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探偵一派  作者: 氷室冬彦
名無しの吸血鬼
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3 臆病者に付けられた名前

 それから三日後のこと。探偵が再び吸血鬼の屋敷にやってきたのには理由がある。


 まず、最初に屋敷を訪れた翌日の夜に奇妙な噂を耳にした。いわく、町はずれにある暗い森の入り口で、ローブのようなものをかぶった細身の大男が木の影からじっと見てくるのだという。朝から夜までずっと同じ場所に立ち続け、声をかけても返事をしない。現状ただそこにいるだけではあるが、あまりに怪しく不気味で不安を煽られるのだと。


 大男はその翌日も変わらずその場に立ち続けていた。警備隊の者が警戒して声をかけると瞬く間に姿を消したが、少し経つと再び現れ、今度は周辺をうろうろと徘徊している。その姿を見た町の者たちが探偵にも相談してみてはどうかと話していると、途端に襲われたらしい。襲われた――と言っても、大男は距離を詰めてきただけでなにもしてはいない。近付いただけだ。


 その夜から、探偵の視界の端に奇妙なものが入り込むようになった。建物の陰からこちらの様子をうかがっている、大きな布を頭からかぶった縦に長いなにか。なにをするでも、なにを言うでもなく、少し離れたところから探偵を見ている。建物の中にまでは入ってこないが、じっとその場に留まり続け、夜明け前になってようやく姿を消した。


 このままでは探偵が町を出て行くまで――ともすれば町を出たあとも――つきまとわれそうに思い、こちらからやって来たということだ。屋敷は相変わらず陰鬱とした様相でそこにあり、扉を開けると吸血鬼はそこにいた。彼は大きなカーテンのような布を引きずっており、突然やってきた探偵を見てたじろいだ。


「おい、貴様。いい加減にしろ、なんのつもりだ」


「う、……だ、だって」


「だってもクソもあるか。視界の端をちょろちょろと、うっとうしい。貴様が私にいったいなんの用だ? なにか言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうだ」


「あ……その……」


 吸血鬼は口ごもりながら怯えたようにあとずさる。三日前に探偵の首を締めあげて脅してきた者と同一人物だとは思えない、びくびくした態度だ。今回はこちらへの敵意はないらしい。


「それから、貴様は私の忠告を聞いていなかったのか? なぜ町に出てきて人目につくような真似をした? 貴様がこの森に棲みつく亜人種族だということが町の者に知れたらどうなるか教えたはずだぞ。人間という種族は排他的な思考を強く持つ性質がある。弱く臆病であるがゆえに、自分たちとは違った見た目や生態を持つ理解の及ばない存在に対しては、どこまでも攻撃的になれるのだ」


「そ、それは違う」


「なにが違う? 貴様は運よく迫害を受けなかっただけだ。ここに住んでいた人間たちは貴様に対して友好的であったようだが、世の中の人間すべてがそうであるわけがなかろう。もしすべての人間が貴様の言うように異種族に対してすら友好的でいられるほど精神的な余裕のある者ばかりなら、この一家に降りかかった悲劇はなんだ?」


 吸血鬼の表情が強張った。目線が泳ぐ。なにかを言おうと口を開くが、言いよどんで閉口し唾を飲んだ。


「……どうして」


「屋敷の中にこれだけ情報があって、調べられないわけがなかろう。三日もあればお釣りがくる。今から百年以上前、西リチャンに隠居していた生物学者――名はたしか……ああ、貴様の前で名前というものは無意味なのだったな。ともかく、過去にこのあたりに住んでいた学者夫婦と、住み込みで働いていた三人の使用人が、屋敷に忍び込んだ狂人に襲われて死亡した事件があった」


「それは……」


「犯人の男はたしか薬をやっていて頭がおかしくなっていたそうだな。持っていた手斧で、まず使用人を殺し、寝室で眠っていた夫妻を殺害。のちに自らの首を切って自害した――というのが、世間に報じられた内容だ」


