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探偵一派  作者: 氷室冬彦
名無しの吸血鬼
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2 赤と青の対峙

 黒マントの男を背中に担ぎながら――というよりほとんど引きずりながら――男がやってきた方角に向かって歩いて行くと、暗く鬱蒼うっそうとした木々の中に、こじんまりとした屋敷が現れた。正確にはその廃墟といったところか。窓は木の板が打ち付けられ、苔むした壁に木の蔓がへばりついている。正面玄関にあたる大きな両開きの扉は開け放たれたままになっていて、おそらくここが今探偵が引きずっている男の住処なのだろう。


 扉の前に立って中を覗く。昼間だというのに屋内は暗く、照明はついていない。あちこちに燭台が置いてあるのが入り口からでも確認できた。外観は廃墟同然だが、内装は古びてこそいるものの暮らせないほどではない。開いたままの扉をノックする。


「おい、誰かいないのか」


 返事はなく、なにかが近付いてくるような気配もない。探偵のよく通る声だけが屋敷に反響し、そのあとに直前までと同じ静寂が訪れただけだった。どうやら仲間はいないらしい。大きくてかさばる荷物を引きずったまま足を踏み入れる。玄関ホールの真正面に大きな階段があり、二階へとつながっている。天井が高い。寿が階段を駆け上がっていく。つい先ほどまで全身をぶつけて気を失っていたというのに、回復が早い。


 ホールの左右には扉がひとつずつ。それぞれなにかの部屋か通路につながっているのだろう。二階にあがると、踊り場で待機していた寿が鳥のように袖をばたつかせながら飛び跳ねた。古い床がぎしぎしと軋む。探偵が追いつくと、寿は男のマントを引っ張った。手伝っているつもりらしい。木の板が打ち付けられている窓の隙間から差し込む光を頼りに進む。


 階段をのぼりきると左右に伸びる廊下があり、その先にいくつかの扉が見える。寿が先に歩くのでそれについていくと、右側の通路に三つ並んだ扉の、一番手前の部屋の前で止まった。扉を開ける。


 木の板と黒い布切れでより厳重にふさがれた窓。壁際にはボロボロのベッドがあり、探偵は男を放り投げるようにしてそこに寝かせた。中身の詰まった大きな本棚。小さな丸テーブルと椅子。そこにあった燭台にマッチで火を灯した。あまり埃をかぶっていないことからも、男は普段この部屋で寝泊まりしているのだろう。


 暗い部屋の中で、改めて男の顔を見た。色白の肌は顔色が悪い。尖った耳に、唇の隙間からは鋭い二本の牙が見える。左目の下に小さなほくろ。マントの下はリボンタイを締めた白いワイシャツ姿だ。右袖に血がにじんでいる。寿に噛まれたところだ。袖を捲って傷の状態を見る。探偵を片腕で持ち上げたほどの怪力だったが、いったいどこからあのような力が出ていたのか疑問に思うほど細い腕だ。体温が感じられない。


「たんて」


 寿が包帯と傷薬を取り出して探偵に差し出した。


「お前は役に立つ」


 それを受け取って気休め程度の手当てをし、包帯を巻いた。目を覚ます様子はない。寿はくるくるまわって飛び跳ねている。おそらく喜んでいるのだろう。単純な生き物だ。男の手当てが済むと、探偵は肩掛けを外して自分の首の手当てにあたった。本当ならば先に傷口を洗いたいところだが仕方がない。傷は浅く、血もとっくに止まっている。化膿しなければほんの数日で治るだろう。


 再び肩掛けを羽織ったところで男が小さくうめいたが、目を覚ましたわけではないようだ。


「寿、建物内に他の生き物の気配はあるか?」


「む」


 寿は首を横に振った。探偵はため息をついて部屋の扉のほうを見る。


「私は屋敷の中を少し見てくる。ここでそいつを見張っていろ」


 探偵が告げると、寿は丸テーブルの傍から椅子を引きずってベッドの隣まで運び、そこに飛び乗って男を覗き込んだ。部屋を出て階段の傍にあった燭台を手に廃墟を探索する。


 二階はあとにして一階に降り、順番に部屋を見ていく。食堂、キッチン、ダイニング、浴室、書斎――ひととおり部屋を見てまわったころには、手袋は埃で汚れきっていた。予備の手袋に替え、書斎をあらかた調べ終えてから二階に戻る。


