#3
帰らなくちゃ、と思った。
一人ぼっちで、遠くまで来てしまった。
どれくらい歩いただろう。あたりはすっかり暗くなってしまった。
言われたことは果たした。だから後は帰るだけ。歩く。歩く。汗と埃にまみれ、足取りは重い。それでも歩く。私には帰る場所があるから。
帰ろう。こんな寂しい野原から、家に帰ろう。帰ったら柔らかいベッドと温かい食事が待っている。デザートはきっと、りんごタルト。蜜漬りんごのたっぷり入った私の大好物。みんな心配してるかな。お父さん。お母さん。お姉ちゃん。ジェイミー。それから、大好きなおばあちゃん。食べたいなあ。おばあちゃんのりんごタルト。タルト。
お腹が空いた。少しも力が出ない。でも私には帰る場所がある。だから歩く。
帰らなくちゃ。
帰らなくちゃ。帰
らなくちゃ。帰ら
なくちゃ。帰らな
くちゃ。帰らなく
ちゃ。帰らなくち
ゃ。帰れないの?
―――
夜になり、これ以上の行動は危険と判断したスカー達は、ひとまず今夜はこの場所に待機することに決めた。
スカー分隊には、先ほどまでアリス達が休んでいた部屋が割り当てられることになった。(割り当てられたというよりは、誰に言われるでもなくそのままだけ居ついた)。しばしの休息を挟み、四人は車座になって打ち合わせを始める。
「あたしは反対。ここにいたって、ロクなことにはならない」
毅然と言い放ったのはレイチェルだ。スカーがエイミー達のことを話した時、レイチェルは露骨に嫌な顔をしたという。
「協力体制をとることは出来ないんですか?」
「普通ならそうするところだ。だがあいつは何しろ人の話を聞かねえ。都合の悪いことになると、あの暴れん坊をけしかけてきやがる」
スカーは左肩をさすってそう言った。B-12での戦いで打ち据えられた肩に、さらに打撲を加えられたらしい。一体何があったというのか。ミントは不安を覚える。
「一発ぶん殴って分からせりゃいいのよ」
「そうしたいところだが、他のメンバーもあいつに頼りきりで、これ以上この空気が不安定になるのは避けたい」
「つまり」
「俺達は俺達でなんとかうまくやるしかねえ。その上、あいつは様子を窺いにきた獣人をわざわざ取り逃してやがる。つまり、いつ襲撃が来てもおかしくない。しかも、どこから、どれくらいの敵が襲ってくるか、一切の状況は不明だ」
「だからあたしは夜になる前に逃げようって言ったのに」
「正直、どうすりゃ正解だったのか、俺も判断しかねてる。だが責任は俺にある。とりあえず俺はまたあのリーダーさまのところに行って、今いるメンツで基本的な防衛だけでも敷けないか言ってみる。ご意見をお聞き頂けるかどうかはわからんがな」
「サイアクな状況ね」
「あの、エイミーさんは」
アリスが訊ねる。
「“仲間”ではないのですか?」
「仲間?」
スカーが聞き返した。
「いえ」
「仲間、ときたか。……いいかアリス、誰もかれもが、お前みたいにきっぱり割り切って戦えるわけじゃねえ。ここには色んな奴がいる。――言いたかねえが、好き勝手に振る舞って、戦況を悪い方向に変えちまうような奴だっている。そういうのは……役立たず、とも言うのさ」
「役立たず、ですか」
苦虫を噛み潰したような顔でスカーは言い、アリスはその言葉を復唱する。
「――悪い。今のは忘れろ。とりあえず歩哨のスケジュールだけは分担したから、動きがあったら俺に知らせてくれ。それまでは自由行動にする。この中は広いから、今のうちに構造を頭に入れておくように。それと、ミント」
「はっ、はい?」
名を呼ばれたミントが、ぴんと背筋を伸ばす。
「お前はアリスと一緒に行動しろ。俺、レイチェル、アリスとミント、この三つで行動を回す」
「ええー」
レイチェルが口を尖らせる。
「あたし、ミントと一緒に動きたかったのに」
「えっ……」
口惜しそうにミントを見るレイチェルを、スカーが制す。
「お前、どうせ隙を見てミントの胸でも揉むつもりだろうが」
「いやいやまさか、そんなそんな。このあたしが」
「説得力ないです、レイチェルさん……」
「おいアリス、眠くなったら……いや、体調が優れないようなら、すぐ休んでいいからな」
「隊長、ずいぶんアリスに甘いようだけど」
「はい。私は大丈夫です。これ以上、隊に迷惑をかけることはできません」
