#4
帰らなくちゃ帰らなくちゃ帰らなくちゃ帰らなくちゃ帰らなくちゃ帰らな
―――
天使との距離、約400。
見張り台にいる全員が、アリスの方を向いていた。
“天使爆弾”。その言葉にルビーとアメジストは恐怖に怯え、サヴァナは息を飲んだ。
「もう一度聞くぜ。アリス、お前、何故そう感じた?」
「あくまで可能性です。混乱させてしまい、申し訳ありません」
「報告を撤回しろとも、頭を下げろとも言ってねえ。質問に答えてくれ」
「はい。――あまりにも“不自然”でしたので」
「具体的には」
スカーは真意を問いただす。
「まず、姿を見る限りあの方は“S”のようです。ですが装備されているボディアーマーは、私を含め“A”の身に着けているもの。エイミーさん、後発で派遣した方は“羽を生やして”いましたか?」
「……生やしてたかもね」
エイミーが渋々頷く。嘘は言っていないようだ。
「であれば、後発で行かれた方のアーマーとみて間違いはないかと。元の持ち主は捕らわれたか、あるいは殺されたか。そしてそのアーマーが、奇妙に膨らんでいるように見えました」
アリスの分析を聞き、スカーが双眼鏡をのぞく。
「言われてみればそう見えるかもしれねえな……で、あの中身が」
「おそらく、この施設の壁を破壊する分量のプラスチック爆薬か、それに類するものではないかと予測します」
アリスはきっぱりと言い切る。
「武器もないし、他人のアーマー着てるっつーのも、見りゃわかる。でも何で? 爆薬以外のものが入ってるって考えはないの? 弾とか」
レイチェルが口を挟む。
「あのアーマーのポーチの膨らみ方は、マガジンやサバイバルキットのそれとは異なるように見えます。もしそうだとしても、ああまで多く入れては重量で行動に支障がでます」
「死んじゃったそいつの分とか、詰め込めるだけ持って帰ってきたとか」
「でしたら小銃などの使える武器を優先するはずです。あの方は拳銃すら持っていません」
レイチェルはアリスにいくつかの質問を浴びせる。突っかかる、というよりは、何かを確認するように。そしてアリスも応えていく。
「で、お前は考えたわけだ。あいつが死んだ味方のアーマー着させられて、ついで敵に爆弾くっつけられてノコノコ帰ることを強要された“天使爆弾”だと」
「はい」
「……もう一度聞くけどさ……何で?」
「私が、そう感じたからです」
最後のピースを埋めるレイチェルの問いに、アリスは少しの澱みもなく答えた。
不自然なのはわかる。では、どうしてあれが天使爆弾だとわかるのか。納得の行く答えではない。皆が一様に押し黙る。その確証はないが、そうでない確証もない。すべては可能性の話。しかしアリスは言い切った。ただ、言い切った。
「あのさ、こんな居眠り女の寝ぼけた言葉、あんたら、本気で信じてるわけ?」
突飛な話をされて腹に据えかねたのか、エイミーが沈黙を破った。居眠り女とはアリスのことだろう。
「差し出がましいようですが……爆弾かどうかはともかく、彼女からは合図も攻撃もありません。止めるにはやや早計かと思いますけれども?」
サヴァナも同意する。ごく当然の考えであると言える。
「大体ね、爆弾を使うアタマなんか、あのバケモノ達にあるわけないじゃない!」
エイミー以下の“星なし”はその説に小さく頷いた。知能の低い獣人にそんなことができるものか。確かに誰もがそう思うだろう。特に知識と経験の浅いものであれば。
だがスカー分隊は違った。あの通信施設での戦いを経験したからだ。
「あいつらなら、やりかねない」
スカーは低い声でエイミーに反論する。
「リーダーさんよ。獣人どもはそれほど馬鹿じゃねえ。あの天使が実際どうであれ、俺達は不用意に入り口に近づかせる案には反対だ」
スカーの言葉に、アリスと……そしてレイチェルも頷いた。
ミントは迷った。自分の意見を言うべきだと思った。本当にそうなのだろうか。あの人はただ役目を終え、帰りたがって歩いてきているだけではないか。
言おうか、言うまいか。結局ミントは、否定も肯定もしなかった。
「――あ、あんた達ね、揃いも揃って、何を言ってんのよ!」
エイミーが突然壁を叩き、激昂した。
「ここのリーダーは私なの! わけわかんないこと言って締め出して、敵の情報を逃したらどうすんの!?」
「そう思うんなら、偵察に送り出した駒と順番くらい覚えとけっつーのよ、このnoob」
声を張り上げるエイミーと対照的に、レイチェルは深く静かに言う。
「何よ! とにかくここの命令権は私にあるの! あいつは中に入れるからね!」
「……あっそう」
言うやいなや、突然、レイチェルは素早く狙撃銃を構え、かの名も知れぬ天使に向けて発砲した。
―――
……今のは?
