#14
静かな地下弾薬庫内に、アメリアの靴音だけが響いている。
すっかり見失ってしまった。サーニャはどこだろうか。
薄明りのついた通路からは、大量の弾薬が収められた部屋がいくつも伸びている。アメリアは小銃の安全装置をかけ、周りを警戒しながら歩いていく。ここで発砲は厳禁だ。途中で数体の獣人が襲ってきたが、やはり向こうも銃を使うことはなく、格闘戦で倒した。アメリアの手には、獣人の持っていた手斧が握られている。
ここにきて、ようやくアメリアは我に返っていた。一旦戻るか? だが庫内は複雑に入り組んでおり、戻るのに相当な時間がかかるだろう。それに、まずはサーニャも見つけなければ。
静かな庫内を一人きりで歩く。
サーニャとしばらく接するうち、アメリアは昔の記憶をおぼろげに取り戻しつつあった。
自分には守るべき人がいた。妹か、あるいは……それに近しい誰か。顔さえ思い出せない、大切な人。自分はそれを失ってしまった。仕方ないと割り切っていた。割り切れなかった。だから、二度と失うまいと誓った。
戦場はそれでも、容赦なく自分から仲間を奪っていく。今回もそうだ。守ろうとした。守れなかった。ラズベリーを失った。双子も失った。そして今、自分はサーニャを守ろうとしている。かけがえのない人。でも、実際はサーニャに守られている。不甲斐ない自分がいた。サーニャを追ってここまで来たのは、ほとんど本能だ。今こそ、彼女を守るべき時だと思った。
そこまでして、なぜ自分はこだわり続けるのだろう。前世の記憶とは、一体何なのか。こんな身体になってまで、自分が自分である証か、それとも。
「何が何だかわかんねーし」
独り言を呟く。
「……でも、サーニャはアタシが守らねーと」
確信は揺るがない。
空気が変わった。血の匂い。あの部屋から。手斧を構え、ゆっくりと中を覗く。サーニャはいない。ナイトアイズもいない。いたのは、一人の天使だけ。
長く伸びた黒髪の“R”だ。天井から伸びた鎖に左腕を縛られ、裸で吊るされている。身体中のあちこちには打擲の跡。右腕は無残に切り取られ――正面には、ハリネズミのように大量のナイフが突き刺さっていた。
既に絶命していることは明らかだった。まるでナイフ投げの“的”にされたような、おぞましい姿。よく見ると、ナイフはどれも急所を避けられている。おそらく一撃で殺さぬよう、何本も何本も、生きたまま刺されたのだろう。垂れ下がる白い足の下には、大量の血溜まりが残っていた。
天使の目は見開かれ、口も開いている。まるで、何かを伝えようとしていたかのような表情。アメリアはその目をそっと閉じさせてやり、部屋から去っていった。
サーニャとナイトアイズの姿を見つけたのは、それからすぐ後のことだ。
―――
「っ!」
脇腹にナイトアイズの膝蹴りが叩き込まれ、サーニャは床を転がる。
大量の弾薬に囲まれた一際大きな部屋の中、サーニャはナイトアイズを追い詰め、格闘戦を展開していた。
だが片腕を失ってなお、ナイトアイズの戦闘力は凄まじい。巧みに重心をズラし、打撃はことごとく避けられる。地に伏せたサーニャの背中に、ナイトアイズの踵が振り下ろされる。痛めつけるように踵をめり込ませられ、サーニャは苦痛に呻く。だがその瞳の輝きを失うことはない。
サーニャは全身のバネを使って跳ね上がり、勢いのまま腹部を目がけて蹴りを繰り出す。ナイトアイズは大きく後転し、これを回避する。サーニャは構わず、距離を詰めるように走る。ナイトアイズはその突進を冷静に見据え、垂直に飛び、上から乗りかかるようにしてサーニャの首に脚を絡ませる。
「ゴッホウ!」
甘い、と言わんばかりにナイトアイズは鳴き、身体を捻って投げ飛ばす。フランケンシュタイナーだ。サーニャの身体が反転し、地面に叩きつけられた。
「あ、が……!」
呼吸が止まる。首から落ちるのだけは避けられた。床がゴム張り(静電気防止用)だったのも幸いだった。しかし衝撃の全てを緩和できるわけではない。ナイトアイズは倒れたサーニャに対し、執拗にストンピングを繰り返す。
何度かかってこようと無駄だ。緑に光る両目が冷酷に見下す。その気になれば一気にトドメをさせるだろう。ナイトアイズはそれをしない。
「お前だけは……許さない、お前だけはああああ……」
口から血を吐いてなお、サーニャは激しい呪詛をぶつける。
「ホウ」
許さないから、何だ?
