は笑い合った。
―――
「前にも、同じようなことをしていた気がするのですが」
「うん。私も……そう思います」
輸送車から少し離れた場所で、アリスとミントは遠巻きに二人の天使を見ていた。
「でも、あの時とは少し違う気もします」
「……そう、ですね」
ミントは視線を逸らし、冷静に分析するアリスの横顔を見つめる。
ああ、まただ。
ミントの中に、黒く靄がかった何かが現れる。
自分は隊長のことを信頼している。強いからとか、判断能力に長けているからとか、そういうことじゃない。もっと……本能の部分で。
けれど。
いつからだろう。自分はアリス“にも”惹かれはじめていた。隊長よりも? いや、スカーとは、どこか絶対的に違う理由で。
感情を表に出さない、ひんやりとした冷気をまとったような雰囲気。そのくせ寝顔は無防備で……アリスは、自分達とは何かが異なっている。まるで幽霊みたいな女の子。
ふらふらと彷徨う自分の感情。ここは戦場。そんなことばかり考えていれば自分が死ぬ。わかっているはずなのに。
「?」
こちらを見つめる、ガラス玉のような瞳に見据えられる。
吸い込まれる。
「どうかしましたか、ミントさ――」
気付いた時には、唇を奪っていた。
「――」
したくても出来なかったこと。抑えていたこと。この乾いた戦場の空気にあって、アリスの唇は水気を含んで、やはり冷たかった。
ああ、やってしまった。離れなくちゃ。その思考に辿り着くまで、10秒かかった。
つっ、と唇を離す。
「これは。“精神を安定させる行為”というものでしょうか」
唇を奪われる。その行為の意味すらもわからない、無垢な表情。むしろ混乱していたのはミントの方だ。
「この後は、どうすればいいのでしょうか」
ミントは答えない。アリスはしばらく何かを思考した後、ミントを軽く引き寄せ、抱きしめた。
「確か。こう」
まるでマニュアルを確認するような無機質さで、アリスはミントの身体に手を回していく。か細い腕。白い羽。人形のような肌。同じなようで、同じでない、その肉体。
「……」
そこでミントは我に返った。アリスは再現しようとしている。あの時の、あの二人の行為を。このままいけば、彼女はきっと最後まで再現しきろうとするだろう。
ふいに、ミントはアリスの身体を手で引き離す。
「……ごめんなさい」
誰に謝ったというのか。何を詫びたというのか。様々な感情がない交ぜになったミントは、それだけを口にした。
「何か、足りなかったでしょうか」
「ううん。そんなことありません。こちらこそ……その、急に」
「いえ。構いません。私達は“仲間”なのですから」
そう言うと、アリスは背筋を正し、一礼して去っていった。
「“仲間”、か……」
ミントはその言葉を飲み込むように呟き、アリスの背中をじっと見つめていた。
―――
各々の想いが交錯する中、作戦開始までの時間が一刻、また一刻と近付こうとしていた。




