#10
東側入口。
ルビーがかちかちと歯を鳴らしながら、ぺたんと腰をついている。
「あ……あ……」
西側から敵襲の知らせ。加勢に行こうか、アメジストと二人で話し合っていた矢先のこと。ルビーのレーダーが、その気配を感じ取ってしまった。
「ど、う……して」
敵襲は西側からだけのはず。油断していた。レーダーがとらえた反応は、東の平野、その向こうから。20体はいるだろうか、雨の向こう、目視でも確認できる距離にまで近づいている。早い。おそらくは一次襲撃の際に攻めてきたものと同じ種族。
「ルビー」
隣にいたアメジストが、毅然と小銃を構える。
「ここはぼく達だけで戦うしかない」
「や……あーちゃん。私……」
「大丈夫だよ、ルビー。ぼくが守る」
20対2。入口にさえ辿り着かせなければ、いつか西側の襲撃を対処したメンバーが応援にきてくれるはず。……本当に?
ルビーは狙撃銃のスコープを構える。スコープの向こうに敵が見えた。
「ッ!」
戦うしかない。ルビーは腰を上げ、勇気を出して狙撃銃のトリガーを引く。銃弾は一体の獣人の足に当たり、獣人を転倒せしめる。ルビーにとっては初めてのヒットだ。びりびりと手に残る反動が響く。
「このぉおお!」
アメジストは声を上げ、小銃を乱射した。散発的な射撃は軽々と避けられ、有効打にはならない。その間にも山羊頭の獣人は容赦なくこちらへと走ってくる。西側から応援が来る気配はない。すぐに状況判断し、重機がある二階へ上がるべきだった。だがそれでは二人が離ればなれになってしまう。明らかな判断ミス。しかし二人がその思考に至ることはなく、気付いたとしても……今やそれは手遅れだ。
「数が多い!」
一体でも多く。少しでも制圧を。ルビーとアメジストはやたらに銃を撃ち、必死の抵抗を試みる。倒したのはせいぜいが3,4体。山羊頭のぎらつく異形の瞳が、スコープごしにルビーを見据える。殺気に燃える、歪んだ瞳。
「ひっ、ひいぃっ!」
うわずったルビーの悲鳴。
「ルビー!」
「ど、どうしよう、あーちゃん。来る、来る来る、来ちゃうよぉおお!?」
「うあああああっ!」
誰でもいい。早く。早く来て。誰か。誰か!
距離100。50。30。
「あああああああああっ!」
―――
「きひ」
のそり、のそりと、屋上に這い出す影が一つ。
外套は雨に打たれ、次第にその重みを増している。
東。西。眼下には惨状。一刻を争う状況の中、彼女はのんびりと構え、目深にかぶった外套の下で笑みを浮かべている。
「どっちを向いてもぉー、敵ばかり。きひ、ひ」
ポケットから紙包みを取り出し、雑な手つきで破る。中にはカラフルなゼリービーンズ。そのうちのいくつかが零れ落ちる。
足元には無骨な銃。ドラムマガジン式の大柄な機関銃。それを二挺。
背中には消火斧。拠点の備品を失敬したものだ。つや消しの赤い刃が獣人の血を求めている。
手掴みにしたゼリービーンズを一口に頬張り、咀嚼し、飲みこむ。エイミーの部屋にあったものの残りを全部頂いてきた。人工的な甘味が口いっぱいに広がる。
「きひひ。きひひひひひ。そうよ、これよ、これ。これなのよね」
ぶわ、と風が吹き、外套がめくれ上がる。すっかり雨を吸ったその胸元を掴み、彼女は外套を一気に脱ぎ捨てた。
「これが……これこそがっ……」
隠されていた胸の水晶が露わになる。首には星が4つ。下げられたドッグタグには「マリア」の文字。それこそが“ポンコツ”と呼ばれた彼女の本当の名。
「この高まりっ……この感情がっ……」
紅潮しきった顔が悦楽に歪む。見据えるは東、獣人の軍勢。二挺の機関銃を両手に構え、マリアは声高に叫ぶ。
「私のぉお……生きる! 価値ぃいっ!」
―――
「ねえ」
「はい」
エイミーを担いだアリスは、二階西側の窓付近へと移動していた。レイチェルとミントがいるところとは違う場所だ。あえてここを選んだ。
「何してんのよ、あんた……」
アリスは応えず、窓辺へと近寄っていく。マッドタンクはミント達の応射を受けながらも、森を抜け、着実に拠点入口へと迫っている。あの腕力では簡単に入口を突破されてしまうだろう。そうなれば一階で応戦しているスカーが危ない。
恐怖に怯えるエイミーの抵抗を無視し、アリスは窓辺へ辿り着く。
「降ろしてよ」
「ええ」
「わかった、わかったわよ。戦う……ちゃんと戦うから。だからっ!」
「はい」
エイミーの表情がひきつる。この女は何をしようとしている。あたしに、何をさせようとしている。手足をばたつかせるエイミーを抱くアリスは、じっくりと眼下の地形に狙いを定める。
「え、あ?」
そして……勢いよく、エイミーを窓から放り出した。
「あああああああああああああっ!?」
放物線を描き、エイミーは落下していく。あれだけ逃げ出したかった、外へ。
「――あがっ!」
エイミーは背中から勢いよく叩きつけられた。無理な体勢で投げられ、羽による着地緩和もままならなかった。視界が乱れ、呼吸が止まる。
続いて、間近に小銃が落ちてきた。泥だらけになったエイミーは二階を仰ぐ。
冷徹にこちらを見るアリスと目があった。放り出した? あたしを? あの女が? エイミーは混乱しながらも、小銃を手に取る。二階からの落下。背中が痛む。泥の上に着地したのが理由か、死ぬようなことだけはなかった。
