#2
二日目も夕刻に差し掛かり、窓からは夕日が床に落ちている。
スカーが現状把握にと行動している間、別の部屋ではミントがアリスを横にして見守っていた。採光用の窓があるだけの、灯りも家具もない物置に近い部屋だ。
「その方、眠っている、のですか?」
ルビーがおどおどと話しかけてきた。彼女もまた、ミントにこの場所を案内してから、ずっとそばで座っていたのである。
「え、ええ。私も、天使が眠るなんて聞いたことないんですけど」
アリスは目を閉じたまま、ゆっくりと呼吸している。
「ルビー!」
と、そこへ大きな声と共に一人の“A”が部屋に入ってきた。やや癖っ気のある短い金髪。鼻が高く面長の顔立ちには、不安な表情が浮かんでいる。
彼女は怯えた表情のルビーを見るなり、突然抱きしめた。
「ひゃ」
ミントが声を上げる。
「あーちゃん!」
「ルビー。帰ったよ。ごめん、一人にさせて……」
「うん。私、怖かった。あーちゃん、どこかに行っちゃうんじゃないかって。……でも、見張りだったんでしょ? エイミーさんに怒られない?」
「ここに来た人達のうちの一人が、見張りを変わってくれるって。それで戻ってきた」
レイチェルだろう。例によって面倒に巻き込まれまいとしたのか。
「あ、あーちゃん?」
お互いに顔を近づける二人を見て、ミントは目のやり場に困り、あたふたとする。
「ミントさん、でしたよね。……ぼく、アメジストと言います」
「え、ええ。えと、アメジストさんに、ルビーさん」
「はい。ぼくら、二人で行動していたところでここを見つけて。戦いなんて初めてで。どうしていいか迷っていたところにエイミーさんが入れてくれたんです」
そう語るアメジストの後ろでは、ルビーが両手で胸を抑えるような仕草をしながら縮こまっている。ようやく見知った天使と再会できた安心感だろうか、アメジストを盾にこちらを窺っている。
ミントの横にあった無線受信機が、ざりざりと音を立てた。
「あのぅ、お二人は」
「ぼく達、恋人同士なんです。前世からの」
真面目な顔で、アメジストが言った。
「はい?」
「ぼくは何があってもルビーを守ります。ミントさん、力を貸して下さい」
「は、いや、あの……その」
困惑し、返答に詰まる。一体どう応えればいいのか。早くスカーがこの場に戻ってきてほしい、とミントはただ祈っていた。
―――
「申し訳ありませんでした」
数十分後、膝をつき、深々と頭を下げるアリスに、再びミントは困惑していた。
「あ、頭を上げて下さい、アリスさん。私は別に……」
あれからすぐ、アメジストとルビーは二人でどこかに行った。スカーもまだ帰ってこない。二人きりの状況だ。
「突然、力が抜けて気を失ってしまい……自分の身体の異変にも気づかず、隊に迷惑をかけてしまいました」
「寝ちゃっただけなのに、そんな」
「? …………寝ちゃった、とは?」
アリスが首をかしげた。
「え?」
「はい」
しばし、二人は無言でお互いを見つめる。
「わ、私達は眠らなくていい身体のはずですし……突然寝ちゃったのはびっくりしましたけど、でも土下座なんてそんな」
アリスは理解できていない。どうも自分が“寝た”という行為そのものが飲みこめていないらしかった。
「いかな理由であれ、結果は結果です。ミントさん、私はどうすればよいでしょうか」
「どうって」
どんな罰も受け入れよう、とばかりに毅然とした顔で言うアリスに、ミントは頬を掻く。やがて手が止まり、ミントはすっと息を吐き、口を開いた。
「……わかりました。じゃあ、アリスさん、しばらく私と一緒にいてもらえますか?」
自分が何者なのか、どうしてここにいるのか、いくつかの戦場を過ごしてなお、何一つわからない。それがミントという天使だ。
人見知りをする癖があるのだけは自覚していた。これまで所属してきた分隊のどこでも、ミントは他人との距離感を図るのが不得手だった。今回もそうだ。スカーは信頼のおける天使だと感じた。レイチェルは……忌避するほどではないが、正直、苦手な部類といえた(特にあの目だ)。まだ会ってから二日しか経っていないが、天使が戦場で過ごす時間は通常のそれよりはるかに濃密であり、関係が構築されるのもまた早い。
だが気になるのはアリスだ。ミントはアリスに不思議な感覚を抱いていた。好きや嫌いという好みの問題ではない。優れた戦闘力を持ちながら、ともすればいたことすら忘れてしまいそうな“ただそこにいるだけの存在”。ミントはアリスにそんなイメージを持った。
嫌な感じではない。気楽とすら言える。
何度経験しても慣れない戦場。不安で擦り減る精神。そんな自分の真逆にいるアリスを傍に置こうと思ったのは、彼女にとってはひとまずの安心を得る手段であった。
「では隊長が帰ってくるまで、部屋の入口で警護します」