 一度寿の様子を確認しに向かったが、探索に出る前と変わったところはない。ふと丸テーブルに目がいった。部屋を頼りなく照らす燭台の隣に、一本の古びた鍵。それを手に再び部屋を出て、まず隣の二部屋を見る。男を寝かせてある部屋と大きな差はない、客室のような様相だ。気になるものはない。


 残るは二部屋。階段の前まで戻り、反対側の通路へ進む。手前の部屋は扉の立て付けが悪く、奥の部屋には鍵がかかっている。どちらも蹴れば簡単に開くが、そこまで無作法な探偵ではない。先ほど持ち出した鍵を使うと、奥の扉はすんなりと開いた。入り口から室内を見まわし、また扉を閉じて鍵をかける。


 手前の扉はただ固くて開きにくいだけだ。ドアノブを握り、扉に足をかけ、腕力ではなく脚力で押し開ける。ずずず、と引きずるような音とともに扉は開いた。他の部屋より少し広いようだ。まず目に入ったのは二人用の大きなベッド。寝室のようだ。部屋を出るときは扉の横の壁に足をついてドアノブを引き、どうにか元どおり扉を閉じた。


 腕を組み、ため息をひとつ。調べられる場所がなくなったため、また男のいる部屋に戻った。男が目を覚ますのを待ちながら、部屋にある本棚に並ぶ本を見ていくと、一冊だけ埃のかぶっていない本がある。手に取ってページを開くと、一通の手紙が挟まっていた。紙は端のほうが茶色く変色しているが、ずっと本に挟まっていたこともあって劣化はそれほど進んでいないようだ。さっと流し読んでから元に戻す。


 うめき声が聞こえ、ベッドに視線を移した。寿の隣に立ってそっと覗き込んだとき、男がもぞもぞと動いて目を開ける。赤い目が探偵を見て、そのまま数秒ぼんやりしていたが、やがて意識と視界がはっきりしたらしい男の顔つきが変わった。


 再び掴みかかろうと伸ばされた手を、探偵はこともなげに掴み止める。最初の襲撃時とは比べものにならないほど弱く遅い。まさか止められるとは思っていなかったのだろう、見開かれた赤い目が不安に揺れた。


「悪いが、二度も同じ手を食ってはやらんぞ」


 短く息を吸うような細い声。男はパニックに陥ったように叫び声をあげ、探偵の手を振り払うとあたりにあるものを手当たり次第に投げつけた。枕、花瓶、燭台を手に取ったところで頭を押さえてその場に崩れ落ちた。息が荒い。


「いきなり暴れるからだ、愚か者め」


「……に、を」


 うずくまっていた男が顔を上げる。赤い目は警戒心を丸出しに探偵を睨んだ。ひどい汗だ。


「なにを……したんだ」


「なんだ?」


「俺に、なにを……」


「バカもここまで来ると哀れだな。私が貴様にしたことといえば、死んだふりをして蹴り飛ばしたくらいのものだ。その不調は単純に、貴様がその衰弱した身で日光を浴びたせいだろう、吸血鬼」


 探偵が冷静に告げると、男はゆっくりと――本人は急いだつもりで――体を起こして立ち上がり、二歩ほどあとずさった。


「……どうして、俺が吸血鬼だと」


「見ればわかる。その赤い目、生白い肌。尖った耳に鋭い爪と牙。外見にそぐわない怪力に、日光に怯む身体。だが日の光を浴びてなお灰にならず、肌がただれた様子もないな。血の匂いを嗅いでも吸血衝動に襲われない様子であることや、その独特の気配から察するに……貴様は真祖だな」


「……真祖?」


「自らの種族の話だというのに知らないのか。まれにいる、一般的な吸血鬼の上位互換のような存在だ」


 本来、吸血鬼は生きるために人間の血液を必要とする。吸血対象が人間であるのは、他の動物よりも自分たちと体の構造が近い人間の血液のほうが身体になじみやすいからだ。養分として吸収しやすく、また栄養価も高い。犬や猫をはじめとしたその他の動物たちの血液を養分として消化しようとすると、人間の血よりも消化のためのエネルギーが多く必要となるため、飲まないほうがマシとまではいかずとも、ほとんど栄養を得られない。


 吸血鬼は血を吸わなければ生きられない。それは生き物が食事を必要とするのとまったく同じ理由だ。食わねば生きられない。彼らの場合は腹が減ると言うより喉が渇くのだ。血を吸わないでいると身体が衰弱し、生存本能から激しい吸血衝動に襲われて人間を襲う。そして彼らは日光に弱い。日に当たればたちまち身体が焼け焦げ、ただれていき、個体差はあるものの数分も経てば灰になる。