なんでもいい。帰らなくちゃ。
―――
スカーは咄嗟に双眼鏡を向けた。銃弾は目標の数メートル先に着弾。狙われた天使は無事。
「待て! 撃てとは言ってねえ!」
レイチェルはスカーの言葉に耳を貸さず、静かに狙撃銃のボルトを引き、次発を込める。
「ミント、あいつを止めろ!」
「はっ、はい!」
すぐ横で茫然としていたミントが、スカーの言葉で我に返った。レイチェルの肩に手を伸ばしかけ……その手はしかし、途中で止まる。
スコープを覗きながら何かを呟くレイチェル。その迫力に気圧されたのだ。
「――当てるつもりで撃った。なんで踏み留まらない。なんで瞬きをしない。なんで歩いてくる。手の一つでも振ってみろ。一体あんたはどこを見ている」
「れ、レイチェル……さん?」
問いかけの相手はスコープの向こう。
「アリスの言うことは気に食わない。でもあの天使が怪しいのは確か。それだけはわかった。……――次は当てる。脚だ」
次発。距離300。左足首を撃ち抜かれた天使が、膝からゆっくりと崩れ落ちた。
「やめろ!」
天使は崩れ落ちてなお、こちらをじっと見ている。もはや正気ではない。それはこの場にいる誰の目にも明らかだ。
スカーはレイチェルに近寄り、強引に狙撃銃を取り上げる。
「何をしてやがる」
「撃った」
「何故撃った」
「隊長、見てわかんない?」
目が据わっている。
「一発目は威嚇。それで動じなかったから足を撃った。大したことないっつーの。どうせ“借り物”の身体……でしょ?」
何かを言いかけるスカーの横を通り過ぎ、レイチェルはエイミーの元へ近寄る。
「そこのクソリーダー。あいつはまだ生きてる。致命傷じゃない。どうしても情報が聞きたいっていうなら、ここから出ていって連れ帰ればいい。あたしはごめんだけど」
「……」
突然の事態に、エイミーは顔を赤くし、わなわなと震えている。二人は再び睨み合う。
その時。
「た……隊長! あれ!」
ミントが悲痛な叫びをあげる。見張り台にいた全員が、その方を見る。
脚を撃たれ、地に伏したはずの天使が、起き上がっていた。
ざし。ざし。ざしざし。
彼女は歩き出した。撃たれてボロボロになった脚をものともせず、壊れた人形のように、ひょこひょこと。やがてその足取りは次第に早くなり――彼女はこちらをめがけ、一直線に走り出した。
―――
……突然、足が踏み出せなくなった。身体がぐらりと崩れ、地に伏せた。
それでも私には帰る場所がある。腕だけで身体を動かす。身体が重い。土が口に入る。私は這いずってお家を目指す。帰らなくちゃ。
帰ったら、こんな身体じゃなくて、本来の私の身体に戻れる。傷だらけの、あいつらにめちゃくちゃにされた、血と体液にまみれた身体じゃなくて、もっときれいな。私の。帰らなくちゃ。
いてもたってもいられなくなって、私は駆け出した。あそこに着けばこの悪夢も終わる。うまくバランスがとれない。でも、かまうもんか。家はもう近い。高いところに明かりが見える。人影が何人か、私を見ている。みんな手を振ってくれている。ああ、私のことに気づいたんだ。おばあちゃんもいる。脚の痛みは気にならない。走る。私は走る。
帰らなくちゃ帰らなくちゃ帰らなくちゃ帰らなくちゃ帰らなくちゃ帰らなく脚が折れる音がした。視界がぐるんと一回転し、私は躓いた。家がどんどん遠ざかっていく。夜の闇へ、地平線の彼方へ、消えていく。
ああそうか。私はもう帰れない。
胸元で、きん、と甲高い音が聞こえた。その瞬間、視界が真っ白になる。
私はもう帰れない。みんなに、もう一度、会いたかったなあ。
死ぬのは嫌だ。わけもわからずこんな場所に連れてこられて。それでこんな、終わり?
「……こんなの、嫌だよ……」
口から血反吐が溢れ出る。目の前には、飛び散った私の身体。これが悪夢でなくてなんなのだろう。お家に帰りたい。もう帰れない。そもそも、私はどうしてあの家を失ったのだろう。幸せな記憶の中にある、ぽっかりと空いた空白。
ああそうだ。思い出した。
もうみんなには会えない。おばあちゃんはもういない。突然亡くなった。それから、何が理由だったのか、家族もバラバラになった。私は叔母さんの家に引き取られて……蹴ったり、殴られたりしたのだ。それで……私は……なんだ、そうか、私は一度……。
死ぬのなんて恐ろしくない。そう思っていたはずなのに。
「ううううぅぅ、嫌だぁ……死ぬのは怖いよぉ。もう一度会いたいよぉ……おばあちゃん……た、助けてよ、たすけ」
あとはもう、何も感じなく――――