「え、いいですよ、他の人が見張りに立ってくれてるし……なんか、落ち着かないです」
「危険では」
「アリスさん、あの、お、お願いですから、従って下さい、です……」
「わかりました。そう言うのであれば、命令通りにします」
アリスは規律正しく歩みを進め、ミントの傍に座る。落ち着かない、とミントは率直に思った。“自分が命令を与える側についたことがない”のと“スイッチが入ったように言うことに従うアリス”という二つの理由からだ。
二人は部屋の隅に座り、ただじっとスカー達が帰ってくるのを待つ。お互いに一言も話さない状況がたっぷり十分ほど続き――そして口を開いたのは意外にもアリスの方からだった。相変わらず表情の読めない顔で、アリスはこう言った。
「ミントさん。仲間とは、どのようなものなのでしょう」
――ほんの十時間あまり前のことが、数日ぶりのようにも感じられる。
アリスはあの通信施設での戦いにおいて、感じた事などをミントに聞かせた。アメリアがラズベリーや双子達のことを気にかける“仲間思い”であったこと。だがそれゆえに作戦無視であったり、不用意な動きをしてしまったりもしたこと。
「私にはわかりません。考えても、答えは出ません」
日が落ちかけ、暗くなりはじめた部屋の中でアリスは言った。
「仲間とは、それほど重要なものなのでしょうか」
「……ちょっと答えづらい、です」
偽らざる返事だった。スカーもレイチェルもアリスも生き延びるには重要な存在だ。だがそもそも、ミントにはこれまでの戦場で“仲間”と呼べた存在を思い出すことが出来ない。その定義とは一体何なのか。
「ミントさんは、私を“仲間”だと思いますか」
もちろん、と言いかけて、ミントは言葉に詰まった。何故だか軽々しく口にするのが憚られた。察するかのように、アリスも言及を避ける。
「おかしなことを聞いてしまい、申し訳ありませんでした」
「ううん、私こそ」
アリスは頭を下げる。
「ところでアリスさん、もしかしてまた、夢を見てました?」
話題を切り替えようと、ミントはアリスに訊ねる。
「はい」
「やっぱり。たまに唸っていたから」
「すみません」
「謝らなくても……もしよかったら、聞かせてもらえます?」
するとアリスは黙り込み、ややあって、言った。
「――あまり、覚えていません」
「夢ですしね」
「誰か、近しい人がいたような、そんな気もしますが」
生前の記憶だったのだろうか。結局、アリスはそれ以上語らなかった。とはいえミントも似たような身だ。そして、過去がわかったところで何が変わるわけでもない。
「あの、アリスさん」
「はい」
「……お菓子、たべます?」
ミントはポーチから、簡素な包みを取り出した。中に入っていたのは、鮮やかに着色されたゼリービーンズ。アリスはそれをまじまじと見つめ、緑色の一粒を手に取る。
「これは、噛んでいればいいのでしょうか」
「えっ。あ、うん」
アリスは粒を口に放り込むと、もぐもぐもぐもぐと規則的に咀嚼し、やがて動きを止める。
「消えてしまいました」
「……それはそうですよ……」
―――
数分後、部屋の扉がおもむろに開かれ、スカーが来た。
「隊長!」
顔を見るや、ミントが声を上げる。
「悪い。遅くなった。アリスも起きたようだな」
「はい、すみませんでした」
「寝ちまったもんは仕方ねえ。だが今度からヤバそうな時は言え」
「はい」
壁に背をもたれ、懐からタバコを取り出す。残りが数本なのを確認するや、スカーは火をつけず、くわえたまま話した。
「レイチェルは?」
「……見張りになるって、行っちゃいました」
スカーが頭を掻く。
「あいつ、面倒事になるって踏んで、また逃げやがったな。もっとも、あの場に連れていかなくて正解だったか」
「どういうことですか……?」
「順を追うぞ。まず、この場所自体は申し分ない。収容数は多くて設備も整ってる。見晴らしも悪くないし、特に防衛用の重機まであった。もっと天使が集まれば、ここを拠点とするのもいいかもしれねえ。だが」
「何か問題が?」
言葉を濁すスカーに、アリスが問う。
「ここにいる奴らが問題だ。まず戦闘経験がない。が、それだけなら俺が何とかできる。厄介なのは、そいつらの頭についてるエイミーって天使だ」
「さっきまでアメジストさんとルビーさんって天使がここにいて、その名前は話でも聞きました。あの方たちの話では、この場に迎え入れてくれたと」
「状況が飲み込めません。しかし、分隊同士、協力して備えれば良いのでは」
「……そいつはどうかな」
タバコのフィルターを強く噛みながらそう呟くと、スカーは壁から離れ、部屋から出ていく。
「た、隊長?」
「心配そうな顔するなよ、ミント。見張りの終わりを待ってレイチェルを連れてくるだけだ。――なにしろ、この状況ばかりは、ちょいと気を張る必要がありそうだからな」




