#1
アリスは夢の中にいた。
パパとママに手を引かれている。ここは遊園地だろうか。
一面真っ暗な世界で、けばけばしいネオンがぎらぎらと輝いている。
片目のえぐれたネコの着ぐるみ。コンクリートで出来た城。恐怖が貼りついた顔の王女様。ムカデの機関車。肉と鉄筋で出来たメリーゴーランド。ねじれたシナモンドーナツ。
道行く人はみんな楽しそうだ。アリスはシナモンドーナツにかじりつく。鉄の味がした。
頭の上には、0と1がうかぶ空。
パパの顔にはぽっかりと穴が空いていた。
ママの顔は牛の頭蓋骨にすり替わっていた。
両親はアリスに笑いかける。楽しいかい? アリスはうん、と答えた。
足元の空間が抜け、すとん、と穴に落ちた。
真っ白い空間。溶けだす自分の身体。
―――
「と、止まって下さい」
かたかたと震える手で、歩哨の天使がスカーに銃を突きつけた。古いボルトアクション式の銃だ。腰は引けていて、狙いも定まっていない。
「そっちの分隊は、援護に来た天使に銃を突きつけろって教えられてんのか」
「えっ! あ、その……」
目の細い、ショートボブの金髪をもつ天使はスカーに見据えられ、小銃を下ろす。
「スカーレット分隊、隊長スカーレット、以下三名。支援要請を受けて来た。そっちの名前は?」
「ルビー、です」
「どの輸送機から降りた? 分隊名は?」
「輸送機と、分隊……ですか? すみません、よくわかりません……」
慣れない動き、仕草。今回が初めての戦場なのだろう。長い黒髪、額から出た短い角が特徴の“R”だ。貧相な身体つきで、目には隈が出来ている。
「まあいい。とりあえず、支援要請を寄越したそっちのリーダーに合わせてくれ」
「わ、わかりました」
おずおずと道を開け、ルビーはスカー達を入口に案内する。
「あとな、お前の銃はこの距離で使えるようなもんじゃねえ。サイドアームは?」
「……さいど?」
聞き慣れぬ言葉に困惑するルビーに、スカーはため息をつく。
「いや、分かってないなら、いい」
「はあ……」
「それから、もし横になれる場所があれば貸してほしい」
「横になれる場所、ですか?」
スカーは後方にいるミントに目をやり、示してみせた。ミントに背負われ、目を閉じているのは……アリスだ。
「……寝てる奴がいる」
天使は、気を失うことはあっても、眠らない。天使として初めて出撃した者でさえ、誰に教わらなくともその身をもって実感する事実だ。
ところがスカー達が目的地に向けて進軍している最中、突然アリスが倒れた。敵襲か狙撃か、と身構えるスカーは、間もなく彼女の異変に気付く。アリスは寝ていたのだ。
眠る天使など聞いたことがない。だが寝てしまった原因など分かるはずもなく、ひとまずスカーはアリスをミントに背負わせ、進軍を再開した。いつまで寝ているのかはわからない。起こせば起きるものなのか、起こしてしまって平気なのか、それさえ分からずにいた。
―――
F-20防衛施設は、前大戦で要塞化したラオ島の各所にある拠点の一つだ。戦闘用に作られたものだけあり、いくつかの重機関銃や銃眼、見張り台なども設置され、また小規模な通信施設も兼ねている。その場所の周りには、塹壕や地下に通じるトンネルが張り巡らされている。守備を固めて拠点とすれば、ここから東にある対空砲やその他の拠点に向かうのも楽になるだろう。守備を固め、体制を盤石にすればの話、だが。
「あんたが隊長?」
防衛施設に入るなり、彼女は憮然とした態度で言い放った。どこからか運んだと思しきソファに、ふんぞり返るように座っている。
後ろで一括りにした金髪をもつ“A”だ。背中にはアンバランスなほど大きな羽が生えている。人形のような見た目ではあるが、その目は冷たい。
「5番機降下隊スカーレット分隊、隊長スカーレット。スカー、でいい」
「2番機降下隊……ナントカ分隊、エイミー」
「お前が分隊長じゃないのか」
「他の連中なんて、みんな死んじゃったわよ。今は私がリーダー。分隊だの何だのって、よくわからないわ」
エイミーは鼻を鳴らす。
「他のメンバーは」
「アメジスト、ルビー、サヴァナ、それからポンコツ」
「ポンコツ?」
スカーは問い返した。
「名前、分かんないのよ。そこにいるじゃない、ほら」
部屋の隅、フードと外套ですっぽりと覆われた少女が膝を抱えて座っていた。
「……あれは」
「私が拾ったのよ」
スカーが近寄ろうとすると、それに気付いた少女は怯えたように身をすくめる。
「きひ、きひひ。危ないから、座ってないといけないの。私はね、まだ違うから。きひひ」
フードからこぼれる髪は緑色に見えた。
