#1
白い部屋。真新しいベッド。
その上で、アリスは目を覚ました。
洗い立ての白いパジャマ。ドアの向こうから声が聞こえる。
「起きなさいアリス。もう朝よ。今日も気持ちのいい天気」
アリスはそれに応え、声を出そうとする。だが、出ない。
仕方なく無言でベッドから起き、ドアを開ける。
エプロンをつけた女性が掃除機をかけていた。
ごうごう。ごうごう。
「お寝坊さん。ほら、パパが、今日は出かけようって。早支度しなさい」
ごうごう。ごうごうごう。
掃除機の音がやたらにうるさい。
「おい、アリス。準備で……た……? ……早…………ぞ……」
アリスは女性の顔を見た。特徴の無い顔。見覚えの無い顔。
白いエプロン。白いドア。白い部屋。白い掃除機。響く吸気音。
ごうごうごうごうごうごうごう。
アリスは首を傾げる。……あれは、誰だ?
一瞬のノイズの後、白が、黒へと反転した。
―――
雑木林の中で、アリスは目を覚ました。
辺りは既に薄暗い。左腕にはめた腕時計を確認する。16:27。
アリスは記憶を整理する。おそらく降下には成功したのだろう。だがモニカは対空砲の餌食になり、周りには分隊どころか他のメンバーもいない。
ここがどこかもわからなかった。そもそも降下時刻から半日が経っている。
アリスは身体を起こし、腕や脚、首、羽と一つずつ動きを確認する。
衣類に多少の傷はあったが、自身の身体に外傷はなかった。
ジャケットとボディアーマーに入れていた道具類も無事。無意識に不時着を成功させたか。
少し先に落ちていた自動小銃を拾い、各部位をチェックする。歪みや破損はない。
夢の事が気になったが、アリスはその考えを振り払い、その場を後にする。
3番機降下隊の合流地点はD-10。
地図で場所は確認したが、現在地点が知れなければルートの定めようがない。
ひとまず、アリスはランドマークの発見を目標にして、雑木林を抜けることとした。まわりに道らしい道はなく、あっても獣道。薄暗い視界の中では目印も少ない。コンパスを手に、アリスはまず北へと進む。
アリス達を出迎えた対空砲火の音も今は聞こえない。暮れてからの降下は中断しているようだった。
―――
歩き始めて10分ほど、突如、銃声が響いた。
「………る…………こ……よぉーっ!」
自動小銃の音だろうか、射撃音に統一性はなく無闇に撃っている。
アリスは自動小銃のセーフティを解除し、素早く身構えた。
それからすぐに音は止み、次に悲鳴が聞こえた。
「うぎゃああああーーっ!」
アリスは走りだした。声の大きさから、ここより少し離れたところ。
少女の声。叫びを上げたのは生存者だろう。
木々をかき分け、声の方向に向かってまもなく、それは見つかった。
“羽付き”の天使がうつ伏せに倒れていた。羽ごと切り裂かれたか、背中に大きな裂傷があり、生々しく血が噴き出している。一目で致命傷とわかった。
「う、うー。ううーっ」
アリスの救護キットでどうにかなる傷ではない。少女はアリスの姿を確認すると、力を振り絞るように這い寄ってくる。
「ううー。うー。ごぼっ」
何かを伝えたいのか、吐血に阻まれて声が出ない。アリスは少女をゆっくりと起こす。
「喋ることはできる?」
「うぐ、う……き、君はっ」
「3番降下隊モニカ分隊、アリス」
「わたっ、わたしは、アイ……ごほっ」
「名前はいいです。それより、ここは何処?」
アリスは問うた。少女は不思議そうな目をした。
「ここのポイントは?」
「し、知ら……ない。ぜんぜん」
「そうですか」
少女の顔が青ざめていく。アリスは少女を抱いたまま、その顔色を見続けた。
「……わ、私には……ふぐっ……帰りを待ってる、子が……だから……うげぐふぐふっ」
少女は虚空を見つめ、振り絞るようにうわ言を呟く。
「………………ねこちゃん…………」
