#13
「うごがががががが」
衝動のままに天使を握り潰したタンクは、己の掌をじっと見つめていた。血にまみれた手。こびりつく臓物。やがて右手の指で顔を覆い、戦化粧のように血を塗りたくる。
脚を破壊されてなお高まる破壊への欲求が、タンクの身体にさらなる変化をもたらす。
みしみしと軋みを上げて両腕が肥大化し、巨木ほどの大きさへと膨らんでいく。上半身と下半身のバランスが崩れ、タンクはもはやまともな人型のシルエットを為さなくなった。
壊さねばならない。あの壁を。その後ろにいる煩わしい天使どもを。
「ががががが……」
タンクは両の拳を大地に当て、腕の力だけで動き出した。ゴリラのナックル・ウォーキングにも似た歩き方で、脚を引きずり、再び拠点へと侵攻を開始する。
壊せ。壊せ。徹底的に破壊しろ。それが己の役目。
―――
西側二階。
「まだやる気なの、あのバケモノ」
レイチェルはスコープごしにタンクの変化を確認し、その有様に低く呻く。
巨大な岩の如き様相へと変わったタンクは、天使達の応射をものともせずに迫ってくる。その背後にはタンクを盾に、数体の獣人が控えている。
「私、どこを狙えば……」
ミントが怯え、軽機を撃つ手を止める。
「待ってよ、今考えてんの……よっ!」
レイチェルはタンクの傍らから頭を出した獣人を撃ち抜き、ボルトを引く。だが取り巻きをいくら殺ろうと、あのデカブツを止める手段はない。
一階から、手榴弾がタンクへ投げ込まれ、爆音と共に泥が巻き上げられる。しかし今のタンクにはそれすらも効果的な一撃とならない。せめて東側に配置された重機をここに持ってくれば――否、あんなものは“M”の腕力でさえ普通は持てない。それに背後でも銃撃音が聞こえた。東側からも侵攻が開始されたのだろう。小銃の発砲音。衝突。悲鳴。爆発音。そして絶え間なく鳴り響く機関銃の銃声。
……機関銃? 誰の?
「レイチェルさん!」
巡らせた思考を、ミントの声が引き戻す。気付けば、タンクが一気に距離を詰め、レイチェル達がいる窓の間近に迫っていた。
まずい。
「ミント! そこから離れて!」
「あ……」
剛腕が振り上げられる。そして振り下ろされるその先は――。
―――
一階西側入口。
建物全体を揺さぶる衝撃で、スカー達の足元に天井からコンクリートの破片が降り注ぐ。
今のはタンクの一撃だろう。どこが破壊されたのかまでは確認できない。
「……おそらく、あの特異種に、接近されたかと……思います。さらなる有効打を、与えなければ、このままでは――」
「わかってるよ、うるせえな!」
スカーが苛立ちを抑えきれずに怒鳴る。
エイミーの件はひとまず保留にした。その上でもアリスは依然として感情を示さず、黙々と応戦している。それがスカーの苛立ちに拍車をかけた。
手榴弾は投げ尽くした。ここにあるのは小火器だけ。東側からの侵攻はどうなった。このままでは守りきれない。撤退か。撤退しかないのか。スカーの思考がフル回転する。
アリスの“異変”に気付いたのは、その時だ。
「……」
目を疑った。タンク、あるいはその取り巻きに対し、アリスは適切に応戦している。それはいい。だがその瞳は焦点を失い、身体はゆらりゆらりと前後に揺れ始めている。
まさか。
「アリス!」
スカーがアリスの肩を掴み、耳元で大声を出す。アリスは応えない。
「こんなところでかよ。頼むぜ、あと少しなんだ……戦ってくれ!」
アリスの異変。その兆候。天使が決して行わない、睡眠、あるいは居眠りという名の異常行動。こうなれば無理にでも叩き起こすしかない。スカーがアリスの頬めがけ平手を繰り出そうとした、その瞬間。
「――……はい。わかりました。目標確認。殲滅します」
スカーの呟きに虚ろな目のアリスはぽつりと応え、背中の羽を大きく広げる。
「おわっ!」
広げた羽に視界を阻まれ、スカーが後ろに引き下がる。その隙にアリスが扉を開け、単身で飛び出した。
「アリス! 危ねえ!」
