#1
サイレンが鳴りやむ。
煙草を踏み消し、スカーは空を見る。3回目か、4回目の朝。たった数日のことなのに、記憶がおぼろげになっている。
天使は睡眠を必要としない。故に、時間の進み方が乱れてくる。戦場に駆り出されてからどれくらいが経ったか、それでもスカーはこの状況に慣れ切ったわけではない。
戦っていないと、夜を越すのがひどく長く感じる。
「またこんな所にいたのね」
「やることないからな。ちょうど最後の一箱の封を切っちまった」
こきこきと首を鳴らしながら、マゴットが来た。腰から煙草を取り出し、火をつける。
「何かわかったか」
「頭が獣ってこと以外は、特に。心臓も脳も、あたし達と同じ位置。筋肉は相当発達してるみたいだけど」
「そりゃわかってるさ。俺が何度奴らの頭をフッ飛ばしたと思う」
「違和感を覚えるくらい、違和感がないのよ」
「なんだそりゃ」
ここにキャンプを張る道中、スカーは数体の獣人を仕留めた。マゴットは比較的損傷の少ない身体を元に、夜の空いた時間を使って解剖を試みていた。曰く“一度やってみたかった”のだという。マゴットの“前世の記憶”がそうさせたのだろう。
もっとも、それによって新たに分かったことはほとんどないようだった。
「攻略に有力な手がかりは無し。つまり俺達が相手にしているのは、俺達天使とほとんど変わらねえ奴らだ、と」
「生物学的にどうかはノーコメント。でも、そういうことなんでしょうね。でっかい奴とかの特異種がどうかは知らないけど」
「でっかい奴、か。出来れば、もう会いたくもねえな。……次は生かしたまま調べてみるか?」
「……もういいわ。どうせ、何もわからないでしょうから」
―――
「そっちの状況はどうだったの」
「散々だったよ。別の分隊に会ったが、全員死んだ。一人だけはどうか怪しいが」
「それは聞いたわ。あたしが知りたいのは、あんた達のメンバーのことよ」
二人は五本目と二本目の煙草にそれぞれ同時に火をつける。
「レイチェルは見た目に異常なし。ミントは少し不安定になってる。問題なのはアリスだ」
「怪我でも?」
「こっぴどくやられたみたいだが、命に別状はねえ。だが、戦いが終わってまた寝た。ぐっすりとな。さすがにもう起きるとは思うが」
「眠る天使なんて、ねえ。どちらかというと、あたしは彼女を診てみたいわ」
「勘弁してくれ。あいつの頭の中は、まるでブラックボックスだ」
スカーはアリスの行動にいよいよ疑念を抱き始めていた。顕著な記憶の欠如と、初めての戦場にも関わらず極めて強大な戦闘能力を有していること。
「言われたことを、そのままやる。素直な奴だ。あまりにも素直すぎる」
アリスはスカーの言葉をそのまま受け取り、何の疑いもなく、それを信じた。そして“役立たず”のエイミーを容赦なく切り捨てた。あの場の窮地を切り抜けるきっかけとなったのは事実だ。……だが。
「あたし達がキャンプにいた頃に見た時は、なんだか空気みたいなコだと思ったけど」
「普段はな。存在感がまるでない。戦場に出るまでは」
スカーは紫煙と共に大きくため息をつく。
「天使にも色んな奴がいる。戦うことを嫌がる奴、嬉々として戦う奴、何を考えてるかわからねえ奴。色んな奴がいて、戦ってく中で頭がどうにかなっちまう奴もいる。わかっちゃいたが……本当にどうにかなっちまってるのは、俺の方かもな」
「どうしたの」
「いや……何でもねえ。忘れてくれ」
マゴットもまた、自分の周りで起こったことを話しはじめた。報告ではなく、率直な、自分の言葉で。
「たくさんの天使と会ったし、たくさんの天使が死んだ。アメリアもね」
「仕方ねえさ。そう思うしかないだろ」
「……問題は、サーニャのことよ」
「あいつか」
「言いたくないけど“壊れた”わ」
地下弾薬庫で何が起きたか、サーニャは話すことはなかった。だが彼女の言動でマゴットはそれを察した。自分の中には三人の命があると彼女は言った。サニー、サーリャ、そしてアメリア。つまり彼女は、アメリアの身体さえも自分の中に取り込んだのだ。スカーにそこまでは伝えていない。