「だってさ?」
「ダメだ。アリスは星こそ無いが、戦力としては俺が見た“A”の中でもトップクラスだ。いざという時に動けないようじゃ困る。だからアリスの管理と運用は俺がする。これは命令だ。返事は」
「はい。わかりました」
「ちぇ」
スカーはその返事に頷くと、腰を上げ、部屋から出ていく。
「隊長も、あんまり無理しないでくださいね」
ドアノブに手をかけるスカーに、やはり心配そうにミントが声をかけた。
「何度も言うな。大丈夫だ。俺は動いてないと気が収まらない性質でな」
と、その瞬間、ノブがひとりでに動き、ドアが開けられる。
ドアの向こうにいたのは眼鏡の女。サヴァナだ。
「スカー分隊の皆さん、休息は充分でしょうか?」
「お前」
眉をひそめるスカーに、サヴァナはにっこりと笑い返す。
「はい。サヴァナです。ご様子を窺いに来た次第なのですが……」
「盗み聞きとは良い趣味じゃねえな。どこからどこまで聞いてやがった」
サヴァナは眼鏡の奥の眼を細め、ひらひらと手をふった。
「いえいえ、そんな。わたくし、あまりこういった状況は得意でないものでして」
「そりゃ結構だ。そっちのリーダーも得意じゃないようだし、これからもう一回“ご様子を窺いに行こうかと思ってた次第で”な」
スカーはつとめて平然と答える。
「それは構いません。ですが、エイミーさんも今は機嫌がよくないようです。もう少しだけ、時間をおいてみては?」
「ご機嫌で隊が仕切れるってんならそうするさ。何かあってからじゃ、遅い」
「そこまで言われると、わたくしも反論はできません。ご案内しましょうか?」
「結構だ。場所ならさっき覚えた。ナントカは高いところが好きって言うからな」
「――……あ、あ、あ、あの、あのあの!」
二人の緊張を割るように、動揺した声が廊下から聞こえた。息も絶え絶えに、ルビーが走ってきたのだ。この時間帯は彼女が歩哨として入り口に立っていたはずだった。
「おや、そんなに慌てて、どうしました、ルビーさん?」
「かえって、か、帰ってきたんです! その……さっき様子を見に行っていたひとが!」
―――
エイミーが根城にしている部屋の横には、見張り台がある。
ルビーの報を聞きつけ“ポンコツ”を除いたメンバーがそこに集まっていた。
「よく見えたわね、ルビー」
「はい。あの……何か動いてるかもって感じて、その、それで銃についてる望遠鏡で見たら」
「あっそ」
特に驚くこともなく、エイミーはそう答えて双眼鏡を覗く(今でこそ誰もが見られる距離にあるが、先ほどまで遥か遠くにいた対象を確認したルビーは、相当の索敵能力を有する天使であった。無論エイミーは知る由もなかったが)。
見張り台の外、天使達が見つめるその先に、平野をふらふらと歩く天使が一人。その距離、約500。
「おいリーダーさん」
「なによ」
「あいつは先に出したほうか? 名前は?」
「先に出したほう。名前は知らない。そんなの覚えてないわ」
スカーはエイミーに聞こえぬよう小さくため息をつき、窓の外に視線を戻す。
「どー見たって、様子がおかしいんだけど」
窓の縁に肘をかけながら、レイチェルが呟く。
「何よ。ただ帰ってきただけじゃないの。勢揃いで見てなくても、そのうち入口から入ってくるでしょ」
「あんたね、アレが偵察を終えて意気揚々と帰ってくるような足取りに見える? 大体、武器も持たずにどうして一人ノコノコ帰ってきたってわけ?」
「そんなのわかんないわよ」
「ブチのめすぞ」
一転して低い声色で呟き、レイチェルがエイミーに食ってかかった。
「止めとけレイチェル。今はそんな場合じゃねえ」
「ちっ」
一触即発。その横で表情もなく佇んでいたアリスの肩を、ミントが小さく叩く。
「どうしました?」
「う、ううん。なんでもないの。でもなんか、すごく嫌な予感がします」
小さなミントの耳打ちに、アリスは目を細め、外をじっと見据える。
「……」
やがて何かを確信したようにアリスは窓辺から離れ、ミントの横を過ぎ、一直線にスカーへ近寄る。
「隊長。“嫌な予感”がしました」
「……聞くぜ」
一息置き、アリスはスカーの目を見て、言った。
「彼女は、爆弾を装着させられている可能性があります」




