#6
襲撃はないまま、夜が明けた。三日目。明け方から雲が広がり、天気は曇天。
「痛い痛い痛い」
「じっとしてて下さい。もう少しで終わりますから」
苦痛に顔を歪めるレイチェルに、ミントは手を当て、治癒を行っていた。レイチェルの左目上と首筋には痛々しい痣ができている。
擦り傷や切り傷はなんとか治せたが、ミントに出来るのはそこまでだ。“M”の治癒は効果的だが、限定的でもある。激しい損傷や止血すら治してしまう回復魔法であるが、一方で打撲程度の小さな傷までは治すことができない。この魔法の正体が何であるか、それは誰にも知り得ぬことだった。
ともかく、あの夜、レイチェルは怒りにまかせてエイミーの元に押しかけ、けしかけられた“ポンコツ”にさんざん殴られたらしい。……と、ミントはスカーから聞いた。
「何故あんなことをした」
スカーは腕を組み、低い声を言う。
「ムカついたからよ」
「それだけじゃねえ。お前、ここに来てから不安定な行動が多すぎる。昨日の晩、許可も無しに勝手に撃ったのもそうだ」
「間違ってなかったでしょ」
「結果的にはな。俺は、火に油を注ぐような真似はするな、と言ってるんだ」
「気に入らないのよ、ああいう奴」
「それは俺も同じだ。だがな」
「あたしは、あいつの存在そのものが気に食わないっつってんの!」
レイチェルが怒鳴り、ややあって声のトーンを落とす。
「…………嫌なもん、思い出すんだ」
「ああ、わかったよ。俺はお前の上司でもねえし、親でもねえ。だが、俺の隊にいる限り勝手な行動は止めろ。その行動ひとつが隊を窮地に追い込むこともある。いいな」
「……」
そういえば、とミントは思う。レイチェルの“記憶”については誰も知らない。聞いたところでどうなるわけでもないが。
―――
やがて、雨が降り出した。時を同じくして、島にサイレンが鳴り響く。こんな天気でも降下は実行されるらしい。
スカーはエイミーの部屋の前に立ち、ノックをする。
「邪魔するぜ」
返答も聞かずに部屋に入る。そこにはソファにもたれかかり憔悴した顔のエイミー。
「何よ。まさか、やり返しに来たんじゃないでしょうね……」
ソファに身体を預けたまま、エイミーは低く小さな声で呟いた。
「んなわけあるか。まずは……一つ目は、レイチェルのことだ。あいつがさっきここに来たのは本人から聞いた。あれは監督不行き届きだ。俺も苛立っていて、少々不注意が過ぎた。勝手な行動をしたと思っている。すまんな」
「……別に」
何かを言いかけた後、エイミーはやや間を置いて答える。
「それから、二つ目。はっきり言うが、お前達が経験不足なのはわかった。お前が俺達のことを嫌っているのもわかる。だが、せめてこの状況だけは何とかしたい。このまま襲撃が来たら、俺達は相当にまずいことになる」
言い切った。言い過ぎたか。スカーは小さく唇を舐める。どう出るか。
「……」
「こいつは命令じゃない。ただ俺はな……」
「――わかったわよ。でも、いい? 私は、あんたの事は気に食わない。利用するだけ。忘れるんじゃないわよ」
面倒くさげにがりがりと頭を掻いて、エイミーは身を起こした。
よし、とスカーは安堵する。
「そう、どっちが上とか部下とかじゃねえ。利用するだけでも、なんでもいいさ」
それからスカーは机に見取り図を広げ、エイミーにいくつかの“助言”を立てていった。天使の特徴、適性、防衛ライン。エイミーはやはり終始、訝しげな視線を向けていたが、
しぶしぶ聞いてはいるようだった。これでいい。言って聞かない相手ではなかった。それだけで充分だ。何とかなるかもしれない。
―――
助言を終えたスカーが部屋を出ると、サヴァナが向こうから来るところだった。
「……」
「エイミーさんは、ちゃんと言うことを聞いてくれましたか?」