血を吐きながら、それだけ言って少女は息絶えた。
アリスは少女の死を見届けると、彼女から小銃のマガジンとドッグタグを取り出し、自分のポーチに入れる。そして少女の身体をゆっくりと寝かせる。
場所は聞けなかった。だがこの近くに敵がいるのは確かだ。アリスは周囲を警戒する。
間もなく敵は姿を現した。木々の向こう、約30m。遠くからでもわかるその異形。
「グ……グ……」
少女を追ってきたのだろう、一匹の、熊の頭をした獣人だ。肩に二発の浅い銃創あり。
唸り声をあげ、獣人はアリスを確認する。暗闇に光るその目に宿るのは、明らかな殺意。
「ググググゥーッ」
殺意のおもむくまま、獣人は勢いよくアリスへと向かってきた。
アリスは小銃を構える。アイアンサイトを覗く。照準は熊頭の眉間。
タ、タン。タン。
セミオートできっちり3発。眉間から血が噴き出し、熊頭は膝から崩れ落ち、地に伏した。
アリスは銃口を熊頭に合わせたまま近づく。動きはない。即死だった。
アリスは驚いていた。熊頭の存在にではない。反射的に動いた自分の身体にだ。
ぶれる目標を前に、アリスは銃弾を正確に眉間へ撃ち込んでいた。
考えるよりも先に、冷静に身体が作動した。
自分はどこかで撃ったことがあるのだろうか。そうした訓練を積んでいたのだろうか。
一刻ほど考えて、止めた。今はとにかく現状確認が先だと、アリスは判断した。
―――
再び北へ向かって歩き出し、30分。まだ林からは抜けていない。すっかり日も落ちた。今日はもう動くのを止めたほうがいいだろうか、そう思案を巡らせた瞬間、アリスはまた木々の間に何者かの気配を感じた。
素早く小銃を構えるアリス。それはまだ姿を現さない。アリスはぴたりと動きを止め、銃口の先を見据える。
「……まさか、こんなところで見つけるとはなあ」
声が聞こえた。女の声だ。
「誰か」
「撃つなよ」
「止まれ。誰か」
「この島にゃ天使とバケモノしかいねえんだ。わざわざ誰何することもねえだろう」
おどけた素振りで手を上げ、のっそりと出て来たのは、赤髪の女が一人。
「5番機降下隊スカーレット分隊、隊長スカーレット」
「3番機降下隊モニカ分隊、アリス」
「……と言っても、元々の隊は俺以外残っちゃいねえが」
アリスは銃を降ろす。スカーレットはアリスに近づき、右腕を差し出した。無骨な、鉄色の義手だ。
「お前、降下ミスでこんなところに降りたか。災難だな」
アリスも右腕を出し、握手を交わす。
背はアリスと同じくらい、長い赤髪は後ろで一つに括っている。顔立ちはきつく、鼻筋には一直線に傷痕が走っている。フランクに笑ってはいたが、その目つきは鋭い。いかにも歴戦の士といった風貌だった。
目を引くのはその装備である。降下用のジャケットを脱ぎ捨てた軽装に、左胸元、左脇、右腿、左腰、それから後ろの腰部にも、ホルスターを組み合わせるような形で拳銃が装備されている。
おそらくサラと同等の種だろうとアリスは思った。
アリスはスカーレットから座標を聞いた。
集合地点であるD-10からはほど近い場所。ここから北西に行けば着くのだろうという。
「律儀に向かうのはいいんだが、行っても多分誰もいねえぞ」
「どうしてですか?」
「そりゃ、数刻前にそこを通ってきたからだよ。靴の跡はあったが誰もいなかった。もうしばらく時間も経ってる。望みは薄い」
「D-10を?」
「うちのメンバーにもお前さんの降下隊の奴がいてな。一応確認しときたいって言うから見てはみたが、成果ゼロだ」
「3番機降下隊の?」
「……質問ばっかだな」
「すみません」
「お前、今は一人なんだろう。こっちにゃ“羽付き”もいないことだし……うん、ちょうどいいな。うん」
「?」
「アリスっつったか。お前、とりあえずこっち来い、な?」
「はあ」