 二階の大きな寝室には、埃のかぶったダブルベッドの寝台フレームだけがあった。床に黒い染みが残っており、壁や床、寝台にも、部屋中のあちこちに刃物でつけたようなキズが刻まれ、なにかが強くぶつかった拍子に歪んでしまったらしい扉は開閉にやや手こずった。


 赤い目が探偵を見る。探偵はただ、そこにある真実を見つめ返している。


「男を殺したのは貴様だな。動機は、この屋敷に住む夫妻の一人娘を守るため。あるいは、殺すつもりはなく拘束するだけのはずが加減を誤った――といったところか」


「それを……そんなことを、知ってどうするつもりだ」


「どうもせん。とっくに時効だろう。私は貴様が言った、自分は人間と関わったことがないという嘘を暴いただけだ」


「間に合わなかったんだ」


 吸血鬼は思い詰めた様子でうつむいた。悲痛な表情がやけに鮮明で、まるでつい昨日起きた悲劇を振り返っているかのようだ。


「みんな俺に優しくしてくれた。とてもいい人たちだった。だから、なにかあったら絶対に力になろうって決めていたんだ。なのに……森の近くを通ったときに、風にまざって血の匂いがして……ここに来たときには、もう……」


「その一件が原因で、人を殺すことに恐怖を抱いているのか」


 森の中で探偵を締めあげたとき。探偵が彼に銃口を向けたとき。屋敷で目を覚まして再び探偵を見たとき。揺れる瞳に、震えた手。彼は常に恐怖心を抱いている。加減を誤れば相手を殺してしまう恐怖。敵対し、殺さなければならなくなる可能性への恐怖。また人間を殺してしまった恐怖。恐怖だけが常に、あの赤い瞳の奥に透けて見えていた。


 吸血鬼はうろたえながらも、一歩前に身を乗り出した。


「だって、斧で斬られただけだよ? それも鉄の斧で、銀じゃない。あの男の人だって、俺は爪で首を切っただけなんだよ? それくらいなら普通はちょっと動きが止まるくらいで、すぐ治るのに。あんなちょっとの怪我が治らないなんて! そんなに弱いなんて知らなかった。人間はおかしい。なんでそれだけで死んじゃうの?」


「なぜと言われても、それが人間だとしか言いようがない。我々からすれば、貴様ら吸血鬼の再生能力のほうがおかしいのだ。首を斬られれば大抵の生き物は死ぬ。腹を斬られても死ぬ。傷がその場で治ったりはしない。とくに私のように魔力を持たない非能力者は、かすり傷ひとつ治すにも数日はかかる」


 吸血鬼ははっとして探偵を見た。正確には、探偵の首元を見た。彼の爪でつけられた切り傷だ。ひとまず傷口はふさがっているが傷周辺の赤みはひいておらず、傷の範囲が広いこともあり目立ってしまうため、まだ包帯を巻いてある。


「……その。首の怪我」


「貴様を蹴ったときにできたものだ。傷自体はふさがっているが、完治するまでもう何日かはこのままだな。しばらくは傷痕が残るだろう」


「俺の爪が……?」


「それ以外になにがある? そうでなくても首を絞められた跡がくっきり残っていたのだ。そちらはもうほとんど消えているが……もし貴様が万全の状態だったら、締めあげるどころか勢い余って首を折られていただろうな。死なせる気がないならあれはやめておけ」


「ご、……ごめん」


 ぽつりと、つぶやくような謝罪。探偵は息をつきながら首をさすって、目の前で小さくなっている大男を改めて見る。


「貴様は人間が好きなのだな」


「こ、怖いよ。人間は。すぐに死ぬのもだけど、意味のわからない行動ばかりする」


「今の謝罪の言葉がなによりの証拠だ。それだけではない。この屋敷の娘にはずいぶん親切だったようではないか。人間という生き物の脆弱性を知り、近くにいては傷つけてしまうかもしれないと怯えながらも、一人になった娘を放っておけず護衛という名目でそばにいたくらいだ。両親を助けられなかった負い目もあっただろうが、そもそもの前提としてこの一家とその娘に対して相当の情がなければ、そのような判断は下さなかっただろう」