 そんな吸血鬼の上位種――それが真祖と呼ばれる吸血鬼だ。血は必要だが、飲まずにいても吸血鬼としての力が衰弱するだけで死には到らない。ときどきにでも動物の血を飲んでいれば、深刻な喉の渇きも感じないと聞く。長く血を飲まずにいたところに血の匂いを嗅いでも吸血衝動に襲われることがない。そして日光への耐性があり、一般的な吸血鬼よりも長く日の下で活動でき、灰にならない。


「お……お前は何者だ」


 最初に遭遇したときの低く鋭い声に比べ、やけに弱々しい声だ。探偵は鼻で笑う。


「そう怯えるな。貴様に危害を加える気などない」


「人間……人間の血の匂いだ。お前は俺の敵か?」


「なぜ私が貴様の敵になる? 今しがた言ったように、危害を加えるつもりはない。先ほど貴様を蹴ったのは、貴様が先に襲いかかってきたからであって、あれは正当防衛だ。森に立ち入ったのも貴様になにかするためではない」


 吸血鬼は黙って探偵を見ている。


「私は探偵だ」


「……探偵?」


「そう。その名の通り探偵業を生業にしている。この小さいのは寿。私の助手であり、護衛役も担っている。吸血鬼といえば大抵の傷は即座に再生できるはずだが……いくら真祖といえど、寿に噛まれた傷はなかなか治らんぞ。そのように衰弱した身体ではなおさらな」


 探偵が言うと、吸血鬼は右腕を押さえ、はっとしたように袖を捲った。そこに巻かれてある包帯と探偵との間で視線を行き来させ、また一歩うしろにさがる。


「貴様の番だ。名はなんと言う?」


「俺に名前なんてない」


「なぜ名前がない」


「ないからない。それに、あったとしても意味がない。ここには誰もいないし、俺は今まで誰ともかかわらなかった。これからもそうだ。どうしてそんなことを聞くんだ」


「今現在、貴様は私と対話している。私も貴様も同じ言語を話す人型の生物だ。貴様は私が何者であるかを尋ねただろう。私も同じことをしただけだ。名前というものは相手が何者であるかを認識するための記号として非常に便利だからな」


 吸血鬼は眉をひそめる。


「吸血鬼だ。お前は俺を真祖と言った。ならそれが俺の名前だ」


「それは名前ではなく種族だ。貴様が私を人間と言ったのと同じ。私が求めているのは貴様という存在の、個としての名だ。その様子では自分で考えようと思ったこともないのだな」


「名前を考えたって使わなきゃ意味がない。誰からも呼ばれないなら名前なんていらない」


「孤独だな」


「必要ならお前がつければいい。人間。……探偵。お前にとってあったほうがいいものなら、お前が呼びやすいようにすればいい」


「私に名付け親になれと?」


「嫌ならいい。名前なんかなくても俺は困らない。今まで名前がなくても困らなかった。これからも困らない。名前なんていらない」


「一生このままでいいと」


「そうだ」


「嘘がヘタだな。そんな泣きそうな子どものような顔をしながら、一生孤独でいいなどと。説得力のかけらもない」


「な、泣きそう……?」


 探偵は腕組みをしたまま片眉を吊り上げる。やがて大きくため息をつくと包帯の上から自分の首をさすった。


「まあいい。貴様は一人になりたいようだから立ち去るとしよう。森で最初に会ったとき、貴様もそれを望んでいるようだったからな。貴様の機嫌を損ねて再び襲われでもしたら骨だ。貴様ほどの怪力であれば私一人を殺すことなど造作もない。死んだふりはもう通用しないだろう。私も殺されたくはないからな」


「え……」


「私が森に入ったのは貴様が放つ奇妙な気配に気付いたからだ。探偵としての勘がはたらいたとでも言っておこう。その正体をたしかめた以上、もうここに用はない。それにここは暗い上に埃っぽくてかなわん。邪魔をしたな。町の者にここでのことを口外する気はないし、もう二度と来ないから安心しろ」


 床でじっと二人のやりとりを見ていた寿をつまみ上げて肩に乗せ、探偵は扉のほうへと足を向ける。部屋を出る直前に吸血鬼がなにかを言おうとしたが、その前に探偵が別の言葉をかける。


「ああ……ひとつ、これは善意からの忠告だが、人間を脅かすのはほどほどにしたほうがいいぞ。やつらは未知のものを前にしたり、自らの立場が危うくなると、その恐怖からなにをしでかすかわからないからな。貴様の存在が公になれば、数を集めて退治に来るやもしれん」

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