それは彼女にとって、しかし決して幸運なことなどではなかった。
放り出された位置。それはまさに、タンクの目の前。
「ググググググ」
タンクは目の前に落ちてきたエイミーを見る。一人の天使。あまりにも小さく、無力な存在。タンクとアリス、自分を見下す二つの視線に見据えられ、地に伏したエイミーは全てを悟った。昨日やってきた分隊は、自分の味方などではなかったと。スカーはサヴァナを射殺し、アリスは自分を囮として利用したのだ。
「う……」
どうしてこんなことに。自分はいつだって上に立ってきた。こうなる前はずっとそうだった。あの時も……学校にいた頃も、自分は常に上にいた。周りはみんな自分にへつらう無能な奴ばかりで、反抗した奴は容赦なく潰してきた。反抗していなくても、気に入らなければ潰した。制裁と称して机や椅子を窓から放り、校庭の泥を舐めさせた。手を下したのは自分ではなく、取り巻きだった。だから咎められもしなかった。窓から見下げる“犠牲者”を見て、彼女は愉悦に浸った。誰も自分に逆らう奴などいない。……それがどうだ。今の自分はどうだ。
「ち……畜生ぉおおおおおおお!」
エイミーは絶叫と共に立ち上がり、小銃をひたすらに撃ちまくる。
「どうして! どうしてこんなことになったのよぉ!?」
あっという間に弾倉から弾が吐き出され、それきり銃口は沈黙した。エイミーは役立たずになった小銃をタンクに向かって投げつける。タンクはそれを振り払い、もう片方の腕でエイミーを思い切り殴りつけた。人形のように、軽々とエイミーの身体が宙を舞う。
やがて拠点内から掃射がはじまった。一階から、二階から、絶え間ない射撃がタンクへと向けられる。タンクは目的を拠点からエイミーへと移し、地に落ちたエイミーへと向かっていく。
「がっ、げほっ……ぐっ……逃げ、逃げなきゃ……」
内臓がやられたか、エイミーは血反吐を吐きながらも、生存本能のままに再び立ち上がり、ぬかるむ地面を走る。だが。
「うぐっ!」
突如、左膝に灼けた釘を打ち込まれたような激痛が走り、エイミーはその場に転倒した。誤射? 違う。撃った。“あいつ”は自分を撃った。逃げられないように、わざと。行動不能になったエイミーの元に、タンクは十字砲火の中を一歩一歩近づいてくる。
「や……やめて、やめてよ……」
脚を撃たれたエイミーにもはや為す術はない。タンクの大きな手がエイミーの身体を掴む。高々と挙げられ、タンクとエイミーの視線が交差する。拠点内からの掃射は全身から、タンクの脚へと集中していく。
「うぐ……どこいったのよ……“ポンコツ”。あたしを助けなさいよ……早く……」
凄まじい握力で、身体中の骨が砕かれていく。チューブのように絞り出され、口から血が吐き出される。
どうしてこんなことに。朦朧とする意識の中で、エイミーは言葉を繰り返す。自分の立場はずっと変わらないはずだった。泥まみれになる犠牲者を見ながら、ああはなりたくないと思っていた。だからこそ、次のターゲットにされないよう、冷徹に振る舞い続けた。
今の自分はその“犠牲者”の立場だ。取り巻きは一人もいない。窓から投げ捨てられたのは自分だ。泥を舐めているのも自分だ。そして“あいつ”が自分へ向けている視線は、まさに入れ替わった状況そのもの。
タンクはもう片方の手でエイミーの両脚を掴み、頭の上に掲げた。その間にも拠点からの集中射撃は脚の肉を削り続け、やがてタンクは膝をついた。しかしエイミーを離すことはない。
――そうだ。
あの時もそうだった。一瞬で。何の理由もなく地に堕ちた。忌まわしいデジャヴ。蘇る記憶。
「……仕方ないじゃん……あたし、何も悪いことなんて、して、ないのに……」
昨日までの自分。いなくなった味方。今日の自分。万力のように締め付けられ、エイミーの小さな身体が軋みをあげる。止めろ。弄ぶな。あたしの身体を、これ以上弄ぶな。
死ぬ? あたしが? ……また?
「待って、待って。嫌、あたしはまだ――」
思い出したくない。繰り返したくない。繰り返したくない。どうして、こんなことに?
「――……死ぃいーにーたーくーなーーーいいいいいいーーーッ!」
「ググググググググ……ガアアアーッ!」
めしゃ。
エイミーの身体が、真っ二つに引き裂かれた。
タンクは膝をつきながらも、怒りにまかせてエイミーの上半身を拠点の外壁に叩きつける。真っ赤な染みとなった亡骸はずるずると垂れ下がり、生々しい音と共に入口付近へ落下した。
―――
アリスはエイミーの無惨な死を見届けると、一階へと下り、スカーの元へ来た。
「脚の破壊を確認しました。これで侵攻は遅らせられるかと」
平然と報告に来たアリスに、スカーは目を見開きながら問う。
「……お前、何故あんなことをした」
戦場に慣れず、性格も手に負えない天使だった。だがサヴァナとは違い、エイミーには迷いがあった。防衛策を助言した時にも、そこだけはきちんと聞いていた。この状況においても、現実を直視させ、少しでも良い方向に変えようと思った。だからこそ連れ戻せとスカーはアリスに命じた。囮にして殺せとは言っていない。
「答えろ、アリス。お前は……」
するとアリスは一瞬きょとんとして首を傾げ、そしてこう答えた。
「――隊長が、彼女を“役立たず”だと言っていたので」