「名前は」
「ちょっと!」
後ろでエイミーが制止するが、スカーは気にせず近寄る。ドッグタグを確認するためだ。だが、無い。少女は何事かを呟きながら、左親指の爪を一心不乱に噛んでいる。
「名前? あの人はエイミー。あとルビー。セティ。あれ、そんな人いたっけ? きひひ」
「お前の名前だよ」
「……お前? それはどこにいるの? どの人?」
少女の目は虚ろで、焦点が定まっていない。“M”なのは間違いないだろうが。
「そいつ、拾ったのよ。私が。ここに来る途中に。ねえ? ポンコツ」
「そ。エイミー、あたしを拾った。拾われたの。だからここにいるの。安心。ご安全」
ひとまず状況は読めた。この拠点にいるのは“A”が二名に、“R”“M”“S”が一名ずつ。どれも分隊からはぐれた者同士で、ほとんど隊としては成立していないようだった(そもそもまともな武器も持たせず、やり方も説明せずにルビーを歩哨に立たせている時点で推して察するべきであろう)
星マークのある者はエイミーで、星が一つ。後は無し。“ポンコツ”は不明。
「ここで星マークがあるのは私だけ。そこのポンコツは知らないけど、このザマだし。だから私がリーダー」
エイミーは誇らしげに言う。
「わかったよ、状況は把握した。それで、支援要請を出したのはお前か」
「お前じゃないわ。リーダーと呼んで」
「……リーダー。支援を寄越すからには現状を説明しろ」
「偉そうに」
エイミーは億劫そうに立ち上がると、壁に貼ってあった地図を指差した。
「北側から獣人が何人か攻めてきたのが半日前。私が機関銃でやっつけたけど、一人は逃げた。また攻めてこられると厄介じゃない? だから呼んだの。あんた達を」
「詳しく聞かせてくれ。偵察は出したか。獣人達の構成は?」
「わかんないわよ、そんなの。その後、ここにいた二人に調べてきてって行かせたけど、戻ってこないんだもん」
「二人?」
「他にもいたの。一人行かせて、そのあとにもう一人。二人とも帰ってこないから、どっかで死んじゃったのかもね」
エイミーは悪びれもせず言い放った。
「ただ“行かせた”と。そういうことか? 見張りは付けたか? 目途は?」
「知らない。やってない」
突如、スカーはエイミーの胸倉を掴んだ。
「ぐえっ、ち、ちょっと……!」
「隊長でもリーダーでもなんでもいい。何をやってやがる。無駄死にさせてどうする。見張りも援護も無しでふらふら行かせたら、どうなるかぐらいは知れるだろうが」
「ポンコツ!」
エイミーが叫ぶ。
その瞬間、弾かれたように“ポンコツ”が飛び出し、スカーに襲い掛かった。
「なっ!」
「ダメ! ダメ! エイミー、ダメ! 喧嘩はよくない! よくないです!」
「お前……っ!」
凄まじい力で乗りかかられる。跳ね除けようとするが、びくともしない。
「けほっ、けっ……もういいわ、放しなさい」
エイミーが数度咳き込んでから命令すると“ポンコツ”はスカーから降り、また元の位置に帰っていく。
「てめえ……」
「あんた達が何者だか知らないけどね、いい? ここでは私がリーダーなの。あんた達は私の命令を聞く。それで、敵が来たらやっつける。それだけでいいのよ」
「聞けると思うか」
「何よ」
スカーとエイミーが睨みあう。と、その時。
「まあまあ、エイミーさん。落ち着いて。せっかく来て頂いたのですから、もう少し冷静にお話をすべきでは?」
部屋に一人の天使がやってきた。短く切り揃えた髪と赤いフレームの眼鏡。エイミーよりいくらか年上に見える“S”だ。左が義手で、襟のついたコートを羽織っている。
「サヴァナ」
「スカーレットさん、でしたよね。このたびはリーダーが大変失礼いたしました。わたくし、ここの副リーダーを務めさせて頂いています、サヴァナです」
サヴァナは眼鏡を指で押し上げ、にこりと笑った。
聞けば、エイミーの拾った“ポンコツ”がここをほぼ一人で制圧したらしい。たまたま守りが手薄なのもあったかもしれないが、それにしても異常だ。
制圧してすぐ、他のメンバーもこの拠点に集まってきた。アメジスト、ルビー、サヴァナ。それから他二人。いずれも戦闘経験のない天使であり、エイミーは自分が星マーク持ちであるということと、優れた戦闘能力を有する“ポンコツ”を操れるということで、この中で命令権を主張しているらしい。
彼女達の戦闘能力は未知数。分隊どころではない。ほとんど烏合の集だ。この状況で獣人が攻めてくればどうなるか……人数にもよるが、ろくなことにはならないだろう。
とんでもないところに来たものだ。スカーは部屋から出て、舌打ちをした。