全身を痛めつけられ、四肢は思う通りに動かない。憎しみのこもった瞳だけが、ナイトアイズに負けず爛々と輝く。
うるさい。うるさい。お前だけは私が殺す。私が――。
「サーニャ!」
横からの声に、サーニャも、そしてナイトアイズも首を120度ほどぐるりと回転させた。天使の影。勢いを乗せた飛び蹴りが、ナイトアイズの顔面に直撃する。
「ゴッ……」
影は羽を制御し、後方に着地。
「アメリア! どうして!」
「一人で行動してんじゃねーし!」
手斧を構え、アメリアはナイトアイズに向き直る。蹴られた衝撃でたたらを踏んだナイトアイズはもまた、突然の闖入者に鋭い爪を向ける。
「あんたの相手はアタシだよ、このクソボケフクロウ頭」
「ホロロロロロロロロロ」
独特の鳴き声と共に、ナイトアイズの両目が光を増した。
「逃げて……いいから逃げてよ、アメリアぁあああ!」
広い弾薬庫の中で、アメリアとナイトアイズは互いの距離を計らいながら動く。アメリアにサーニャほどの機動力はない。鍵になるのは羽だ。挙動を読ませず、攻撃の隙を突く。こちらが片目なら、向こうは片腕。ならば、攻めるは――。
「ッホウ!」
左側面に回り込み、手斧で斬りかかる。ナイトアイズは素早く側宙して斬撃を回避、地を蹴り、接近と共に爪で突く。アメリアは手斧で爪を受け止め、右膝を腹めがけて繰り出す。ヒット。浅い。次の一撃を喰らう前に、アメリアは羽を使い距離を取る。
接近に備える。だがナイトアイズは攻めてこない。代わりに飛来したのはナイフだ。寸前で挙動を変え、間一髪で避ける。ナイフはゴム張りの壁に刺さる。
アメリアはあえて弾薬ラックが密集する中に逃げ込む。向こうは飛び道具、こちらは距離感が掴めない。強制的に接近戦に持ち込ませる寸法だ。ナイトアイズは思惑通りにこちらに来た。手斧を振るい、狙うは右腕。
爪が横薙ぎに一閃。アメリアは手斧で防ぐ。ナイトアイズは先ほどとうって変わり、容赦なく殺しにかかってくる。一瞬でも気を抜けば爪の餌食となるだろう。アメリアは瞬きさえも忘れて攻防を繰り返す。右目だけの視界もどうにか慣れた。なんとしてもここでナイトアイズを殺る。それしか道はない。
「あんたの仕掛けた罠で、双子は吹っ飛んだ。片腕くらいじゃ、許してなんかやらねーし」
集中のあまり、頭痛がアメリアを襲う。それでも勢いは止まらない。止まるな。止まったら死ぬ。アメリアの脳内で何かが弾ける。
振りぬかれた爪がスローモーションになるのがわかった。アメリアは全身を使ってスウェーで避け、そのまま振り上げるようにして手斧を繰り出す。手応え。ナイトアイズの右二腕に鮮血が舞う。
「ギィッ!」
斬りつけられ、ナイトアイズが悶える。勝機。
「――もらったし!」
ナイトアイズの脳天めがけ、アメリアは手斧を高く構える。だがその瞬間、ナイトアイズは全身を大きく捻り、がら空きになった腹部にサイドキックを放つ。
腹部に奇妙な感覚。
「あ……?」
少し間が空いて、アメリアの全身を脱力感が襲う。反射的に、手斧を持たない左手で腹部に触れる。ぬるりとした手触り。ボディアーマーごと大きく切り裂かれ、嫌に温かい何かが掌に伝わってくる。斬られた。何に? 手斧を落とし、よたよたと後退して、ラックに背中をぶつけるように崩れ落ちる。
「ホウ」
脚を大きく振り上げ、片足立ちのまま静止するナイトアイズ。足の先が鈍く光っている。それは、ブーツに仕込まれた隠し刃だった。
「アメリアああああっ!」
そして、いつの間にか立ち上がっていたサーニャも、アメリアが切り裂かれたまさにその瞬間を目撃していた。