スカーの制止も聞かず、アリスは何かに憑かれたように走っていく。
「ッ……あいつ、寝ボケてやがるのか!?」
飛び出したアリスはタンクに向かい、一直線に駆けだす。中距離からの散発的な射撃は無効と判断。ならば近距離から生命維持を司る機関を潰し、行動を停止させるしかない。
タンクは二階の窓に右腕をめり込ませていた。レイチェルとミントがいた場所だ。彼女らの安否はどうなった。確認は後回し。今はタンクの討伐が最優先。アリスは低い姿勢から羽を広げ、一気にタンクへと飛びかかる。
「ガアアアアアッ!」
タンクは側面からの脅威に気付き、残る左腕で薙ぎ払う。アリスは即座に羽をコントロールし、空中で翻ってこれを回避。間一髪。
無理な挙動でバランスを崩すタンクに向け、回避行動から流れるように射撃。両腕の隙間を縫い、数発の銃弾がタンクの胴体にヒット。有効打ではない。胴体正面への射撃は無効と判断。
アリスはひらりと着地し、続いて側面へ向け大きくステップ、背後に回る。タンクが体勢を崩している間に、背中へと射撃を行う。隆起した背部に小銃弾が横薙ぎにヒットする。倒れない。背部への射撃は無効と判断。
拠点の壁をめがけ走り出す。羽を広げ、壁に向かって跳躍。激突寸前に壁を蹴り、高度を増す。目標は頭部。
だがその間に体勢を立て直したタンクが、アリスに向け巨腕を振るう。降りしきる雨を裂き、風を切るスイングが空中のアリスを狙う。鉄球のような拳が左羽をかすめる。アリスは空中で姿勢を崩し、不安定な格好のまま墜落。
――羽をやられたか。アリスは即座に起き上がり、ばさりと羽を数回動かして確認する。かすめられた左羽が思うように動かない。
タンクはその隙を見逃さない。咆哮と共に両拳を組み、地上にいるアリスを全力で叩き潰さんと振り上げる。
「ガアアアアアア……ガッ!」
その瞬間、どこからか重々しい銃声が響き、振り上げられた両腕が狙撃される。血飛沫をあげ、タンクの両腕がその衝撃にぐらりと揺らぐ。だがタンクはそれでもなお、渾身の力を持ってアリスに鉄槌を振り下ろさんとする。
「アリス!」
拠点内にいたスカーが叫ぶ。まずい。このままではアリスが死ぬ。一瞬の躊躇。今からでも間に合うか。間に合わない。間に合わせるしかない。
覚悟を決めたスカーが勢いよく飛び出そうとした刹那――けたたましい銃声と共に、タンクの上部から大量の銃弾が降り注いだ。
―――
屋上。
「きひひ……きひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」
屋上から、狂ったような笑い声をあげる天使が一人。その両腕には銃口から煙を上げる重機関銃が一挺。東側二階の銃座から“もぎとって”きたものだ。
地表には見るもおぞましい異形の敵。あれなら、もっと自分を楽しませてくれる。マリアは快感にぞくぞくと身を震わせ、重機のトリガーを引く。
上部からの一方的な射撃。雨と共に降り注ぐ無数の大口径弾はタンクの身体を引き裂き、周囲にいた獣人達を一掃し、地表を抉る。両腕を伝って腹に響くような衝撃がマリアの身体を絶頂へと導いていく。大口径弾を連ねるベルトが暴れ、足元には空薬莢が吐き出される。
いかな強靭さをもつタンクといえども重機の掃射には耐えきれず、体勢を崩し、身悶える。踊れ。もっと踊れ。撃つ。撃つ。とにかく撃つ。
やがてベルトの端が重機に到達し、重機は赤く熱した銃身を沈黙させた。
「まだまだァ!」
タンクはまだ動いている。マリアは重機を投げ捨て、背中の消火斧を取り出す。その服にはいくつかの箇所から血が滲みはじめている。治療が不完全だったか、重機を撃った衝撃で傷口が開いたか。彼女にとっては些細なことだ。消火斧を振り上げ、マリアは駆けだした。屋上の縁を蹴り、タンクへ向かって、迷いなく飛び降りる。
まだ満足できない。まだイってない。イかせてくれる相手は、まさに今そこにいる。
自分を満足させてくれるには、相手もまた相応に狂った存在でなければいけないのだ。