「相変わらず素直な子よ。けなげなくらい」
そこまで言って、マゴットは目を伏せた。それ以上語りたくない、という顔をした。
「他は」
「ロジーナもちょっと危なかったけど、取り戻したわ。頼る者と守るべき者が出来た。そういう風ね」
「希望がないと、こんな場所じゃ正気にはなれねえさ」
新たなに加入した他の天使達も、アルマという存在によって気を保っている。アルマ自身もまた優秀な天使で、とにかく“生きて帰る”という単純な希望を抱いている。単純が故に、それは強固だ。
「……お前さんはどうなんだ」
スカーが呟く。
「どうなのかしら。最初は正直、どうでもよかったのよ。自分のことも、他人のことも」
「変化が?」
「愛着というかね。ヘンなコにも懐かれちゃったし。せめて行く末くらいは見届けたい、ってのもあるかも」
「行く末、か」
この戦いが終われば、星が揃った天使以外は再びどこかの戦場に行く。いくつかの例外を除けば、本当に行く末を見届けられる者はいない。この絆が一時期に過ぎないのは誰もが知っている。それでも、天使達は分隊の、あるいは傍にいる者を気にかける。それが唯一の希望、あるいは絶望に繋がると知っているからだ。時には、自分自身を犠牲にしてさえも。
「失礼します」
その声に二人が振り向くと、アリスが立っていた。
「重ねてご迷惑をおかけし、本当に申し訳ありません」
アリスは深々と頭を下げている。
「状況はアルマさんからお伺いしました。隊長、今後のご指示をお願いします」
頭を上げ、毅然とした顔で背筋を正すアリスを見て、マゴットは突然、ぷっと噴き出した。
「どうかされましたでしょうか」
「くっ……くくっ……」
「?」
「……なあアリス。鏡見たか?」
「? いえ。皆さん、同じような反応をするのですが。私、何かしましたでしょうか」
いたって真面目な表情で問いかけるアリス。その鼻の左右には、タールでネコのようなヒゲが描かれている。思いのほか、サマになっている。
「いや、何でもねえ。先に顔洗ってこい。話はそれからだ」
おそらく他の新兵達にいたずらされたのだろう。よく洗っても落ちるかどうか。
「それから」
「はい」
「起きた時には挨拶するもんだ。“おはようございます”ってな」
「……」
すると、アリスは不思議そうに小首をかしげる。
「どうした」
「いえ。……どこかで聞いた挨拶だったもので。それでは、おはようございます、スカー隊長、マゴットさん」
「ああっ、こんなところにいた!」
続いてもう一人の天使が来る。シアリィだ。
「げ」
「会うたびにそうしてヤな顔するの止めて下さいよー。シアリィ、へこんじゃいます」
オーバーアクションで振る舞うシアリィを、アリスは不思議そうに見る。シアリィは視線を感じてアリスの方を見る。そして噴き出す。
「ぷっ、あは、あははははは!」
「あの、どうして皆さん、そのような反応を」
「アリスちゃん、だよね……ぷく、くくくっ……たぶん、オードリーあたりの仕業かも……くく……ちょ、ちょっと待ってて下さい、拭いてあげますね」
シアリィはポーチから布を取り出すと、アリスの頬を拭きはじめた。事態を飲みこめていないアリスは、なされるがままだ。
「あっ、動かないで、じっとしてて……そういえば、アリスちゃんも今回が初めてなんですよね」
「はい」
「シアリィってば、昨日たくさん戦ってきたんですから。アリスちゃん、もし不安なら、シアリィのことを頼ってくれていいんですよ!」
前の戦いでマゴットを守れたことで自信がついたのか、誇らしげに胸を張る。新兵にしては優れた順応性ではあったが、当然、シアリィはアリスの立ち回りを知る由もない。
「はい。よろしくお願いします」
丁寧に答えるアリス。
スカーとマゴットはその光景を見て、顔を見合わせた。