 吸血鬼は目を見開いて探偵を見た。


「娘の部屋にだけ鍵をかけ、まるで当時の記憶ごと封をするかのように閉ざしている。廊下や他の部屋の窓には木の板を打ち付けて目張りをしているが、あの部屋の窓にはなにも手を加えていなかった」


「見たの? まさか……」


「貴様が目を覚ますまでの間にな。念のため言っておくが、中には入っていない。扉の外から覗いただけだ。ああも大事そうに当時の空間を維持しているのだ。あの部屋は、言うなれば貴様の心臓なのだろう。部外者が立ち入るべきでないことくらいは容易に想像がつく」


「それは……、……でも、それだけじゃ、そんなことまでわからないはずだよ。なんであのあと、俺が一緒にいたって……」


「手紙だ」


「……手紙?」


「貴様の部屋の本に手紙が挟んであっただろう。その娘は若くして肺を患ったようだが、病床に臥しながら貴様に宛てた手紙を書き残していた。何度も開いた跡があったから、貴様も既に目を通しているはずだ」


「あれを読んだ、ってこと?」


「読んでしまったな。答え合わせにはちょうどよかったぞ」


「……なんて書いてあった?」


「字が読めないのか」


「読めない。エリスが俺に字を教えてくれるって言ったけど、その前にいなくなったから。ねえ、なんて書いてあったの? あの手紙、エリスは俺になにを……」


 やや興奮した様子で詰め寄ってくる吸血鬼を手で押しのけながら、探偵はうるさそうに片耳に手を当てる。


「落ち着け。なんてことのない、ただの恋文だ」


「……こいぶみ?」


「ああそうだ。長々と書かれてあったが、貴様への感謝と、貴様を残してこの世を去ることへの謝罪。それから、貴様のことを愛している旨が書かれてあった。それだけだ」


 吸血鬼はしばらく唖然として固まっていたが、やがてゆっくりと息を吐きながら肩を落とした。


「……そ、っか」


「くだらん嘘をついてまで隠そうとしたことだ。貴様にとっては誰にも知られたくない真実だっただろう。それをこうして暴いてしまったことに関しては謝罪しよう。すまなかったな」


「いや……いいよ。たしかに知られたくなかったけど、おかげでエリスの気持ちがわかったもん。本当は俺のこと恨んでたり、嫌いだったのかもって……不安だったから」


「よそ行きの態度はもういいのか?」


「え? ……あ」


 探偵の指摘に吸血鬼は口を押さえる。見た目にそぐわず子どもっぽい話し方だが、こちらが彼の素の姿らしい。取り繕っていた間の言葉遣いはおそらく、彼が知っている他の誰かを真似たものだ。


「フランリー」


 探偵がつぶやく。吸血鬼は首をかしげた。


「名づけは私に任されているのだろう? 私はこれを貴様個人の名として認識するので、異議がないなら貴様もこれからはそう名乗れ」


「……えっ!?」


「名前というものは、その個人を表す記号だ。その者を認識し記憶するために役に立つしるべになる。貴様がエリスという名を呼ぶことで、その娘を思い出し、その娘に関する記憶をいつまでも覚えておくことができるようにな。名前は会話に使うだけのものではない。名前がなければ誰の記憶にもとどまらず、その存在の認識すらされないのだ。あって損をするものでもないのだから、ひとつくらいは持っておけ」


「俺の……名前」


「気に入らなければ変えてもかまわん。どうせなんとなく浮かんだだけの名だ」


 名無しの吸血鬼は勢いよく首を横に振った。名前などいらない――そう言っていたわりに、その目は歓喜にうるんで輝いている。


「い、いや! それでいい。……それがいい」


「……そうか。ならばフランリー、今日からこれが貴様の名だ」

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