すれ違いざま、サヴァナがスカーの耳元で言った。
「ああ。おかげ様でな」
「大変助かります。あの方、前の戦場でもほとんど戦っていらっしゃらなかったようで、正直、あまり頼りになるとは言い難く。あなた達が来てくれていなければ、ここもどうなっていたことか、と、わたくし憂慮しておりました」
薄く笑みを浮かべながら、サヴァナは言葉を続ける。
「随分な言い草だな。お前たちのリーダーじゃないのか」
「ええ。彼女は確かにわたくし達のリーダーですよ。今は」
含みのある言い草だ。
「ともかく、あなた達のような経験豊富な方々が来てくださって、大変助かりました」
「サヴァナ、とか言ったな。お前が何を考えてるんだか、おれは知らねえ。エイミーの経験が浅いのも確かだ。だが、副リーダーを名乗るんなら、少しはあいつを信頼してやるのが筋じゃねえのか」
「ええ。そうですね。その通りかと」
言うなり、サヴァナはこつこつとブーツを鳴らしながら去っていった。
「……」
スカーは足を止め、ポケットからタバコを取り出して火をつける。薄暗い廊下の中でタバコの先が赤々と燃える。しとしとと、静かに降る雨音だけが響いていた。
「……滅多なことにならなきゃいいんだがな」
スカーはそう独り言ちて、ゆっくりと紫煙をくゆらせた。
―――
ひとまず、スカーの助言通りにエイミーは動いたらしい。
拠点は東と西に入り口があり、東の方が前面となる。“天使爆弾”が来た東側は平野の向こうに、西側はそれよりやや近いところにそれぞれ森林があり、どちらからも襲撃が来る可能性が考えられる。
優れたセンサーを有するルビーを東側、レイチェルを西側の歩哨に立たせ(念のため、拠点の備品であった小口径のコンパクトな拳銃を携行させた)、一階にサヴァナ、二階にミントとアリスを配置。東向きに備え付けられた重機関銃はスカーが担当。上階の見張り台にアメジストを配置。エイミーは“有事に備えて”上階の部屋に待機。“ポンコツ”も同様。
昨日の戦いと立場は逆転している。今度はこちらが守る方だ。
スカー達が合流したことを知らずに敵が少数で攻めてくれば僥倖。だが、そう上手くはいくまい。スカーは敵の獣人達を見くびって全滅した部隊をいくつも知っている。
いつ来るか。どこから来るか。ここから先は、持久戦。
―――
アメジストは見張りとして遠方を眺めながら、足元にいるルビーのことを気にかけていた。
――大丈夫だよ、私、ちゃんと役に立ってみせるから。
ルビーは精一杯の声でそう言った。膝ががくがくと震えていた。
ぼく達はどうしてここにいるのか。気が付いたら狭い輸送機の中にいて、隊長と名乗る天使に怒鳴り散らされるまま、飛んだ。その隊長はパラシュートを対空砲火でやられ、地上で無惨な血の染みと化した。もう一人は着地地点から大きく離れ、どこかに落ちていった。残ったのは二人だけ。
二人で励まし合い、恐怖を堪えて歩き続けた。藁をもすがる思いでこの拠点に身を寄せた。ここに留まり続け、そのうち戦いが終わればいいと思った。だが安寧は訪れなかった。何が起こっているのか、どういう状況なのか。そんなことは二人に分かるはずもない。あの“リーダー”に、様子を見て来いと言われていたら、今頃爆弾を括りつけられて歩いていたのは自分だったかもしれない。
ルビーはこの状況の中、一生懸命に役目を果たそうとしていた。自分は? 彼女を守ると言っておきながら、まだ何の役にも立っていない。難しいことはわからない。他の天使に任せるよりない。だが、まだ見ぬ脅威からあの小さな背中を守るのは自分しかいない。
震える手はきっと、雨の寒さのせいだ。重い小銃のグリップを握りしめ、アメジストはルビーから視線を放し、再び見張りの任務に戻った。




